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天魔波旬拝陸天(魔界の皇太子)
083:黒冥翳魔(一)
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次の日、朝餉を終えた煬鳳は拝陸天に黒冥翳魔を説得させて欲しいと頼み込んだ。
「協力するように説得するから牢から出すことを許して欲しいとな。……あやつは魔界の罪人としてはまだ登録されておらず、ここにいるのを知っているのも屋敷に関わる者たちだけだ。だから出そうと思えば出すことはそう難しいことではない。ただ……」
拝陸天は険しい顔つきになる。
「奴は小鳳を傷つけようとした。それに、ともすると我を忘れ暴れてしまいそうな危うさを秘めている。あのような不安定な状態で、とても説得の言葉を聞くとは思えぬが?」
彼の言うことは当然だ。昨日の黒冥翳魔は煬鳳たちから見ても、危うい状態だったと思う。ただ、彼を説得するのは今このときが絶好の機会である、そう直感した。
「殿下。小鳳を危険に晒すようなことは絶対にいたしません。もしも黒冥翳魔が口先だけで協力するようなそぶりを見せたときは絶対に牢から出すような真似はしないと誓います。そのうえで、どうか寛大なご厚情を賜りたく」
サラッと『小鳳』と凰黎が呼んだことを、煬鳳は聞き逃さない。恐らくは拝陸天に合わせたのだろうが、今度は二人きりの場所で呼んで欲しい……などとついつい考えてしまった。
二人とも煬鳳のそんな不埒な思いは露知らず、真剣に黒冥翳魔を牢から出すかで悩んでいる。
「――分かった」
静かに拝陸天の声が響く。どうやら煬鳳たちの願いは聞き届けられたようだ。
「しかし絶対に危険な状態であやつを外には出さぬこと。それに、もしも共に連れて歩く場合は、必ず見張りとして金貪と銀瞋も連れて行く。これだけは徹底すること」
「承知いたしました、殿下のご恩情に感謝いたします」
凰黎はすぐさまそう言うと、拝陸天に最高の敬意を表した。
「それから、これは老婆心からの助言だ。小鳳が私の甥であることは暫くは内密にしておいたほうが良い。いいずれ時がくれば、私のほうから大々的に紹介するつもりだ」
「いやいや! 俺は別に紹介はされなくていいよ! 注目されるならもっと別のことで注目されたいし」
「そうか? 小鳳がそのように申すのならばそれでも構わぬ。知っての通り、いま魔界の治安は良いとは言えぬ。もしもそんな折に皇家の血筋のものがいると分かれば、必ず狙う者が出てくるだろう。それに……言いたくはないが、父上は野心が強いお方だ。自らを脅かす存在を許してはおくまい。……私も奴にとっては排除すべき一人であるから、よく分かっているつもりだ」
煬鳳はこんなにも拝陸天に歓迎されたというのに、彼の父である皇帝は拝陸天のことも、そして彼の妹の息子である煬鳳のことも良くは思っていないのか。
煬鳳はまだ魔界に来て日も浅い。両親のことが分かったのは嬉しかったし、このさい皇帝には嫌われようとも構わない。しかし、孫も息子も邪魔に思う皇帝とは、一体どれほど冷たい人間なのだろうか。
何より、叔父である拝陸天はこれほどまでに煬鳳のことを想い、大切にしてくれる。それなのに、その拝陸天自身は祖父である皇帝は排除すべき存在だと思われている。そんな彼の心中を思うと、やはり心穏やかではいられなかった。
「そう気を落とさないでくださいまし、小鳳坊ちゃま。きっとあなたのひいお爺様……先帝がご存命でおられたら、きっと小鳳坊ちゃまがご無事であったことをお喜びになったことでしょう」
