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第二部 宰相閣下の謹慎事情

417 居心地の悪い部屋(中)

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 多分、私のブローチを見る目は「さわるな危険!」のステッカーがべったり貼りついた、不審物を見る目になっていたと思う。

「……世の女性と言うのは、もう少しこう、宝飾品に対しての憧憬があると思いましたが」

 もしかしたら、ブローチそのものではなく、それが指し示すユレルミ族を卑下されたと思ったんだろうか。
 ジーノ青年の眉間に微かに皺が寄っていたので、私は慌てて両手を振った

「いえ。ブローチそのものを貶すつもりは毛頭ありません。細工からして、とても立派な物だと思いますし。ただ、シレアンさんへの紹介状程度なら、チェーリアさんのお店にいた〝ソラータ〟を商会ウチの従業員が追っ払った事の対価として許容は出来ましたけど、これはちょっと違うと思います」

 ブローチ一つで享受できる効果を聞けば、確かに魅力的な話ではある。
 少ない日程で、ある程度の販路を得ようとするのであれば、尚更に。

 ただ、企画書を代わりに書いてくれた…くらいまでは「蟄居中でヒマだった」と言われれば、突き返す理由のない親切ではあるけれど――このブローチが「違う」事くらいは、誰の目にも明らかだ。

 どう見ても、実際のブローチの重み以上の重みが、そこに乗っている気がする。

「確実に商会の商売には役立ちますよ?」
「……それでも、です」

 視界の端で、ウルリック副長が首を高速で縦に振っているのが見える。
 死にたくない、と唇が動いて見えたのは気のせいだろうか。

「……なるほど、思ったより手強いと言う事なんですね」

 私とウルリック副長を見比べながら、一人で何か納得したらしいジーノ青年に、私は「え?」と、ブローチから顔を上げた。

「いえ。私はどこかの誰かグイドの様に、考えなしに己の欲を先走らせて破滅する趣味はないので、今回が上手くいかないからと言って、無理を強いたりはしませんよ。あくまで自主的に手を取って貰える様、策を変えるだけの事ですから」

 …何の話だ。

 訝しむ私に、ジーノ青年はにこやかに微笑わらっただけだった。

「対価がないのが落ち着かないと仰るのであれば、こうしましょうか――まずこのブローチは、帰国される際にお返しいただくと言う事での、一時的な貸与としましょう」

 どうやら最初は進呈する気だったらしい事が、この一言からは窺えた。
 …受け取っていたら、どうなっていたのか。
 ウルリック副長じゃなくても、ちょっと背筋が寒くなった。

「そして、お貸しするにあたっての対価ですが……このブローチが、明日の下見と取引に役立ったと実感されたならば、次の機会で構いません。私とユレルミ族の拠点に行って、族長に会って頂けますか」

「……えっと」

 結局、ブローチそのものと変わらない爆弾を投げ込まれた気がするのは、気のせいだろうか。

 ジーノ青年の表情から、笑顔が剥がれない。

「どのみち、ギルド長とシレアンが薦める物件を購入して、店舗として商売を始めるまで、準備の為にアンジェスとバリエンダールとの間を複数回行き来される訳でしょう?そのどこかで、日程を組んで下されば充分ですよ。取引をするのに、一度も北部地域を訪問されないと言うのもおかしい訳ですし」

「それは…まあ……」

「ユレルミ族の族長が音頭を取れば、ネーミやハタラ、イラクシの族長も、ユレルミの拠点くらいまでなら足を延ばせます。今の陛下や王太子殿下の名前をお借りすれば、彼らも王都まで出て来なくもないでしょうが、完全な信用を得るまでには、残念ながら至っていませんからね。本気で本格的な取引をお考えなら、向こうで彼らに会うと言う選択肢以外は存在しない」

 王太子本人を目の前に、それを言えるのは大したものだ。

 ただ、ミラン王太子自身、軽く肩をすくめたところから言っても、実際問題として、否定は出来ないと言う事なんだろう。

「ユレルミの族長一族のとして、このブローチを付けて一緒に行って頂くのが本当は一番なんですが、確かに大公殿下の仰られた通り、ブローチがなかったとしても、本人が直々にやって来たと言う事実さえあれば、彼らも納得するでしょうからね。そこは妥協しますよ。ご心配なら、婚約者だと言う公爵閣下にご一緒頂いても、こちらはいっこうに構いませんので」

 歓迎しますよ?と微笑うジーノ青年の言葉が、額面通りに聞こえないのは何故だろう。

「実際のところ、北方遊牧民達の間にだって、利権の争いがない訳じゃない。ですがあの地方で小競り合いを繰り返すだけでは、我々はいつまでも王都からは見下されたまま。対等な取引相手ではなく征服の対象としか見做されない事になる。それを私の名の下にまとめ上げる事が出来れば、私は宰相令息グイドが愚行をしでかしたフォサーティ家の中でも生き残る大義名分を得る事が出来る」

 そもそも、ジーノ青年は養子だ。
 北方遊牧民達から見れば、ジーノ青年が「フォサーティ」の名を継いで、国の要職に就く事は希望の光にもなり得るのかも知れない。

 宰相の側から見ても、早々に養子をとったからには、恐らく「フォサーティ」の名が残る事が重要なのであって、血縁者であるかどうかは二の次でしかないように見える。

「国内のどの貴族の息もかかっていない『ユングベリ商会』の名は、武力に頼らず北部地域をまとめたい私には、渡りに船。どうあっても、その名は使わせて欲しい」
 
 他国アンジェスの公爵家が後ろ楯なのはいいのか――と思ったところを読み取られたのか「他国の公爵家なら、それはそれで商会の存在の信用性を保証しますからね」と、すぐさま言葉が重ねられる。

「ですから、このブローチはその対価としてお貸しします。一刻も早く、このバリエンダールにも拠点を作って頂いて、商品の流通実績を積んで下さい。それで北が上手くまとまるのであれば、恐らくは国王陛下が今回のアンジェスのフィルバート陛下からのご提案に躊躇される理由も一つ減りますからね。お互いに損のない話だと思いますよ?」

「……あの、一つ良いですか?」

 私はまだブローチには手を伸ばさずに、ここがチャンスかも知れないと、ジーノ青年と王太子殿下、フォサーティ宰相をざっと見まわした。

「どうぞ?まあ…答えられる範囲でなら、ですが」

 あくまで答えるのは、ジーノ青年だけど。

「もし、今回サレステーデの王子王女が暴挙に出て、自ら国を傾ける様な事をしなかったとしたら――どんな未来図を描いていらっしゃったのか、伺っても?」

「未来図、ですか」

 テオドル大公からの許可は貰っているし、多分メダルド国王にも今頃話をしているだろうから、こちらも平等に情報として出しておいても良いかも知れない。

 この後また、彼らは国王も交えての最終的な話し合いがあるだろうから、判断が曇らない為にも必要な事として、提供しておくべきだろう。

「第三王子殿下が、御輿として使えないのはもうお聞きになられたかと思いますけど、実のところは、証明する手段のない自称王弟殿下とやらも、バルキン公爵派の皆さんと共に、アンジェス国の牢の中です。彼らを御輿とする未来図は事実上破棄されたも同然なので、それならばこの場で教えて頂いたとしても問題ないのかな――と」

「「な…っ⁉」」

 声を出して、顔色を変えたのはミラン王太子とフォサーティ宰相だ。

 ジーノ青年は、ただ、無言で目を見開いていた。
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