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勅使がやってきた
06-03:内宴の夜
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「二人とも、内裏に行くの?」
銀の背中に隠れていた桜が、おずおずと顔を出す。
「勅命なら、そうするしか無いだろうな」
桜はそれに対して、何というのだろうか。怯えるだろうか、それとも怒るだろうか。
しかし、彼女の反応は昂明達が予想していないものだった。
「どうしよう……」
ぽつりと零した桜の言葉。その声は震えている。
余程のことなのか、随分と青い顔をしているようだ。
「ごめんなさい、わたし……大事なこと、黙ってたの……どうしよう……」
「桜……?」
「わたし、聞いたの、秘密の話……! 東宮さまを連れていくって……! 御免なさい、黙ってて御免なさい!」
「え!?」
崩れそうになる桜のことを、慌てて抱き留める。桜は昂明に縋りつき、わあわあと声を上げて泣き出した。
昂明達の予想通り、桜は側仕えの童女として後宮に出仕していた。
ところが内宴のあった夜、何者かが東宮を拐かそうと計画している話を立ち聞きしてしまったらしい。それが誰であったのかまでは分からないが、少なくともその中に黒袍が見えたという。
驚きのあまり物音を立ててしまった桜は、慌ててその場から逃げ出した。背後から追いかけてくる足音に恐怖し、無我夢中で内裏を飛び出したそうだ。
気が付けば日も落ち辺りは真っ暗。自分がどこにいるのかも分からない。月明かりだけを頼りに、それでも足を止めることが出来ず夜通し走り続け……。
「で、足を踏み外してあの崖から落ちたってわけか」
昂明の言葉に、桜はこくりと頷いた。
「怖くて、恐ろしくて、もう私は死んでしまったことにしようって思ったの。だってもしあいつらに見つかったら、私、今度こそ捕まえられて死人になってしまうもの……。言えなくて、怖くて言えなくて……ごめんなさい」
がちがちと歯を震わせ桜は俯き、大きな雫が床に零れ落ちた。
子供には辛すぎる話だ。桜を責めることなどできようか。
震える桜に銀はそっと衣を掛けると、優しく肩を抱く。
「……桜、東宮さまはまだ内裏におられるはずだ。だから大丈夫」
「ほんと?」
「本当だ」
先ほどの勅使との何気ない与太話が、こんなところで役立つとは。
少なくとも、加持祈祷の話が持ち上がったであろう数日内は、元気にしているということは間違いはないだろう。
しかしながら桜は、自分が乗るはずだった牛車が襲われた事についてはまだ知らないようだ。もしも知ったなら……きっと責任を感じてしまうかもしれない。
暫くの間はこのことは黙っておこうと昂明は考えた。
思いつめた顔で自らが体験したことを語ってくれた桜。子供が抱えるには重すぎる話だった。
しかし、懸念はまだある。
「事件のことは話したが、自分がどこの誰かということは話さなかったな」
そう。桜は自分の見たこと聞いたことを詳細に話してはくれたのだが、結局自分のことについては『後宮に出仕していた』以上のことは語らなかったのだ。
そこについてはまだ、触れて欲しくはない部分らしい。
昂明達としても一度に全部聞き出すのは無理だろうと思っていたので、東宮に纏わる話が聞けただけでも今は良かったと思っている。
だが、問題はここからだ。
「そうなると……否が応でも参内する必要がありそうだな。銀にとっては少しばかり厄介なことになりそうだが……」
「言うな、昂明。……覚悟はしている」
おおかた昂明が次に言わんとする言葉を察したのだろう。
「相手の真意が測りかねるが、折角のお誘いだ。乗っからせて貰うしか無いな」
桜の話が無かったのなら、こんなことは考えなかっただろうが。そういう意味では『あり得ないような絶好の機会』というわけだ。
「ねえ……。二人は、内裏に行くの?」
不安そうな桜の声。
「余程のことがなければそのつもりだ。どっちにしても、勅命じゃ拒否なんかできないけどな。桜の憂い、俺達が払ってやるよ」
自分は一介の陰陽師風情。桜を安心させる為とは言え少々大きいことを言い過ぎたかとも思ったが、致し方ない。
帝の勅令の話はすぐさま陰陽寮の知るところなり、一部の陰陽寮の面々にはかなり目の敵にもされた。しかしそれでも大人しかったことを考えれば――安倍や賀茂の力が働いたのだろうと思われる。
それに、頼央。
どこからか帝からの勅令の話を聞きつけ、頼央は昂明たちの元へとやってきた。そのあまりの行動の早さに驚いたが、頼央は内裏の中でも中枢にいる人物だ。帝の話を知っていてもおかしくは無い。
「ふうむ……あの娘が姿を消したのは、そういったいきさつがあったのだな」
渡りに船とばかりに、昂明達は頼央にすぐさま相談したのだ。
「今まで何事も無かったのが不思議なほどです。桜が話を聞いたのは一月のこと。何故相手は何も動かなかったのでしょうか?」
頼央は銀の言葉一つ一つに頷く。
「銀の申すことは良く分かる。恐らくだが……殺したはずの姫君の話題は一切表に出てこない。参議も『姫は元気にしている』と言っている。だから様子見をしているのではなかろうか」
桜の牛車が襲われた一件は、ごくごく一部の検非違使達とごく限られた者しか知られていないそうだ。そのような事件があった事すら知らないものが殆ど。だから余計に一の姫の生死の真偽が分からずに事を起こし辛いのでは、と頼央は言っている。
「儂からも陰陽頭に上手く取りなして貰うよう頼んでおこう。今は陰陽寮にはおらぬとはいえ、晴明殿もご健在。おぬし達の事情を汲んで理解してくれるはずだ」
