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最終章「薤露青(かいろせい)」~清春×佐江 編
第71話「 その扉、ほかの男には開けさせるな」
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(UnsplashのConstantine Stamatisが撮影)
銀色のエレベーターの扉が閉じる。佐江は清春とふたりきりで閉じ込められた。
まぶしい光の箱が上がっていく。
先に口を切ったのは清春だ。いつだって、清春。
「しばらく見ないうちに、またきれいになったね」
「あなたは、ずいぶんご活躍みたいですね」
「働いていますよ、身を粉にしてね」
「遊んでいるんでしょう、体も心も粉々にするほど」
佐江の答えに、清春はくくっと笑い出した。
「やれやれ、たいした女になってしまったな。あの少女はどこへいった? おれと『サラトガ・クーラー』を飲んでくれた子は?」
佐江は顔を上げた。清春のかすかに笑ったような眼が、こちらを見ている。
女に慣れ、女の扱いを知り尽くした男の眼。
だがその視線の下に、佐江はひそかな不安を感じ取った。
『おれの少女は、まだ無垢だろうか。おれが開きかけて、閉じてしまった扉は、まだどの男にも開かれていないだろうか』
佐江は思わずつぶやく。
「そんなこと、私の勝手でしょうと、言ってさしあげたいわ」
「……なんだって?」
清春が面食らった声で言う。そこではじめて、佐江は自分が内心の声をそのまま銀色の箱の中で吐き出してしまったことに気づいた。
頬に、恥ずかしさの熱が上がる。
まさか人前で自制を失ってしまうなんて。それも恋しい人の異母兄の前で。
「なんでもありません」
「おれの頭の中は、なんでもきみに筒抜けなのかな」
清春は点滅するフロアボタンを見てつづけた。
「いつだっておれは、きみの前でだけ自制をうしなう。だがそんなことは、あってはならない事だ。
そうだろう?
きみは永遠に俺の異母妹に恋をしていて、おれはきみの恋しい人の兄だ。それ以上でも、それ以外でもない。
自制を失うなんてただの傲慢だ」
「……傲慢かどうかは、わかりません。ただ私も、あなたの異母妹の親友であるだけです」
『それだけじゃない!』
佐江の全身はそう叫んでいる。
『あたしは、あなたの指と熱を覚えている。どうしても、忘れられない』
佐江が口を開こうとしたとき、ふわりと清春から夏の庭のような匂いがした。
エルメスのトワレ、『ナイルの庭』。真乃も使っている香りだ。
不意に、佐江の声がこぼれた。
「あなたが――真乃のお兄さんでなかったら、あたしを明け渡せたのに」
ふっと清春の広い肩がゆるんだ。広がり、ほどけ、大事なものを包み込む前のようにやわらいだ。
そして前を見たまま、声だけで答えた。
「きみが、真乃に恋している女でなければ、すべてがちがったよ。おれはとっくにきみの扉をこじ開けている。きみが何といおうと、きみの世界をひっくりかえして粉々にしてやる。だけど」
だけど。
でも。
それは佐江と清春の間で、決して揺るがない否定形だ。
ふたりのあいだには永遠に『真乃』という否定形が立ちふさがっている。
佐江の恋ゆえに――。
「きみは、真乃を愛している。真乃だけを。それはもう、この七年で痛いほど伝わったよ。うらやましいほどの、純愛だ」
佐江もそっと、言葉を添える。
「あなたも真乃を愛している、守っている。だからあたしは、あなたを信用している――この七年で、痛いほどわかりました。あなたは真乃を守り抜いている」
「きみのことも、守れるよ。おれの手は意外と大きいんだ」
清春は背中を見せたまま、ひらひらと右手をゆらめかせてみせた。思わず佐江が笑う。
「本当だわ、大きいわ」
「そうだろう、この手に乗る気は――あるか?」
清春はすらりと後ろを振り返った。銀色の眼鏡の奥で、痛いほど清らかな目が佐江を見ていた。
きみがすきだ、と清春の眼が言っていた。
きみがすきだ、あるいはきみを愛することができるかもしれない。
おれはこの世で母と真野以外の女を愛したことはないが。
あるいは。
きみなら。
佐江は清春の眼を見る。自分の眼が、温かさに満ちているのを感じる。
「私たち、共犯ですね」
「きょうはん?」
「真乃にくるうような恋しているあたしと――」
佐江は言葉を切った。
ここで『私に恋しているあなたと』と続けるのはたやすいことだ。だが、佐江自身がまだ清春を愛していないのに、言葉で縛り上げることは正しくない、と思った。
佐江は目を閉じる。
「あたしの恋を、隠してくれるあなた。共犯者でしょう?」
清春の眼に、悲しみの筋が走る。まるで銀色の雲のような悲しみだ。
