黒犬と山猫!

あとみく

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お盆旅行と、告白

第265話:黒犬の恋熱

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 思考は空回りするどころか、ほとんど空っぽだった。
 ・・・おれ、おまえが、すきだ・・・?
 ちゃんと、こいの、すきだから・・・?
 それが何を意味する言葉なのか、どうして素直に「きもちわるい」と発音しないのか、その意図がよく分からなかった。
「それってその、ごめん、・・・なんのこと?」
「な、何ってその、・・・なにって、そのまんまだよ・・・」
「・・・よくわからない。つまりは気持ち悪いってこと?」
「えっ」
 黒井はなぜか絶句してしまって、唇に指を当てたまま、固まってしまった。心底ショックを受けているようで、いや、その役割も、何だか逆みたいだけど。
「・・・そ、その、・・・嫌だった・・・?」
 訊かれるけど、えーと、うん、気持ち悪いって言われても、もう嫌じゃないって、だから大丈夫だって、それを伝えたいだけなんだけどな。
「嫌じゃないよ。だから、別に、いいって」
「・・・べつに、いい?」
「うん」
「・・・あれ、俺、どうしたんだろう。・・・なんか、泣けてきた」
 見ると、黒井は本当に、その目からぽろりと、ひと筋涙を流していた。あれ、どうしたんだっけ。黒井を泣かせてしまうなんて、本当に、どうしたんだっけ。
「おかしいな、何でだろう。何でこんな、涙、出てくる・・・」
「クロごめん。何か俺、分かってないみたいで、・・・だって、え、すき、とか、何かの聞き違いで」
「聞き違いじゃないよ」
「・・・え?」
「俺が、お前のこと・・・ねえ、あのさ、これ、告白なんだけど。もしかして俺、すごい、下手なのかな」
 黒井は僕に手を伸ばすけど、声もその手もぶるぶると小刻みに震えていた。・・・こくはく?


・・・・・・・・・・・・・・


 流れる涙を拭うこともなく震えている黒井をどうしたらいいのか分からなくて、しかし、遠くから家族連れの声がしたから、とにかくこんな黒井を見られてはいけないし、僕はブランコから立ち上がって「車、戻ろう」とその背中に手を置いた。それに驚いたのかびくっとしたものの、「う、うん」と黒井はおとなしく従い、ゆっくりと歩きだす。しかしその足取りは重すぎて、途中で止まってしまいそうなほど。
「その、なんか、ごめん・・・」
 僕がつぶやくと、黒井はさらに歩調を遅くして、「・・・ごめん?」と繰り返し、ひくひくと乾いた嗚咽を漏らした。
 こんなクロは、見たことがない。
 もう歩くことも息をすることもできないといった風の黒井を何とか車まで歩かせて、とにかく乗り込んだ。こくはくって、何についての告白だろう。
 すき、とか、言ってたけど。
 それは、こいの、すきだって。
 全然何のことか思い当たらなくて、漢字の変換すらできなくて、僕は黒井に謝り続けたけど、それがさらにいけないみたいだった。
「あの、あの、俺だって、言うの、どうしようって、・・・でももう、思ったから、言ってみようって、それで、言ったのに・・・」
「え、う、うん」
「だって朝からなんか、お前を近く感じてて、これって、そうなんじゃないかって、・・・だってこれって、俺の中からふつうにわいて出てきて、今も、さっきも、ずっとそうで、ずっとあふれてて、心臓がはやくて、だからこれってちゃんと俺の中身なんじゃないかって、・・・ねえ、俺、振られたの?」
「・・・ふられた?」
「俺はお前が好き、だけど、それって、全然嬉しくない感じ?」
「お前が俺を好き?」
「・・・うん」
 好き?
「好きって、それは、どういう?」
「だから、恋してるほうの、好き。たぶん恋愛の、好き・・・」
「れんあいの・・・?」
「そうだと思うよ、これってきっとそうだと思うよ。お前のこと、何か、だって、どうしようもないもん」
 そう言って黒井は僕の腕を握ろうとし、でもやっぱりさっきと同じで、手が震えてしまって、結局引っ込めた。
「・・・もういいや。もういいよ。別に、お前がごめんって言っても、それはきっと、でも、俺がこの好きだっての、こうなっちゃったから、もうしょうがない」
「・・・うん?」
 黒井は手の甲で涙を拭って鼻をすすり、エンジンをかけた。ピーピー音が鳴って僕たちはシートベルトをし、やや乱暴な運転で車は出発した。
「あの、どこ、行くの?」
「帰るよ」
「そ、そっか」
「帰ってする」
「・・・する?」
「帰ってお前とする」
 黒井は前を向いたまま涙声でそう言い、僕は前後の文脈を何も分かっていないはずなのに、その一言で下半身が反応した。下腹部から背中にかけて何かの緊張が走り、僕も前を向いたまま、固まった。
 ・・・する?
 さっきから頭がポンコツみたいだけど、身体の方がしっかりしているようで、下から上へ、警報が鳴り響いた。それが脳みそを蹴っ飛ばして、思い切り揺さぶって、それで僕は、黒井から、好きだと、それは恋の意味での好きだと、それをついさっき告白されたということについて、その上で「帰ってお前とする」と宣言されたことについて、ああ、こっちが泣きたいと思った。黒井もじっと前を向いたまま、僕たちはたぶん今世界で一番、目の前の赤信号を、意味もなく食い入るように、穴が開くほどキリキリと見つめていた。


