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千山万水五行盟(旅の始まり)

023:鸞翔鳳集(一)

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「実は困ったことが起きていると清林峰せいりんほうから助力を請う連絡が入った。ついては清林峰せいりんほうへの通行許可と神医への紹介状を用意するゆえ、合わせて相談に乗ってやって欲しい。その上で必要があれば問題を解決して欲しいのだ」

 何故煬鳳ヤンフォンたちが言い合いの最中に特別に面会を許可された理由、それは雑用をついでに押し付ける為だったのだ。

(つまり、たまたま凰黎ホワンリィが行きたいって言った場所で助けてくれって連絡がきたもんだから、体よく凰黎ホワンリィに厄介事を任せようってことか)

 体のいい話ではあるが、誰かに対する紹介状や許可などはそう簡単に貰えるものではないことはよく分かっている。無理だろうと思っていた神医への紹介状は有り難いが、いっしょについてきた『困ったこと』というものがどれほどの厄介なことなのか。それだけが心配の種ではある。
 煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィの様子を見てみたが、いつも通りの凰黎ホワンリィだ。

「どうだ、頼まれてくれるか」

 盟主の顔からは断られるとは微塵も思っていないことが窺える。凰黎ホワンリィはにこやかにほほ笑み、両手を前で合わせると、優雅に一礼した。

「願ってもないことです、盟主様。謹んでお受けいたします」

 やっぱりな、と思うしかない。
 凰黎ホワンリィはそういう男なのだ。

    * * *

 瞋九龍チェンジューロンには『後ほど必要な物を届けさせるから、客棧きゃくさん[*1]で待つように』と言われ、煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィと共に五行盟ごぎょうめいから指定された客棧きゃくさんの一室で連絡を待つことにした。決して高級な客棧きゃくさんというわけではないが、こざっぱりながらも清潔感あるしつらえで悪くない。もしも今日、ここに泊まるのだとしたら、二人で華やかな夜景でも楽しむことができるだろうか。

 案内された部屋に荷物を降ろし、寝台に体を預けていると凰黎ホワンリィが隣に腰かけた。

「先ほどの盟主様は火行瞋砂門しんしゃもん掌門しょうもんで名を瞋九龍チェンジューロン。少々気分屋で激しい気性の持ち主ですが、機嫌さえ損なわなければ良いように取り計らってくれることもある、気分屋ですが豪快な御方です」

 凰黎ホワンリィの言葉に思わず煬鳳ヤンフォンは体を起こす。

「それでさっきは文句も言わずに向こうの頼みを聞き入れたってこと?」
「そう。こちらの願いを二つとも聞いて下さるのですから、お願い事の一つくらい聞いてあげないといけませんからね」

 煬鳳ヤンフォンは納得がいかなかった。しかし凰黎ホワンリィの言うことはもっともだ。
 ちょうど面倒事を押し付ける良い相手だと思ったのか、それともついでに頼んでやってもらおうと思ったのか。とにかく相手は忙しい最中において快く煬鳳ヤンフォンたちの頼みを聞き入れてくれた。

 しかも二つも。
 先ほどの大混乱ぶりから考えればかなり無理をして時間を作ってくれたのだとわかる。……であるならば、彼の願いを聞き入れるのは道理であるといえよう。

「でも、なんであんなに皆ピリピリしてたんだ? 緊急事態って、一体何だったんだろうな」

 煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィは今朝早く小屋を出て犀安さいあんに向かった。途中船に乗ることもあったが、それでも皆が騒ぐような出来事はなかったはずだ。

「昨晩、冽州れいしゅうで地震があったようだ」

 突然見知らぬ声が聞こえたので、反射的に煬鳳ヤンフォンは身構えようとした。

「待って」

 凰黎ホワンリィがそれを手で制す。表情から察するに、二人は全くの見知らぬ間柄でもないらしい。が、凰黎ホワンリィの瞳は微かに揺れていて、明らかに動揺していることが分かる。一体どうしたのだろうか――そう思って声を掛けた主を見た瞬間に煬鳳ヤンフォンには不思議な感覚を覚えた。

 煬鳳ヤンフォンたちに声をかけてきたのは凰黎ホワンリィよりも背の高い男。黒衣に身を包み、煬鳳ヤンフォンたちの目の前に男は佇む。長い髪を高く結いあげ、美しい銀の髪飾りを頂くその佇まいは、それだけで人々の視線を引き寄せることだろう。絹のように艶やかな男の唇には微かな笑みが浮かび、まるで月虹が現れたかのように見える。

