5 / 6
8月15日
しおりを挟む
ちょうど腕時計が十二時を指したとき、ラジオのノイズが一段と酷くなった。努さんは腹ただしげにラジオを切り、
「山道は電波が悪いんだな…」
と独り言のように呟いていた。
その一連の動作を眺めながら、僕は不意にある事を思い出した。
「ねぇ、努さん。その事故があったのって、今僕と努さんが使ってる道じゃあないよね?」
努さんの顔が強張るのを、僕ははっきりと見た。そのはずなのに、もう一度しっかり見てみるとその顔は、いつもの努さんの顔だった。
「さぁ?俺もあまり詳しくないからわかんないな。」
努さんの声は、顔と同じでいつもの彼のままだった。
それからしばらくは、また二人とも黙ったままだった。助手席から山道を眺めながら、僕はまた三年前の事故について考え始めていた。
努さんは、この話を避けているんじゃないだろうか…。避けているとして、何故だろうか?何か僕に隠しておきたい事があるのだろうか?
そんな風に答えの出ない自問自答を繰り返していると、道を覆っていた木々が一瞬途切れて、月明かりが差した。
ちょうどその時だった、青白い明かりの中に、赤い影が見えたのは。
僕がとっさに振り返った時には、影はどこにも見えなかった。目の錯覚か何かとはとても思えないような鮮やかな赤だったのに、何故消えてしまったのだろう…。僕はそう思ったが、車が再び暗闇の中に入ってしまったため確認のしようがなかった。
「努さん、今何か赤いものが見えなかった?」
影のあったはずの方を向きながら僕がそう言っても、横からは相変わらずいつも通りの努さんの返事しか聞こえない。何かと見間違えたのだろうか…。気の無い努さんの返事からして、努さんには見えなかったのかもしれないし…。
悩む僕をよそに、車は低い音を立てながら山道を進んでいった。
ふと気がつくと、道路を走る音が増えているように感じた。何かが自分達の後ろを走っているのだろうか…、サイドミラー越しに後ろを見てみても何もない。そうこうしているうちにも、もう一つの低い音は確実に近づいているようだった。そしてついにその音は、正体がはっきりとわかるところまで近づいて来たのだ。
その音は、バイクのエンジン音だった。"バイク…?" そう意識した瞬間、今までの様々な事が繋がった。
三年前の事故、赤い影、さっきからずっと聞こえるエンジン音…。
ふと、僕は祖母の言葉を思い出した。
「お盆に死んだ人が帰ってくるっていうのは本当だって、そう思うようになったよ。」
嘘だろ…?じゃあこの音って…僕達を追っているものって…。
もう一度振り返ってみても、そこにはやはり道路と木立しか広がっていない。けれども音は益々近くなっている。たとえ耳を塞ぎこんでも、エンジン音は頭の中から聞こえているかのように段々と大きくなってゆく。
「ねぇ…努さんには聞こえてる…?」
できるだけ平静を装ってそう聞くと、
「いいや?」
という気の無い返事。…そうなのか?この音は僕にしか聞こえていないのか?だとしたら、きっと錯覚なんだ。良かった、これは現実のことじゃ……。
僕は、ある事に気づく。彼の、努さんの顔は、この音が聞こえない人間の顔ではなかった。無理に笑おうとしている口元、額からこぼれる冷や汗。そして何よりその目が、助けがそこにあると信じているかのように、必死に前だけを見ているその目が、彼の恐怖を表していた。
"この人は音が聞こえないんじゃない、聞こえないと自分に言い聞かせているんだ…" 反射的に僕はそう思った。
なら何故彼は、先程聞こえないふりを、知らないふりをしたのだろうか。そもそも何故アレが僕達を追ってくるのだろうか。…そんなこと今はどうでも良い。とにかくこの音から逃げなければいけない。
努さんも同じことを考えたのか、僕達を乗せた車は速度を上げて、凄まじい速さで山道を進んで行った。
ガードレールで車体をこすり、せり出た枝が窓を打っても、車は速度を落とすことはなかった。それなのに、音は更に近づいてくる。いくら速度を上げても、バイクの激しいエンジンの音は大きくなるばかりだ。
そう思っていた矢先、突然音が止んだ。理由は分からないが、逃げ切れたのだろうか?それとも、追いつかれた…?
