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七海澄香

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雨女

廃村

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 雨の町を離れ、トンネルをひとつ越えると雲が晴れた。
「久しぶりのいいお天気ですね……」
 助手席で窓の外を眺めながら、ぽつりと遥が呟いた。

 林道の脇、集落への入り口で車を降り、おもいきり伸びをする。
 久しぶりに山の音を聞いた。風に草木が揺れる音、名も知らぬ虫や鳥の声。
 この時間の山は、まだ明るく不穏な気配など微塵も感じられない。トレッキングにでも来たかのような、妙に晴れやかな気分だった。

「行きますか!」
 だがここは、件の廃村の入り口なのだ。気を引き締め、先へと向かう。
 村へと続く道は、背の低い雑草に覆われていた。石段が組んであり、辛うじて道だと判別できる。

 坂を登っていくと、少し開けた場所に点々と建物が現れた。木々の間を縫うようにして、崩れかけた石垣の上に建つ廃屋。
 腐りかけた木造の柱が、今にも崩れ落ちそうな屋根を、やっとのことで支えている。
 すでに倒壊したのであろう、木材が乱雑に重なる建物跡もいくつか。
 集落の一番上、3つ目の廃屋は生活感の残る屋敷だった。

「およそ30年前のままか……」
 きれいに建物が残っているのはこの屋敷だけのようだ。
 どんな経緯でここを立ち退いたのか、台所には鍋や食器が残されたままになっている。

 捲られることなく壁に残されたカレンダーは、数十年の時を経て色褪せ、朽ちる時を待っているようだった。
 かつて家族の団らんの場であったであろう居間も、砂埃にまみれて見る影もない。
 傾いたタンスは触れると倒れてしまいそうだ。本棚には古びた雑誌。
 遥がそれを手にとって表紙を開くと、継ぎ目から、はらりと剥がれてしまった。

「あ、ごめんなさい……」
 誰にともなくそう呟くと、遥は慎重に続きのページをめくり始めた。
 雑誌はファッション雑誌だったようで、当時の流行りのワンピースを着たモデルたちがポーズを決めていた。
「時雨さんの格好、この時代のものなんですね」

 時雨の着ていたワンピースによく似たデザインの服を纏った女性たち。
 彼女の時間もこの村の歴史とともに止まってしまっていたのだ。
 悠弥が庭に降りようと居間と縁側を仕切るガラス戸を開ける。

 はめ込まれたガラスも年代物のようで、気泡や歪みがある。昭和初期くらいまで使われていた古い技法で作られたガラスだ。
 がたつく戸をゆっくりと引き、縁側の床板に足を踏み入れた瞬間、
 バキィィッ

「オワッ!」
 思わず叫び声を上げ、板を踏み抜いた右足を慌てて引き上げた。

「悠弥さん!? 大丈夫ですか!」
 遥の声が背後から飛んできた。
「大丈夫です! 板が腐ってて……。危ないからこっちに来ちゃダメです」

 幸いジーンズに擦り傷がついただけで、たいした怪我もない。
 遥は足早に玄関から庭に回り込み、悠弥に手を差し出した。
「お怪我はありませんか?」
 こちらを心配そうに覗き込む。
 その手に掴まり、縁側を越え、庭に降りた。

「すみません……ありがとうございます」
 思わず繋ぐことになった手をそそくさと離し、悠弥は頭を下げて礼を述べる。
「無事でよかったです」
 遥も少し頬を染めながら、慌てて視線を逸らした。
「さあ、先を急ぎましょう。まずは神社を確認しなくちゃ」

 この廃屋が村の一番奥に位置する。おそらく、有力者の家だったのだろう。下に残っていた廃屋は、もっとこぢんまりとした小さな納屋のような造りだった。
 佐川に聞いた話だと、この家から裏手に伸びる細い道を登れば、件の神社があるはずだ。
 道は辛うじて人が通れる幅を残し、両端を背の高い草に覆われていた。もちろん舗装などされておらず、足場は悪い。

 悠弥が先を行き、時々遥に手を貸した。
 照れ臭そうにしながらも、悠弥の手を取る遥。
 少し先に、細い木で組まれた小ぶりの鳥居が見えた。その奥に小さな建物。

「もう少しですよ」
 時刻は日暮れ前。まだ明るい刻限なので、それほど怖さは感じない。だがこれが日の落ちた後だったなら、確かに肝試しとしてはお誂え向きかもしれない。

「ちょっとした山登りですね」
 少し息を切らした様子の遥。
 鳥居の先は少し開けた広場になっていた。
 その真ん中に、石の台座に据えられた小さな祠がある。悠弥は足早に近づいた。

「これは……ひどいな……」
 祠は思いのほかひどい状態だった。
 木造の祠はもともと風雨にさらされ、老朽化していたのだろう。
 木の色は褪せ、ところどころ腐っている。
 扉が叩き割られた跡が残り、観音開きの右側の戸は完全に外れ、中があらわになっていた。

「よくもまぁ……こんなことができるな……。罰当たりなもんだ」
 悠弥のつぶやきに、遥が祠にそっと手を添えながら応える。
「時雨さん、お辛かったでしょうに」

 やはり祠の中は空になっていた。鏡が置かれていたであろう台座だけが残されている。
 祠から来た道を振り返ると、坂の下の集落が木々の間に垣間見える。

 時雨はここから村を見守っていたのだろうか。
 だんだんと住民が減り、最後の人が立ち退いた後。ただ朽ちてく己の祠と廃屋を数十年も眺めていたというのだろうか。

 西の空はうっすらと夕陽色に染まり始めていた。
 町からだいぶ離れた距離にあるこの山までは時雨の力も及ばないようで、空には雨雲は見当たらない。
 今は空っぽになった祠だが、遥は丁寧に手を合わせていた。悠弥もそれに倣う。

「日が落ちる前に、鏡を探しましょう」
「そうですね。投げ捨てたのは、たしか二軒目の家の裏手と言ってましたよね」
 探すのは手のひらに乗るくらいの銅鏡だ。
 手入れもされていない藪の中を、たったそれだけの手がかりで探すのは無謀に思える。だが、諦めるわけにはいかない。
 その無謀に、遥は文句も言わず付き合うと言ってくれた。
 悠弥はその心持ちが嬉しかった。

「でも、探すのは日が落ちる前までですよ。夜の山は危険ですから……」
 夜はあやかしや獣の好む時間。特に山には、人と馴れ合わないあやかしが寄り付く。
 なわばりを荒らすようなことをしては、様々なものの怒りを買いかねないという。

 日が落ちる前に山を降りる。それが遥との約束だった。
 空の祠に手を合わせ、来た道を戻る。
 目に映る廃村の風景は、先ほどより物悲しげに見えた。
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