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花瓶の穴
14 おえんと独歩
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「五右衛門。五右衛門」
ひそひそと呼ぶ声がする。
夜半過ぎの牢獄。格子の間から、朧な月の光が差しこんでいた。
「死んじゃったの? ねえ、五右衛門ったら!」
薄目を開けてみると、牢の外にいたのは、おえんだった。
気持ちよく眠っていたところをまた起こされ、俺は、むっとした。
「そう簡単に死ぬわけないだろ」
「馬鹿、五右衛門」
「馬鹿はねえだろ。それより、何しに来たんだ? ここは子どもの来るところじゃねえ」
俺が諭すと、おえんはむくれた。
「如信尼様が、凄く心配してたから、様子を見に来てあげたんだよ!」
「如信尼様が!?」
寝そべっていた俺は飛び起きた。
「あの方が心配して下さるなら、俺ぁ、何十遍、いや、何百遍でも、牢に入るぜ!」
「五右衛門……」
おえんの背後から、泣き声が聞こえた。声変わり直前の、掠れた声。独歩だ。
「僕の為に……五右衛門。ごめん。ごめんよぉーーーー」
わんわんと泣き出した。
「如信尼様から聞いた。五右衛門は、僕の為に調べていて、人殺しに巻き込まれたんだ! 僕、五右衛門にひどいことを言ったのに。許しておくれよ、五右衛門」
「なに、おめえと俺の仲じゃねえか……」
独歩はかつて、裕福な家で幸せに暮らしていた可能性がある。が、いつの頃からか、地下牢に閉じ込められて育った。そして言葉を忘れ、江戸の町に放置された。
そこに、何らかの陰謀があったのだとしたら?
何にしても、俺は、独歩をひどい目に遭わせた奴を、懲らしめてやりたかった。できることなら、地下牢に入る前の生活に戻してやりたかった。
「うわぁーーーーーん」
純真な独歩は、一層ひどい声で泣き喚き始めた。
「しっ! 静かに! 見張りが来ちゃうでしょう!」
ぺしん、と、殴りつける音がした。途端に、派手な泣き声が小さくなった。
「五右衛門ったら、如信尼様にご心配をかけて。それでいったい、今度は、何をやらかしたっていうんだい」
「何も。ただ、岡津の、元陶工ってやつと、酒を飲んだだけ」
「岡津? 陶工?」
「殺された人だね? 堀田三助という……」
全くわかっていない5歳児に、独歩が補足する。俺は、順を追って話すことにした。
「おえん、おめぇが、出来損ない出来損ないって言うからよ。先だって花瓶を盗んだ将監町の白野屋へ、偵察に行ったんだ。あすこの店では、客に、穴開きの不良品を売りつけてるのか、調べにな」
「出来損ないは、あんただろ」
「世の中に出来損ないは存在しないんだ。如信尼様がそうおっしゃった」
ふん、とおえんは肩を聳やかした。さすがの五歳児も、如信尼様には逆らわない。
「白野屋では、穴開きを売ってたのかい?」
「うんにゃ。倉庫の中からも出させてみたんだが、どれもきれいなものだった。孔なんか、一つも空いちゃいねえ」
「で?」
怖い声で、おえんが追及する。
「そしたらそこへ、堀田三助が来て、騒ぎ始めたんだ」
番頭の話では、三助は、有田から岡津へ引き抜かれて来た陶工だが、人減らしで、引き抜かれた先の岡津の窯元を首になったという。
気の毒に思った白野屋の店主が、江戸のお店で雇ってやることにした。陶器商の白野屋は、岡津の窯元へ頻繁に出入りしていたのだ。
だが、陶工しか経験がないせいか、三助は自尊心ばかり強く、全く使い物にならなかった。
……「仕方がないからクビを切ったんですが、それを恨みに思って、ああして、嫌がらせに来るんでございますよ」
悪い噂を恐れてか、番頭は、店にいた客全員に聞こえるように、声高に説明した。
そこまで聞いて、俺は、店の外へ出た。
ちょうど、三助が、力いっぱい、店主を突き飛ばしたところだった。見事な尻もちを、店主はついた。
