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早朝の出逢い
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早朝の町を自転車で走り抜ける。
足がどんどん重くなる。遅刻だ。怒られる。ここからスパートをかけないとギリギリ間に合わないだろう。
私は無心にペダルを漕いだ。ああ、バイク通学が羨ましい。私の家が学校からあと500メートル離れていたなら、バイク通学が許可される距離だったのに。そうだったなら、あと5分は寝ていられるかもしれないのに。
どうでも良いことを考えながら、足は同じ速度で回転させ続けている。
今日は遅刻するわけにいかない。やっとの思いで射止めた主役。高校演劇地区大会に向けての朝練開始の日なのだ。
なんとしても遅刻するわけにはいかない。
けれど、そんな日に限ってアクシデントは起こるのだ。
叫びが聞こえた。
笛を鳴らしているような甲高い音。
ピィィィーーーッ
どこか、もの悲しさを含んだような。
叫び、と表現するのが正しいのかどうかわからない。けれど、それは確かに叫びだった。
ピャァァァァーーーーッ
声が近づいてくる。いや、私が近づいているんだ。この道の先から聞こえてくる。
長雨が続いた6月の半ば。今日は久しぶりに朝から太陽が顔を出した。午前6時半を少し回ったころ。このあたりには、まだ人の姿はない。その声だけが、静かな町に響き渡る。
鳥の鳴き声だ。そう気づいたのは、その姿が見えてくる頃だった。
道の右手に四角いカゴが置かれている。
ピャーーーーーーッ
灰色の鳥が小さい体を精一杯に使い、遠くまで響く甲高い鳴き声を上げていた。
私はカゴの少し手前で自転車を降りた。
灰色の鳥は、トサカみたいな頭の羽をピンと立てながら、道の先に向けて再び鳴き声を上げた。
鳥の視線の先には、走り去る車。
ピャァァァァーーーッ
その声を最後に、灰色の鳥は叫ぶのをやめた。車が見えなくなったのだ。
あの車の主がこの鳥を置いていったのだろう。カゴが置かれた場所は、小さな店の軒先だった。
私はペダルに足をかけ、車を追いかけようとした。けれど、すぐに再び自転車を降りた。
去る者を追っても無駄だ。
この先には大きな交差点がある。信号であの車が停まっていたら、私が全速力を出せば、まだ追いつけるかもしれない。
けれど、追いついたところでどうするというのだろう。その人物は明らかにこの鳥を置いていったのだ。
この子を捨てるつもりで立ち去ったのだ。
そんな人を呼び止めることに、なんの意味があるだろう。
それよりも、このままこの子を道端に置いておく方が危険な気がした。このあたりには野良猫もいる。
私は鳥カゴに歩み寄り、そばにしゃがみこんだ。
体は灰色で地味だけれど、顔は明るい黄色。なんといっても特徴的なのは、チークを塗ったかのように丸くオレンジ色に染まった頬。
なんだこのふざけた顔の鳥は。
本人(本鳥?)はそんなつもりはないのだろうが、こんな模様では、どうしたって、とぼけたような顔に見えてしまう。
思わずふふっ、と息を漏らして微笑んだ私の視線を避けるように、頬紅の鳥はカゴの隅に移動した。
「君もひとりぼっちになっちゃったんだね」
ぐいん、と首を傾げ、こちらを上目遣いに見つめる鳥。
「大丈夫、生きてればきっといいことあるよ」
言い聞かせるように、そう呟いた。
私自身が何度も自分に言って聞かせてきた言葉だ。
ふるふる、と体を震わせて、少し羽を膨らませた鳥は、今度はキョロキョロと辺りを見回した。
飼い主の車は、もうとっくに見えない。
この鳥には少し窮屈そうなサイズの鳥カゴの底は、餌のカスやフンでひどく汚れていた。
胸がキューっと締め付けられる。息をふうっと吐き出す。ゆっくり呼吸を整える。
