ひたむきに恋して

久遠ユウ(くおんゆう)

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 優しい声音の顔を思い浮かべて振り返ると、海翔が眩しそうに海を見ていた。
「カ──……い、一ノ瀬くん。いつの間にいたの?」
 びっくりして思わず『カイト』と呼びそうになった。あぶない、あぶない。
「今。佐伯たちがチャリ止めてるときに着いた」
「そっ……か。ここ、一ノ瀬くんもよく来るの?」
 聞いてみたものの、凛はまともに海翔の方を見れずにいる。

 海パンにパーカーを羽織ってるだけって、目に毒だよ……。

 チラチラ見える腹部には、程よく付いた筋肉が線を生み出してパーツを作っている。
 焼けすぎもしてない肌は色っぽく、艶かしくも見えた。

 こんなの、女子が見たらきっと、雄叫びをあげるよ……。現に、俺だって──

 慌てて思考を振り払っていたら、現実の雄叫びを丸岡が叫んだ。
「おーい、お前ら早いなー!」
 いつの間にか海パン一枚になっていた丸岡が、勢いよく砂浜に駆け出して行く。
 その姿は、無邪気そのものだ。
「俺らも行くか。ほら、佐伯」
 先に進む海翔が振り返って、凛を見つめる。
 全てを包み込むような眼差しは、きっと、普段からの海翔の癖だ。
 小さな深月を気にかけ、面倒を見ている兄の自然な仕草だと思う。

「あ、うん……」
 海翔に追いつこうと砂浜なことも忘れて走り出したら、砂に足を取られて、たたらを踏みそうになる。
 そんな凛の様子に気づいた海翔が、スッと手を出して、つんのめりそうな体を支えてくれた。
「こけんなよ」
 不意打ちの優しさに、心臓が跳ねる。
 一瞬だけ、触れられたところが熱を持っているようで、視線を海へ逃した。

「へ、平気。ありがと」
 きちんとリュックを背負い直すと、今度は丁寧に歩く。
 ふと、前を歩く海翔の足跡に気付いた凛は、自分より大きい足跡の上に重ねるよう歩いた。
 ただ、サンダルの跡を歩いているだけなのに、嬉しくて仕方ない。

「あー、海翔。やっと来たーっ」
 先に来ていたのは女子チームだったのか、レジャーシートを敷いてくれていた。
 参加しているのは女子が三人で、男子は凛を含めて四人。
 いつも海翔のそばにいる人数より少なくて、何となくホッとする。

 海翔の到着を待ちきれない女子が駆け寄ってくると、日焼けオイルを手に海翔の腕を撫でている。その仕草が、まるで〝彼女〟のようで、少しだけ胸がきゅっとした。
 水着から見えている肌は小麦色で、鮮やかな生地に映えて制服よりずっと大人っぽい。
 凛は、それらを見ないふりで、シートに誘ってくれた子の方へ目線を逸らした。

 Tシャツを脱ぎながら海を見ると、丸岡と曽谷が波飛沫を上げながら暴れている。
 ワイワイと楽しげにする声が届くと、自分も混ざりたくてうずうずしてくる。
 海パンだけになった凛は、颯爽と海を目指し、灼熱に熱された砂に足裏を乗せた。
 けれど前には進めず、手首を掴まれると、またシートへと引き戻されてしまった。
 肩越しに振り返ると、眉間にシワを刻む海翔と目が合う。

「え、な……に。一ノ瀬く──」
「……佐伯、ラッシュガード、持ってないのか」
 海翔の声は、少し低く、戸惑いを含んでいるように聞こえた。
「え? ……うん。持ってない……。ラッシュガードって、あった方がいいの?」
「そんな白い肌だと、すぐ真っ赤になるぞ」
 凛は自分の姿を見下ろした。

 シンプルな黒の海パン姿で、腰骨が少し覗いている。
 線の細い身体に、露わになった白い肌が、海翔たちと比べてあまりにも目立って見える。
 直射日光の下では、あまりにも無防備すぎるように思えた。
 
「……やっぱ焼ける? 俺、海で泳ぐの久しぶりで、舐めてたかも……」
 白い腕を撫でながら反省していると、ふわっと肩にパーカーがかけられた。
「それ着とけ。濡れてもいいから」
 そう言いながら、凛の腕を取って、袖を通そうとしてくれる。

「え、悪いよ。だって、これ濡れたら一ノ瀬くん、帰り困るでしょ」
「平気だ。Tシャツあるし、濡れたままでもこんだけ暑いとすぐ乾く」
「でも……」
 遠慮を口にしかけた凛は、それ以上言えなくなった。

 束ねていない髪がふわりと風で揺れ、そこからいつもより濃い海翔の香りが凛の心を乱してくる。
 伏せめがちの目に長いまつ毛。パーカーのファスナーを上げてくれる、器用そうな指。
 海翔のどこを切り取っても秀逸で、夏の陽射し以上に体が熱を孕んだ。

「これで海に入ってヨシ」
 布越しに凛の肩を叩きながら、納得顔の海翔。
「えっと……。ありがと……でも、暑いよ、これ」
「いいから。焼けてヒリヒリするよりマシだろ」
 暑いのは、陽射しのせいじゃない──なんて、口にできない言葉を飲み込んだ。

「りーん。こっち来いよ。海翔も一緒にビーチバレーしようぜっ」
 海から丸岡が叫んでいる。
「李仁が呼んでる。行こ、一ノ瀬くん」
 レジャーシートから降りると、砂の熱を避けるよう、つま先立ちで海を目指した。
 波打ち際ではしゃぐ丸岡たちに混ざると、早速ボールが飛んでくる。
 レシーブの守備範囲にいた凛がかまえると、風に流されて着地点がズレた。
 すかさず追いかけたけれど、砂と波に足がもつれ、見事に身体は前のめりに倒れ込んだ。

「ぶはっ! 凛、参加していきなり大コケか」
「見事なドジっぷりだな、佐伯」
 顔ごと海に突っ込んだ凛の耳に、丸岡や曽谷のからかう声が水の中でも聞こえてきた。
 起き上がって四つん這いになっていると、腕を掴まれて身体がふわりと起こされた。

「どんくせーな」
 海から引き上げてくれた海翔を見て、凛は『やってしまった』と思った。
「ご、ごめん。パーカー、濡れちゃった……」
 グレーの生地は濡れて黒くなり、海水を含んでずっしりと重い。

 これじゃ、持って帰るのも重くなる。干していたら、帰りまでに乾くかな……。

 ファスナーを下ろしてパーカーを脱いでいると、丸岡も駆けつけてきた。
「凛、平気──」
 まだ口元に笑いが残っていた丸岡の表情が、不意に変わっていく。
 どこか、一点を見つめるような目だ。
「うん、だいじょう……ぶ。李仁、どうかした?」
 パーカーを脱ぎかけた凛を食い入るように、丸岡が見ている。
 熱っぽい目の丸岡の前に手をかざすと、凛はひらひらと振ってみた。

「佐伯。パーカー、脱ぐな」
 唐突に言った海翔の口調はどこかムッとしている。
 首をかしげていると、脱ぎかけたパーカーを元に戻されてしまった。
「でも……濡れたから、乾かそうかなって……」
「いいから」
 グイッと身ごろを合わせられ、凛の上半身を守るように海翔のパーカーが覆われる。
 濡れて冷たいはずなのに、布越しに伝わる海翔の手は熱く感じた。
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