ビストロ・ノクターン ~記憶のない青年と不死者の洋食屋~

銀タ篇

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第五話:嵐がやってきた

5-6:包まれる優しさに

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「いたで!」

 嵐の中で声がした。

「嘘……エミリオさん!?」

 驚いて振り返ると、そこにはずぶ濡れのエミリオさんと、もう一人。

「アイン、さん……」

 どうしよう、僕は逃げ場がなくて後ずさろうとする。

「駄目だ、落ちる!」

 そうだ、後ろはもう海だった。
 さっきまで沈みたいなんて思っていたのに、咄嗟に僕は落ちないように慌ててバランスをとる。本当に、滑稽なものだと思う。

「ど、どうしてここに……」

「店長が慌てて店出るの見て後から追いかけたんやけどな。途中でチロが、きょっぴーがこっち行った言うから店長と合流してここまで来たんや」

「チロが……?」

 エミリオさんの言葉に僕は驚く。

「せや。きょっぴーが尋常やない様相だったんで心配やゆーてな」

 チロが僕の事を心配してくれたなんて……。大谷さんの時のやり取りを思い出して、僕は不覚にも胸が熱くなった。
 こんなに風も雨も吹き荒れて、僕なんか立つことだってやっとなのに。
 エミリオさんも、アインさんも、僕の事を探してきてくれたんだ。

「聖弘君!」

「ダメです、来ないで……! お願いです!」

 僕に走り寄ろうとするアインさんを、僕は必死で叫んでその場に留めようとする。

「でないと……またアインさんを傷つけてしまいます!!」

 涙の混じったぐずぐずの声で僕はもう一度叫ぶ。

「ごめんなさい、本当にごめんなさい……! 傷つけるつもりは、なかったんです……!」

 謝ってもどうにもならないって分かってる。それでも謝らずにはいられなかった。

 僕はアインさんに恩しかない。
 ビストロ・ノクターンに転がり込んだ僕を、何も言わずに受け入れてくれた。
 僕が働きたいって無理を言って頼み込んでも、聞き入れてくれた。
 失敗した時も、成功したときも、どんな時だっていつも暖かく見守っていてくれた。

 記憶を取り戻して思う。
 あの場所で過ごした日々は、自分の人生の中で一番楽しくて輝いていたと。

「それなのに……っ」

 滝のような雨に打たれているにも拘らずそれでも溢れる涙を、僕は濡れた袖でごしごしと拭った。

「私は大丈夫だ。だから一緒に帰ろう、みんな待っている」

「無理……ですっ」

 優しい声が、余計に辛い。戻れるわけなんかない。
 だって、僕が居る限り、祖父がアインさんを狙う限り。
 僕はアインさんにとって脅威にしかならない。ビストロ・ノクターンの迷惑にしかならない存在なのだ。

「僕はお爺様の暗示に逆うような力はありません! だからこんな僕は、居ない方がいいんです!」

 自分に言い聞かせ、諦めさせるように僕は渾身の力で叫ぶ。
 戻る場所なんか何処にもないんだ、と。

「そんなことはない!」

「きょっぴー!」

 アインさんとエミリオさんが叫ぶ。
 二人は本当に優しい。こんな僕の事でも必死で助けようとしてくれる。

「僕は本当に、ダメな人間です。なんの取柄もなくて、意気地もない、一人じゃ何もできないくせに、なのに……」

 大切な人を傷つけるときですら、何の抵抗も出来ないなんて。

「君はみんなのために一生懸命だったじゃないか。優しい気持ちで、ノクターンを明るくしてくれた」

 じわじわと距離を詰めていくアインさん達に、僕は気まずさから焦る。
 まだ、覚悟が出来ていない。落ちる覚悟も、戻る覚悟も。

「でも……僕は……」

「君は私を傷つけたりなんかしない、絶対だ」

 アインさんがまた一歩踏み出した。
 戸惑う僕は、もう一歩後ろに下がろうかと足を迷わせる。
 その時とびきり大きい風が、下から煽るように吹き抜けた。

「そんなの、あっ……」

 僕はその風に煽られて一瞬、バランスを崩す。

「きょっぴー!」

「聖弘君!」

 ふわりと体が浮いた後、僕の視界は暗闇に包まれた。



 ついに海に落ちてしまったんじゃないか。
 そんなことを思った。
 だってそれは温かい、温かい暗闇だったから。
 僕をふんわりと包む温かいもの。
 最初は海の闇だと思っていたけれど、こんなに暖かいわけがない。

「アイン……さん……?」

 気が付けば僕はアインさんの腕の中に居た。見上げると優しい顔が微笑む。

「君は私を傷つけたりなんかしない。だからほら……大丈夫だったろう?」

「うっ……うあぁ……っ、うあぁぁぁぁぁ…………」

 僕は思わずアインさんにしがみ付いて、嗚咽と共に声をあげて泣いた。

「アインさんは……ずるいです……! なんでそんな、優しいんですか!」

「私にとって、君がとても大切な存在だからだよ」

「僕は、アインさんの事を傷つけたのに……なんで怒らないんですか……!」

「それは君の意志じゃなかったろう? ちゃんと分かっているよ」

 僕が怒るのは筋違いだ。迷惑をかけたのは僕の方なんだから。
 でも、怒らないアインさんがもどかしくて。
 そんな僕の気持ちを察しているかのように、穏やかな微笑みを浮かべながらアインさんは僕の言葉を聞いている。

 そんなの、ずるい。
 神様みたいじゃないか。

「妹さんが亡くなったのに……僕のお爺様のせいで亡くなったのに、なんで憎んだりしないんですか!」

「それは……私が臆病だからだよ。……誰かと憎みあって傷つき、傷つけるのが怖かったんだ」

 少し困った顔で、アインさんは笑う。

「臆病だなんて、……だってアインさんにはヴァンパイアの力があるし……」

「だからだよ」

 僕の頭に触れる手が、温かかった。

「強い力を持っているからこそ、誰かを必要以上に傷つけてしまわないかと恐ろしくて仕方ない。……もしも自分が我慢することで、憎む気持ちを飲み込んでしまう事が出来るのなら、それが一番いいと思ったんだ」

「そんなの、アインさんが我慢して辛いだけじゃないですか……」

 それはただの自己犠牲だ。
 自分ばかりが損をして、そんなのってあるわけない。

「そうかもしれない。……それでも、私はまだここで暮らしていきたかったから……それなら我慢した方がいいと思ったんだ」

「アインさんはずるいです……! そんな聖人みたいな事、僕にはできない……」

 妹さんという大切な人を亡くしたのに、そんな我慢をしてまで得るものなんてあるのだろうか。僕はやっぱり、納得がいかなかった。

「ははは、御免。困らせてしまったね」

「いえ……その、僕がアインさんに八つ当たりをしているだけなんです……」

 そう、これは八つ当たりだ。
 僕が、アインさんに祖父の事も、僕の事も、怒って欲しかっただけなんだ。
 そんなの、理不尽極まりない、分かってる。

「だから……………………ごめんなさい……」

 赦してもらえるのか分からない、でも。
 それでも、やっぱりもう一度謝った。

「どんな話だって一つずつちゃんと聞くよ。……だから帰ろう。私達の家に」

 アインさんは、ただただ、僕の頭を優しく撫でているだけだった。

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