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兄上は幽霊がお好き
03-10:恋実る(多分)
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「そういえば――どうして二の姫本人が幽霊の振りをしていると思ったんだ? もしかしたら、使用人の娘の可能性だってあったんじゃないか?」
後で銀に聞かれたのだが。
「しいて言うなら薫物、かな」
「薫物?」
二の姫は普段より自分の名を現す『梅香』の薫物を焚きしめていた。そしてそれは幽霊になった時も。だが、人々から聞こえてくる幽霊の話の中には『梅香』のことは全くといっていいほど聞こえてこなかった。
逆に弘継はよく覚えていたものだと思うほどだ。
……おそらく、あの香りは意図的ではなかったのだろう。
普段から二の姫が愛用していたからこそ、幽霊に化けた時にその香りがしたのではないかと思ったのだ。
かくして、幽霊騒ぎは収束する運びとなった。
思いがけず昂明の陰陽師としての評判は無駄に上昇し……陰陽寮に出仕するなり「お前、なんでも物の怪を退治したんだってな」と他の陰陽師達に詰め寄られたのだった。
そして弘継に限っては幽霊の顛末について、どうしても本当のことを話す必要があったのだが、それも問題はないだろう。
弘継は事情を知り、必ずこの秘密を守ることを固く誓ってくれた。もとより、恋い焦がれてどうにか想いを伝えたいと思った幽霊の正体が生きた姫君であり、更にその姫の心が自分に多少なり向いてくれるのだと分かったのなら――秘密を守らぬ理由などないわけがない。
その後は二の姫と文のやり取りをはじめ……それなりに二人の間も進展しているそうだ。
そうそう。もう一つ。
輝く君が二の姫を何故捨てたのか、について。
これは二の姫にも弘継にも言わなかったのだが、恐らく輝く君は彼女の事を捨てたつもりはないのだろうと思う。
単に通う姫が多すぎて忘れていたのではないか。
しかしそんな事を言っても誰の為にもならない気がするので、自分の心の中にだけしまっておくことにしたのだった。
* * *
それから弘継はまた多忙な日々に逆戻りをすることになった。もとより先日までが無理をして邸に戻っていたのだ。出世を差し引いても、やはり検非違使という仕事は一筋縄ではいかないらしい。
しかし、念願の想い人と心を通わすきっかけも得て、仕事に一層張り合いが出たようだ。以前に増して仕事に赴く兄の顔は生き生きとしている。
「昂明」
暫くぶりに戻ってきた弘継が、昂明を呼ぶ。どうしたのかと思って聞き返してみれば、
「あの娘はどうした?」
と言う。
「兄上、桜なら今銀と一緒に庭で遊んでますよ」
「そうか……」
どことなくそわそわとした弘継の姿。一体どうしたのかと思い、昂明は尋ねる。
「何か桜に用事でもありましたか?」
「いやなに。その、此度の一件ではあの娘に……桜に随分と助けられたそうだな」
「ええ、そりゃあもう」
確かに弘継に報告した際、桜の粘りと熱意のお陰で一の姫の心が動いたこと。それに『梅花』の薫物の香りのこと。とにかく桜が大活躍だったと説明をしたのだ。
「それでな、桜に何か礼をしたいと思ったのだ。昂明、何か良い案はないか」
昂明も銀も、一度だって弘継に例など貰ったことが無い。その弘継が桜に礼をしたいなどと……余程嬉しかったのだろう。
もとよりただ働きだと思っていたものだから、正直驚いた。
しかし、桜に贈り物となると一体何が良いのやら。
元々貴族の娘だろうし、華やかな衣を貰うのもこの邸においては意味がない。ならば一体何が良いのだろうか。
そう考えて一つだけ思い出す。
「それなら……」
邸の中でも無駄にならず、そして桜が喜びそうなもの。
それは……。
「きゃーっ!」
弘継が桜にと持ち帰った包み。その中身を見るなり桜が飛び跳ねた。
「本当に、本当にいいの?」
「勿論。桜がいなかったらきっと私の想いが一の姫に伝わることはなかったのだ。今の私がこうして幸せでいられるのも、全て桜のお陰だ」