場の空気を察して翁汎がすかさず二人に声をかけてくれた。
「おお、そうだ! 先帝で思い出したのだが……実は小鳳に渡したいものがある」
「渡したいもの?」
「そうだ。……劉鋼雲。あれを」
拝陸天は傍に控えていた劉鋼雲に声をかける。劉鋼雲は「すぐに」と立ち上がると、庭のほうへと姿をけした。
「小鳳。そなたに持っていてもらいたい物がある。今まで私が離宮で保管していたものだ」
一体なにかと思いきや、戻ってきた劉鋼雲が持っていたのは鞘に収まった一振りの剣。しかも、大層美しい装飾の施された剣だった。鞘には皇家を思わせる龍が描かれていて、ところどころに宝石が埋め込んである。明らかに煬鳳が持つには過ぎる代物だ。しかし拝陸天はそれを手に取ると、煬鳳の手に握らせる。
「これは『永覇』といって、先帝がお作りになった剣だ」
「先帝? ってことは?」
「小鳳のひいお爺様だ。……その剣はまだ一度も使われてはいない。なぜなら元は祭祀のために作られたものだからだ。しかし、魔界において最高の名匠が鍛造した剣であり、出来栄えは折り紙付き。更にその剣身は神羅石でできている」
「神羅石で!?」
神羅石といえば、煬鳳の持っていた香包に入っていたあの鉱石だ。珍しいとは聞いていたが、そこまで価値のあるものだったとは、と煬鳳は舌を巻く。
「そう。神羅石は魔界のなかでは最高峰の硬度を持つ鉱石で、同時に霊力を蓄える力を秘めている。本来は皇帝陛下より処分するようにとの命令が出ていたものなのだが、先帝の御意志を無視するような行いは納得できず、私が秘密裏に持ち出したものなのだが……きっと小鳳を守ってくれるだろう。だからこの剣を持っていて欲しい。小鳳のひいお爺様もきっとそのように願うはず」
「でもそんな大変な物を貰うなんて……」
正直にいえば、貴重な物を取り扱える自信が煬鳳には無かった。うっかり雑に扱って壊してしまったらかなりまずい。
煬鳳の背に誰かの手が触れた。
「凰黎」
それは凰黎だ。凰黎は煬鳳の肩を抱くと、「せっかくの殿下のご厚意です。有り難く頂きましょう」と煬鳳に言った。
「凰殿の言う通りだ。どうか私の誠意と思って遠慮せず受け取って欲しい。そのほうがお前のひいお爺様も喜ぶだろう」
促されるがままに拝陸天から剣を受け取る。ずしりとした重さを腕に感じ、改めてまじまじと剣を見た。魔界にしか存在しない『神羅石』で造られていると言っていたが、体に流れ込んでくる力が煬鳳自身の体の奥底から流れる血潮を熱く滾らせるような、不思議な感覚があった。
「神羅石には引き付け、呼び合う性質がある。例えば、皇家の血がそうであったように。力の強いものが扱い願えば幸運も不運も望んだ未来を手に入れることができる……と伝えられてはいるが、あくまでこれは伝説の話。まぁ本当のところは祭祀用の少し盛った内容だ」
敢えて盛ったことを説明するより、初めから言わないでおいたほうが良かったのでは、とも思ったがこの叔父はどうしても甥に色々剣について説明をしたかったらしい。
あ、と凰黎が思いついたように手を叩く。
「ああ、それで煬鳳の母君は神羅石に息子の名前を彫られたのですね」
「あ……そういうことだったのか……?」
何故母が貴重な鉱石に名前を彫ったのか。てっきりただの記念かと思っていたが、臨んだ未来を手に入れる――伝承にしても、皇家ならばよりその話を聞くことは多いだろうし、彼らの血は神羅石に反応する。だからより伝承を信じる思いが強かったのかもしれない。
「その通り。元々魔界の貴族たちの間でも神羅石に見立てた石に名前を彫って生まれた赤子が健やかであるよう願いを込める、ということが行われている。ゆえに泉美は小鳳のために本物の神羅石を使って願いを込めたのであろうな」
