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実事求是真凶手(真犯人)

143:釜底抽薪(一)

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 次の日の朝早く、煬鳳ヤンフォンたちは恒凰宮こうおうきゅうをあとにした。凰神偉ホワンシェンウェイ翳黒明イーヘイミン小黄シャオホワンと共に原始の谷に行っている。ゆえに煬鳳ヤンフォンたちの見送りは燐瑛珂リンインクゥがしてくれた。

「二公子、そして皆さま。どうかお気をつけて」
「……兄上によろしくお伝え下さい」

 二公子と呼ばれ、既に蓬静嶺ほうせいりょうの養子となっている凰黎ホワンリィの心中は複雑なものだろう。燐瑛珂リンインクゥへの返事に少しだけ間があったことからも凰黎ホワンリィの戸惑いが読み取れる。
 しかし、同時に恒凰宮こうおうきゅうで兄と接する凰黎ホワンリィは以前よりも距離が縮まったようにも思えた。

(せっかく二人だけの兄弟なんだから、これからは時々はお互い行き来できるようになればいいけど……)

 凰黎ホワンリィの実の両親は既になく、唯一残っている肉親は兄だけ。物心つく前に両親を失った煬鳳ヤンフォンには兄弟がどれほど大切な存在か、少しは分かるつもりだ。

 しかし、凰黎ホワンリィがそうするためには――あの蓬莱ほうらいの存在が障害になるだろう。
 いつかどうにかしてやりたい。方法はまだ思いつくことはないけれど。

燐瑛珂リンインクゥ

 多少の名残惜しむ時間が終わり、いざ出立のときになって煬鳳ヤンフォン燐瑛珂リンインクゥに呼びかけた。

ヤン殿、いかがされましたか?」
「うん。もし小黄シャオホワンが戻ってきたら『あとで必ず迎えに行くから』って伝えておいて欲しいんだ」
「承知いたしました」

 煬鳳ヤンフォンの頼みを燐瑛珂リンインクゥはすぐさま承諾してくれた。彼は淡々とした性格だが、しっかりした男だ。宮主ぐうしゅ不在の恒凰宮こうおうきゅうの留守を任される程には実力も冷静さも兼ね備えている。きっと小黄シャオホワンが戻ってきたら忘れずに伝えてくれるに違いない。

「有り難う。じゃ、よろしく頼む」

 煬鳳ヤンフォンはそう言うと、鸞快子らんかいしの方を見る。
 あとは二人の挨拶が済めば、いつでも犀安さいあんのある垂州すいしゅうへと出立できるのだ。

 鸞快子らんかいしは既に重明鳥ちょうめいちょう瓊瑤チョンヤオを呼んでいて、瓊瑤チョンヤオ鸞快子らんかいしと久しぶりの逢瀬を楽しんでいるようだ。とても尊い鳥だという瓊瑤チョンヤオだが、鸞快子らんかいしの前では好意を隠す様子は無い。鸞快子らんかいしの肩にもたげた首を載せ、鸞快子らんかいしもそんな彼女の頭を優しく受け止め撫でている。

 ……ここまで重明鳥ちょうめいちょうに愛を傾けられる人物が他にいるだろうか。
 彼こそまるで神に選ばれたような男だと、瓊瑤チョンヤオ鸞快子らんかいしの邂逅を見て煬鳳ヤンフォンは思った。

小鳳シャオフォン、ひいお爺様の永覇ヨンバが必ずお前を守ってくれる。どうか気を付けて行きなさい」

 先ほどからずっと名残惜し気に煬鳳ヤンフォンの姿を見ていた拝陸天バイルーティエンだったが、ようやく別れの言葉を言う決意を固めたようだ。
 もちろん、別れといったって一時的なもの。また必ず会えるはずなのだ。

永覇ヨンバはこの前も翳冥宮えいめいきゅうで俺のことを助けてくれたよ。有り難う、陸叔公りくしゅくこう
「あああ、無理をして駆け付けたというのに、見送らねばならぬなど……寂しい!」