俺の後からついてきた番頭が、慌てて、店主に駆け寄る。
店の中から、若い衆がわらわらと出てきた。
勝ち目はないと見て取ったか、捨て台詞を残し、三助は、立ち去った。
俺は、三助の後をつけた。
「そしたら、その元陶工のやつ、川沿いのうどん屋で、食い逃げしやがってよ」
「食い逃げ?」
「おうさ。店の外で張っていた俺は、やつを追いかけ、追っ手を撒いてやって、近づきになったってわけだ」
「五右衛門。そのうどん屋さんって、おじいさんとおばあさんのやってるお店だよね?」
心配そうに、独歩が聞く。
「知ってんのか?」
「とても優しい人たちだ」
「なんてこったい! 食い逃げの手助けをするなんて! しかも老夫婦のお店に入った! 五右衛門! この、人でなし!」
おえんが金切り声を上げる。
「しっ! 番人が来る!」
今度は、独歩がおえんの口を塞いで黙らせた。
「安心しろ。お代なら、後から払いに行った。俺は義賊だ。その辺りに、抜かりはねえ。……あっ!」
俺は頭を掻き毟った。
「酒代だけじゃない。あそこの払いも、俺が持ってやったんだった」
三助が死んだのなら、この損は、永久に回収できないではないか。
「で、その元陶工と、何の話をしたのさ」
噛みついて、独歩の手を口から引きはがし、おえんが尋ねる。
「三助ってそいつ、出来上がった磁器に孔を空けるのが得意なんだと」
「はあ?」
「それで、有田から岡津へ、引き抜かれたらしいぞ。でも、技術を後輩に教えてやったら、教えた三助は、首を切られたそうだ。全く、不景気は罪だぜ」
「……」
「あとは、歴史の話だ」
「歴史?」
「おうさ。大公秀吉とか、朝鮮出兵とか。あっ!」
「なんだい!?」
凄んだおえんを無視し、俺は、独歩に向き直った。
「お前を疑って悪かった、独歩。海の向こうでは、磁器に、ふつうに、金の蓋や取っ手を取り付けるんだそうだ」
「海の向こう?」
独歩が繰り返す。
「南蛮とか、伴天連の国とか。前に、お前さんの言った通り」
「その話を、岡津の陶工が?」
「殺された三助は、有田から引き抜かれたんだと。それでもって、岡津でも、出来上がった磁気に穴を開けていたんだ」
「でもそれ、五右衛門、変じゃない?」
独歩が首を傾げた時だった。
「ほほう。面白い話をしているな」
不意に、野太い声が降ってきた。
「げ。長治親分」
おえんと独歩、二人そろって、飛び上がる。
月の光を浴びて、腕組みをした瀬戸長治が、柱に寄りかかって立っていた。
ひそひそと呼ぶ声がする。
夜半過ぎの牢獄。格子の間から、朧な月の光が差しこんでいた。
「死んじゃったの? ねえ、五右衛門ったら!」
薄目を開けてみると、牢の外にいたのは、おえんだった。
気持ちよく眠っていたところをまた起こされ、俺は、むっとした。
「そう簡単に死ぬわけないだろ」
「馬鹿、五右衛門」
「馬鹿はねえだろ。それより、何しに来たんだ? ここは子どもの来るところじゃねえ」
俺が諭すと、おえんはむくれた。
「如信尼様が、凄く心配してたから、様子を見に来てあげたんだよ!」
「如信尼様が!?」
寝そべっていた俺は飛び起きた。
「あの方が心配して下さるなら、俺ぁ、何十遍、いや、何百遍でも、牢に入るぜ!」
「五右衛門……」
おえんの背後から、泣き声が聞こえた。声変わり直前の、掠れた声。独歩だ。
「僕の為に……五右衛門。ごめん。ごめんよぉーーーー」
わんわんと泣き出した。
「如信尼様から聞いた。五右衛門は、僕の為に調べていて、人殺しに巻き込まれたんだ! 僕、五右衛門にひどいことを言ったのに。許しておくれよ、五右衛門」
「なに、おめえと俺の仲じゃねえか……」
独歩はかつて、裕福な家で幸せに暮らしていた可能性がある。が、いつの頃からか、地下牢に閉じ込められて育った。そして言葉を忘れ、江戸の町に放置された。
そこに、何らかの陰謀があったのだとしたら?
