ひたむきに恋して

久遠ユウ(くおんゆう)

文字の大きさ
17 / 36

10

しおりを挟む
 目覚ましより早く目が覚めていた凛は、枕を放り投げ、次にタオルケットをめくった。
「ない、どこ、スマホ……」 
 海翔からのメッセージを何度も読み返していたら、いつの間にか眠ってしまった。
 そして、朝起きたら、確かに握りしめていたスマホがなくなっていたのだ。

 ベッドの周りを必死で探していると、どこからかアラームが聞こえてくる。
「どこで鳴ってるんだよ」
 床に頬をつけてベッドの下を覗くと、音はそこから聞こえていた。
「音してるのに、見当たらない。なんで……」
 ベッドに上がって壁側の隙間を覗くと、さっきより音が大きく聞こえる。
「こっから聞こえてんのに、何でないんだ」

 悲壮な気持ちで隙間をもう一度覗くと、たゆんだシーツがポケットのように膨らんでいるのが見えた。
 壁とベッドの間に手を差し込んで、膨らみに触れると、硬い感触。
「あったっ」
 スマホを指先でつまんで救出すると、凛はベッドの上で体を脱力させた。
「もう。なんで、あんなとこに入り込むんだよ」
 文句を言いつつ、自分の寝相の悪さを振り返ってみる。
 よく考えたら、目が覚めたときは、頭が足元の方にあったような……。
「ま、いっか。無事に見つかったし」

 手に戻ったスマホを撫でていると画面が起動し、昨夜のやり取りが浮かび上がる。
「今日……会えるんだ」
 小さくつぶやいたその声は、驚くほど震えていた。
 両頬をピシャリと叩いて気合いを入れると、バタバタと一階へ降りる。
 顔を洗って手早く朝食を済ませると、部屋に戻って昨夜から用意していた白いサマーセーターに腕を通す。ボトムは、淡いブルーのテーパードパンツ。それと、サコッシュ。

「靴は……コンバースでいっか」

 鏡を見ながら髪を整えると、ニヤつく自分の顔を見て思わず引き締めた。
 それでも口元は、どうしても緩んでしまう。嬉しさを隠しきれない。
 だってしょうがない。人生で初めて、好きな人と二人っきりで出かけるのだから。
「巾着袋も入れたし。よし、行くかっ」
 一人で円陣を組むよう声を出すと、今度はゆっくりと階段を降りた。

 バス停までの道のりも、乗車してからも、凛の心臓はちっともおとなしくならない。
 危うく、停車ボタンを押しそびれるところだった。それほど、心が浮ついていた。
 駅に着いて東出口に向かうと、まだ海翔は来ていない。

 よかった。一本、早いバスにして正解だったな。

 待ち合わせ場所は、テイクアウト専門のシュークリーム店。
 迷っても、甘い匂いをたどればいい。なんて、言ってたけど……。
「本当だ、これは絶対わかる」

 でも、これって俺のことを、動物扱いしてるってこと?

「そう言えば前に、〝ドッグカフェにいそう〟って言われたっけ」
 思い出し笑いしていると、視線の先に海翔を見つけた。

 白いTシャツの上に、紺色のバンドカラーをオープンにして羽織っている。
 駅の入り口から吹き込む、カラッとした風が、少しウェーヴのかかった髪とシャツをはためかせていた。
 普通の駅なのに、そこだけ映画のワンシーンのようで、思わずため息が溢れる。
「早いな。もしかして、待った?」
 目の前まで海翔が来ると、リアルなことなんだと足元から震えが上がってくる。

「う、ううん。俺もさっき来たばっか」
 頭を左右に振っていると、なぜか海翔が凛の髪に鼻を近づけてくる。
「……本当か? 佐伯の髪、甘い匂いが染み付いてる」

 こ、こんな至近距離……心臓に悪すぎる。

「ちょ、ちょっと近いよ。一ノ瀬くん」
 慌てて海翔の胸を押し返すと、風に揺れた前髪の奥、彼の瞳が微かに曇った。
 悲しそうな、一人置いていかれたような……。そんな光が宿っていた気がする。

 ……なんで、そんな目をするんだろ。

 気のせい? でも、何か言いかけたようにも見える。
 けれど、「どうしたの?」なんて、そんなこと、怖くて聞けなかった。
 凛が探るように見返すと、ふっと笑った目と合った。

「さあ、行くか。イルカショーの時間、早かっただろ?」
 頭をポンっと軽く撫でられた感触が、じんわりとあとに残る。

 この暑さは、夏のせいじゃない。この熱は──

 海翔がいつもの足取りで駅を出ていく。少し遅れて、凛もその背中を追う。
 肌や髪をジリジリと焦がす夏の暑さも、触れられて舞い上がった心も、水族館のゲートをくぐった瞬間、ひんやりとした空気が静かに覚ましてくれた。

「まずは、イルカな」
 海翔が地図を確認しながらそう言って、こちらを振り返る。
 その目が、まっすぐ自分に向けられているのがわかると、一瞬、息が止まりそうになる。

 客席はちょうど埋まりはじめていた。
 ぎりぎり空いていた席に座ると、かすかに潮の香りが鼻をくすぐった。 
 周りからは子どもたちの歓声が響き、プールからは水がはじける音が聞こえてくる。
 そんな中、海翔の肩がすぐ隣にあることの方が、イルカより気になっていた。
 けれどそんな淡い想いは、一頭が宙を跳ねた水しぶきで、かき消された。

「すげぇな、あれ!」
「うん、すごいっ。あ、見てみて。あのイルカ、一番高いボールに届いたよ」
 海翔のシャツを掴んで揺さぶると、「佐伯、興奮しすぎ」と笑われた。
「あ、ご、ごめん」