それを考える暇は、僕達二人にはなかった。突然目の前に葉の茂った大木が姿を現した。
その刹那、僕達はハンドルを切るのもブレーキを踏むのも考えられなかった。
夜闇を引き裂くその音は、何かが壊れる音にも悲鳴にも聞こえた。
「山道は電波が悪いんだな…」
と独り言のように呟いていた。
その一連の動作を眺めながら、僕は不意にある事を思い出した。
「ねぇ、努さん。その事故があったのって、今僕と努さんが使ってる道じゃあないよね?」
努さんの顔が強張るのを、僕ははっきりと見た。そのはずなのに、もう一度しっかり見てみるとその顔は、いつもの努さんの顔だった。
「さぁ?俺もあまり詳しくないからわかんないな。」
努さんの声は、顔と同じでいつもの彼のままだった。
それからしばらくは、また二人とも黙ったままだった。助手席から山道を眺めながら、僕はまた三年前の事故について考え始めていた。
努さんは、この話を避けているんじゃないだろうか…。避けているとして、何故だろうか?何か僕に隠しておきたい事があるのだろうか?
そんな風に答えの出ない自問自答を繰り返していると、道を覆っていた木々が一瞬途切れて、月明かりが差した。
ちょうどその時だった、青白い明かりの中に、赤い影が見えたのは。
僕がとっさに振り返った時には、影はどこにも見えなかった。目の錯覚か何かとはとても思えないような鮮やかな赤だったのに、何故消えてしまったのだろう…。僕はそう思ったが、車が再び暗闇の中に入ってしまったため確認のしようがなかった。
「努さん、今何か赤いものが見えなかった?」
影のあったはずの方を向きながら僕がそう言っても、横からは相変わらずいつも通りの努さんの返事しか聞こえない。何かと見間違えたのだろうか…。気の無い努さんの返事からして、努さんには見えなかったのかもしれないし…。
悩む僕をよそに、車は低い音を立てながら山道を進んでいった。
ふと気がつくと、道路を走る音が増えているように感じた。何かが自分達の後ろを走っているのだろうか…、サイドミラー越しに後ろを見てみても何もない。そうこうしているうちにも、もう一つの低い音は確実に近づいているようだった。そしてついにその音は、正体がはっきりとわかるところまで近づいて来たのだ。
その音は、バイクのエンジン音だった。"バイク…?" そう意識した瞬間、今までの様々な事が繋がった。
三年前の事故、赤い影、さっきからずっと聞こえるエンジン音…。
ふと、僕は祖母の言葉を思い出した。
「お盆に死んだ人が帰ってくるっていうのは本当だって、そう思うようになったよ。」
嘘だろ…?じゃあこの音って…僕達を追っているものって…。
もう一度振り返ってみても、そこにはやはり道路と木立しか広がっていない。けれども音は益々近くなっている。たとえ耳を塞ぎこんでも、エンジン音は頭の中から聞こえているかのように段々と大きくなってゆく。
「ねぇ…努さんには聞こえてる…?」
できるだけ平静を装ってそう聞くと、
「いいや?」
という気の無い返事。…そうなのか?この音は僕にしか聞こえていないのか?だとしたら、きっと錯覚なんだ。良かった、これは現実のことじゃ……。
僕は、ある事に気づく。彼の、努さんの顔は、この音が聞こえない人間の顔ではなかった。無理に笑おうとしている口元、額からこぼれる冷や汗。そして何よりその目が、助けがそこにあると信じているかのように、必死に前だけを見ているその目が、彼の恐怖を表していた。
"この人は音が聞こえないんじゃない、聞こえないと自分に言い聞かせているんだ…" 反射的に僕はそう思った。
なら何故彼は、先程聞こえないふりを、知らないふりをしたのだろうか。そもそも何故アレが僕達を追ってくるのだろうか。…そんなこと今はどうでも良い。とにかくこの音から逃げなければいけない。
努さんも同じことを考えたのか、僕達を乗せた車は速度を上げて、凄まじい速さで山道を進んで行った。
ガードレールで車体をこすり、せり出た枝が窓を打っても、車は速度を落とすことはなかった。それなのに、音は更に近づいてくる。いくら速度を上げても、バイクの激しいエンジンの音は大きくなるばかりだ。
そう思っていた矢先、突然音が止んだ。理由は分からないが、逃げ切れたのだろうか?それとも、追いつかれた…?
それを考える暇は、僕達二人にはなかった。突然目の前に葉の茂った大木が姿を現した。
その刹那、僕達はハンドルを切るのもブレーキを踏むのも考えられなかった。
夜闇を引き裂くその音は、何かが壊れる音にも悲鳴にも聞こえた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる