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エピローグ
大雪の日に
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また冬が来た。
この冬を越したら、私はこの町から離れることになるだろう。
お父さんの会社では、3年ごとに転勤の機会がある。
この前の転勤は、なんとか偉い人に頼んで残らせてもらったみたい。私がこの町を離れるのは嫌だって言ったのと、お父さんもその方が安心だったんだろう。この町で暮らしてもう6年。
でも、そんなワガママもさすがにもう通らないみたい。残念だけど、仕方ない。
春が来たら私は中学生になる。もうどこに行ったって、ちゃんとやっていける。
お母さんが留守をして、6年。
お母さんは海外で仕事をしていることになっている。ファッションデザイナーのアシスタント、なんてちょっと格好いい職業。私の気分で、お母さんの居場所はコロコロ変わる。世界中を股にかけるキャリアウーマン。ニューヨーク、パリ、ロンドン。私もお母さんも、一度も行ったことはないけれど。
寂しいと思うこともあった。でも私は知っている。
お母さんが、いつも私たちのそばにいることを。
私が自分の部屋でひとり、本を読んだりゲームをしていると、ふいに風がふわりと通って髪を揺らす。
そんなとき、居間に行くと決まってお父さんがお酒を片手にうなだれている。
お母さんの写真を見つめながら、今にも溢れそうなほど目を潤ませて。
私は黙って、お湯を沸かして温かいお茶をいれる。昔、お母さんがしていたみたいに。
どうぞって湯呑みを差し出すと、お父さんは潤ませた目をごまかすようにクシャッと笑って、私を抱きしめる。もう中学生になるんだから、恥ずかしいよ、やめてよって言っても、お父さんは私を離さない。ありがとうと愛してるを、たくさんくれる。
そんなふうにして、私たちは家族三人で暮らしてきた。
今日は珍しく、雪が降り続いている。この町に雪かきが必要なほど雪が降ることは、ほとんどなかった。
こんなに積もるのは初めてのことだ。
お昼前から降り始めた雪は、夜になってもやむ気配がない。閉じた窓の向こうで、しんしんと雪が高さを増していく。
ニュースのレポーターの声は悲鳴混じりに数十年ぶりの大雪を伝えている。
私は嬉しかった。降り積もるこの雪が。早く止んでほしいという皆の願いにも知らんぷりをして、降り続くこの雪が。
庭で雪かきをしていたお父さんも同じみたいで、これは大変だとぼやきながらも、どこか嬉しそう。
お父さんには沸かしておいたお風呂をすすめて、私は縁側の窓を開け放つ。冷たい空気が一気に流れ込んでくる。気持ちがいい。雪の白さが明るい、きれいな夜だ。
このままずっとずーっと雪が積もったら……。
そんなことを想像していると、突然電話が鳴った。
電話の向こうの声は、少し焦った様子で私たち親子の心配をしてくれていた。不動産屋さんだ。私は伝言をちゃんとメモする。
今夜は水道管が凍ってしまうかもしれないから、水を細く出しておくこと。
庭木や屋根の雪降ろしはできるだけしておいた方が良いけれど、無理はしないこと。
建物や家の設備に何かあったら、すぐ連絡すること。
不動産屋さんのお兄ちゃんも、雪かきをしていたみたい。この家は古い家だし、山に近いから、大雪になって心配してくれたんだって。
お兄ちゃんが「でも、お前さんはちょっと嬉しいだろ?」なんて言うから、そりゃ嬉しいよって返した。
あの不動産屋さんも、ずっと変わらない。いつも私たちのことを見守ってくれている。お母さんが留守の私を気にかけて、お姉ちゃんはよく私を連れて遊んでくれた。私たちにしか分からない話も、たくさんした。
あ、そうそう。変わったのは、おチビちゃんがひとり増えたことくらいかな。私と同じで、あやかしの血が混ざった女の子。すごくかわいくて、私も妹みたいに思ってる。
お父さんにもよろしくって言われて、私も、お姉ちゃんとおチビちゃんによろしくって言って電話を切った。
あ、いけない。窓を開けっ放しだった。これじゃあ、お風呂上がりのお父さんが湯冷めしちゃう。
夕飯の支度が済んだダイニングテーブルの横を通り、私は縁側の窓を閉めに行く。
私も簡単な料理ならできるようになった。いつも少し多く作って余らせる。だって、もしかしたら急にお母さんが帰ってくるかもしれないから。ごはんがなかったら、寂しいでしょう?