・・・・・・・・・・・・・


 路地をいくつか行き過ぎながらも家にたどりつき、車庫入れで擦ったような音がしたけど黒井は聞こえてもいないようだった。エンジンを切って車から降り、思い切りバタンとドアを閉じる。怒っているのかとびびるけど、いや、今はそれどころじゃない。
 そうして鍵をかけないまま出てきた家にそのまま入り、黒井は僕がついてきているのをちらと窺ってから、ドンドンと足音を立てて二階へ上がった。さっき起きたままの散らかった部屋は午後の日差しで暑かったけど、黒井は僕が入ったあと引き戸を閉じて、ポケットに突っ込んでいたゲロルシュタイナーを畳に投げつけた。
「あ、あの、クロ」
「なに」
「じ、実は俺、さっき、あの、あんまり、まだ状況が」
「何なの?」
「そ、その、こっ、こく、はく、されたってのは、ちょっと、でも、俺、その前にひ、ひとつだけ確認したいことが」
 言えば言うほど逆効果なのか、黒井は僕の言葉には耳を貸さず、着ていたTシャツを脱いで布団の上に放り、上半身裸になった。その肌が、急に生々しい色と質感で、僕はもう焦って、ほとんど叫んだ。
「あのっ、こ、これだけはっきりさせたくて、そうじゃなきゃ、えっと、だから!」
「なに?」
 完全にキレているのとは少し違う、困ったような、悲しむような声。僕は黒井の脛のあたりを見ながら必死に言葉を紡ぐ。
「お願い、これだけ教えて。クロ、あの、昨日話したこと、俺が昨日話した、俺の、話、あの・・・女の子の話、あれを俺はお前に言った、あれは幻覚とかじゃなく、お前も聞いた・・・」
「・・・それが?」
「だからその、お前が、さ、さっき俺に言ったことっていうのが、あれを聞いた上でのことなのか、俺のあの過去を、俺の中身が気持ち悪いってことを知った上での話なのか。そうじゃなきゃ俺が詐欺になる、それがちゃんと伝わってるのか、どうなのか」
「伝わってるよバカ。だから、それで、こうなってるんだよ。ようやくお前が『見せて』くれたと思ったら、それで、俺、そう思ったら、急に・・・」
 黒井は敷きっぱなしの、寝間着や肌掛けが散らばる布団の上に立っていたが、痺れを切らしたように、引き戸の前で動けなくなった僕の方へとやってきた。どうしよう、逃げ場がない。黒井は僕のことが気持ち悪いと分かった上で、それを知った上で、さっきの、こ、くはく、を・・・。
 ダン、と、音がして。
 黒井の両手は僕の顔の左右にあり、僕の伏せた目の前にはその露わになった胸や腹があり、もうどこにも逃げられない。
「ね・・・いい?」
「い、いいって、なにが・・・」
 僕の声は完全に裏返っている。
「その、お、俺が、お前を・・・」
 そして、お前の声だって、もう震えまくっている。
 やがて黒井の両手ががくがくともはや痙攣し、喉からは泣き声みたいな嗚咽が漏れた。
 僕の方はもう、ただ奥歯を噛みしめて、お前の上半身を見るか下半身を見るかで目が泳ぎ続けるだけ。
 十秒くらいそうしていたのか、黒井が手を離して一歩下がり、それで僕はようやく顔を上げ、しかし目と目が合って身体中がフリーズした。黒井は本当に見たこともない情けない顔をしてそれでも目を逸らさず、「おれ、お前が、好きだから!」と声を絞り出しわなわなと唇を震わせた。そして僕が、もう、思考を挟まずただここに立っているこの身体で、「そ、その、お、俺だって・・・!」と言おうとしたが、黒井は僕の言いたいことを察すると焦点の合わない目でぶんぶんと顔を横に振った。そして、何歩か後ずさって、ばたん!と思わず心配になるような音を立てて、布団に倒れた。


