桜はそっと淡く咲く

久遠ユウ(くおんゆう)

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疑われた男の過去

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 ドアをノックすると、物音と共に現れたのは、相変わらずの無精髭にボサボサ頭だった。
「刑事さん達でしたか」
「すいません、生方さん。ちょっとお時間いいですか?」
「あ、はい、どうぞ……。本棚を新しく入れたので散らかってますけど」

 刑事の来訪に動じることもなく、生方が二人を部屋へ招き入れてくれた。
 中に入ると彼の言った通り、棚に収まりきれず、床に積み上げられた本達が、所定の場所に収まるのを待機しているといった散乱具合だ。
 門叶と錦戸は散らばった本と、養生用のブルーシートを跨いで生方に歩み寄ると、知り得たばかりの疑問を口にした。

「実は学生さんの一人が、この部屋を尋ねる此本さんの姿を何度も目撃しているんです。でも、あなたは彼女のことを知らないと言った。その理由を聞きにきました。それに、その生徒は泣き声も聞いているそうです。それらは事実でしょうか?」
 つい口調がキツくなってしまったが、生方は表情を変えることなく、そうですかとだけ呟き、煎れたての珈琲を二人に出してくれた。

「なぜ黙ってたんですか」
 錦戸が静かに問うと、生方が珈琲で湿らせた唇を開いた。
「疑いをかけられたくなかったんです。第一発見者でもあるし……。すいません」
「疑いって……。話さなかった理由はそれだけですか? 何かあるなら今、全部話してください」
 門叶の質問に臆することなく、生方は真っ直ぐこちらを見据えてくる。
 彼の表情は捉え所のない顔をしており、正直、信用ならないと思えた。

「生方さん、もしかして千歳さんとは講師と学生以上の間柄ではありませんでしたか?」
 確信をついたような錦戸の言葉を、横で聞いていた門叶は瞠目した。
 まさか錦戸がそんな発想をしていたとは、一ミリたりとも思っていなかった。
 呆然とする門叶をよそに、数秒の余白の後、生方が重そうに口を開いた。
「……はい、付き合ってました」
「えっ! 本当に──」
 思わず大声を出し、錦戸にひと睨みされ、慌てて口を押さえた。

「やはりそうですか。先生は日本文学科を担当されてますよね」
「ええ……」
 門叶がまだ疑問を渋滞させている横で、錦戸は淡々と話しを続けている。
「此本さんの遺品に短歌がありました。誰かを一途に想うような詠でしたから」
 門叶が生方を見ると、垂らしていた前髪をかき上げ、雲間から差す光を見るように目を眇めている。
「それだけでわかったんですか。さすがは刑事さんですね。でもそうか、彼女、書いてくれてたのか……」

 乱れた前髪から現れた端正な顔立ちは、悲しげな笑みを浮かべていた。
 昨晩も今も、アウトローな雰囲気を纏っていたのに、隠していた顔を露わにさせた生方は、身なりさえきちんと整えれば、さっき出会った東郷よりももしかしたら、女生徒達に騒がれる風貌なのではと不謹慎にも思ってしまった。

「彼女が先生の部屋を頻繁に訪ねていた。それに今の学生は、学業以外で短歌には触れないでしょうし。それと、違ってたらすいません、二人で懸想文けそうぶんの交換をしてませんでしたか?」
 錦戸の言葉に、生方の表情がパッと明るくなった。
「ええ、そうです、そうなんです。ただ、返事はもう貰えないと思ってましたけど……」
 嬉しさと悲しさを混沌とさせたように言う生方に、「なぜ貰えないと?」と、門叶が付け足して聞いてみた。
 生方は暫く俯いていたが不意に顔を上げ、刑事二人を通り越して遠い目のまま唇を動かした。

「私が彼女の父親を殺したと告白してから、返事は来なくなってしまったので」
 今、何て──と、問いただそうとしたが、錦戸に制止され、門叶は口を噤んで生方を凝視した。黙って最後まで聞けと言うことだろう。
 前髪の隙間から垣間見えた目は振り子のように揺れ、話すことを迷っている。
 空寂くうじゃくの部屋に珈琲の香りが濃く漂い、西陽が生方の輪郭を縁取っていく。彼を凝視していると決意したような目と合った。

