60 / 67
第十一章 記憶の森
死の報復(10)
しおりを挟む
『真面目な話、八瀬君、仮に幸子ちゃんの妹さんの旦那さんがこっちに来たから言うて、肝心の妹さんとは会われへんことない?』
純粋な疑問と言うよりは、確認しているといった口調だ。
聞かれた八瀬青年も、かなり困った表情を浮かべていた。
『それは何とも……聞く限りはギリギリ赤紙招集されなかった年代の人やとは思いますけど、だからと言って今の今まで清廉潔白に生きてこられたのかどうかは……』
船井老人の生前の行い次第で、妻と同じ道を歩むことになるかも知れない。
それは現時点では確認のしようもない。
八瀬青年の困惑は、そういうことだろう。
『ああ、うん、それもあるんやけど、何番目かの王様のところで、生前関係のあった人やら動物やらを呼んで、その死者の行いを証言して貰う、言う話やろう? 今のままでは辰巳一家からは誰も呼べへんことない?』
祖母の問いかけに、言いたいコトが分かったのか八瀬青年は「……ああ」と、軽く手を叩いた。
『そうですね。基本的には三悪道――地獄道、餓鬼道、修羅道にいる死者は証言の場には呼べません。秦広王様の審議の場からかなり離れたところにあると言うのもあるんですけど、一番は、そんなところに送られるようになった性根から言うても、証言に信憑性はないと思われてますから』
『そうよねぇ……そうなると、その旦那さんと幸子ちゃんの妹さんを会わせる時に、幸子ちゃんもこっそり同席させる――いう手は使えへんのよねぇ』
ああ、とそこでようやく菜穂子は、祖母が考えていたプランを察した。
それと同時に、それを実行することがとても難しいことも。
『おばあちゃん、でもさ、辰巳幸子って卒業まで小学校に通いたかったのと、おばあちゃんと歌を歌いたかったのが未練なんやないの? 家族の話って今まで一言も聞いてない気がするんやけど』
少なくともここまで、菜穂子は一言もそんな話を聞いていない。
そう言うと、祖母は虚を突かれたように黙り込んだ。
『まあ確かに「家族なんやから」言うのは、万人に通じる話でもないですしね』
むしろ八瀬青年の方が、菜穂子に共感する姿勢を見せたくらいだった。
『八瀬君まで……』
『僕も正直、病気が分かった段階で「穀潰し」「金喰い虫」言われて、最後はほとんど放置でしたから。秦広王様の所で僕が会うたのも、最後まで僕に寄り添ってくれてた近所の野良猫やったくらいで』
あっさりと微笑いながらそんなことを言っているが、実際には物凄く重い話だ。
戦後復興期の食糧難で見殺しにされた辰巳幸子と、同じく貧乏の末に薬も手に入れられず息を引き取ったらしい八瀬青年。
家族に夢を見ていない、という意味ではむしろ彼の方が辰巳幸子の心境を理解していそうだった。
『――まあ、そやから言うて高辻先生にベタベタまとわりついていいかと言えば、それはまた話は違うんですけどね』
まさか菜穂子の心の中を読んだわけでもないだろうが、そう言って八瀬青年は意味ありげに口元を歪めていた。
『戻れるんなら、僕も小学生に戻って先生に教えて欲しいくらいやのに』
……どうやら、共感よりも嫉妬の方が上回っているらしい。
思わず半目になってしまった菜穂子に気が付いたのか、八瀬青年は軽く咳払いをして態勢を整えていた。
『ああ、でも、先生が歌うたうんなら、僕も同席したいです。あの当時、授業で歌てええ歌なんて、九分九厘軍歌やったでしょう? もっと普通の歌を先生の声で聞きたいです』
軍歌。
そう言えばいつだったか、どこかの幼稚園で歌わせている話が広がって「時代錯誤」だなんだと世間を賑わせていたような気がする。
戦時歌謡や愛国歌と言った区別もあるらしいが、内容自体は軍隊内で士気を高めるために作られた歌やら、戦死した犠牲者を悼むことを目的とするものまで様々あるらしい。
祖母曰く、現代の街中で大音量で走る街宣車がよく流しているのは所謂「戦時歌謡」に分類されるものらしく、軍隊内で作られた軍歌とは、微妙に趣を異にするそうだ。
