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63 終章 1
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バートラフとワッツァの死闘は、ワッツァが氷の宮殿に墜落し、閉じ込められたことで終結した。
落ちていく途中で、かろうじて上側になったバートラフは、地上に激突する寸前に、なんとかワッツァの抱擁を逃れ、絡み合った体を振りほどくことに成功した。
ワッツァは、宮殿の最下層までめり込み、その衝撃で、彼の体の上に、大量の氷が崩れ落ちてきた。数千年の間、決して解けることのなかった氷の塊だ。
バートラフの爪で首筋の鱗を直撃され、ワッツァは怒り狂った。皇帝の権威の下に押し隠されていた怒りは解き放たれ、彼は原初の本能に突き動かされた。
けれど、今後、その怒りが発動されることはない。分厚い氷の塊に閉じ込められているからだ。
怒りの熱が氷を溶かして地上に姿を現す頃には、ワッツァはすっかり穏やかな竜になっているだろう。彼は浮島を訪れ、かつて配下にいた竜たちに、人の住む近くでは、決して竜体に変化しないよう、言い含めるに違いない。
悪鬼のような竜の皇帝を自国の氷原に埋めておくことに関して、キエルーシの皇帝はいい顔をしなかった。けれど、大陸は混乱していた。王を失った他国の領土を併合することに忙しい彼は、とある大きな土地を領有することを条件に、ワッツァの存在を受け容れた。
そして、主のいなくなったメレンクール、ロシュフォイユの両領土を、いち早くわがものと宣言したのは聖騎士団だった。正しくは、聖女だ。
わたしにも、もちろんバートラフにも、異存はない。
「今回の靴屋は聖女だったわけだな」
フリート叔父は苦い顔をしたが、甘んじてこれを受け容れた。国家統一の雑事を担うより、騎士であることを、叔父は選んだ。
◇
レゼルネ村の一角、大きく育った樹の幹に触れ、わたしは静かに目を閉じた。
幾多の想いが脳裏を過り、七色に輝く思考は、やがて白く輝くたったひとつの流れに収斂していく。懐かしく優しい、思いやりに満ちた白だ。
「ここにいたの、デジレ」
そっと肩を触れられた。
振り返ると、大好きな片目の半竜が、今は人の姿で微笑んでいた。
「君はとても勇敢だったね」
そんなことを言う。
わたしは目を見張った。
「それは貴方よ、バートラフ」
「僕は君を守りたかったんだよ。ずっとずっと、幼竜の頃から」
彼の尻尾が生え始めたのは、わたしが彼のいる離宮に到着した日だ。竜は守りたいものができると一人前になると、あの後、マティルドが教えてくれた。
今更ながらに、バートラフはずっとわたしを気にかけ、彼なりに守ってくれていたのだと思った。
時にそれは、負担が大きすぎることもあったろう。それでも彼は、いつも自信ありげに振る舞い、わたしに不安を与えなかった。
「ずっと聞こうと思ってたの。氷の宮殿へ行く前、貴方は何度も言ったわ。わたしは決して傷つけられることがないって。なぜ?」
「言いたくない」
わたしから離れ、でも樹の陰に留まったまま、彼は、足元の小石を蹴り始めた。
「知りたいの」
「どうしても言わなくちゃいけない?」
「教えて」
ひときわ大きな石を、彼は蹴り飛ばした。
「それはね。やり方には問題があったけど、父は君が好きだったからだよ。だから、君を傷つけることはないと思った。彼は決して、君の前では竜体にならなかったろう? 氷の宮殿でも、父はその場では変化せず、空高く飛翔してから竜になった」
わたしは息を飲んだ。
ワッツァの気持ち。
そんなもの、考えたことがなかった。彼は常に畏怖の対象だった。わたしは彼を恐れ、憎んでさえいた。
でもそれこそが「竜」なのだとしたら?
人と竜は違う。
頭ではわかっているつもりだった。だが無意識のうちにわたしは、人の常識をワッツァに押し付けていたのではないか。人の物差しでワッツァを測っていたのでは?
