生き須玉の色は恋の色

せりもも

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第六章 兄と妹

44 赤い袴

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 強い風が吹き渡った。木々の葉が舞い落ち、あたり一面に渦巻いた。
 風が鼻を、口を塞ぎ、息ができないほどだ。
 凄まじい突風に、全てが舞い飛んだ気がした。


 気がつくと、夜の都が見えた。
 皓皓と月に照らされ、白く輝く大路。
 木枯らしが小さく吹き渡る。

 酷寒の月下に、下着姿の娘が、一人。
 赤い袴をはいている。

 ふらふらと、心ここにあらずという風に歩いている。足取りは、まるで酔っ払いのように、心もとない。
 遠くから歩いてきたのだろうか。その足は、汚れて傷だらけだ。
 右に左に、体が揺れる。

 娘の姿が、ふっと消えた。

 しばらくして、道端の溝から、白い手が、ぬっと現れた。
 溝に落ちたのだ。蓋のしてない溝には、汚れた排水が、膝の高さくらいまで、溜まっていた。
 彼女は、渾身の力をこめて、体を持ち上げた。ずぶぬれになって、全身から滴をしたたらせて、溝から這い上がってきた。

 冷たい風が吹き渡る。
 彼女はしばらく、路に倒れ伏せていた。

 盗賊はびこる夜の大路、人は、一人も通らない。

 娘が動いた。
 何度か身じろぎをして、やっとのことで立ち上がる。
 髪が、凍えて固まっている。
 こおりつくほどの寒さなのだ。

 数歩歩き、そこにあったお邸の門を叩く。

 人の気配はあるが、返事はない。
 門の内から、息を殺して、外の様子を窺っている。

 娘はふらふらとよろめき、真っ直ぐ立っていることができない。

 扉の向こうの、人の気配が消えた。
 みすぼらしい下着姿に、扉を開けるまでもないと判断したようだ。

 女は再び歩き出し、向かいの家の門を叩く。
 こちらの家も、反応はない。

 しかし、門の扉の向こうから、短い、人の呼吸の音が聞こえる。この家の、使用人であろう。
 中の一人が、奥の主人の元へ駆けて行った。
 再び走って戻ってきた彼は、静かに首を横に振る。
 憐れな娘を、門の内側に入れる許しは、出なかった。
 扉は開かれない。

 どこからか、野良犬たちが、集まってきた。やせこけた、目つきの鋭い犬たちだ。
 飢えた目をして、大路のあちこちから、娘の周りに集まってくる。

 意を決したように、娘が、歩き出した。犬の一団も、彼女の後に、蹌踉と付き従う。

 土塀の果てに再び現れた門を、娘は、ほとほとと叩く。
 返事はない。

 次の家。
 そのまた、次の家。

 どの家の門も、開くことはない。

 門番は、暫くの間、じっと、娘の様子をうかがっている。主人のご意向を伺う者もいた。そして、誰かが結論づける。
 扉を開ける必要など、ない。

 何軒目かの家で、声もなく拒絶された後、娘は、大路に倒れ伏した。
 腹を空かせた犬たちが、娘を取り囲んだ。娘は、ぴくりとも動かない。

 犬たちの輪が、次第に狭くなっていく。
 木の葉が激しく舞い散り、宙に渦巻く。







 男が走ってきた。何日も着替えていないような、薄汚いなりをしている。彼は、太刀を抜く間も惜しんで、犬どもの真ん中に飛び込んでいった。

 最初の一匹を蹴倒す。しかし、二匹目は、そうはいかなかった。獲物を横取りされた燃える目をした痩せた犬どもが、ぐるりと男を取り囲んだ。


「何をしている、沙醐! 早く漂を!」

 大きな声で呼び立てられ、沙醐は、はっと我に返った。
 月に照らされた都大路は、あまりに幻想的で、沙醐の正気を惑わしていた。

 こんな夜中に、若い娘が一人、寄る辺なく惑っているのに、誰も助けないなどということが、あっていいはずがなかった。
 それも含めて、まるで、何かに化かされているような気がしていた。

「沙醐! 早く!」

 繰り返されるまでもなかった。沙醐は、犬どもの間を走り抜け、漂の君に駆け寄った。

「漂の君! 漂の君!」

 ぐったりと打ち伏しているのを、助け起こす。
 その体は、冷たかった。だが、抱き起した時、微かに、うめき声が聞こえた。


「漂は!?」
犬に囲まれ、アラマサが怒鳴る。彼は、大ぶりの太刀を構えていた。

「大丈夫です。生きてます!」
蛍邸に連れ帰れば、百合根が何とかしてくれるに違いない。

「よかった……」

 アラマサが、息を吐いた時だった。

 犬たちの中で、一番痩せたやつが、唸り声を上げて、彼にとびかかった。
 アラマサは肘で受け止め、払い落とそうとする。
 一瞬遅く、犬の牙は、彼の腕に、深々と突き刺さった。
 苦痛と怒りの叫び声を上げ、アラマサは、犬を切りつけた。

 沙醐にさえわかるほど、濃厚な血の匂いが、辺り一面に漂う。人の血と、犬の血の入り混じった、強い匂いだ。

 それが、合図だった。
 犬たちが、一斉に、手負いの男に飛び掛かっていった。






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