『大本は日露戦争の悲惨さを訴える反戦の歌やった筈なんやけど、いつの間にかすり替わってしもたなぁ……まぁ今やから言えるけど、確かに授業中は軍歌ばっかりやったわ。そやから放課後とか、生徒連れて疎開先で短い遠足なんかに行った時には、こっそり唱歌を歌てあげたりしてた。幸子ちゃんもそっちが頭に残ってしもてたんかも知れへんね』
『唱歌……って、たとえば「さっちゃん」も?』
『そうやね』
もちろん、おかしな四番以降の歌詞はついていない――祖母は茶目っ気混じりにそう言って、肩を竦めた。
『え、おばあちゃんはその話知ってたん!?』
八瀬青年が知らなかったくらいだから、てっきり……と菜穂子は思ったものの、考えてみれば船井老人が洋子が歌っていたのを聞いていると言っていたくらいだ。どこかで耳にしたことがあるのかも知れない。
驚く菜穂子に『知ったのはついさっき』と祖母は苦笑いを見せた。
『幸子ちゃんじゃなくて、別の子が賽の河原でさっき歌ってたんよ。おばあちゃんが先生してた頃やったら「誰や! 子どもに何て歌聞かせてるんや!」って怒ってたやろうけどなぁ……あの子かてどこかからの又聞きで歌ってたんやろうし、一概には責められんかったわ』
唱歌としては三番までが正しい。ちゃんと教えてあげないと――と呟いている祖母に、菜穂子はもう、これは祖母が賽の河原に残るのは確定だろうと言う気さえしはじめていた。
きっと祖母は、あの子を見捨てられない。
そうなると、問われているのは祖父の覚悟だけと言う話になってしまう。
決断の時は、きっとすぐそこ。
そんな気さえ、今はしていた。
純粋な疑問と言うよりは、確認しているといった口調だ。
聞かれた八瀬青年も、かなり困った表情を浮かべていた。
『それは何とも……聞く限りはギリギリ赤紙招集されなかった年代の人やとは思いますけど、だからと言って今の今まで清廉潔白に生きてこられたのかどうかは……』
船井老人の生前の行い次第で、妻と同じ道を歩むことになるかも知れない。
それは現時点では確認のしようもない。
八瀬青年の困惑は、そういうことだろう。
『ああ、うん、それもあるんやけど、何番目かの王様のところで、生前関係のあった人やら動物やらを呼んで、その死者の行いを証言して貰う、言う話やろう? 今のままでは辰巳一家からは誰も呼べへんことない?』
祖母の問いかけに、言いたいコトが分かったのか八瀬青年は「……ああ」と、軽く手を叩いた。
『そうですね。基本的には三悪道――地獄道、餓鬼道、修羅道にいる死者は証言の場には呼べません。秦広王様の審議の場からかなり離れたところにあると言うのもあるんですけど、一番は、そんなところに送られるようになった性根から言うても、証言に信憑性はないと思われてますから』
『そうよねぇ……そうなると、その旦那さんと幸子ちゃんの妹さんを会わせる時に、幸子ちゃんもこっそり同席させる――いう手は使えへんのよねぇ』
ああ、とそこでようやく菜穂子は、祖母が考えていたプランを察した。
それと同時に、それを実行することがとても難しいことも。
『おばあちゃん、でもさ、辰巳幸子って卒業まで小学校に通いたかったのと、おばあちゃんと歌を歌いたかったのが未練なんやないの? 家族の話って今まで一言も聞いてない気がするんやけど』
少なくともここまで、菜穂子は一言もそんな話を聞いていない。
そう言うと、祖母は虚を突かれたように黙り込んだ。
『まあ確かに「家族なんやから」言うのは、万人に通じる話でもないですしね』
むしろ八瀬青年の方が、菜穂子に共感する姿勢を見せたくらいだった。
『八瀬君まで……』
『僕も正直、病気が分かった段階で「穀潰し」「金喰い虫」言われて、最後はほとんど放置でしたから。秦広王様の所で僕が会うたのも、最後まで僕に寄り添ってくれてた近所の野良猫やったくらいで』
あっさりと微笑いながらそんなことを言っているが、実際には物凄く重い話だ。
戦後復興期の食糧難で見殺しにされた辰巳幸子と、同じく貧乏の末に薬も手に入れられず息を引き取ったらしい八瀬青年。
家族に夢を見ていない、という意味ではむしろ彼の方が辰巳幸子の心境を理解していそうだった。
『――まあ、そやから言うて高辻先生にベタベタまとわりついていいかと言えば、それはまた話は違うんですけどね』
まさか菜穂子の心の中を読んだわけでもないだろうが、そう言って八瀬青年は意味ありげに口元を歪めていた。