縁側の窓から私はもう一度、身を乗り出して真っ白な世界を見る。こんなにきれいな雪景色は初めて。どうしたって心が躍るのは止められない。
私は素足につっかけで庭に出た。夕方に一度雪かきをした庭だけど、もう私の足首が隠れるほど積もってしまった。冷たさを楽しみながら、雪を何度も踏みしめる。
その間も絶え間なく、音も立てずに、ただただ空から白いものが舞い落ちてくる。
庭の端にスコップが置きっぱなしになっていた。お父さん、まだ雪かきをするつもりなのかな。でもこのままじゃ、スコップが雪に埋もれそう。
私はそれを手に取って、玄関の方に向かった。
そして見たんだ。
玄関の明かりに照らされた人影を。
その人が私に微笑みかけた。
「小春」
私はスコップを放り出した。雪の上を跳ぶように駆け、その胸に飛び込む。
私を抱く腕、頭を撫でる手、ただいまっていう声。
私は顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにして、しゃっくりまで出てきて、もうどうしようもないけれど、やっとのことで、おかえりなさいって言った。
縁側から私を呼ぶお父さんの声が聞こえた。部屋の中に私がいなくて心配したみたい。
私たちに気づいたお父さんが、裸足のままで駆けてくる。
私より大泣きしてぐっしゃぐしゃの顔で、二人いっぺんに抱きしめてくれた。
いつまでもそうしているもんだから、しびれを切らして私が言ったんだ。
「ねえ、お腹すいてるでしょう。早く一緒にごはん食べよう!」
今夜からはもう、夕飯をあんなに余らせることもない。
お父さんとお母さんは、改めて目を合わせて、はにかんでいた。
この冬を越したら、私はこの町から離れることになるだろう。
お父さんの会社では、3年ごとに転勤の機会がある。
この前の転勤は、なんとか偉い人に頼んで残らせてもらったみたい。私がこの町を離れるのは嫌だって言ったのと、お父さんもその方が安心だったんだろう。この町で暮らしてもう6年。
でも、そんなワガママもさすがにもう通らないみたい。残念だけど、仕方ない。
春が来たら私は中学生になる。もうどこに行ったって、ちゃんとやっていける。
お母さんが留守をして、6年。
お母さんは海外で仕事をしていることになっている。ファッションデザイナーのアシスタント、なんてちょっと格好いい職業。私の気分で、お母さんの居場所はコロコロ変わる。世界中を股にかけるキャリアウーマン。ニューヨーク、パリ、ロンドン。私もお母さんも、一度も行ったことはないけれど。
寂しいと思うこともあった。でも私は知っている。
お母さんが、いつも私たちのそばにいることを。
私が自分の部屋でひとり、本を読んだりゲームをしていると、ふいに風がふわりと通って髪を揺らす。
そんなとき、居間に行くと決まってお父さんがお酒を片手にうなだれている。
お母さんの写真を見つめながら、今にも溢れそうなほど目を潤ませて。
私は黙って、お湯を沸かして温かいお茶をいれる。昔、お母さんがしていたみたいに。
どうぞって湯呑みを差し出すと、お父さんは潤ませた目をごまかすようにクシャッと笑って、私を抱きしめる。もう中学生になるんだから、恥ずかしいよ、やめてよって言っても、お父さんは私を離さない。ありがとうと愛してるを、たくさんくれる。
そんなふうにして、私たちは家族三人で暮らしてきた。
今日は珍しく、雪が降り続いている。この町に雪かきが必要なほど雪が降ることは、ほとんどなかった。
こんなに積もるのは初めてのことだ。
お昼前から降り始めた雪は、夜になってもやむ気配がない。閉じた窓の向こうで、しんしんと雪が高さを増していく。
ニュースのレポーターの声は悲鳴混じりに数十年ぶりの大雪を伝えている。
私は嬉しかった。降り積もるこの雪が。早く止んでほしいという皆の願いにも知らんぷりをして、降り続くこの雪が。
庭で雪かきをしていたお父さんも同じみたいで、これは大変だとぼやきながらも、どこか嬉しそう。
お父さんには沸かしておいたお風呂をすすめて、私は縁側の窓を開け放つ。冷たい空気が一気に流れ込んでくる。気持ちがいい。雪の白さが明るい、きれいな夜だ。
このままずっとずーっと雪が積もったら……。
そんなことを想像していると、突然電話が鳴った。