「高校受験の日、遅刻しそうになっていた私は、全速力で自転車を漕ぎ、駅に向かってました」
 軽く息継ぎをし、生方が続けて言葉を紡ぐ。
「駅に着く手前の曲がり角で、出会い頭に人とぶつかったんです。その人は私の自転車に激突して飛ばされ、電柱に頭をぶつけてしまいました」
 マグカップを両手で包み、漆黒の水面に顔を落とす生方の声は、酷く頼りな気に聞こえた。

「慌てていた私をその人は逆に気遣ってくれ、受験に向う途中だと告げると、早く行けと、そして頑張れとまで言ってくれたんです」
「その人が此本さんの……」
 門叶の問いかけに、黙ったままで生方が頷いた。
「その時は受験のことしか考えてなくて、ただの親切なおじさんだと……。後にその方が亡くなった時、愕然としました」
「なぜ亡くなったと分かったんです? 顔見知りじゃなかったんですよね」

「私の家は生花店を営んでました。取引先に葬儀屋も何軒かあるんです。その葬儀屋と私の父が、千歳の父親の死因を話していたのを偶然聞いてしまって……。その人が教師をしていたことも」
「それで自分のことだと分かったんですね?」
 温和な口調で錦戸が言うと、生方の肩が小刻みに震え出した。

「受験生とぶつかって頭部に外傷を負ったのが死因だと。それを聞いて血の気が引きました。自分はなんてことをしてしまったのか……。私は人を見殺しにしてしまったんです」
 堪えきれず顔を伏せると、覆った手の隙間から雫が溢れていた。その姿は成熟した大人の影に潜む、罪の意識を背負った子どもが重なっているように見えた。

「それは……辛かったですね」
「私は自分の罪を親や、相手の家族。ましてや警察に告白する勇気もなかったんです」
 愛しい人の父親の死因が自分で、その恋人は殺されて遺体となって発見された。しかも自分が第一発見者ともなれば、すさむような胸中だっただろう。けれど、千歳との関係を黙っていたことは看過できない。

「千歳さんが娘さんって、どうして分かったんですか?」
 悲しみを堪えるのを悟られたくないのか、生方が前髪をかき上げたことで、表情を隠しているように見えた。
 酷なことかもしれないが、疑わしい点がある以上、彼の過去の話は突き詰めなければならない。
 
「それは……彼女が忘れたレポートを目にしたからです。そこには教師志望の理由として、父親が他界したことも書かれてました。『此本』と言う名前もずっと忘れられなかったので」
 忘れ物を受け取った千歳の笑顔や言葉は、生方にとって背負ってきた磔刑《たっけい》を思い出させる、重いものだったのだろう。 密事を告白しても心が軽くなる訳でもなく、生方の罪はずっと、一生残るのだ。

「……その日を境に、千歳は私の所へ頻繁に来るようになりました。古文にも興味を持ちはじめて、ここでよく勉強してました」
「それで短歌を……」
「千歳が初めて作った詠で、彼女の気持ちを知りました。そして私も惹かれていった……。けれど私にはそんな資格などない。なのに、どうしても想いを伝えたくて、詠を返してしまったんです」

「泣き声は、やっぱり千歳さんだったんですね」
「……はい。私が父親のことを告白した時です」
「彼女は何と?」
「ショックを受けてました。当然です、私のせいで大切な父親を失ったんですから」

「『あしひきの山路越えむとする君を 心に持ちて安けくもなし』この詠は遺品にあった短歌です。あなたがつらい山道を越えていると思うと、気が気でありません──と言う意味ですよね。この詠にはあなたへの想いが込められている。今、あなたの話を聞いて私にはそんな風に感じましたよ」

 錦戸の言葉で、生方が再び滂沱した。
 父親の死のきっかけを作ってしまった相手でも、彼女が生方を想う気持ちは変わらなかった。
 それを知った生方は、ただ静かに涙を流していた。
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