 堪らず拝陸天バイルーティエン煬鳳ヤンフォンを抱きしめる。くすぐったいが、心の底から愛おしい。

「俺だって寂しいよ。……でもそろそろ行かなきゃ。火龍のことは不安だけど……」
「もしも小鳳シャオフォンに危険が迫ったら、私が火龍を仕留めてみせる!」
「それは駄目だ! 仕留めたら色々あとが大変だから! せめて気づかれないように仕留めてくれ!」
「む、そうか」
「……」

 睡龍すいりゅうからあからさまに龍が消えてしまったら、色々外圧が面倒になる。それだけはゆめゆめ忘れないようにしなければ。

「もう、とにかく俺は行くから。小黄シャオホワンのことも頼んだよ」
「任せて欲しい」

 胸を張って拝陸天バイルーティエンは大きく頷き、そして煬鳳ヤンフォンに微笑んだ。
 煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィに「ごめん、待たせたな」と言って謝ると、凰黎ホワンリィは「大丈夫ですよ」と笑顔を見せる。――きっと原始の谷にいる兄のことを重ねていたのだろう、煬鳳ヤンフォンはそう感じた。

「陛……煬六郎ヤンリウラン殿、それでは失礼いたします」
小鳳シャオフォンを頼むぞ、ホワン殿」

 拝陸天バイルーティエンの言葉に凰黎ホワンリィは強く頷き、そして煬鳳ヤンフォンを見る。煬鳳ヤンフォンはそんな凰黎ホワンリィに頷き返し彼の手を取ると、二人連れ立って鸞快子らんかいしの元に向かった。

    * * *

 盈月楼えいげつろうにやってきたのは久方ぶりだ。精巧な翹角の輪郭や鮮やかな緑が空からでもよく見える。庭園には蒼翠欲滴の草木で美しく彩られ、まさに青山綠水せいざんりょくすいを体現しているといえよう。初めてやってきたときと同じように湖の水榭すいしゃでは数人の楽師たちが琵琶や筝を演奏していたが、瓊瑤チョンヤオの羽ばたきの音に気づいてすぐに煬鳳ヤンフォンたちを出迎えてくれた。

「旦那様、お帰りなさいませ」
「旦那様」
「奥でお休みになりますか? 茶と菓子をご用意いたします」

 女たちは代わる代わる鸞快子らんかいしに言葉をかける。
 しかし鸞快子らんかいしは、

「これから急ぎの用向きがある。気持ちだけ有り難く受け取っておこう」

 と言って彼女たちの好意を丁重に断ると、代わりに取り巻きの一人に尋ねた。

「そうだ、ここまで載せてくれた瓊瑤チョンヤオに礼がしたい。彼女の好きな果物はあるか?」

 鸞快子らんかいしの言葉を受けて、すぐに給仕の一人が建物の中に消えてゆく。ほどなくして彼女は籠いっぱいの瑞々しい桃を持ってきてくれた。どの桃も大きくて形が良く、傍にいるだけで芳醇な香りが伝わってくる。

(うわあ、桃だ……)

 無意識に顔をしかめそうになって、慌てて煬鳳ヤンフォンは頬を叩く。
 桃自体に全く罪はないのだが、蓬莱ほうらいの一件やら翳白暗イーバイアンのことなどもあって、すっかり桃を見ると仙界せんかいのことを思い出すようになってしまったのだ。風評被害も良いところだが。

瓊瑤チョンヤオ、いつも感謝している」

 どんな女性でも蕩けてしまいそうな美しい声で鸞快子らんかいし瓊瑤チョンヤオの口元に桃を運ぶ。嬉しそうに啄む瓊瑤チョンヤオを見ながら、本当に彼女は鸞快子らんかいしのことを慕っているのだと改めて思った。

(たぶん、瓊瑤チョンヤオは桃が好きなんじゃなくて鸞快子らんかいしが好きなんだろうな。だからきっと桃以外をあげても彼女は絶対喜んだに違いない)

