ビストロ・ノクターン ~記憶のない青年と不死者の洋食屋~

銀タ篇

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第五話:嵐がやってきた

5-5:失ったもの

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「っぴー! きょっぴー!!」

 誰かの声が遠くで聞こえる。
 どうしたんだろう、暗闇の中で僕は海に浮いているような感覚で、その声をぼんやりと聞いていた。

「きょっぴー!! しっかりして!」

 ヴィクターの声だ、一体どうしたんだろう?
 アインさんは、アインさんはどうしたんだろうか?
 傍にはきっと、祖父が居る筈だ。
 目を覚まさなきゃ、目を開かなきゃ。
 僕は重くて重くて開けない瞼を、なんとか押し上げようと努力する。

「う……あいん……さ……?」

 ぼやけた視界が次第にくっきりと姿を映し出し、そして僕は絶句した。

「嘘っ……なんで!?」

 僕の腕が、別の誰かの腕みたいだ。僕の意志とは関係なく、アインさんの首を締めている。

「嘘だ、やめろ!」

 信じられなくて首を振る。なんとか手を振りほどこうと力を込めるのに、僕の意志とは関係なく締める手に力がかかる。

「く……聖弘、くん」

 僕の両手の中にアインさんの首がある、苦しそうな顔のアインさんが見える。
 こんなの、嫌だ。
 夢なら覚めて欲しい。

「嫌だ……やめて……!」

 僕は必死で祖父を探す、視界に入った祖父の目がまた怪しく輝く。

「殺れ、聖弘。それがお前の果たすべき役目、生まれながらにヴァンパイアハンターの……」


「やめろーーーーーーーーーーーーーーッ!」


 祖父の言葉を遮って力の限り僕は叫ぶ。
 その勢いで涙が零れて風に消えた。


  ◇  ◇  ◇  ◇


「はあ……はあ……」

 気づくと僕は、雨の中闇雲に駆け出していた。
 体はなんとかいう事をきいたけれど……アインさんにあんな事をしてしまった。
 もう合わせる顔もない。
 既に空は真っ暗。いつの間に暴風域に入ったのか、風だけではなく雨も酷い。
 涙でべしょべしょだったから、雨が降っていて良かったなんて僕は思った。

 飛ばされそうなほどの酷い雨風なのに、僕の足は自分の意志とは関係なく……いや。多分どこかに逃げたいと思う気持ちのままに、ずっと走り続けている。

 大切な場所だったのに、大切な人達だったのに。
 全部自分の手で壊してしまった。
 もう、行く場所なんて無いと思った。
 だからといって、祖父の元になど二度と戻らない。絶対に戻りたくもないと僕は思った。

「うっ……うっ……」

 思い出すたびに、崩れ落ちそうになる。涙を堪えようとして、嗚咽だけが漏れた。
 僕がもっと強かったのなら。
 祖父に打ち勝てるほどの意志があったなら、アインさんを傷つけないで済んだのに。
 後悔しても、もう終わってしまった事だ。取り返す事なんてできやしない。

「ううう……うううぁぁあ……」

 暴風雨の中僕は泣き叫びながら走った。
 戻れるものなら昨日に戻りたい。
 優しいあの場所に戻りたかった。



 気が付けば僕は、岸壁の縁に立っていた。
 そこに行こうと思ったかは良く分からない。……でも、引き返そうとしても足は一歩も動かなかった。
 それは多分――僕が心の奥底で思っているからだろう。
 このまま沈んでしまいたいと。

 僕は荒れ狂う海面をじっと見つめる。
 アインさんの妹さんは、もしかしたら僕の祖父のせいで……。
 僕もアインさんを傷つけてしまった。
 僕達の事、きっと怒っているに違いない。
 そう思うと苦しくて仕方なかった。
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