「そっか……」
何故石に名前を彫ってくれたのだろうかとずっと思っていたのだが、あの石にはそのような伝承があったのか。ようやく胸に抱いていた謎が解け煬鳳はふっと頬を緩めた。
「有り難う、大切にする」
まだ叔父ほど素直にはなれないが、もう一度煬鳳は拝陸天への感謝の言葉を口にした。
「そうそう。子供は素直が一番だ」
「……」
子供ではないのだが、と思ったが拝陸天があまりにも満足げなので煬鳳は言うのを止める。先代とはいえ皇帝の剣ともなれば相当貴重で、本来ならばいくら血族であったとしても煬鳳のようなものが持つべきものではない代物のはずなのだ。それを押し付ける勢いで快く渡してくれる、叔父の真心が分からない煬鳳ではない。それから、あの神羅石に込められた母の願いも。
「このまま持ち歩いては狙ってくれというようなものですね。……装飾の見える部分は布で巻いて隠してしまいましょうか」
煬鳳の持つ永覇を見定めながら、凰黎が言った。
すぐさま翁汎が「それが良いでしょう」と同意すると、侍従の娘に黒布を持ってこさせ、細く長く切り裂いた。ぐるぐると黒布を柄の部分と鞘にそれぞれ巻きつければ、先ほどまでの威厳ある剣の面影はない。
「剣の部分にはまやかしの呪符を巻いて皇家の紋章が見えないように工夫しましょう」
最後に凰黎が剣身に呪符を貼り付けると、拝陸天がそこに霊力を込めた。皇太子の霊力が込められた呪符ならば効果は相当高いはず。
「みんな、有り難う」
剣を背負うため背中から回した紐を凰黎に結わって貰いながら、煬鳳は感謝の言葉を告げる。ここ暫くの間、五行盟のごたごたもあって嫌な思いをすることも多かった。だから、こんなにも暖かく歓迎されたことが嬉しくて仕方がない。
緩む口元を隠すように俯いていると、凰黎に両頬を抑えられた。
「っ!?」
ぐいっと顔を上げさせられると「その笑顔を皆に見せてあげましょうね?」と意地悪な笑顔で笑われる。
恥ずかしいから見せたくなかったのに!と暴れるが、やっぱりびくともしない。拝陸天はそんな煬鳳を見て満足そうに何度も頷いている。
(凰黎は……こういうときはちょっと意地悪だ!)
そんな心の叫びは口から出ることはなく、煬鳳以外に誰一人、知ることはなかった。
ひとしきり煬鳳と戯れて満足した拝陸天は、公務をすべく王宮へと戻っていった。
「皇帝陛下のことは色々思うところがある。しかし、だからといって公務を疎かにしては国が回らなくなってしまうからな」
皇太子というものは、やはりそれなりの責任がつきまとうものらしい。つくづく尊い身分でなくて良かったと安堵する煬鳳だが、それにしても叔父である彼の責任の大きさはいかほどなのかとも考える。
「九十一の国を纏めるって、どんな感じなんだろう」
「纏めることがほぼ不可能、と思って良いのではないでしょうか」
「だよなあ……」
妹も亡く、父とは折り合いが悪い。そんな中で国の平和を必死で考える拝陸天。彼のような人物が代表として恒凰宮と共に翳冥宮の復興を手助けしてくれたら、きっと全てがうまくいくことだろう。
問題は、現在の皇帝はそういったことを聞き届けて貰える人物ではなさそうだ、というところだが。
「爺さん、地下牢に閉じ込めてある奴のことだけど……」
暫くあれこれと考えを巡らせたあと、やはり黒冥翳魔と話をしようと思った煬鳳たちは、翁汎に話しかけた。
「あの罪人と話をされるおつもりですか? 殿下からお話は伺っておりますが、牢から出すことだけは、どうか慎重にお考えください」