弘継はそう言うが、そのうちの何割かは自分と銀のお陰でもあるのだが。そう突っ込みたかったが止めておくことにした。
「嬉しい! わたし、ずっと読みたいって思っていたの!」
「それなら良かった。随分苦労して手に入れたかいがあったよ」
桜が抱えているものは貴族の間などで人気の物語。それを書き写したものだ。『竹取の翁』と『うつほ物語』。いずれも手に入れる為にはそれなりの苦労を伴う逸品だ。本当は恋愛ものが良かったのだが、誰一人そういった物語に詳しくなかった為、これという候補が出せなかった。
しかし、桜がここまで喜んでくれたのなら弘継も本望だろう。
物語を手に入れるにあたっては、一の姫も協力してくれたとの話だ。
「しかし……」
喜び跳ねる、桜の様子に苦笑しながら銀が呟く。
「桜はここに来る前、一体どんな生活をしていたんだろうな」
それについては昂明も少しだけ思うところがある。
貴族の娘。薫物を知っていて後宮に出入りもしている。文字も読むことが出来るほどの教育を受けているにも関わらず、己のことを語らない。
無邪気で愛らしい顔を見せつつも、頑なに自分のことは秘匿する。
彼女に一体何があったのだろうか。
まだ真実は見えてはこない。
夜も更け、婆やは家に帰り。邸には再び昂明と銀、それに桜の三人だけになった。余程嬉しかったのか、真っ暗だというのに桜は夢中で物語を読んでいる。灯りと言えば灯台の灯りのみ。読み辛いだろうと思うのだがそれでも読む手を止めることはない。
昂明は手燭に火を入れると、桜の傍においてやった。これでいくぶんかは明るくなるかもしれない。
そろそろ蔀戸を閉じようか。そう思って簀の子まで出ると庭の桜の木が目に入った。佐保川の桜は満開だというのに、こちらはまだ蕾のまま。けれど、もうすぐ満開の桜が見られることだろう。
不意に龍笛の音色が響く。
それは銀の奏でる音色だった。
誰に習ったわけでもないはずなのだが、不思議と銀の吹く笛の音はとても美しい。
思わず桜は読む手を止めて、簀の子に腰を下ろす銀に目を向けた。
「銀……?」
小さく囁くような、桜の声。
笛は静かに続く。
やがて桜は再び物語に目を向ける。おそらく、笛の音を聴きながら。
笛の音が止むまではこのままでいよう。
そう思い昂明はその場に座ると、笛の音に耳を傾けていた。
後で銀に聞かれたのだが。
「しいて言うなら薫物、かな」
「薫物?」
二の姫は普段より自分の名を現す『梅香』の薫物を焚きしめていた。そしてそれは幽霊になった時も。だが、人々から聞こえてくる幽霊の話の中には『梅香』のことは全くといっていいほど聞こえてこなかった。
逆に弘継はよく覚えていたものだと思うほどだ。
……おそらく、あの香りは意図的ではなかったのだろう。
普段から二の姫が愛用していたからこそ、幽霊に化けた時にその香りがしたのではないかと思ったのだ。
かくして、幽霊騒ぎは収束する運びとなった。
思いがけず昂明の陰陽師としての評判は無駄に上昇し……陰陽寮に出仕するなり「お前、なんでも物の怪を退治したんだってな」と他の陰陽師達に詰め寄られたのだった。
そして弘継に限っては幽霊の顛末について、どうしても本当のことを話す必要があったのだが、それも問題はないだろう。
弘継は事情を知り、必ずこの秘密を守ることを固く誓ってくれた。もとより、恋い焦がれてどうにか想いを伝えたいと思った幽霊の正体が生きた姫君であり、更にその姫の心が自分に多少なり向いてくれるのだと分かったのなら――秘密を守らぬ理由などないわけがない。
その後は二の姫と文のやり取りをはじめ……それなりに二人の間も進展しているそうだ。
そうそう。もう一つ。
輝く君が二の姫を何故捨てたのか、について。
これは二の姫にも弘継にも言わなかったのだが、恐らく輝く君は彼女の事を捨てたつもりはないのだろうと思う。
単に通う姫が多すぎて忘れていたのではないか。
しかしそんな事を言っても誰の為にもならない気がするので、自分の心の中にだけしまっておくことにしたのだった。
* * *
それから弘継はまた多忙な日々に逆戻りをすることになった。もとより先日までが無理をして邸に戻っていたのだ。出世を差し引いても、やはり検非違使という仕事は一筋縄ではいかないらしい。