「そうだな、共犯者という言葉が、いちばん似つかわしいんだろうな。だが――」
清春はフロアボタンのほうに向きなおった。目的のフロアに近づきつつある。
「その扉、ほかの男には開けさせるな」
銀色のエレベーターの扉が閉じる。佐江は清春とふたりきりで閉じ込められた。
まぶしい光の箱が上がっていく。
先に口を切ったのは清春だ。いつだって、清春。
「しばらく見ないうちに、またきれいになったね」
「あなたは、ずいぶんご活躍みたいですね」
「働いていますよ、身を粉にしてね」
「遊んでいるんでしょう、体も心も粉々にするほど」
佐江の答えに、清春はくくっと笑い出した。
「やれやれ、たいした女になってしまったな。あの少女はどこへいった? おれと『サラトガ・クーラー』を飲んでくれた子は?」
佐江は顔を上げた。清春のかすかに笑ったような眼が、こちらを見ている。
女に慣れ、女の扱いを知り尽くした男の眼。
だがその視線の下に、佐江はひそかな不安を感じ取った。
『おれの少女は、まだ無垢だろうか。おれが開きかけて、閉じてしまった扉は、まだどの男にも開かれていないだろうか』
佐江は思わずつぶやく。
「そんなこと、私の勝手でしょうと、言ってさしあげたいわ」
「……なんだって?」
清春が面食らった声で言う。そこではじめて、佐江は自分が内心の声をそのまま銀色の箱の中で吐き出してしまったことに気づいた。
頬に、恥ずかしさの熱が上がる。
まさか人前で自制を失ってしまうなんて。それも恋しい人の異母兄の前で。
「なんでもありません」
「おれの頭の中は、なんでもきみに筒抜けなのかな」
清春は点滅するフロアボタンを見てつづけた。
「いつだっておれは、きみの前でだけ自制をうしなう。だがそんなことは、あってはならない事だ。
そうだろう?
きみは永遠に俺の異母妹に恋をしていて、おれはきみの恋しい人の兄だ。それ以上でも、それ以外でもない。
自制を失うなんてただの傲慢だ」
「……傲慢かどうかは、わかりません。ただ私も、あなたの異母妹の親友であるだけです」
『それだけじゃない!』
佐江の全身はそう叫んでいる。
『あたしは、あなたの指と熱を覚えている。どうしても、忘れられない』
佐江が口を開こうとしたとき、ふわりと清春から夏の庭のような匂いがした。
エルメスのトワレ、『ナイルの庭』。真乃も使っている香りだ。
不意に、佐江の声がこぼれた。
「あなたが――真乃のお兄さんでなかったら、あたしを明け渡せたのに」
ふっと清春の広い肩がゆるんだ。広がり、ほどけ、大事なものを包み込む前のようにやわらいだ。
そして前を見たまま、声だけで答えた。
「きみが、真乃に恋している女でなければ、すべてがちがったよ。おれはとっくにきみの扉をこじ開けている。きみが何といおうと、きみの世界をひっくりかえして粉々にしてやる。だけど」
だけど。
でも。
それは佐江と清春の間で、決して揺るがない否定形だ。
ふたりのあいだには永遠に『真乃』という否定形が立ちふさがっている。
佐江の恋ゆえに――。
「きみは、真乃を愛している。真乃だけを。それはもう、この七年で痛いほど伝わったよ。うらやましいほどの、純愛だ」
佐江もそっと、言葉を添える。
「あなたも真乃を愛している、守っている。だからあたしは、あなたを信用している――この七年で、痛いほどわかりました。あなたは真乃を守り抜いている」
「きみのことも、守れるよ。おれの手は意外と大きいんだ」
清春は背中を見せたまま、ひらひらと右手をゆらめかせてみせた。思わず佐江が笑う。
「本当だわ、大きいわ」
「そうだろう、この手に乗る気は――あるか?」
清春はすらりと後ろを振り返った。銀色の眼鏡の奥で、痛いほど清らかな目が佐江を見ていた。
きみがすきだ、と清春の眼が言っていた。
きみがすきだ、あるいはきみを愛することができるかもしれない。
おれはこの世で母と真野以外の女を愛したことはないが。
あるいは。
きみなら。
佐江は清春の眼を見る。自分の眼が、温かさに満ちているのを感じる。
「私たち、共犯ですね」
「きょうはん?」
「真乃にくるうような恋しているあたしと――」
佐江は言葉を切った。
ここで『私に恋しているあなたと』と続けるのはたやすいことだ。だが、佐江自身がまだ清春を愛していないのに、言葉で縛り上げることは正しくない、と思った。
佐江は目を閉じる。
「あたしの恋を、隠してくれるあなた。共犯者でしょう?」
清春の眼に、悲しみの筋が走る。まるで銀色の雲のような悲しみだ。
「そうだな、共犯者という言葉が、いちばん似つかわしいんだろうな。だが――」
清春はフロアボタンのほうに向きなおった。目的のフロアに近づきつつある。
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