「大丈夫だよ」
なんとかこの子を元気付けようとした。言葉なんか、わかるわけないのだろうけれど。
私の言葉が終わると同時に、音もなく店のガラス戸が開いた。
『小鳥用品店 バードステーション』
飾り気のない文字だけのステッカーが貼ってある。
驚いた鳥がカゴの中でバタバタと暴れた。
「あ、ごめんごめん」
扉の向こうから男の人が顔を出した。
カゴの中の鳥と私を交互に見る。鳥がピィッと一声鳴いた。
「ああ、そういうこと」
彼は何かに納得したかのように、私のことを気にかける様子もなく無造作にカゴに手をかける。
カゴを取り上げられ、しゃがみ込んでいた私が取り残された格好だ。彼はそのまま店内に戻ろうとしている。
「あ……あの……」
この状況にいたたまれなくなった私は、思わず声を上げた。
「その鳥……」
この店の主人だろうか。眠そうな細い目、無造作ヘア……というか、ちょっとボサボサの黒髪。
「引き取りでしょう。このまま預かりますよ」
「いや、その……その子っ、私が持ってきたわけじゃなくて……!」
思わず全力で否定した。私が捨てていったと思われるのは心外だ。
「わかってますよ。様子を見ていてくれたんですよね。ありがとう。もう大丈夫です」
薄い笑みを浮かべ、小さく会釈すると、そのまま店の中に戻ろうとする。
「ちょっ、まって! その鳥……どうするの?」
「どうって……しばらくここで預かって育てますよ。新しい飼い主が見つかるまで」
「そ……そう……」
まだ何か、と言わんばかりの目でこちらを一瞥してから、男の人は細い目をさらに細めて困ったような表情を作った。
「ところで、大丈夫ですか、時間……」
そうだった。
「え、あっ?! そうです、そうでした! やばい、急がなきゃ」
私は急ぎ自転車にまたがり、ペダルにかけた足に力を入れる。
「あのっ、あとでまた……見にきてもいいですか?!」
彼はきょとんとした顔をしながらも、いいですよ、と小さく返事を返してくれた。
早朝の町を自転車で走り抜ける。
足がどんどん重くなる。遅刻だ。怒られる。ここからスパートをかけないとギリギリ間に合わないだろう。
私は無心にペダルを漕いだ。ああ、バイク通学が羨ましい。私の家が学校からあと500メートル離れていたなら、バイク通学が許可される距離だったのに。そうだったなら、あと5分は寝ていられるかもしれないのに。
どうでも良いことを考えながら、足は同じ速度で回転させ続けている。
今日は遅刻するわけにいかない。やっとの思いで射止めた主役。高校演劇地区大会に向けての朝練開始の日なのだ。
なんとしても遅刻するわけにはいかない。
けれど、そんな日に限ってアクシデントは起こるのだ。
叫びが聞こえた。
笛を鳴らしているような甲高い音。
ピィィィーーーッ
どこか、もの悲しさを含んだような。
叫び、と表現するのが正しいのかどうかわからない。けれど、それは確かに叫びだった。
ピャァァァァーーーーッ
声が近づいてくる。いや、私が近づいているんだ。この道の先から聞こえてくる。
長雨が続いた6月の半ば。今日は久しぶりに朝から太陽が顔を出した。午前6時半を少し回ったころ。このあたりには、まだ人の姿はない。その声だけが、静かな町に響き渡る。
鳥の鳴き声だ。そう気づいたのは、その姿が見えてくる頃だった。
道の右手に四角いカゴが置かれている。
ピャーーーーーーッ
灰色の鳥が小さい体を精一杯に使い、遠くまで響く甲高い鳴き声を上げていた。
私はカゴの少し手前で自転車を降りた。
灰色の鳥は、トサカみたいな頭の羽をピンと立てながら、道の先に向けて再び鳴き声を上げた。
鳥の視線の先には、走り去る車。
ピャァァァァーーーッ
その声を最後に、灰色の鳥は叫ぶのをやめた。車が見えなくなったのだ。
あの車の主がこの鳥を置いていったのだろう。カゴが置かれた場所は、小さな店の軒先だった。