何にしても、俺は、独歩をひどい目に遭わせた奴を、懲らしめてやりたかった。できることなら、地下牢に入る前の生活に戻してやりたかった。
「うわぁーーーーーん」
純真な独歩は、一層ひどい声で泣き喚き始めた。
「しっ! 静かに! 見張りが来ちゃうでしょう!」
ぺしん、と、殴りつける音がした。途端に、派手な泣き声が小さくなった。
「五右衛門ったら、如信尼様にご心配をかけて。それでいったい、今度は、何をやらかしたっていうんだい」
「何も。ただ、岡津の、元陶工ってやつと、酒を飲んだだけ」
「岡津? 陶工?」
「殺された人だね? 堀田三助という……」
全くわかっていない5歳児に、独歩が補足する。俺は、順を追って話すことにした。
「おえん、おめぇが、出来損ない出来損ないって言うからよ。先だって花瓶を盗んだ将監町の白野屋へ、偵察に行ったんだ。あすこの店では、客に、穴開きの不良品を売りつけてるのか、調べにな」
「出来損ないは、あんただろ」
「世の中に出来損ないは存在しないんだ。如信尼様がそうおっしゃった」
ふん、とおえんは肩を聳やかした。さすがの五歳児も、如信尼様には逆らわない。
「白野屋では、穴開きを売ってたのかい?」
「うんにゃ。倉庫の中からも出させてみたんだが、どれもきれいなものだった。孔なんか、一つも空いちゃいねえ」
「で?」
怖い声で、おえんが追及する。
「そしたらそこへ、堀田三助が来て、騒ぎ始めたんだ」
番頭の話では、三助は、有田から岡津へ引き抜かれて来た陶工だが、人減らしで、引き抜かれた先の岡津の窯元を首になったという。
気の毒に思った白野屋の店主が、江戸のお店で雇ってやることにした。陶器商の白野屋は、岡津の窯元へ頻繁に出入りしていたのだ。
だが、陶工しか経験がないせいか、三助は自尊心ばかり強く、全く使い物にならなかった。
……「仕方がないからクビを切ったんですが、それを恨みに思って、ああして、嫌がらせに来るんでございますよ」
悪い噂を恐れてか、番頭は、店にいた客全員に聞こえるように、声高に説明した。
そこまで聞いて、俺は、店の外へ出た。
ちょうど、三助が、力いっぱい、店主を突き飛ばしたところだった。見事な尻もちを、店主はついた。
俺の後からついてきた番頭が、慌てて、店主に駆け寄る。
店の中から、若い衆がわらわらと出てきた。
勝ち目はないと見て取ったか、捨て台詞を残し、三助は、立ち去った。
俺は、三助の後をつけた。
「そしたら、その元陶工のやつ、川沿いのうどん屋で、食い逃げしやがってよ」
「食い逃げ?」
「おうさ。店の外で張っていた俺は、やつを追いかけ、追っ手を撒いてやって、近づきになったってわけだ」
「五右衛門。そのうどん屋さんって、おじいさんとおばあさんのやってるお店だよね?」
心配そうに、独歩が聞く。
「知ってんのか?」
「とても優しい人たちだ」
「なんてこったい! 食い逃げの手助けをするなんて! しかも老夫婦のお店に入った! 五右衛門! この、人でなし!」
おえんが金切り声を上げる。
「しっ! 番人が来る!」
今度は、独歩がおえんの口を塞いで黙らせた。
「安心しろ。お代なら、後から払いに行った。俺は義賊だ。その辺りに、抜かりはねえ。……あっ!」
俺は頭を掻き毟った。
「酒代だけじゃない。あそこの払いも、俺が持ってやったんだった」
三助が死んだのなら、この損は、永久に回収できないではないか。
「で、その元陶工と、何の話をしたのさ」
噛みついて、独歩の手を口から引きはがし、おえんが尋ねる。
「三助ってそいつ、出来上がった磁器に孔を空けるのが得意なんだと」
「はあ?」
「それで、有田から岡津へ、引き抜かれたらしいぞ。でも、技術を後輩に教えてやったら、教えた三助は、首を切られたそうだ。全く、不景気は罪だぜ」
「……」
「あとは、歴史の話だ」
「歴史?」
「おうさ。大公秀吉とか、朝鮮出兵とか。あっ!」
「なんだい!?」
凄んだおえんを無視し、俺は、独歩に向き直った。
「お前を疑って悪かった、独歩。海の向こうでは、磁器に、ふつうに、金の蓋や取っ手を取り付けるんだそうだ」
「海の向こう?」
独歩が繰り返す。
「南蛮とか、伴天連の国とか。前に、お前さんの言った通り」
「その話を、岡津の陶工が?」
「殺された三助は、有田から引き抜かれたんだと。それでもって、岡津でも、出来上がった磁気に穴を開けていたんだ」
「でもそれ、五右衛門、変じゃない?」
独歩が首を傾げた時だった。
「ほほう。面白い話をしているな」
不意に、野太い声が降ってきた。
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