「もちろん、そこは凰黎に任せるから大丈夫だよ」
翁汎はそれでも黒冥翳魔の牢屋に煬鳳たちを連れて行くことを躊躇っていたが、既に拝陸天とも話はついていたため、素直に牢屋へと案内することを承諾した。
「協力するように説得するから牢から出すことを許して欲しいとな。……あやつは魔界の罪人としてはまだ登録されておらず、ここにいるのを知っているのも屋敷に関わる者たちだけだ。だから出そうと思えば出すことはそう難しいことではない。ただ……」
拝陸天は険しい顔つきになる。
「奴は小鳳を傷つけようとした。それに、ともすると我を忘れ暴れてしまいそうな危うさを秘めている。あのような不安定な状態で、とても説得の言葉を聞くとは思えぬが?」
彼の言うことは当然だ。昨日の黒冥翳魔は煬鳳たちから見ても、危うい状態だったと思う。ただ、彼を説得するのは今このときが絶好の機会である、そう直感した。
「殿下。小鳳を危険に晒すようなことは絶対にいたしません。もしも黒冥翳魔が口先だけで協力するようなそぶりを見せたときは絶対に牢から出すような真似はしないと誓います。そのうえで、どうか寛大なご厚情を賜りたく」
サラッと『小鳳』と凰黎が呼んだことを、煬鳳は聞き逃さない。恐らくは拝陸天に合わせたのだろうが、今度は二人きりの場所で呼んで欲しい……などとついつい考えてしまった。
二人とも煬鳳のそんな不埒な思いは露知らず、真剣に黒冥翳魔を牢から出すかで悩んでいる。
「――分かった」
静かに拝陸天の声が響く。どうやら煬鳳たちの願いは聞き届けられたようだ。
「しかし絶対に危険な状態であやつを外には出さぬこと。それに、もしも共に連れて歩く場合は、必ず見張りとして金貪と銀瞋も連れて行く。これだけは徹底すること」
「承知いたしました、殿下のご恩情に感謝いたします」
凰黎はすぐさまそう言うと、拝陸天に最高の敬意を表した。
「それから、これは老婆心からの助言だ。小鳳が私の甥であることは暫くは内密にしておいたほうが良い。いいずれ時がくれば、私のほうから大々的に紹介するつもりだ」
「いやいや! 俺は別に紹介はされなくていいよ! 注目されるならもっと別のことで注目されたいし」
「そうか? 小鳳がそのように申すのならばそれでも構わぬ。知っての通り、いま魔界の治安は良いとは言えぬ。もしもそんな折に皇家の血筋のものがいると分かれば、必ず狙う者が出てくるだろう。それに……言いたくはないが、父上は野心が強いお方だ。自らを脅かす存在を許してはおくまい。……私も奴にとっては排除すべき一人であるから、よく分かっているつもりだ」
煬鳳はこんなにも拝陸天に歓迎されたというのに、彼の父である皇帝は拝陸天のことも、そして彼の妹の息子である煬鳳のことも良くは思っていないのか。
煬鳳はまだ魔界に来て日も浅い。両親のことが分かったのは嬉しかったし、このさい皇帝には嫌われようとも構わない。しかし、孫も息子も邪魔に思う皇帝とは、一体どれほど冷たい人間なのだろうか。
何より、叔父である拝陸天はこれほどまでに煬鳳のことを想い、大切にしてくれる。それなのに、その拝陸天自身は祖父である皇帝は排除すべき存在だと思われている。そんな彼の心中を思うと、やはり心穏やかではいられなかった。
「そう気を落とさないでくださいまし、小鳳坊ちゃま。きっとあなたのひいお爺様……先帝がご存命でおられたら、きっと小鳳坊ちゃまがご無事であったことをお喜びになったことでしょう」
場の空気を察して翁汎がすかさず二人に声をかけてくれた。
「おお、そうだ! 先帝で思い出したのだが……実は小鳳に渡したいものがある」
「渡したいもの?」