私はペダルに足をかけ、車を追いかけようとした。けれど、すぐに再び自転車を降りた。
去る者を追っても無駄だ。
この先には大きな交差点がある。信号であの車が停まっていたら、私が全速力を出せば、まだ追いつけるかもしれない。
けれど、追いついたところでどうするというのだろう。その人物は明らかにこの鳥を置いていったのだ。
この子を捨てるつもりで立ち去ったのだ。
そんな人を呼び止めることに、なんの意味があるだろう。
それよりも、このままこの子を道端に置いておく方が危険な気がした。このあたりには野良猫もいる。
私は鳥カゴに歩み寄り、そばにしゃがみこんだ。
体は灰色で地味だけれど、顔は明るい黄色。なんといっても特徴的なのは、チークを塗ったかのように丸くオレンジ色に染まった頬。
なんだこのふざけた顔の鳥は。
本人(本鳥?)はそんなつもりはないのだろうが、こんな模様では、どうしたって、とぼけたような顔に見えてしまう。
思わずふふっ、と息を漏らして微笑んだ私の視線を避けるように、頬紅の鳥はカゴの隅に移動した。
「君もひとりぼっちになっちゃったんだね」
ぐいん、と首を傾げ、こちらを上目遣いに見つめる鳥。
「大丈夫、生きてればきっといいことあるよ」
言い聞かせるように、そう呟いた。
私自身が何度も自分に言って聞かせてきた言葉だ。
ふるふる、と体を震わせて、少し羽を膨らませた鳥は、今度はキョロキョロと辺りを見回した。
飼い主の車は、もうとっくに見えない。
この鳥には少し窮屈そうなサイズの鳥カゴの底は、餌のカスやフンでひどく汚れていた。
胸がキューっと締め付けられる。息をふうっと吐き出す。ゆっくり呼吸を整える。
「大丈夫だよ」
なんとかこの子を元気付けようとした。言葉なんか、わかるわけないのだろうけれど。
私の言葉が終わると同時に、音もなく店のガラス戸が開いた。
『小鳥用品店 バードステーション』
飾り気のない文字だけのステッカーが貼ってある。
驚いた鳥がカゴの中でバタバタと暴れた。
「あ、ごめんごめん」
扉の向こうから男の人が顔を出した。
カゴの中の鳥と私を交互に見る。鳥がピィッと一声鳴いた。
「ああ、そういうこと」
彼は何かに納得したかのように、私のことを気にかける様子もなく無造作にカゴに手をかける。
カゴを取り上げられ、しゃがみ込んでいた私が取り残された格好だ。彼はそのまま店内に戻ろうとしている。
「あ……あの……」
この状況にいたたまれなくなった私は、思わず声を上げた。
「その鳥……」
この店の主人だろうか。眠そうな細い目、無造作ヘア……というか、ちょっとボサボサの黒髪。
「引き取りでしょう。このまま預かりますよ」
「いや、その……その子っ、私が持ってきたわけじゃなくて……!」
思わず全力で否定した。私が捨てていったと思われるのは心外だ。
「わかってますよ。様子を見ていてくれたんですよね。ありがとう。もう大丈夫です」
薄い笑みを浮かべ、小さく会釈すると、そのまま店の中に戻ろうとする。
「ちょっ、まって! その鳥……どうするの?」
「どうって……しばらくここで預かって育てますよ。新しい飼い主が見つかるまで」
「そ……そう……」
まだ何か、と言わんばかりの目でこちらを一瞥してから、男の人は細い目をさらに細めて困ったような表情を作った。
「ところで、大丈夫ですか、時間……」
そうだった。
「え、あっ?! そうです、そうでした! やばい、急がなきゃ」
私は急ぎ自転車にまたがり、ペダルにかけた足に力を入れる。
「あのっ、あとでまた……見にきてもいいですか?!」
彼はきょとんとした顔をしながらも、いいですよ、と小さく返事を返してくれた。
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