 端的に言うなら――美しい。
 恐らく彼の素顔も美しいのだろう、と煬鳳ヤンフォンは思った。
 何故おそらくなのかというと、男は仮面をつけていて素顔が分からなかったからだ。しかし、纏う雰囲気だけでもそうなのだから、素顔も当然美しいに違いないと確信を持って思える。
 それほどには、その男は鮮烈な印象を煬鳳ヤンフォンの記憶に残したのだった。

煬鳳ヤンフォン

 男が煬鳳ヤンフォンの名を呼んだ。
 思えば五行盟ごぎょうめいの本部において、煬鳳ヤンフォンのことを知る者は殆どおらず、知っていても煬鳳ヤンフォン煬鳳ヤンフォンであるとは気づくものはいなかった。

 ――ならば、今呼んだのは一体誰なのか?

 男は煬鳳ヤンフォンのことをじっと見つめている。
 変な奴に見られたら睨みつけてやるところなのだが、煬鳳ヤンフォンは何故か男のことを睨みつけてやる気にはなれなかった。
 凰黎ホワンリィはまだ男に何も言ってはいない。
 このまま何も言わないつもりなのだろうか……そう思っていた矢先に凰黎ホワンリィが深い溜め息をついた。

「貴方が五行盟ごぎょうめいの使いを請け負うなんて、珍しいこともあるものですね。鸞快子らんかいし
鸞快子らんかいし?」

 凰黎ホワンリィは頷く。

「そう。むかし蓬静嶺ほうせいりょうの客卿として滞在していたことがある方です」

 そう言って凰黎ホワンリィがチラリと鸞快子らんかいしと呼んだ男を見ると、男は小さく肩を竦める。ソツのない二人のやり取りを見るに、どうやらそれなりに付き合いのあった仲のようだ。

(二人は一体どんな関係なんだろ……)

 特別仲が良さそうには見えないが、二人の間には何か因縁めいたものがあるように感じられる。それが何なのかは分からないが、いつも他人には笑みを崩さない凰黎ホワンリィが笑顔を見せずに相対する相手というのは初めてかもしれない。

鸞快子らんかいしだ。今は五行盟ごぎょうめいの本部に滞在して、盟主の手伝いなどを行っている」

 鸞快子らんかいし煬鳳ヤンフォンの前まで歩み寄ると、手を差し出した。

「お、俺は……」
煬鳳ヤンフォン。……ちょうど部屋に入る前に聞こえた」
「……」

 煬鳳ヤンフォンは咄嗟にその手を取ったのだが、暫く待ってみても鸞快子らんかいし煬鳳ヤンフォンの手を放す気配は無い。どうにも距離の取りづらい相手だ。煬鳳ヤンフォンはどうしたら良いか分からずに凰黎ホワンリィに助けを求めた。
 凰黎ホワンリィは小さく溜め息をひとつ、そして鸞快子らんかいしの手を煬鳳ヤンフォンから引っぺがす。鸞快子らんかいしが残念そうに小さく口を動かしたが、凰黎ホワンリィは見ないふりをしたようだ。

「それで、盟主様に頼まれたものを届けに来たのでは?」
「そうだった。盟主様からの紹介状と清林峰せいりんほうへの通行許可だ。清林峰せいりんほうへの道には許可なきものを入れぬために迷陣が敷いてある。入り口にいる門番に証を見せれば通ることができよう」
「盟主様に感謝いたします」

 棘のある言い方をした凰黎ホワンリィに気分を害する様子もなく、鸞快子らんかいしは懐から取り出した箱を手渡した。憮然とした顔で受け取った凰黎ホワンリィに、鸞快子らんかいしの肩が微かに揺れる。
 不思議な関係だ――今まで煬鳳ヤンフォンが見た事もない表情を凰黎ホワンリィが彼には見せていて、それが何だか少し羨ましくも思う。

「そうだ。さっき冽州れいしゅうで地震があったって言ってたな。たかだか地震くらいで五行盟ごぎょうめいがあれほど慌てるもんか?」

 地震なら無いわけでもない。しかし盟主と共にいた者たちの慌てぶりは尋常ではなかった。普通の地震ではないのではないか、と煬鳳ヤンフォンは思う。
 鸞快子らんかいしはさもありなん、とでもいうように腕を組むと、頷いた。