人となりがしっかりしている人というのは金のあるなし、地位のあるなしに関わらず本当に素晴らしい人物なのだと、と昂明は思った。
銀の背中に隠れていた桜が、おずおずと顔を出す。
「勅命なら、そうするしか無いだろうな」
桜はそれに対して、何というのだろうか。怯えるだろうか、それとも怒るだろうか。
しかし、彼女の反応は昂明達が予想していないものだった。
「どうしよう……」
ぽつりと零した桜の言葉。その声は震えている。
余程のことなのか、随分と青い顔をしているようだ。
「ごめんなさい、わたし……大事なこと、黙ってたの……どうしよう……」
「桜……?」
「わたし、聞いたの、秘密の話……! 東宮さまを連れていくって……! 御免なさい、黙ってて御免なさい!」
「え!?」
崩れそうになる桜のことを、慌てて抱き留める。桜は昂明に縋りつき、わあわあと声を上げて泣き出した。
昂明達の予想通り、桜は側仕えの童女として後宮に出仕していた。
ところが内宴のあった夜、何者かが東宮を拐かそうと計画している話を立ち聞きしてしまったらしい。それが誰であったのかまでは分からないが、少なくともその中に黒袍が見えたという。
驚きのあまり物音を立ててしまった桜は、慌ててその場から逃げ出した。背後から追いかけてくる足音に恐怖し、無我夢中で内裏を飛び出したそうだ。
気が付けば日も落ち辺りは真っ暗。自分がどこにいるのかも分からない。月明かりだけを頼りに、それでも足を止めることが出来ず夜通し走り続け……。
「で、足を踏み外してあの崖から落ちたってわけか」
昂明の言葉に、桜はこくりと頷いた。
「怖くて、恐ろしくて、もう私は死んでしまったことにしようって思ったの。だってもしあいつらに見つかったら、私、今度こそ捕まえられて死人になってしまうもの……。言えなくて、怖くて言えなくて……ごめんなさい」
がちがちと歯を震わせ桜は俯き、大きな雫が床に零れ落ちた。
子供には辛すぎる話だ。桜を責めることなどできようか。
震える桜に銀はそっと衣を掛けると、優しく肩を抱く。
「……桜、東宮さまはまだ内裏におられるはずだ。だから大丈夫」
「ほんと?」
「本当だ」
先ほどの勅使との何気ない与太話が、こんなところで役立つとは。
少なくとも、加持祈祷の話が持ち上がったであろう数日内は、元気にしているということは間違いはないだろう。
しかしながら桜は、自分が乗るはずだった牛車が襲われた事についてはまだ知らないようだ。もしも知ったなら……きっと責任を感じてしまうかもしれない。
暫くの間はこのことは黙っておこうと昂明は考えた。
思いつめた顔で自らが体験したことを語ってくれた桜。子供が抱えるには重すぎる話だった。
しかし、懸念はまだある。
「事件のことは話したが、自分がどこの誰かということは話さなかったな」
そう。桜は自分の見たこと聞いたことを詳細に話してはくれたのだが、結局自分のことについては『後宮に出仕していた』以上のことは語らなかったのだ。
そこについてはまだ、触れて欲しくはない部分らしい。
昂明達としても一度に全部聞き出すのは無理だろうと思っていたので、東宮に纏わる話が聞けただけでも今は良かったと思っている。
だが、問題はここからだ。
「そうなると……否が応でも参内する必要がありそうだな。銀にとっては少しばかり厄介なことになりそうだが……」
「言うな、昂明。……覚悟はしている」
おおかた昂明が次に言わんとする言葉を察したのだろう。
「相手の真意が測りかねるが、折角のお誘いだ。乗っからせて貰うしか無いな」
桜の話が無かったのなら、こんなことは考えなかっただろうが。そういう意味では『あり得ないような絶好の機会』というわけだ。
「ねえ……。二人は、内裏に行くの?」
不安そうな桜の声。
「余程のことがなければそのつもりだ。どっちにしても、勅命じゃ拒否なんかできないけどな。桜の憂い、俺達が払ってやるよ」
自分は一介の陰陽師風情。桜を安心させる為とは言え少々大きいことを言い過ぎたかとも思ったが、致し方ない。
帝の勅令の話はすぐさま陰陽寮の知るところなり、一部の陰陽寮の面々にはかなり目の敵にもされた。しかしそれでも大人しかったことを考えれば――安倍や賀茂の力が働いたのだろうと思われる。
それに、頼央。
どこからか帝からの勅令の話を聞きつけ、頼央は昂明たちの元へとやってきた。そのあまりの行動の早さに驚いたが、頼央は内裏の中でも中枢にいる人物だ。帝の話を知っていてもおかしくは無い。
「ふうむ……あの娘が姿を消したのは、そういったいきさつがあったのだな」
渡りに船とばかりに、昂明達は頼央にすぐさま相談したのだ。
「今まで何事も無かったのが不思議なほどです。桜が話を聞いたのは一月のこと。何故相手は何も動かなかったのでしょうか?」
頼央は銀の言葉一つ一つに頷く。
「銀の申すことは良く分かる。恐らくだが……殺したはずの姫君の話題は一切表に出てこない。参議も『姫は元気にしている』と言っている。だから様子見をしているのではなかろうか」
桜の牛車が襲われた一件は、ごくごく一部の検非違使達とごく限られた者しか知られていないそうだ。そのような事件があった事すら知らないものが殆ど。だから余計に一の姫の生死の真偽が分からずに事を起こし辛いのでは、と頼央は言っている。
「儂からも陰陽頭に上手く取りなして貰うよう頼んでおこう。今は陰陽寮にはおらぬとはいえ、晴明殿もご健在。おぬし達の事情を汲んで理解してくれるはずだ」
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