とはいえ、ワッツァの「愛」は、最終的に、自分の子を産ませることだ。ワッツァの場合、それはわたしの死に直結する。
相手を死に追いやることが竜の愛なら、受け容れるなんて到底できない。わたしは、不寛容な人間なのかもしれない。
この世界でわたしはまだ、何も価値あることを成していない。竜王に愛された記憶だけを胸に死んでいくなんて、そんなの、悲しすぎる。
ふと、ジュリアさんはどうだったのかと思った。バートラフを産んで死んでいったジュリアさん。
「ごめんね」
小さい声で謝った。
「本当にごめん」
「なぜ謝るの? まさか君、父上のこと……」
バートラフが慌てふためいている。
「違う!」
激しく否定した。ここだけは、決して誤解してほしくない。
「だってわたし、貴方のお母さんの思い出を汚してしまった。わたしは、自分の恐怖や嫌悪感を、一方的に彼女に重ねていたんだわ」
「違うよ、デジレ。君は僕の母の思い出を汚してなんかいない」
バートラフが微笑んだ。
「父が君を愛したということは、父の母への愛も本物だったということだ。そう思えるようになった。僕は、望まれて生まれてきた子なんだ。なんて素敵なことだろう。君が教えてくれたんだ」
「バートラフ」
胸がいっぱいになった。
もしかしたら、ジュリアさんは、ワッツァを愛していたかもしれない。竜と人の違いを理解し、ワッツァが自分に向けた感情が、紛れもない愛であることを知っていたのかも。
だから、過酷な運命を受け容れた。
二人の愛の結実が、バートラフなんだ。
ワッツァがバートラフにどういう気持ちを持っていたか、そこまではわたしには推測する資格がない。言われているように、ジュリアさんと引き換えに生まれてきた彼を憎んでいたのかもしれないし、ただ単に、小さな子どもをどう扱っていいのかわからなかっただけかもしれない。
ただ、ワッツァは彼を、竜の瘴気に触れさせないように、離宮で育てさせた。瘴気を出すことのない年老いた竜に世話をさせ、彼女が任務を果たせなくなると、即座に次を探した。
ワッツァのバートラフへの愛を、否定すべきではないと思う。
少なくともバートラフは、素直に育った。父を尊敬する息子になった。
竜であり人間でもあるバートラフの今までの孤独。
けれど、決して負けることなく、真っ直ぐに生きてきた。悲惨な境遇の果てに、彼はついに、自分を肯定することができたのだ。
頭上に揺れる葉の合間から、ゆらゆらと木漏れ日が降り注いでいる。
落ちていく途中で、かろうじて上側になったバートラフは、地上に激突する寸前に、なんとかワッツァの抱擁を逃れ、絡み合った体を振りほどくことに成功した。
ワッツァは、宮殿の最下層までめり込み、その衝撃で、彼の体の上に、大量の氷が崩れ落ちてきた。数千年の間、決して解けることのなかった氷の塊だ。
バートラフの爪で首筋の鱗を直撃され、ワッツァは怒り狂った。皇帝の権威の下に押し隠されていた怒りは解き放たれ、彼は原初の本能に突き動かされた。
けれど、今後、その怒りが発動されることはない。分厚い氷の塊に閉じ込められているからだ。
怒りの熱が氷を溶かして地上に姿を現す頃には、ワッツァはすっかり穏やかな竜になっているだろう。彼は浮島を訪れ、かつて配下にいた竜たちに、人の住む近くでは、決して竜体に変化しないよう、言い含めるに違いない。
悪鬼のような竜の皇帝を自国の氷原に埋めておくことに関して、キエルーシの皇帝はいい顔をしなかった。けれど、大陸は混乱していた。王を失った他国の領土を併合することに忙しい彼は、とある大きな土地を領有することを条件に、ワッツァの存在を受け容れた。
そして、主のいなくなったメレンクール、ロシュフォイユの両領土を、いち早くわがものと宣言したのは聖騎士団だった。正しくは、聖女だ。
わたしにも、もちろんバートラフにも、異存はない。
「今回の靴屋は聖女だったわけだな」
フリート叔父は苦い顔をしたが、甘んじてこれを受け容れた。国家統一の雑事を担うより、騎士であることを、叔父は選んだ。
◇
レゼルネ村の一角、大きく育った樹の幹に触れ、わたしは静かに目を閉じた。
幾多の想いが脳裏を過り、七色に輝く思考は、やがて白く輝くたったひとつの流れに収斂していく。懐かしく優しい、思いやりに満ちた白だ。
「ここにいたの、デジレ」
そっと肩を触れられた。