電話の向こうの声は、少し焦った様子で私たち親子の心配をしてくれていた。不動産屋さんだ。私は伝言をちゃんとメモする。
今夜は水道管が凍ってしまうかもしれないから、水を細く出しておくこと。
庭木や屋根の雪降ろしはできるだけしておいた方が良いけれど、無理はしないこと。
建物や家の設備に何かあったら、すぐ連絡すること。
不動産屋さんのお兄ちゃんも、雪かきをしていたみたい。この家は古い家だし、山に近いから、大雪になって心配してくれたんだって。
お兄ちゃんが「でも、お前さんはちょっと嬉しいだろ?」なんて言うから、そりゃ嬉しいよって返した。
あの不動産屋さんも、ずっと変わらない。いつも私たちのことを見守ってくれている。お母さんが留守の私を気にかけて、お姉ちゃんはよく私を連れて遊んでくれた。私たちにしか分からない話も、たくさんした。
あ、そうそう。変わったのは、おチビちゃんがひとり増えたことくらいかな。私と同じで、あやかしの血が混ざった女の子。すごくかわいくて、私も妹みたいに思ってる。
お父さんにもよろしくって言われて、私も、お姉ちゃんとおチビちゃんによろしくって言って電話を切った。
あ、いけない。窓を開けっ放しだった。これじゃあ、お風呂上がりのお父さんが湯冷めしちゃう。
夕飯の支度が済んだダイニングテーブルの横を通り、私は縁側の窓を閉めに行く。
私も簡単な料理ならできるようになった。いつも少し多く作って余らせる。だって、もしかしたら急にお母さんが帰ってくるかもしれないから。ごはんがなかったら、寂しいでしょう?
縁側の窓から私はもう一度、身を乗り出して真っ白な世界を見る。こんなにきれいな雪景色は初めて。どうしたって心が躍るのは止められない。
私は素足につっかけで庭に出た。夕方に一度雪かきをした庭だけど、もう私の足首が隠れるほど積もってしまった。冷たさを楽しみながら、雪を何度も踏みしめる。
その間も絶え間なく、音も立てずに、ただただ空から白いものが舞い落ちてくる。
庭の端にスコップが置きっぱなしになっていた。お父さん、まだ雪かきをするつもりなのかな。でもこのままじゃ、スコップが雪に埋もれそう。
私はそれを手に取って、玄関の方に向かった。
そして見たんだ。
玄関の明かりに照らされた人影を。
その人が私に微笑みかけた。
「小春」
私はスコップを放り出した。雪の上を跳ぶように駆け、その胸に飛び込む。
私を抱く腕、頭を撫でる手、ただいまっていう声。
私は顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにして、しゃっくりまで出てきて、もうどうしようもないけれど、やっとのことで、おかえりなさいって言った。
縁側から私を呼ぶお父さんの声が聞こえた。部屋の中に私がいなくて心配したみたい。
私たちに気づいたお父さんが、裸足のままで駆けてくる。
私より大泣きしてぐっしゃぐしゃの顔で、二人いっぺんに抱きしめてくれた。
いつまでもそうしているもんだから、しびれを切らして私が言ったんだ。
「ねえ、お腹すいてるでしょう。早く一緒にごはん食べよう!」
今夜からはもう、夕飯をあんなに余らせることもない。
お父さんとお母さんは、改めて目を合わせて、はにかんでいた。
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X(Twitter)から来ました。1話だけですが、故郷に帰ってきたのに居場所がない主人公の、切ない気持ちが伝わってきますね。投票もさせていただきます。
ご感想、そして投票ありがとうございます。嬉しいです!
これからたくさんの人やあやかしに出会って、主人公の状況も変化していきます。
ぜひお時間のある時に、ゆっくり続きも覗いてみてください☺️
書き始めから、するりと世界観に入っていける情景描写がセンスが光ると思いました❣️勉強になります✨この先を楽しみにしてます😊
まじゅ(@majumajumajurin)より
そんなふうに言っていただけて嬉しいです!励みになります🥰
ありがとうございます!
これからも精進します👍🏻 ̖́-
4Pまで読了です。いい店員さんですね。この二人なら、いい物件をおすすめしてくれそうだなと思わせてくれます。今後の展開が楽しみです!
お読みいただけて、感想まで…嬉しいです*ˊᵕˋ*
ありがとうございます!