「地震によって揺爪山ようそうざんの金鉱が崩れ、内部に閉じ込められてしまった者たちがいるという報せが五行盟ごぎょうめいに届けられた。先程は救出に誰を派遣するかで揉めていた、ということらしい」
「岩崩れで生き埋めならば、一刻の猶予もならぬのではないですか?」
「その通り。しかし、ことが起こったのは――容易に辿り着くことの難しい厄介な場所であったために、みな二の足を踏んでいる。つまり誰も進んでは行きたがらないというわけだ」
冽州れいしゅう睡龍すいりゅうの最北端の地。例年通りであれば今の揺爪山ようそうざんには雪が積もっているはずでしょう。しかも冽州れいしゅうの中でも揺爪山ようそうざんはとりわけ険しい場所で近隣の者ですら二の足を踏む厄介な場所です。……土の門派である雪岑谷せきしんこくすら渋ったのも分かる気がしますね」

 鸞快子らんかいしの言葉に凰黎ホワンリィは難しい表情だ。どうやら煬鳳ヤンフォンには分からない、複雑な事情があるらしい。

「岩崩れが起きた場所は……恒凰宮こうおうきゅうからそう遠くない。ゆえに案内役として彼らに同行を求めるようだ。あわよくば『原始の谷』のことでも聞くつもりなのだろう」
「……そうですか」

 凰黎ホワンリィは眉間に皺を寄せた。鸞快子らんかいしと話しているとき、凰黎ホワンリィは終始難しい顔をしっぱなしだ。煬鳳ヤンフォンには分らぬ彼の悩みがあるのだろうか。煬鳳ヤンフォンは考えた。
 しかし、知らないことをあれこれ推測しても答えが出るはずもない。さほど時間のたたぬうちに煬鳳ヤンフォンは考える事を諦めた。
 難しい顔しか見せない凰黎ホワンリィを見かねて煬鳳ヤンフォンは二人の間に割って入る。

「ちょっと待った! 恒凰宮こうおうきゅうってどこの門派だ? 五行盟ごぎょうめいと関係あるのか?」
恒凰宮こうおうきゅうの歴史は五行盟ごぎょうめいより古く、かつては対なる翳冥宮えいめいきゅうと共に『恒翳双宮』と呼ばれていた。恒翳双宮は五行盟ごぎょうめいと対等な関係にある門派ではあるが、直接的な関係はない。しかい五行盟ごぎょうめい同様に恒凰宮こうおうきゅうも重要な役割を持っている」
「重要な役割?」

 この世にはどれだけ『使命』やら『役目』を持った門派があるのだろうか。煬鳳ヤンフォンなど玄烏門げんうもんにやってきて十数年、掌門しょうもんになって数年になるが、そんなこと考えたこともない。

「そう。恒凰宮こうおうきゅうは長きにわたり原始の谷を守る役目を負っている」

 おかしな話だと、煬鳳ヤンフォンは思った。なぜなら原始の谷というのは、まことしやかに語り継がれる『むかしばなし』に出てくる存在だからだ。


 ――むかしむかし、ある貧乏な男がきらきらと光る谷を見つけた。そこには初めて目にするような美しい宝石が沢山あった。たいそう喜んだ男が、光る宝石を持ち帰ろうと手に取ったところ、天罰に当たって死んでしまったという。


 何の面白みも無い話なのだが『綺麗なものに手を出すな』という教訓として語り継がれているようだ。少なくとも煬鳳ヤンフォンはそのような谷の話を聞いたこともないし、見たところで悪いことが起こる予感しか感じられない。

「じゃあ、玄烏門げんうもんの使命は何だ?」

 そこまで考えてふと思い立ち、煬鳳ヤンフォンは尋ねてみた。

玄烏門げんうもん五行盟ごぎょうめいとも恒翳双宮とも全く無関係の無名の門派。残念ながらその他大勢、とでもいったところかと」

 静かに語る鸞快子らんかいしだが、口調の端々から笑いを堪えているように思える。

(こいつ、俺のこと絶対馬鹿にしてるだろ!?)

 いつか絶対驚かせてやる、そう心に決める煬鳳ヤンフォンだった。

――――――
[*1]客棧……宿
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