『戻れるんなら、僕も小学生に戻って先生に教えて欲しいくらいやのに』
……どうやら、共感よりも嫉妬の方が上回っているらしい。
思わず半目になってしまった菜穂子に気が付いたのか、八瀬青年は軽く咳払いをして態勢を整えていた。
『ああ、でも、先生が歌うたうんなら、僕も同席したいです。あの当時、授業で歌てええ歌なんて、九分九厘軍歌やったでしょう? もっと普通の歌を先生の声で聞きたいです』
軍歌。
そう言えばいつだったか、どこかの幼稚園で歌わせている話が広がって「時代錯誤」だなんだと世間を賑わせていたような気がする。
戦時歌謡や愛国歌と言った区別もあるらしいが、内容自体は軍隊内で士気を高めるために作られた歌やら、戦死した犠牲者を悼むことを目的とするものまで様々あるらしい。
祖母曰く、現代の街中で大音量で走る街宣車がよく流しているのは所謂「戦時歌謡」に分類されるものらしく、軍隊内で作られた軍歌とは、微妙に趣を異にするそうだ。
『大本は日露戦争の悲惨さを訴える反戦の歌やった筈なんやけど、いつの間にかすり替わってしもたなぁ……まぁ今やから言えるけど、確かに授業中は軍歌ばっかりやったわ。そやから放課後とか、生徒連れて疎開先で短い遠足なんかに行った時には、こっそり唱歌を歌てあげたりしてた。幸子ちゃんもそっちが頭に残ってしもてたんかも知れへんね』
『唱歌……って、たとえば「さっちゃん」も?』
『そうやね』
もちろん、おかしな四番以降の歌詞はついていない――祖母は茶目っ気混じりにそう言って、肩を竦めた。
『え、おばあちゃんはその話知ってたん!?』
八瀬青年が知らなかったくらいだから、てっきり……と菜穂子は思ったものの、考えてみれば船井老人が洋子が歌っていたのを聞いていると言っていたくらいだ。どこかで耳にしたことがあるのかも知れない。
驚く菜穂子に『知ったのはついさっき』と祖母は苦笑いを見せた。
『幸子ちゃんじゃなくて、別の子が賽の河原でさっき歌ってたんよ。おばあちゃんが先生してた頃やったら「誰や! 子どもに何て歌聞かせてるんや!」って怒ってたやろうけどなぁ……あの子かてどこかからの又聞きで歌ってたんやろうし、一概には責められんかったわ』
唱歌としては三番までが正しい。ちゃんと教えてあげないと――と呟いている祖母に、菜穂子はもう、これは祖母が賽の河原に残るのは確定だろうと言う気さえしはじめていた。
きっと祖母は、あの子を見捨てられない。
そうなると、問われているのは祖父の覚悟だけと言う話になってしまう。
決断の時は、きっとすぐそこ。
そんな気さえ、今はしていた。
3
あなたにおすすめの小説
【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~
いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。
地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。
「――もう、草とだけ暮らせればいい」
絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。
やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる――
「あなたの薬に、国を救ってほしい」
導かれるように再び王都へと向かうレイナ。
医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。
薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える――
これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました
腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。
しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる