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60 激怒
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「お前は俺の妃だ。お前が次を産むのだ」
ワッツァはずっと、同じことを言っていた。彼は、自分の子である半竜を、人の国に潜り込ませてスパイをさせるつもりなのだ。半竜は、人の目をくらますのに便利だから。
けれど、バートラフは、父の手先になることを拒んだ。あまつさえ、聖女の軍に下り、父に剣を向けている。
ならば、次を。
自分の意に染まぬ最初の子は殺して、次の子を。
怒りがこみあげてくる。半竜を、自分の子どもを、何だと思っているのか。
今、ワッツァは、地上に一人になり、数の上で圧倒的に不利になった。地上に竜が残っていないのなら、半竜を手先として使うしかない。
人の血を引く、半竜を。
それを、わたしに産ませようとしている。
バートラフの顔色が変わった。彼は今にもワッツァに飛び掛かりそうに見えた。
彼が一歩を踏み出す前に、わたしは叫んだ。
「いやよ! わたしは貴方の妻なんかじゃない。第一、竜には子どもなんて必要ないはず!」
「ところが必要なんだよ。この大地を支配するには人手が必要だ。前にも言ったろう? 半竜は都合の良い存在なのだ」
……都合がいい?
バートラフの諫言を、ちっともわかってない。竜と人間を共存させようとする彼の優しさを、少しも理解していない。
わたしは激怒した。
「竜の家来がいなくなったからといって、子どもを作って、自分に奉仕させようなんて! それが親のすることなの? しかも、しかもよ。このわたしに産ませようなんて! よくそんなことが言えたわね。今まで一度だって、わたしに触れたことなんてないくせに!」
「え?」
微かな声が聞こえた。
バートラフだ。
彼はぽかんとしてわたしを見ている。
その顔が、みるみる喜びに輝いていくような気がする。いや、見間違いだろう。
わたしは慌てていた。だって、妻として、ワッツァから一切顧みられなかったことを、自ら暴露してしまったのだから。
「……不遜だ」
やがて彼は、ぼそりとつぶやいた。
心優しいバートラフは、わたしの置かれていた立場に憤ってくれたのだ。
幸い、というか、バートラフのつぶやきは、とても小さかった。ワッツァには聞こえなかったようだ。
「デジレ、わが妻よ。お前が寂しかったのはよくわかっている」
のうのうと言い放った。
はあ? 何ぬかすんじゃい!
「何を言いやがりますの?」
幼いころから叩き込まれてきた、品性重視の王族教育が恨めしい。
「だって、お前は言ったではないか。俺が会いに行かなかったから、一人寝が寂しかったと」
バートラフの顔色が、さっと曇った。きっとわたしのことを、品格のない女だと思ったのに違いない。
一気に頭に血が上った、ワッツァのやつ、バートラフの前でなんというでたらめを!
「言ってません!」
「言った」
「いつ? どこで!」
「バートラフが熱を出した時だ。ソスクレア宮殿を訪ねた俺に、お前は、一人の冷たい床がどんなに辛いか、切々と訴えた」
「そんなこと言ってない!」
「言ったぞ。一言一句、覚えている。周りは使用人ばかりで頼れる人もおらず、夜寝るときも、ひとりぼっちだと、お前は嘆いていた」
「……」
わたしの頬が赤らんだ。もちろん、怒りで、だ。
「バートラフよ! わたしが言いたかったのは、たった一人の肉親であるあなたから打ち捨てられたバートラフが、ひとりぼっちでどんなに寂しい思いをしてたか、ってことなの! 父親の癖に、そんなこともわからないの!?」
「またバートラフか」
ワッツァは舌打ちした。
「お前はいつも、バートラフばかりだ」
「当たり前でしょ!」
そのバートラフが、わたしの手を握った。気持ちよく乾いた、暖かく、大きな手だ。彼は何か言いかけて、結局何も言わずに口を噤んだ。
繋いだ手を放し、父親と対峙した。
「ひとりぼっちは、貴方の方だ。貴方には、敵であれ味方であれ、他者への思いやりが決定的にかけていた。長引く地上の生活で、竜たちの魔力が弱っていたことを、ご存じなかったのですか?」
わたしは息を呑んだ。
それこそが、竜たちがテリトワル・デュ・ドラゴン、生まれ故郷の浮島へ向かった決定的な理由だと悟った。
最初、天涯の浮島に住んでいた竜たちは、人間のいる大地には近づかなかったという。そもそも地上での生活は、竜にはなじまなかったのだ。地上で何百年もの間暮らすうちに、魔力が衰えていったとしても、不思議ではない。
ワッツァの目が光った。
「知っていたとも。決定的だったのは、エミーガルだ。あれが死んでも、次の竜が生まれてこなかった」
バートラフが息を飲むのが分かった。ここでその名を出すのは卑怯だ。
エミーガルは、執事のマティルドと共に、彼を可愛がって育ててくれた老竜だ。老いた己を自覚し、宮殿に死の穢れを残さないために、自らバートラフの前から姿を消した。
「エミーガルは死んだのですか?」
尋ねる声が震えている。
ワッツァはずっと、同じことを言っていた。彼は、自分の子である半竜を、人の国に潜り込ませてスパイをさせるつもりなのだ。半竜は、人の目をくらますのに便利だから。
けれど、バートラフは、父の手先になることを拒んだ。あまつさえ、聖女の軍に下り、父に剣を向けている。
ならば、次を。
自分の意に染まぬ最初の子は殺して、次の子を。
怒りがこみあげてくる。半竜を、自分の子どもを、何だと思っているのか。
今、ワッツァは、地上に一人になり、数の上で圧倒的に不利になった。地上に竜が残っていないのなら、半竜を手先として使うしかない。
人の血を引く、半竜を。
それを、わたしに産ませようとしている。
バートラフの顔色が変わった。彼は今にもワッツァに飛び掛かりそうに見えた。
彼が一歩を踏み出す前に、わたしは叫んだ。
「いやよ! わたしは貴方の妻なんかじゃない。第一、竜には子どもなんて必要ないはず!」
「ところが必要なんだよ。この大地を支配するには人手が必要だ。前にも言ったろう? 半竜は都合の良い存在なのだ」
……都合がいい?
バートラフの諫言を、ちっともわかってない。竜と人間を共存させようとする彼の優しさを、少しも理解していない。
わたしは激怒した。
「竜の家来がいなくなったからといって、子どもを作って、自分に奉仕させようなんて! それが親のすることなの? しかも、しかもよ。このわたしに産ませようなんて! よくそんなことが言えたわね。今まで一度だって、わたしに触れたことなんてないくせに!」
「え?」
微かな声が聞こえた。
バートラフだ。
彼はぽかんとしてわたしを見ている。
その顔が、みるみる喜びに輝いていくような気がする。いや、見間違いだろう。
わたしは慌てていた。だって、妻として、ワッツァから一切顧みられなかったことを、自ら暴露してしまったのだから。
「……不遜だ」
やがて彼は、ぼそりとつぶやいた。
心優しいバートラフは、わたしの置かれていた立場に憤ってくれたのだ。
幸い、というか、バートラフのつぶやきは、とても小さかった。ワッツァには聞こえなかったようだ。
「デジレ、わが妻よ。お前が寂しかったのはよくわかっている」
のうのうと言い放った。
はあ? 何ぬかすんじゃい!
「何を言いやがりますの?」
幼いころから叩き込まれてきた、品性重視の王族教育が恨めしい。
「だって、お前は言ったではないか。俺が会いに行かなかったから、一人寝が寂しかったと」
バートラフの顔色が、さっと曇った。きっとわたしのことを、品格のない女だと思ったのに違いない。
一気に頭に血が上った、ワッツァのやつ、バートラフの前でなんというでたらめを!
「言ってません!」
「言った」
「いつ? どこで!」
「バートラフが熱を出した時だ。ソスクレア宮殿を訪ねた俺に、お前は、一人の冷たい床がどんなに辛いか、切々と訴えた」
「そんなこと言ってない!」
「言ったぞ。一言一句、覚えている。周りは使用人ばかりで頼れる人もおらず、夜寝るときも、ひとりぼっちだと、お前は嘆いていた」
「……」
わたしの頬が赤らんだ。もちろん、怒りで、だ。
「バートラフよ! わたしが言いたかったのは、たった一人の肉親であるあなたから打ち捨てられたバートラフが、ひとりぼっちでどんなに寂しい思いをしてたか、ってことなの! 父親の癖に、そんなこともわからないの!?」
「またバートラフか」
ワッツァは舌打ちした。
「お前はいつも、バートラフばかりだ」
「当たり前でしょ!」
そのバートラフが、わたしの手を握った。気持ちよく乾いた、暖かく、大きな手だ。彼は何か言いかけて、結局何も言わずに口を噤んだ。
繋いだ手を放し、父親と対峙した。
「ひとりぼっちは、貴方の方だ。貴方には、敵であれ味方であれ、他者への思いやりが決定的にかけていた。長引く地上の生活で、竜たちの魔力が弱っていたことを、ご存じなかったのですか?」
わたしは息を呑んだ。
それこそが、竜たちがテリトワル・デュ・ドラゴン、生まれ故郷の浮島へ向かった決定的な理由だと悟った。
最初、天涯の浮島に住んでいた竜たちは、人間のいる大地には近づかなかったという。そもそも地上での生活は、竜にはなじまなかったのだ。地上で何百年もの間暮らすうちに、魔力が衰えていったとしても、不思議ではない。
ワッツァの目が光った。
「知っていたとも。決定的だったのは、エミーガルだ。あれが死んでも、次の竜が生まれてこなかった」
バートラフが息を飲むのが分かった。ここでその名を出すのは卑怯だ。
エミーガルは、執事のマティルドと共に、彼を可愛がって育ててくれた老竜だ。老いた己を自覚し、宮殿に死の穢れを残さないために、自らバートラフの前から姿を消した。
「エミーガルは死んだのですか?」
尋ねる声が震えている。
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