ひたむきに恋して

久遠ユウ(くおんゆう)

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 チャイムが鳴り終わっても、教室はいつもより少しざわついていた。いや、そわそわ、が正解かもしれない。
 カーテンがふわりと揺れて、夏の匂いが風と一緒に流れ込んでくる。
 その情景がさらに生徒たちを浮き足立たせた。

「──はい、じゃあ、みんな、夏休みも体に気をつけて。登校日、忘れるなよー」
 担任が言い終えると、クラスの誰かが「よっしゃー!」と叫んだ。
 それに続いて、拍手や歓声が一斉に湧き起こる。
 そんなお祭り騒ぎの中、凛の心は沈んでいた。

「夏休みか……」
 感情がつい、口に出てしまう。

 学校に来れば海翔に会える。
 けれど、長い、長い夏休みが始まれば、顔を見ることもできない。
 勇気がなくて、自分から連絡先の交換も言えてない。いや、聞けたとしても、用事もないのにメールなんてできない。

 バイト先に行く勇気もないしな……。

 夏休みのファミレスなんて、涼しさを求める学生の溜まり場だ。きっと忙しいに決まっている。
 ため息と一緒に、机の中のものを鞄に詰めていると、海翔の席のまわりに、いつもの女子グループが集まってきた。
 名残惜しそうに海翔の腕に手を絡ませたり、バイト先に行く約束をしている。

 いいな……。
 何気なく触れたり、自然にバイト先の話ができて。そんな風に俺もできたら、どんなにいいだろう。 
 心の中で本音をこぼしながら、凛は左隣の席に背を向けた。

「凛、もう帰るのか?」
 嬉々とした顔で丸岡が席までやって来た。
「うん。一回帰って病院行くんだ」
「ああ、例の子どもたちに夏を運ぶってやつな」
「なんかその言い方、詩人だね」
「こいつ、こう見えて意外とロマンチストなんだよ。な、まる」
 曽谷もやって来ると、丸岡の肩を組んでプロレスの技をかけようとしている。

「ちょ、苦しいって。曽谷は暑苦しいんだ、離れろ。どうせくっつくなら、凛みたいな可愛いやつがいい」
 そう言って、曽谷から逃げてくると、丸岡が凛の肩に腕を回してくる。
「男なのに可愛いって言われても、嬉しくないよ」
 凛は身を屈めて、日焼けした腕からスルッとすり抜けた。

「まる、かわいそうー。佐伯君にフラれたぁ」
 海翔のそばにいた女子が、茶化すように笑っている。
 女子に負けじと、丸岡も対抗している姿を、凛も一緒になって笑っていた。

 海翔の姿を目の端で捉えていたけれど、がんばって見ないようにしてみせる。
 すると、海翔と目が合いそうになった瞬間、その視線はスッと逸らされた。
 少し前までは、みんなが騒いでいても、涼しい顔で笑っていたのに……。

 ベンチで絵を描いていた日以来、海翔との間に薄いガラスのような隔たりを感じている。
 話しかけても返事は一言くらいで、会話が続かない。
 凛だけが感じているものかもしれない。
 けれど、ようやくまともに話ができるようになった今は、些細なことが気になってしょうがない。
 
 それなのに、授業中や他のクラスメイトと話しているとき、時折、視線は感じていた。
 でも、それでもいいかと、凛は思った……。
 楽しい会話や、海翔の微笑みをもっと知れば、この想いに歯止めが効かなくなる。

 部活組と別れた凛は、下駄箱の前で大きなため息を吐いた。

 また、新学期にね──。
 これくらいの言葉、交わしたかったな……。

 うわ靴を履き替えていると、遠くから誰かが走ってくる音が聞こえた。 
 何気なく顔を上げると、そこにいたのは海翔だった。
  額に薄っすらと汗を光らせ、息を切らしている。
 鞄も持たず、手にはスマホだけが握られていた。

「い……一ノ瀬くん。どうし──」
「スマホっ。連絡先、教えろよっ」
 言ったあと、ほんの少しだけ海翔が目線を外す。
 ささやかな仕草の意味を考える暇もなく、スマホを突き出されたことで、凛の心は舞い上がっていた。

 ──どうしよう、嬉しい。声、出そう……。
 あー、だめだっ。そんなあからさまに喜ぶなっ。

 グッと気持ちを押し込んで、「い、いいよ」と言った。
 これが精一杯。

 今の俺の顔……めちゃ、ニヤけてたかも。

 海翔にバレていないことを願いながら、緊張で震える手に力を込める。
 友達リストに並んだ、『海翔』の文字を指でたどっていると、着信音が鳴った。
 開くと、そこには向日葵のイラストが届いていた。

「佐伯も何か送ってくれよ」  
「え、あ、うん」
 リクエストされても、すぐには対応できない。  
 もたつきながら、凛はイルカのスタンプを送った。

「イルカ、好きなのか」
 ただ慌てて選んだスタンプだったのに、海翔はそこに触れてくる。
「……うん、好きかな。小さい頃、よく水族館に連れて行ってもらってたし」
「じゃ、夏休みに行くか」

 え……今、なんて言った?  
 水族館に? 一緒に? 俺と、一ノ瀬君が?  

 放心状態のまま立ち尽くす凛の耳に、蝉の声や生徒たちのはしゃぎ声が遠くに流れていく。
 この世界に、二人っきりしか存在しないかのように。

「……水族館、一緒に行こう」

 繰り返された言葉が、じわじわと心に染み込む。
 さっきまで賑やかだった蝉の声も、みんなの声も、もう、聞こえない。
 でも、その中で、たったひとつ──  
 海翔の『一緒に、行こう』という、いつもより少し熱を帯びた声だけが、胸の奥に深く残っていた。
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