ひたむきに恋して

久遠ユウ(くおんゆう)

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 初日を無事に終えて帰り支度をしていると、ぽん、と肩を叩かれた。
「佐伯、もう帰るのか。新しい学校で高二を迎えてどうだった?」
 振り向くと、そこには丸岡がいた。
 白い歯を見せてニッと笑う姿は、まるで歯磨き粉のCMみたいだ。
「あ、うん。まだ、部屋の片付けが終わってなくて……」

 まだクラスに馴染めない凛を、丸岡は気にかけてくれる。
 優しくて明るい性格が、クラスの人気者である理由なのだと、凛はすぐに理解した。

「そっか──あ、そうだ。今度、この辺案内してやるよ。ここ、初めてなんだし」
 丸岡の申し出に、凛は一瞬、返事をためらった。

 初めて……じゃない。一度だけ、ここで夏を過ごしたことがある──。

「う、うん。でも、悪いよ」
 本音とは裏腹に、口から出たのは反対の言葉だった。
 何気なしに隣の席をチラリと見ると、女子に囲まれている海翔の背中が見える。

「そんなの気にすんなって。……あ、でも俺、部活あるから、案内は休みの日になっちゃうけどな」
「丸岡君は、何部?」
「さて、何部に見えるでしょう」
 楽しげにクイズを出す丸岡の全身を、凛はくまなく見渡した。
 海翔は百八十センチを超えていそうだが、丸岡もそれに近い高さだ。

 こんがり焼けた肌を見て、思わず声を張った。
「サッカー部!」

「お、正解っ! よくわかったな」
 嬉しそうな笑顔に、凛の口元も思わずほころぶ。
「だって、日焼けしてるし。それに、足が速そう」
 思ったことを口にしたら、丸岡が突然ズボンのすそをたくし上げだす。
 何をするのか見ていると、むき出しになったふくらはぎに、ギュッと力を込めている。
「この引き締まった筋肉は、ズボン越しでもわかっちゃうかぁ」
 俺ってやっぱすげえ? なんて、自画自賛している。

 つい褐色の足を見つめてしまい、気づけば凛の口は動いていた。
「すごいっ。ししゃもだ。それも干してない方のっ」

 凛の発言に反応したのは、筋肉の持ち主ではなく、隣で背中を向けている海翔だった。
「ブッ、アッハハ。し、ししゃもって……。し、しかも、ほ、干してないって。まる、お前、あだ名変えろよ! 『生ししゃも』ってさ」
 女子たちに囲まれていたはずの海翔の肩が、笑いで震えている。
 肩越しにこちらを振り返るその顔は、完全にツボに入っていた。

「誰が変えるか!」と、すかさずツッコミを入れる丸岡の横で、凛は体を硬直させていた。

 変なことを言ってしまった……。穴があったら入りたい。

 バツが悪くてうつむいた瞬間、座ったままの海翔と目が合った。
「──佐伯だっけ? お前って面白いな」
 極上の微笑みで言いながら、まだ笑いを引きずっている。

 わ、笑われた。どうしよう、恥ずかしすぎる。

 最初が肝心なのに、転校初日に失態だ。
 返答にあたふたしていたら、舞い込んだ風で、海翔の髪がふわりと揺れるのが目に留まった。
 肩につくかつかないかの毛先が流れ、午後の日差しが、金平糖のようなかけらとなって海翔の髪を飾っていた。
 その一瞬、一瞬が、コマ送りのように凛を惹きつけてくる。

 つい、見入っていると、丸岡の腕が肩に回されて現実に引き戻された。
「佐伯ー。ししゃもはないだろ? 俺の立派な筋肉を。海翔、お前、絶対にししゃもって呼ぶなよ」
「なにそれ、フリ? 呼べってこと?」
「違うわっ──あ、ヤバ。部活始まる時間だ。じゃ、俺行くな。佐伯、また明日!」

 慌てて教室を飛び出す直前まで、丸岡は海翔に向かって腕を曲げ、拳を作り、もう片方の手でそのひじを支えたジェスチャーをしていた。
 ニヤリと笑いながら、まるで「かかってこい」と挑発するようなふざけポーズだ。

 反対に海翔は肩をすくめ、余裕の笑みを浮かべている。
 眩しすぎる笑顔は、あの夏の幼い表情よりもずっと、完成されていた。
 誰といても海翔だけが際立ち、凛の目には輝いて映る。
 小さなカイトを見ていたときも、それは同じだった。

 ふわっとカーテンが膨らみ、潮風の香りが教室に流れ込んできた。
 夏の風を思わせる恋が、凛の身体いっぱいに満ちていく、そんな瞬間──。

 すうーっと深呼吸していると、海翔と目が合った。
 今日一日で、何度となく交わした視線。
 何か言いたげにしてくるのも、二回目だ。
 その瞳の奥に懐かしさを放つ微かな光をつい、探してしまう。
 それをもう一人の自分が諌める。

 これ以上、見ているとキャパオーバーだ。

 凛は自然を装い、目をスライドさせると、「じゃ、お先に」と言って鞄を持った。
 海翔のそばにいた生徒たちが、「またなー」と軽く返してくれる。
 無意識に左の席を見ると、海翔が軽く手を上げてくれた。
 それだけで、凛は満足だった。
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