 尊い鳥すら虜にする男、恐るべし。

 暫しそうやって一羽と一人だけの時間が過ぎてゆき、煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィの二人は給仕たちから茶と菓子を頂きながら彼らの時間が終わるのを待っていた。いかに煬鳳ヤンフォンたちが急いで五行盟ごぎょうめいに行きたいとは思っても、本来ならかなりの時間がかかるはずの恒凰宮こうおうきゅうから犀安さいあんまでの距離を、僅かな時間で煬鳳ヤンフォンたちを運んでくれた瓊瑤チョンヤオには、それくらいの権利はあるだろう。

 ひとしきり鸞快子らんかいしとの時間を堪能した瓊瑤チョンヤオは、嬉しそうに再び空へと帰っていった。

「待たせて済まなかったな、行こうか」

 瓊瑤チョンヤオを見送った鸞快子らんかいしはすぐさま煬鳳ヤンフォンたちの元に戻ってくる。時間としては数刻ほど。確かに急いではいるが、彼らの時間を渋るほど焦ってはいない。

「いや、瓊瑤チョンヤオには世話になったから。船で戻ってくる時間に比べたら、瓊瑤チョンヤオにお礼をする時間くらいどうってことないよ」
「そうですね。せっかくの彼女の好意ですから、誠意をもって感謝の気持ちを伝えることも大事かと」

 煬鳳ヤンフォンの意見に、凰黎ホワンリィも同意する。煬鳳ヤンフォンとしては待っている間に甘い物もご馳走になったので上機嫌だ。

「よし、じゃあ行こうぜ!」

 元気に煬鳳ヤンフォンがそう言うと二人は互いを見て、そして煬鳳ヤンフォンに頷いた。

    * * *

「あれ? どうしたんだ?」

 五行盟ごぎょうめい本部にやってきた煬鳳ヤンフォンたちだったが、入り口が妙に騒がしいことに気づいて足を止める。普段は開け放たれた大きな門の両脇に門番がいて、自分が何者であるかを告げれば大概すぐに中へと通してくれるのだが、今日は不思議なことに、門の周りに人だかりができていた。

『なんだか騒がしいな』

 煬鳳ヤンフォンの肩に留まる黒曜ヘイヨウは、目の前で起こっている光景を見ながら小声で囁く。

「何かあったのでしょうか……?」

 怪訝そうな顔で凰黎ホワンリィが人だかりの向こう側を観察しているが、結局なにも分からない。静かに首を振り、

「どうやら直接聞いてみるしかないようですね」

 と溜め息交じりに言った。

「一体何事だ?」

 進み出た鸞快子らんかいしが門番に尋ねる。鸞快子らんかいしは名目上五行盟ごぎょうめいに所属しているのだ。もちろん大概の門番たちとは顔見知りであるし、盟主の傍にいることの多い彼を見て門番たちも知らぬはずもない。
 門番たちは鸞快子らんかいしを見るなり姿勢を正し、拝礼をした。

「これは鸞快子らんかいし様! そ、それが……少し面倒なことがありまして」
「面倒なこと?」

 首を傾げた鸞快子らんかいしに、門番たちは「実は……」と言って視線を動かす。その視線の先にいるのは――見たこともない人物だ。

(誰だ?)

 厳かな佇まいと彼の纏う荘厳な法衣、そしてこれだけ沢山の人々に囲まれても湛然不動としている様子は、この人物が只者ではないことを物語っている。
 不思議なことだが、見ていると自ずと畏敬の念すら沸き起こってくるほどだ。

(この人、一体誰なんだ?)

 供をしている青年はおろおろしながら見回すばかりで、どうして良いか困っているらしい。時折男の顔を見て顔色を窺っている。

国師こくし殿……!」

 鸞快子らんかいしが小さく驚いた声をあげた。鸞快子らんかいしの声を聞いた煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィもまた、同じように驚いた声をあげる。

国師こくし!? あの!?」

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