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第二話:見えない猫とコンポート
2-4:やってきたパン屋は銀の狼(2)
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焼き立てパンも調達した後で、いよいよディナータイムのオープン時間だ。開店と同時にぞろぞろとお客さんが入ってくる。
だいたい開店時間に来るのは常連さんが多いとジェドさんが言っていた。
「きょっぴー、あっちのお客さんの注文お願いしてもいい?」
「はいっ」
ヴィクターに頼まれて、僕は窓際のテーブルの方へと向かう。座っているのは時々ランチにやってくるお客さんだった。
三十代後半から四十代前半、少し張り詰めたお腹でボタンが取れそうだけど綺麗にスーツを着こなしている。
ランチも来てディナーも来るとなると、余程このお店の事を気に入ってくれているんだろう。まだビストロ・ノクターンで働き始めて日の浅い僕も、少し嬉しくなってしまった。
「ご注文をお伺いします」
まだ接客に慣れたわけではない。心持ち緊張しながら僕は紙伝票を握りしめる。
「じゃあ、今日のお薦めディナー『季節のお魚のクリーム煮、パスタセット』で。飲み物はコーヒーをお願いします」
「畏まりました。季節のお魚のクリーム煮、パスタセットにお飲み物はコーヒーですね」
つっかえずに言えたことに安堵しながら、僕は一礼をして厨房へと戻ると厨房のオーダークリッパーに注文票を挟む。
「ジェドさん、お願いします!」
一言声をかけた後でいそいそとまたホールへと僕は戻った。
「あれ?」
ホールの真ん中を歩く黒い猫がいる。
「猫……?」
扉を開けた誰かと一緒に入ってきてしまったんだろうか。可愛いけど、流石に食事をする場所に野良猫を入れるわけにはいかないよな……。
困り果てて僕はヴィクターを視線で探す。
「あれ、チロじゃん」
丁度注文を受けた後のヴィクターが戻ってきて、黒猫の存在に気づいてくれた。
「ヴィクター、あの猫知ってるんですか?」
「うん、チロっていう猫だよ。よくうちのお店に遊びにくるんだ」
「遊びにって、野良猫をお店の中に入れるのは衛生上かなり不味いんじゃないですか?」
全然気にした様子のないヴィクターに焦って、僕は思わず少し強めの口調で訊ねてしまった。そんな僕の言葉も気にせず、ヴィクターさんはにこりと笑う。
「ああ、大丈夫だよ。見てみなよ」
「えっ?」
ヴィクターに言われてチロの方をもう一度見ると、今度はお客さんのいる方に向かってチロは歩き始めた。大丈夫なのかとあわあわしていると、なんと椅子やテーブルをすり抜けながらぐるぐると店内を散策して回っている。
「これってどういう……?」
「チロは幽霊猫なんだ。いつもふらりとこの店に現れて気がすむとまたふらりと去っていくだけ。だから大丈夫だよ」
何が起こったか全く理解できなかった僕に、ヴィクターが教えてくれた。
幽霊猫……。そりゃあ、店内が汚れる訳でもないし、だれも気にする様子もない。僕の心配は取り越し苦労だったという訳だ。
「なあんだぁ……」
理由が分かって肩を落とす僕に、ヴィクターは「まあまあ」と肩を軽く叩く。
「でもお店の衛生面を気にするなんて、いい心がけじゃない。ホールスタッフもサマになってきたかな?」
クスクス可笑しそうに笑うと、ヴィクターは厨房へと消えていった。
チロは気ままにぐるぐると歩いた後で、すたすたと窓際へ向かう。
一体次は何をする気なんだろうとなんとなく目で追っていると、なんと先ほど僕が注文を受けたお客さんの背中によじ登ったのだ。
あれは、幽霊だけど、大丈夫なのかな……。
「おや、チロじゃないか。……また大谷さんの背中に乗っているんだね」
ハラハラしながら固唾を飲んで見守る僕の後ろから、アインさんが言った。
「また?」
「そうだよ、チロはあの人――大谷さんがいたくお気に入りなんだ。多分飼い主だったんじゃないかなぁ。いつもああして背中に乗ってじゃれているんだよ。……最も、大谷さんは気づかないんだけれどね」
そう言って肩を竦めた。
チロはどうして大谷さんの背中に乗るんだろう。お気に入り以上の理由がそこにあるんじゃないだろうかと、チロの姿を見ながら僕は考える。