振り返ると、大好きな片目の半竜が、今は人の姿で微笑んでいた。
「君はとても勇敢だったね」
そんなことを言う。
わたしは目を見張った。
「それは貴方よ、バートラフ」
「僕は君を守りたかったんだよ。ずっとずっと、幼竜の頃から」
彼の尻尾が生え始めたのは、わたしが彼のいる離宮に到着した日だ。竜は守りたいものができると一人前になると、あの後、マティルドが教えてくれた。
今更ながらに、バートラフはずっとわたしを気にかけ、彼なりに守ってくれていたのだと思った。
時にそれは、負担が大きすぎることもあったろう。それでも彼は、いつも自信ありげに振る舞い、わたしに不安を与えなかった。
「ずっと聞こうと思ってたの。氷の宮殿へ行く前、貴方は何度も言ったわ。わたしは決して傷つけられることがないって。なぜ?」
「言いたくない」
わたしから離れ、でも樹の陰に留まったまま、彼は、足元の小石を蹴り始めた。
「知りたいの」
「どうしても言わなくちゃいけない?」
「教えて」
ひときわ大きな石を、彼は蹴り飛ばした。
「それはね。やり方には問題があったけど、父は君が好きだったからだよ。だから、君を傷つけることはないと思った。彼は決して、君の前では竜体にならなかったろう? 氷の宮殿でも、父はその場では変化せず、空高く飛翔してから竜になった」
わたしは息を飲んだ。
ワッツァの気持ち。
そんなもの、考えたことがなかった。彼は常に畏怖の対象だった。わたしは彼を恐れ、憎んでさえいた。
でもそれこそが「竜」なのだとしたら?
人と竜は違う。
頭ではわかっているつもりだった。だが無意識のうちにわたしは、人の常識をワッツァに押し付けていたのではないか。人の物差しでワッツァを測っていたのでは?
とはいえ、ワッツァの「愛」は、最終的に、自分の子を産ませることだ。ワッツァの場合、それはわたしの死に直結する。
相手を死に追いやることが竜の愛なら、受け容れるなんて到底できない。わたしは、不寛容な人間なのかもしれない。
この世界でわたしはまだ、何も価値あることを成していない。竜王に愛された記憶だけを胸に死んでいくなんて、そんなの、悲しすぎる。
ふと、ジュリアさんはどうだったのかと思った。バートラフを産んで死んでいったジュリアさん。
「ごめんね」
小さい声で謝った。
「本当にごめん」
「なぜ謝るの? まさか君、父上のこと……」
バートラフが慌てふためいている。
「違う!」
激しく否定した。ここだけは、決して誤解してほしくない。
「だってわたし、貴方のお母さんの思い出を汚してしまった。わたしは、自分の恐怖や嫌悪感を、一方的に彼女に重ねていたんだわ」
「違うよ、デジレ。君は僕の母の思い出を汚してなんかいない」
バートラフが微笑んだ。
「父が君を愛したということは、父の母への愛も本物だったということだ。そう思えるようになった。僕は、望まれて生まれてきた子なんだ。なんて素敵なことだろう。君が教えてくれたんだ」
「バートラフ」
胸がいっぱいになった。
もしかしたら、ジュリアさんは、ワッツァを愛していたかもしれない。竜と人の違いを理解し、ワッツァが自分に向けた感情が、紛れもない愛であることを知っていたのかも。
だから、過酷な運命を受け容れた。
二人の愛の結実が、バートラフなんだ。
ワッツァがバートラフにどういう気持ちを持っていたか、そこまではわたしには推測する資格がない。言われているように、ジュリアさんと引き換えに生まれてきた彼を憎んでいたのかもしれないし、ただ単に、小さな子どもをどう扱っていいのかわからなかっただけかもしれない。
ただ、ワッツァは彼を、竜の瘴気に触れさせないように、離宮で育てさせた。瘴気を出すことのない年老いた竜に世話をさせ、彼女が任務を果たせなくなると、即座に次を探した。
ワッツァのバートラフへの愛を、否定すべきではないと思う。
少なくともバートラフは、素直に育った。父を尊敬する息子になった。
竜であり人間でもあるバートラフの今までの孤独。
けれど、決して負けることなく、真っ直ぐに生きてきた。悲惨な境遇の果てに、彼はついに、自分を肯定することができたのだ。
頭上に揺れる葉の合間から、ゆらゆらと木漏れ日が降り注いでいる。
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