・・・・・・・・・・・・・・


 寝ているのか放心しているのか、目を閉じて動かない黒井の横で静かに正座をして、何だか呑気なセミの声とともに、僕は考えた。
 いや、今までのようにしっかりした、理屈屋の僕は出てこない。
 だから、本人不在でも動くようプログラムされた部分が、勝手に作動して思考を進めた。
 いわく。
 そもそも事の発端は、昨日のドライブで黒井が僕に運転をさせ、自分のことより僕のことなんだと言い出したことにある。そうして僕がやりたい肝試しを敢行し、車で話をした。これまで僕たちは黒井の失われた<それ>を取り戻すため、アトミクやコペンハーゲンや夢分析をしてきたわけだけど、その一環として、黒井は映画や本でなく、身近な生身の人間である僕に焦点を当てることにしたのだと言った。
 そして僕がなぜミステリや死体が好きなのかという話になって、僕の過去が掘り起こされた。僕が頑なに自分を抑え、他人に踏み込まず、耳鳴りがしても隠そうとした、その理由。そう、それはあのミネラルフェアのおねえさんが共依存がどうのと言った一件の後、探ってみたけれど僕自身にさえ分からなかったものであり、また男の子が死ぬ夢とも関連しているのであろう。そんな地下深くからふいに出てきた塊について、黒井は「俺には見せて」と言った。
 そして一晩経っての「前から知ってた気がする」。まあ、誰かの過去を知って、その人を身近に感じるのは別におかしなことではない。僕は逆に自分が誰だかすら分からなくなってしまったけれど。
 それから散歩に出かけ、黒井は忘れ物があると言って車に戻り、しばらくして現れると、僕に告白・・・を、した。僕が好きだと・・・それはあんな話を聞いても友情は続くとか、親近感が増したとかいう意味でなく、「恋の好き」だと、はっきり言った。
 ・・・。
 ・・・こいの、すき?
 ・・・僕のことを?
 ・・・。
 ああ、やっぱりここでバグになって固まってしまうけど、それでも進めるしかない。
 仮にそれが本当に恋の好きなんだとして・・・起き抜けの「前から知ってた気がする」から、公園での「恋の好き」まで、数時間。たぶん、忘れ物がどうとかは言い訳で、車に戻って自分の気持ちを確かめていたのじゃないだろうか。
 ふいに、タクシーを思い出した。
 忘年会の夜。あの、黒井への気持ちに気づいた、タクシーの中。
 もしもあれと同じことが起こっていたんだとして、・・・だとしたら、あの混乱からわずか数十分で、お前は俺に告白したのか。
 気持ちのまま、はやいんだなあと、何だか笑いが漏れた。
 そして、もしかしたら、初めての告白・・・だったりするのか?
 だってそうじゃなけりゃ、<彼女イナイ歴>の人生にはなっていまい。
 ・・・。
 彼女には、なれないけど。
 恋人、には、なれる・・・?
 ・・・というか、・・・なれ、た?
 そうしてまたバグの渦がぼっかり開いて、心拍数は速くなり、僕も黒井の横で倒れてしまいたかった。しかし階下でドアが開く気配がして、「いるのかしらー?」の声とともに階段をのぼってくる音がしたら、僕はそのまま正座をしているしかなかった。


