ひたむきに恋して

久遠ユウ(くおんゆう)

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 手首を掴まれ、ぐっと引き寄せられた。 
 思った以上にお互いの顔が近くなって、息が詰まる。

 さっきまで海を見ていたはずの瞳が、もう目の前にある。
 その視線に射抜かれるみたいで、心臓が急に騒ぎ出した。

 ──ど、どうしよう……。

 ただ、いつものように名前を呼べばいい。わかっているのに、声が震えてうまく言えない。
 逃げたいのに、足が動かない。  
 掴まれた手首の熱が、肌を通して体の奥まで広がっていく。  
 まるで支配されていくみたいに──。  

「……なあ、凛」  
 波の音に溶けそうなほど小さな声で、名前を呼ばれた。  

「な、なに……」  
 手を掴んで呼び止めたくせに、丸岡は続きを言わない。  
 ただ握る力だけが、じわじわ強くなっていく。  

 夜の海を模っているのは、波の音と、ときおり走り去る車の走行音だけ。
 見慣れた風景が静寂に包まれ、言いようのない不安を連れてくる。

「凛って……好きなやつ、いる……?」
 ようやく放たれた言葉は、あまりにも唐突で、息が止まりそうになった。  

「俺は……いる」  
 呼吸を整える間もなく、熱を帯びた眼差しが突き刺さる。  
 ためらう凛の唇が、自然と薄く開こうとした。
 そこから──ずっと想い続けている人の名前が零れそうになる。

「なあ、答えて……よ」  
 一歩、歩み寄る丸岡の手が、凛の頬へと伸びてくる。  

「……お、俺は……」  

 だめだ、言えない……。  

 丸岡の眼差しが、指先が、この距離が──何を伝えようとしているのか、痛いほどわかるから。  

 そっと踵をずらし、後ろに下がろうとしたとき、足が何かに当たった。  
 逃げ場を失った凛の頬を、丸岡の両手が包み込む。  

 反射的にもう一歩下がった瞬間、かかとがつかえてバランスが崩れた。
 倒れそうになった体を、丸岡がすぐに抱きとめてくれる。

「ごめ……俺、ドジだから──」  

 言いかけた声は、至近距離に迫る存在に驚いて、喉の奥に消えてしまう。  

 丸岡の体がさらに近づき、唇が触れそうなほど顔が迫ってきた。
 キス、される──
 咄嗟に両手で口を覆い、凛はその場に蹲った。  

 どうしよう、どうしよう……俺は──。

「ごめん、凛。……フライングはダメだな」
 いつもの砕けた口調が聞こえると、スッと手を差し伸べられた。
 丸岡の声が少し苦味を帯びて聞こえたのは、凛が顔を背けてしまったから? 
 それとも──

 ふさわしい言葉が思いつかないまま、おずおずと手を伸ばすと、そっと握って引き上げられる。
 膝についた砂を払ってくれたあと、丸岡が真っ直ぐ見つめてきた。

「凛……俺、お前が転校してきた日から、ずっと好きだった」
 凛のどこにも触れないよう、言葉に気持ちを込めて届けようとしている。

「前、海に行ったとき、はっきりとわかったんだ。凛を独り占めしたいって……。凛を誰にも渡したくない」

 誠心誠意を込めて、丸岡が気持ちを伝えてくれる。
 だったら自分も答えなきゃ。ちゃんと、好きな人がいるって。
 そう伝えようとしたとき、後ろでビニール袋が揺れる音がした。
 振り返ると、街路灯のほのかな灯りの下に、海翔が佇んでいる。

「い……ちのせく……」
「わ、悪い。俺、邪魔だな……。あ、飲み物、ここに置いとくから。じゃ、今日はさんきゅ……な」
 そう言うと、海翔は軽々と堤防に飛び乗って、凛の視界から消えてしまった。

「い、一ノ瀬くんっ!」
 咄嗟に名前を呼んだ。

 待って、行かないで。
 誤解なんだ。俺が、俺が好きなのは──

 海翔を追いかけようと砂浜を蹴ると、丸岡に手首を掴まれた。

「凛、ちゃんと……答えてくれ。じゃないと、俺、まだお前に期待──する」
 笑顔を向けてくれているのに、丸岡の顔は泣きそうにも見える。

 そうだよ、ちゃんと言わなきゃ──

「……李仁、ごめん。俺は……い、一ノ瀬くんが……好きなんだ」
 その瞬間、握られてる場所に力がこもった。
 離すまいと、そこから痛いほど伝わる。

「……そっか」
 一瞬、丸岡の目が見開く。何かに耐えるよう下唇を噛むと、
 手の力がスッと緩んだ。
 掴んでいた手はほどかれ、少し大人っぽい微笑みをくれる。

「……あーあ。フラれちったか。イケメン、恐るべし、だな」
 おどけた声色と、ウィンク。
 いつもの調子で振る舞う丸岡のそれが、精一杯の虚勢だと伝わる。

「ごめ……」
 言いかけた言葉は、最後まで言えなかった。
 泣くのは卑怯だと、唇を噛む。

「泣くなよ、凛。かわいい顔で泣かれたら、抱きしめたくなる」
 その優しさに、こらえていた涙がこぼれた。
「だから泣くなっつーの。きっと、凛は海翔が好きなんだろなって思ってたからさ」
「えっ……」

 気付かれていた……。ど、どうしよう。李仁だけじゃなく、もし、他の人にも──

「心配すんな。気付いてたの、たぶん俺だけだから」
 凛の気持ちを汲み取るような言葉が、丸岡の口から放たれた。
 そんだけ、凛を見てたってことかぁ、と笑ってくれる。

「夏休み入ってすぐ、水族館で会っただろ? あんとき、あー、凛、海翔のことが好きなんだろなって思ったからさ」
「……李仁……」

 止めようとしていた涙は、丸岡の言葉でますます溢れてくる。丸岡の言葉一つひとつが、胸に沁みて心が苦しい。

「……初めは男を好きになことに否定してた。けど、知っちゃったんだよ。凛の笑った顔や、意外としっかりしてるとこを……。そしたら、めちゃくちゃ好きになってた。一目惚れだった」

 真剣な顔の丸岡のその瞳が、潤んでいるように見える。

 それなのに俺は、ごめん、としか言えない。

「今日、絶対、凛に告ろうって決めてたんだ。玉砕覚悟だったけど、まあ予感的中だな」
 短い髪をガシガシとかきながら、丸岡が言う。
 その姿に、胸が切なく疼いた。

 涙が止まらず俯いていると、パン、と手を叩く音がした。
「はい、丸岡李仁の告白タイムは終了! 明日から俺と凛は親友。いいな?」
 いつもの明るい顔でウィンクしてくる。それから、そっと笑ってくれた。

「……うん。わかった」
 手の甲で目頭を拭いながら言った。
 丸岡の気持ちに応えられないなら、せめて泣き顔は見せないでいたい。

「それより、早く海翔を追いかけろ。ちゃんと、凛の気持ち伝えて来い」
 トンっと背中を押された。

 砂に足を取られながらも、凛は前へ進む。
 ……でも、何度も振り返ってしまった。
 そのたびに、丸岡は追い払うように手を振って、笑ってくれる。

〝早く、行け〟──そう聞こえた気がした。

 凛はきゅっと唇を噛み、堤防の階段を駆け上がった。
 歩道に出たところで、砂浜を見下ろす。
 遠くて表情は見えないのに、なぜか丸岡の顔が、はっきり頭に浮かんだ。

 ──きっと、見えなくなるまで笑ってくれてる。
 そんな気がした……。 
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