「そうだ。……劉鋼雲。あれを」
拝陸天は傍に控えていた劉鋼雲に声をかける。劉鋼雲は「すぐに」と立ち上がると、庭のほうへと姿をけした。
「小鳳。そなたに持っていてもらいたい物がある。今まで私が離宮で保管していたものだ」
一体なにかと思いきや、戻ってきた劉鋼雲が持っていたのは鞘に収まった一振りの剣。しかも、大層美しい装飾の施された剣だった。鞘には皇家を思わせる龍が描かれていて、ところどころに宝石が埋め込んである。明らかに煬鳳が持つには過ぎる代物だ。しかし拝陸天はそれを手に取ると、煬鳳の手に握らせる。
「これは『永覇』といって、先帝がお作りになった剣だ」
「先帝? ってことは?」
「小鳳のひいお爺様だ。……その剣はまだ一度も使われてはいない。なぜなら元は祭祀のために作られたものだからだ。しかし、魔界において最高の名匠が鍛造した剣であり、出来栄えは折り紙付き。更にその剣身は神羅石でできている」
「神羅石で!?」
神羅石といえば、煬鳳の持っていた香包に入っていたあの鉱石だ。珍しいとは聞いていたが、そこまで価値のあるものだったとは、と煬鳳は舌を巻く。
「そう。神羅石は魔界のなかでは最高峰の硬度を持つ鉱石で、同時に霊力を蓄える力を秘めている。本来は皇帝陛下より処分するようにとの命令が出ていたものなのだが、先帝の御意志を無視するような行いは納得できず、私が秘密裏に持ち出したものなのだが……きっと小鳳を守ってくれるだろう。だからこの剣を持っていて欲しい。小鳳のひいお爺様もきっとそのように願うはず」
「でもそんな大変な物を貰うなんて……」
正直にいえば、貴重な物を取り扱える自信が煬鳳には無かった。うっかり雑に扱って壊してしまったらかなりまずい。
煬鳳の背に誰かの手が触れた。
「凰黎」
それは凰黎だ。凰黎は煬鳳の肩を抱くと、「せっかくの殿下のご厚意です。有り難く頂きましょう」と煬鳳に言った。
「凰殿の言う通りだ。どうか私の誠意と思って遠慮せず受け取って欲しい。そのほうがお前のひいお爺様も喜ぶだろう」
促されるがままに拝陸天から剣を受け取る。ずしりとした重さを腕に感じ、改めてまじまじと剣を見た。魔界にしか存在しない『神羅石』で造られていると言っていたが、体に流れ込んでくる力が煬鳳自身の体の奥底から流れる血潮を熱く滾らせるような、不思議な感覚があった。
「神羅石には引き付け、呼び合う性質がある。例えば、皇家の血がそうであったように。力の強いものが扱い願えば幸運も不運も望んだ未来を手に入れることができる……と伝えられてはいるが、あくまでこれは伝説の話。まぁ本当のところは祭祀用の少し盛った内容だ」
敢えて盛ったことを説明するより、初めから言わないでおいたほうが良かったのでは、とも思ったがこの叔父はどうしても甥に色々剣について説明をしたかったらしい。
あ、と凰黎が思いついたように手を叩く。
「ああ、それで煬鳳の母君は神羅石に息子の名前を彫られたのですね」
「あ……そういうことだったのか……?」
何故母が貴重な鉱石に名前を彫ったのか。てっきりただの記念かと思っていたが、臨んだ未来を手に入れる――伝承にしても、皇家ならばよりその話を聞くことは多いだろうし、彼らの血は神羅石に反応する。だからより伝承を信じる思いが強かったのかもしれない。
「その通り。元々魔界の貴族たちの間でも神羅石に見立てた石に名前を彫って生まれた赤子が健やかであるよう願いを込める、ということが行われている。ゆえに泉美は小鳳のために本物の神羅石を使って願いを込めたのであろうな」
「そっか……」