それから暫くの後で、食事を終え会計を済ませた大谷さんと共にチロはお店を後にしたのだった。
だいたい開店時間に来るのは常連さんが多いとジェドさんが言っていた。
「きょっぴー、あっちのお客さんの注文お願いしてもいい?」
「はいっ」
ヴィクターに頼まれて、僕は窓際のテーブルの方へと向かう。座っているのは時々ランチにやってくるお客さんだった。
三十代後半から四十代前半、少し張り詰めたお腹でボタンが取れそうだけど綺麗にスーツを着こなしている。
ランチも来てディナーも来るとなると、余程このお店の事を気に入ってくれているんだろう。まだビストロ・ノクターンで働き始めて日の浅い僕も、少し嬉しくなってしまった。
「ご注文をお伺いします」
まだ接客に慣れたわけではない。心持ち緊張しながら僕は紙伝票を握りしめる。
「じゃあ、今日のお薦めディナー『季節のお魚のクリーム煮、パスタセット』で。飲み物はコーヒーをお願いします」
「畏まりました。季節のお魚のクリーム煮、パスタセットにお飲み物はコーヒーですね」
つっかえずに言えたことに安堵しながら、僕は一礼をして厨房へと戻ると厨房のオーダークリッパーに注文票を挟む。
「ジェドさん、お願いします!」
一言声をかけた後でいそいそとまたホールへと僕は戻った。
「あれ?」
ホールの真ん中を歩く黒い猫がいる。
「猫……?」
扉を開けた誰かと一緒に入ってきてしまったんだろうか。可愛いけど、流石に食事をする場所に野良猫を入れるわけにはいかないよな……。
困り果てて僕はヴィクターを視線で探す。
「あれ、チロじゃん」
丁度注文を受けた後のヴィクターが戻ってきて、黒猫の存在に気づいてくれた。
「ヴィクター、あの猫知ってるんですか?」
「うん、チロっていう猫だよ。よくうちのお店に遊びにくるんだ」
「遊びにって、野良猫をお店の中に入れるのは衛生上かなり不味いんじゃないですか?」
全然気にした様子のないヴィクターに焦って、僕は思わず少し強めの口調で訊ねてしまった。そんな僕の言葉も気にせず、ヴィクターさんはにこりと笑う。
「ああ、大丈夫だよ。見てみなよ」
「えっ?」
ヴィクターに言われてチロの方をもう一度見ると、今度はお客さんのいる方に向かってチロは歩き始めた。大丈夫なのかとあわあわしていると、なんと椅子やテーブルをすり抜けながらぐるぐると店内を散策して回っている。
「これってどういう……?」
「チロは幽霊猫なんだ。いつもふらりとこの店に現れて気がすむとまたふらりと去っていくだけ。だから大丈夫だよ」
何が起こったか全く理解できなかった僕に、ヴィクターが教えてくれた。
幽霊猫……。そりゃあ、店内が汚れる訳でもないし、だれも気にする様子もない。僕の心配は取り越し苦労だったという訳だ。
「なあんだぁ……」
理由が分かって肩を落とす僕に、ヴィクターは「まあまあ」と肩を軽く叩く。
「でもお店の衛生面を気にするなんて、いい心がけじゃない。ホールスタッフもサマになってきたかな?」
クスクス可笑しそうに笑うと、ヴィクターは厨房へと消えていった。
チロは気ままにぐるぐると歩いた後で、すたすたと窓際へ向かう。
一体次は何をする気なんだろうとなんとなく目で追っていると、なんと先ほど僕が注文を受けたお客さんの背中によじ登ったのだ。
あれは、幽霊だけど、大丈夫なのかな……。
「おや、チロじゃないか。……また大谷さんの背中に乗っているんだね」
ハラハラしながら固唾を飲んで見守る僕の後ろから、アインさんが言った。
「また?」
「そうだよ、チロはあの人――大谷さんがいたくお気に入りなんだ。多分飼い主だったんじゃないかなぁ。いつもああして背中に乗ってじゃれているんだよ。……最も、大谷さんは気づかないんだけれどね」
そう言って肩を竦めた。
チロはどうして大谷さんの背中に乗るんだろう。お気に入り以上の理由がそこにあるんじゃないだろうかと、チロの姿を見ながら僕は考える。
それから暫くの後で、食事を終え会計を済ませた大谷さんと共にチロはお店を後にしたのだった。
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