しかし、念願の想い人と心を通わすきっかけも得て、仕事に一層張り合いが出たようだ。以前に増して仕事に赴く兄の顔は生き生きとしている。
「昂明」
暫くぶりに戻ってきた弘継が、昂明を呼ぶ。どうしたのかと思って聞き返してみれば、
「あの娘はどうした?」
と言う。
「兄上、桜なら今銀と一緒に庭で遊んでますよ」
「そうか……」
どことなくそわそわとした弘継の姿。一体どうしたのかと思い、昂明は尋ねる。
「何か桜に用事でもありましたか?」
「いやなに。その、此度の一件ではあの娘に……桜に随分と助けられたそうだな」
「ええ、そりゃあもう」
確かに弘継に報告した際、桜の粘りと熱意のお陰で一の姫の心が動いたこと。それに『梅花』の薫物の香りのこと。とにかく桜が大活躍だったと説明をしたのだ。
「それでな、桜に何か礼をしたいと思ったのだ。昂明、何か良い案はないか」
昂明も銀も、一度だって弘継に例など貰ったことが無い。その弘継が桜に礼をしたいなどと……余程嬉しかったのだろう。
もとよりただ働きだと思っていたものだから、正直驚いた。
しかし、桜に贈り物となると一体何が良いのやら。
元々貴族の娘だろうし、華やかな衣を貰うのもこの邸においては意味がない。ならば一体何が良いのだろうか。
そう考えて一つだけ思い出す。
「それなら……」
邸の中でも無駄にならず、そして桜が喜びそうなもの。
それは……。
「きゃーっ!」
弘継が桜にと持ち帰った包み。その中身を見るなり桜が飛び跳ねた。
「本当に、本当にいいの?」
「勿論。桜がいなかったらきっと私の想いが一の姫に伝わることはなかったのだ。今の私がこうして幸せでいられるのも、全て桜のお陰だ」
弘継はそう言うが、そのうちの何割かは自分と銀のお陰でもあるのだが。そう突っ込みたかったが止めておくことにした。
「嬉しい! わたし、ずっと読みたいって思っていたの!」
「それなら良かった。随分苦労して手に入れたかいがあったよ」
桜が抱えているものは貴族の間などで人気の物語。それを書き写したものだ。『竹取の翁』と『うつほ物語』。いずれも手に入れる為にはそれなりの苦労を伴う逸品だ。本当は恋愛ものが良かったのだが、誰一人そういった物語に詳しくなかった為、これという候補が出せなかった。
しかし、桜がここまで喜んでくれたのなら弘継も本望だろう。
物語を手に入れるにあたっては、一の姫も協力してくれたとの話だ。
「しかし……」
喜び跳ねる、桜の様子に苦笑しながら銀が呟く。
「桜はここに来る前、一体どんな生活をしていたんだろうな」
それについては昂明も少しだけ思うところがある。
貴族の娘。薫物を知っていて後宮に出入りもしている。文字も読むことが出来るほどの教育を受けているにも関わらず、己のことを語らない。
無邪気で愛らしい顔を見せつつも、頑なに自分のことは秘匿する。
彼女に一体何があったのだろうか。
まだ真実は見えてはこない。
夜も更け、婆やは家に帰り。邸には再び昂明と銀、それに桜の三人だけになった。余程嬉しかったのか、真っ暗だというのに桜は夢中で物語を読んでいる。灯りと言えば灯台の灯りのみ。読み辛いだろうと思うのだがそれでも読む手を止めることはない。
昂明は手燭に火を入れると、桜の傍においてやった。これでいくぶんかは明るくなるかもしれない。
そろそろ蔀戸を閉じようか。そう思って簀の子まで出ると庭の桜の木が目に入った。佐保川の桜は満開だというのに、こちらはまだ蕾のまま。けれど、もうすぐ満開の桜が見られることだろう。
不意に龍笛の音色が響く。
それは銀の奏でる音色だった。
誰に習ったわけでもないはずなのだが、不思議と銀の吹く笛の音はとても美しい。
思わず桜は読む手を止めて、簀の子に腰を下ろす銀に目を向けた。
「銀……?」
小さく囁くような、桜の声。
笛は静かに続く。
やがて桜は再び物語に目を向ける。おそらく、笛の音を聴きながら。
笛の音が止むまではこのままでいよう。
そう思い昂明はその場に座ると、笛の音に耳を傾けていた。
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