生き須玉の色は恋の色

せりもも

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第六章 兄と妹

45 嫌と言った!

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 蛍邸で数日間、養生すると、漂の君は、すっかり、元の状態に戻った。
 痩せていた体も元通りになり、肌に艶も戻った。


 「私、嫌と言いました!」
あの晩、意識を取り戻すと、漂の君は、沙醐の腕に縋り付き、何度も繰り返した。
「衣を脱ぐのはいやだと。袴を脱ぐのはいやだと。死ぬのはいやだと!」

「おおそうか。よしよし。偉かったのう」
虫から採ったという薬を塗りながら、カワ姫が応える。今まで聞いたこともないほど、優しい声だった。
「漂の君は偉かった。よく、頑張った」

 髪を撫でられ、漂の君は、泣き出した。

「私、泣かなかった。泣かないで、嫌だと言った!」
「うん、わかっておる」





 漂の君をさらった盗賊は、都の外れまで来ると、ばらばらになった。
 去り際に、中の一人が、彼女の打掛を引っ剥がしていった。

 寒さに震え、漂の君は、都大路に取り残された。

 だが、一人だけ、立ち去らないものがあった。
 僧形の男だった。劉範だ。
 彼は、この少女が誰か、知っていた。世間が、華海親王の次女だと思っている娘だ。

 思いもかけず手に入った漂の君の、利用価値さえ、彼は知っていた。


 京の外れの、古びた家の地下牢に、彼は漂の君を押し込めた。そして、影家に向かった。

 そこで彼は、影家の当主・影道かげ おさむから、検非違使に捕まり、暁雅アラマサに罪を被せる自白をするよう、命じられた。罪を免れる保証と、充分過ぎる見返りと引き換えに。


 漂の君が監禁されていた家には、他に、人はいなかった。食事と水を運んでいたのは、隆範だった。
 だが、そのうち、彼は来なくなり……。

 漂の君が地下牢を脱出できたのは、全くの偶然だった。
 空腹と喉の渇きに耐えかね、力いっぱい揺すった檻が、外れたのだ。
 恐らく、老朽化していたのだろう。それほど長期間の監禁になるとは、劉範も思わなかったに違いない。

 なんとか、地下牢を脱し、漂の君は、家の外に出た。
 辺りは既に暗くなっていた。

 家は、都の外れにあるらしかった。ふらふらとさ迷い歩き、溝に落ちた。
 ずぶぬれになって保護を求めたお屋敷は、どこも、彼女を拒絶した。

 やがて力尽きた彼女を、野犬の群れが取り囲み……。





 「あなたが、私を救ってくださったのですね、沙醐様」
 漂の君が、涙を浮かべて、沙醐を見た。

 幸い、彼女の体に、深刻なダメージはなかった。しかし、監禁と、寒い路上で周辺の家々から拒絶され、あまつさえ、犬に襲われそうになった恐怖から、彼女の心には、大きな傷が残った。
 その傷が癒えるまで、蛍邸で療養することになったのだ。

「そうだよ! 沙醐が姫様を担いで帰ってきたんだ!」
誇らしげに、一睡が言う。

「途中から、小鬼たちも手伝ってくれました」
もぞもぞと、座りの悪い思いで、沙醐は言った。

「でも、あなたが、たった一人で、あの、凶暴な野犬の群れを、追い払ってくれたんだわ」

「……」
沙醐は、答えることができなかった。






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