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真夜中の執筆
しおりを挟む迎えに来た馬車に乗り、間もなく貴婦人は帰っていった。
結局、最後まで名を名乗ることはなかった。そういう人もいるから、気にはならない。手紙を書いて、署名欄を空白にしておけばいい。
夕食を済ませると、俺はさっそく仕事にとりかかった。
……毎朝、涙で枕を濡らして目が覚めます。貴方のいらっしゃらない床は、凍えるほど寒く冷たい。
……お会いしたいのです。清浄な褥の上で、誰にも邪魔されることなく、二人きりで。
……私は、貴方にふさわしい衣装を身に付けますわ。それは透明で、目に見えない生地でできておりますの。
……抱き合って、恋を語りたい。せめて夢で出会いたい。いいえ、そんなのいや。本物の貴方がいい。
……熱いこの肌に触れたら、きっと私の想いの強さが伝わることでしょう。
……貴方がつけた火は、貴方が消さなくてはなりません。だって、他のお方にはどうすることもできないのですから。
……私が燃え尽きてしまう前に。どうか。
……お願いだから私を忘れないで。あなたの愛がなければ、私は生きていくことができません。
……あなたが好きです。大好きです、ヴァーツ、
「うわっ!」
俺は、手紙を引き裂いた。
なんてことだ。最初から書き直しだ。
手紙は、類似のものを何通かお渡しした。
香を焚き閉めたり花を添えたり、紙やインクの質にもこだわった。
我ながら畢生の出来だったと思う。
「手紙はもう、要りません」
何度かの訪問の後、おつきの少女が言った。夫さんとの関係修復、うまくいかなかったのだろうか。残念。いい稼ぎだったのにな。
「奥様からです」
少女が手渡した手紙は、お茶会の招待状だった。
指定されている場所は、王城の離宮。ここは一般公開されていて、一般人でも、会食や式典などに利用することができる。
「や、俺、お茶会とか苦手で」
人前に出るのは嫌いだ。まして貴族のお茶会となると、気疲れするのは必至だ。
少女は動じなかった。
「奥様からのお言づけです。『お茶会には、ボルティネ様にお手紙を書いて欲しがっている方がたくさんいらっしゃいます。お仕事の幅を広げる絶好の機会になりますから、是非、ご参加下さい』」
棒読みのように述べた。難しい言葉にもつっかえることはない。恐らく丸暗記させられ、何度も練習してきたのだろう。
仕事かぁ。それを言われると弱い。生活にはお金が必要だ。
「わかりました。伺います」
さんざん逡巡した挙句、とうとう俺は承諾した。
お辞儀をして、少女は帰っていった。
お茶会。軍にいた頃、何度か誘われたことがある。あれは本当に苦痛だった。殆ど、任務の一環として参加していたと言っていい。それも苦手な任務の。
着飾った令嬢たちが集まって、軍服を着た将校達との、一種のお見合いパーティーのような雰囲気だった。お茶会が縁で結婚したカップルもあった。
今回の場合は、他にどういうお客が来るのだろう。まるでわからない。もう軍服はないから、失礼にならないよう、身なりもなんとかしなければならない。
一気に憂鬱な気分に落ち込んだ。
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