・・・・・・・・・・・・・


 コンコンとノックがあって引き戸が開き、「戻りましたよ・・・あら、どうしました?」と、お母さんがあおいでいるうちわが止まった。ああ、黒井は上半身裸で横たわり、隣の僕は神妙に正座をしていて、それ以上の何の感想があろうか。
「あ、いや、別に・・・」
 もしかして、何だか、事後のような雰囲気を醸し出してしまっているだろうか?いや、するとは言ったけど何も出来ていないんですなんて言ってもしょうがない・・・いや、だめだ、今の僕は自分を隠す理屈マシーンじゃないから、そう、お前みたいに、課長にだって「キスしてました」と言いかねない感性だ。
 しかし、お母さんは自分が帰ってきたばかりで暑いからか、「ずいぶん蒸しますねえ、扇風機を入れましょうか」とまたうちわを動かした。ああ、黒井は服を脱いでうだっているだけと思われたのか。男はその分少し得だ。女の子なら言い訳もできない。
「ほらほら彰彦さん、冷たいものでも飲みますか?」
 そう言ってうちわの風を送るが、黒井は「やめて、寒いから」と手を伸ばした。
「え、寒い?」
「寒くないけど、なんか寒い」
 和服のお母さんは布団の横にすっと正座し、着物の袖を片方の手で押さえながらためらいもなく黒井の額や首筋や胸に触れ、「少し熱っぽいかしら」と言った。その、手のひらと手の甲で無造作に触れていく様子を見て、僕は、自分が熱を出した時も黒井にそんな風に触られた、と思った。
「まあめずらしい、彰彦さんが熱出すなんて、明日は雪ですね」
「お母さん、俺、熱が出たんですか」
「風邪ですよ。きっと疲れが出たんでしょう。やまねこさんが来てくれて、はしゃぎすぎたんじゃありませんか?」
 黒井は腕で目を覆って口ごもり、ああとかううとか唸った。
「この人ねえ、本当に身体だけは丈夫で、滅多に風邪なんかひきませんでしたのよ」
 僕はつい傍観者モードになっていたが、自分に向けられた言葉だと気づき、「そ、そうなんですか」と何とか返した。
「・・・まあ、お薬飲んで、一晩様子見るしかありませんね。でも、帰りだってやまねこさんが一緒なんだから、良かったじゃありませんか。一人じゃちょっと心配だけど、一緒なら何とか帰れるでしょう」
 黒井がまたもごもごと唸るので、僕は「はい、大丈夫です」と答えた。
「おうちは、近いの?」
「いや、そうでもないけど、同じ京王線なので」
「あらそう」
「はい、だから何かあっても俺、ちゃんと送っていきますから」
「まあまあ、お料理も作ってもらって、面倒も見てもらってじゃ、彰彦さんも何かお返ししませんとねえ。さてとそれじゃ、お薬と氷枕と、着替えと・・・何か食べますか?」
 黒井は「も、桃カン!」と拗ねたような声を絞り出し、僕に背中を向けて丸まった。
 お母さんが出て行ったあとで、僕は、ああ、お母さんの前で僕は自分のことを「俺」と無意識に言ったことに気がついた。何かを、克服しつつあるのかなんて、思ってみた。
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