何故石に名前を彫ってくれたのだろうかとずっと思っていたのだが、あの石にはそのような伝承があったのか。ようやく胸に抱いていた謎が解け煬鳳はふっと頬を緩めた。
「有り難う、大切にする」
まだ叔父ほど素直にはなれないが、もう一度煬鳳は拝陸天への感謝の言葉を口にした。
「そうそう。子供は素直が一番だ」
「……」
子供ではないのだが、と思ったが拝陸天があまりにも満足げなので煬鳳は言うのを止める。先代とはいえ皇帝の剣ともなれば相当貴重で、本来ならばいくら血族であったとしても煬鳳のようなものが持つべきものではない代物のはずなのだ。それを押し付ける勢いで快く渡してくれる、叔父の真心が分からない煬鳳ではない。それから、あの神羅石に込められた母の願いも。
「このまま持ち歩いては狙ってくれというようなものですね。……装飾の見える部分は布で巻いて隠してしまいましょうか」
煬鳳の持つ永覇を見定めながら、凰黎が言った。
すぐさま翁汎が「それが良いでしょう」と同意すると、侍従の娘に黒布を持ってこさせ、細く長く切り裂いた。ぐるぐると黒布を柄の部分と鞘にそれぞれ巻きつければ、先ほどまでの威厳ある剣の面影はない。
「剣の部分にはまやかしの呪符を巻いて皇家の紋章が見えないように工夫しましょう」
最後に凰黎が剣身に呪符を貼り付けると、拝陸天がそこに霊力を込めた。皇太子の霊力が込められた呪符ならば効果は相当高いはず。
「みんな、有り難う」
剣を背負うため背中から回した紐を凰黎に結わって貰いながら、煬鳳は感謝の言葉を告げる。ここ暫くの間、五行盟のごたごたもあって嫌な思いをすることも多かった。だから、こんなにも暖かく歓迎されたことが嬉しくて仕方がない。
緩む口元を隠すように俯いていると、凰黎に両頬を抑えられた。
「っ!?」
ぐいっと顔を上げさせられると「その笑顔を皆に見せてあげましょうね?」と意地悪な笑顔で笑われる。
恥ずかしいから見せたくなかったのに!と暴れるが、やっぱりびくともしない。拝陸天はそんな煬鳳を見て満足そうに何度も頷いている。
(凰黎は……こういうときはちょっと意地悪だ!)
そんな心の叫びは口から出ることはなく、煬鳳以外に誰一人、知ることはなかった。
ひとしきり煬鳳と戯れて満足した拝陸天は、公務をすべく王宮へと戻っていった。
「皇帝陛下のことは色々思うところがある。しかし、だからといって公務を疎かにしては国が回らなくなってしまうからな」
皇太子というものは、やはりそれなりの責任がつきまとうものらしい。つくづく尊い身分でなくて良かったと安堵する煬鳳だが、それにしても叔父である彼の責任の大きさはいかほどなのかとも考える。
「九十一の国を纏めるって、どんな感じなんだろう」
「纏めることがほぼ不可能、と思って良いのではないでしょうか」
「だよなあ……」
妹も亡く、父とは折り合いが悪い。そんな中で国の平和を必死で考える拝陸天。彼のような人物が代表として恒凰宮と共に翳冥宮の復興を手助けしてくれたら、きっと全てがうまくいくことだろう。
問題は、現在の皇帝はそういったことを聞き届けて貰える人物ではなさそうだ、というところだが。
「爺さん、地下牢に閉じ込めてある奴のことだけど……」
暫くあれこれと考えを巡らせたあと、やはり黒冥翳魔と話をしようと思った煬鳳たちは、翁汎に話しかけた。
「あの罪人と話をされるおつもりですか? 殿下からお話は伺っておりますが、牢から出すことだけは、どうか慎重にお考えください」
「もちろん、そこは凰黎に任せるから大丈夫だよ」
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