 失敗した。シャツも、めちゃ引っ張ってたし……。

 凛の反省をよそに、目の前ではイルカたちが見事な泳ぎとジャンプを披露している。
「ここだと水飛沫かぶるかもな」
 ショーを見つめながら、楽しげに海翔が言う。もう、その顔を見れただけで十分だ。
「大丈夫。濡れてもタオル持ってるから」
 昂る心臓をひた隠し、凛は笑って言った。

 海翔が笑う。その横顔を、凛は何度もこっそり見た。
 はしゃぐ顔は、学校で見る海翔とは少し違って見える。

 なんだか昔の、カイトみたいだ……。

 つい、心の中で名前を呼んでしまった。
 本人の前で呼び捨てなんて絶対ダメなのに、幼い頃のクセが出てしまいそうになる。
 頭を軽く左右に振っていると、「濡れたか?」と、心配されてしまった。
「平気。ちょっと、虫が……。でも、やっぱり濡れたね。ほら、ここ」
 何気なしに、海翔の頬についた水滴を指でぬぐったあと、濡れた髪に触った。
 その瞬間、海翔の表情がピタリと固まる。

 ──うわ……俺、何やってんだ!

「ご、ごめん。つい……あの、すぐ拭くよ」
「……こんなの、暑さですぐ乾く。それより、次はクラゲだろ」
 そう言いながら、海翔の指先が、凛が触れたあとをなぞるように撫でている。
 視線は真っ直ぐ、凛を見たままで。

 数秒、見つめ合っていると、ショーが終わったのか、観客席からは大きな拍手が沸き起こった。
 ハッとして、凛は視線を泳がせた。
「クラゲ館まで、少し距離あるな」
 海翔がパンフレットを確認しながら言う。
「写真、撮れるかな……」
 見つめられるのが怖くて、視線を逸らしながら言った。
 すると同じように、海翔の気配もスッと動いた気がした。
 視線を戻すと、海翔が壁に貼ってある案内図を見ている。

「行くか」
 何でもなかったような声で、海翔が前を歩き出す。
 凛はその背中を見つめながら、きゅっと唇を噛んだ。

 ──失敗した……。

 距離感を守れ、俺。じゃないと、この恋が、バレてしまう……。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

【完結】言えない言葉

未希かずは(Miki)
BL
 双子の弟・水瀬碧依は、明るい兄・翼と比べられ、自信がない引っ込み思案な大学生。  同じゼミの気さくで眩しい如月大和に密かに恋するが、話しかける勇気はない。  ある日、碧依は兄になりすまし、本屋のバイトで大和に近づく大胆な計画を立てる。  兄の笑顔で大和と心を通わせる碧依だが、嘘の自分に葛藤し……。  すれ違いを経て本当の想いを伝える、切なく甘い青春BLストーリー。 第1回青春BLカップ参加作品です。 1章 「出会い」が長くなってしまったので、前後編に分けました。 2章、3章も長くなってしまって、分けました。碧依の恋心を丁寧に書き直しました。(2025/9/2 18:40)

先輩のことが好きなのに、

未希かずは(Miki)
BL
生徒会長・鷹取要(たかとりかなめ)に憧れる上川陽汰(かみかわはるた)。密かに募る想いが通じて無事、恋人に。二人だけの秘密の恋は甘くて幸せ。だけど、少しずつ要との距離が開いていく。 何で? 先輩は僕のこと嫌いになったの?   切なさと純粋さが交錯する、青春の恋物語。 《美形✕平凡》のすれ違いの恋になります。 要(高3)生徒会長。スパダリだけど……。 陽汰(高2)書記。泣き虫だけど一生懸命。 夏目秋良(高2)副会長。陽汰の幼馴染。 5/30日に少しだけ順番を変えたりしました。内容は変わっていませんが、読み途中の方にはご迷惑をおかけしました。

【完】君に届かない声

未希かずは(Miki)
BL
 内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。  ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。 すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。 執着囲い込み☓健気。ハピエンです。

【完結】君の手が、入道雲を彫る

江夏みどり
BL
【完結】 彫刻をやめた高校生の天才彫刻家・時原夏樹(ときはらなつき)は転校先の同級生・須縄霜矢(すのそうや)に片想いしてしまう。 北海道雪まつりに出展することを夢見る霜矢は、夏樹を強引に「美術部・雪像班」に入部させ、雪像づくりに巻き込んでいく。 過去のトラウマから人の手に触れることが苦手な夏樹。ある日霜矢が「人の手に触れる練習」と称して夏樹の手に触れてきて……? 天才肌のトラウマ持ち彫刻家×天真爛漫な夢見る男子高校生の、じれきゅんBL!

仲良くなったと思った相手は、どうやら友達なんて作りたくないらしい

たけむら
BL
仲良くなった相手は、どうやら友達なんて要らないっぽい 石見陽葵には、大学に入ってから知り合った友人・壬生奏明がいる。少し冷たそうな第一印象から周りの学生に遠巻きにされている奏明に、とある提案をしてみると、衝撃的な一言が返ってきて…?

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

三ヶ月だけの恋人

perari
BL
仁野(にの)は人違いで殴ってしまった。 殴った相手は――学年の先輩で、学内で知らぬ者はいない医学部の天才。 しかも、ずっと密かに想いを寄せていた松田(まつだ)先輩だった。 罪悪感にかられた仁野は、謝罪の気持ちとして松田の提案を受け入れた。 それは「三ヶ月だけ恋人として付き合う」という、まさかの提案だった――。

俺達の関係

すずかけあおい
BL
自分本位な攻め×攻めとの関係に悩む受けです。 〔攻め〕紘一(こういち) 〔受け〕郁也(いくや)

処理中です...