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第二部 宰相閣下の謹慎事情
416 居心地の悪い部屋(前)
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「どうぞ、ユングベリ嬢。私とフォサーティ宰相はここでしばらく様子を見させて貰うから、気にせずそこに座って、ジーノと話を進めてくれ」
昨日の謁見に関しては、王室のプライベート棟である西の正面棟で行われていて、公式行事は北の正面棟だと聞いていたけど、公務や官吏の政務などは、南の正面棟に、主に関連する部屋が集中しているとの事だった。
南の正面棟内でテオドル大公と別れた後、私の方はミラン王太子の執務室に案内された。
中に入ると正面の執務机には王太子がいて、その背後の窓際には、フォサーティ宰相が立っていた。
執務机の前には応接用と思われるソファが向かい合わせに置かれていて、その間にはローテーブルがある。
そのソファの片側に、ジーノ青年が腰を下ろしていて、私はどうやら、ローテーブルを挟んで向かい側に腰を下ろせと言う事らしかった。
最終的に、ベルセリウス将軍とウルリック副長、護衛騎士のトーカレヴァとノーイェルさんの四人に付き添って貰っていたので、私は申し訳ないと思いつつも、彼らには入口の扉付近で待機をして貰う事にした。
「陛下とテオドル大公殿下との話が終わって、フォサーティ家に対しての正式な処分が下されるまでは、私も養父もこの部屋に軟禁と言う形になってしまったものですから、申し訳ありません」
「……いえ」
居並ぶ面子に、それしか言いようがないと思っていると、ジーノ青年も分かっているとばかりに苦笑を浮かべて、ローテーブルにあった書類を、私の方へと押し進めた。
「そんな訳で、思いがけず私はこの部屋で手持ち無沙汰になってしまったものですから、口頭で伺っていた例の素案を、勝手にまとめてみました。お考えと異なる部分があれば仰って下さい。何しろ今なら時間が有り余っていますから、すぐに修正しますよ」
「え」
思いもよらなかった言葉に、私は書類に落としていた視線を勢いよく上げてしまった。
だけどジーノ青年は無言のまま、どうぞとでも言う様に、再度片手を広げて書類を指し示した。
「は…拝見します」
手に取って、複数枚にわたっている書類一枚一枚に目を通していく。
(で……できる、この人……)
民族衣装を着せた人形や、衣装生地を使ってのアクセサリー、アングイラの白焼き、エプレを使っての香り袋やお酢、アラタロと魚と野菜のミルフィーユ仕立てに、極めつけは魚醤の事までが、時にはイラストが入って纏め上げられていた。
当然、調味料や香り袋の為のガラス容器についてもちゃんと書き添えられている。
「……絵までお書きになれるんですね」
「元々、北部の人間は器用な者が多いですよ?」
さも、何でもない事のようにジーノ青年は微笑っているけど、どだい「不器用ブッキーちゃん」には出来ない事である。
もう、私は素直に「有難うございます」と頭を下げた。
「充分です。厚顔ついでにお願いがあるんですけど、ギルドのシレアンさん用に、もう一部写しを頂けませんか?ナザリオギルド長が、作成するならシレアンさんにも一部…と、仰っていたので」
構いませんよ、と言いかけたジーノ青年の言葉が、そこでふと止まった。
「……ギルド長にお会いになったのですか?」
「あ、たまたま私が行った時に、シレアンさんがギルド長に何か報告されていたみたいで、結果的に同席される事に」
覆面調査の話は、皆が知っているのかギルドに所属している者しか知らないのか聞いていなかったので、私は慌てて、どうとでも取れる言い方に変えておいた。
「どうやら、行動力どころか運までお持ちらしい」
「運…ですか?」
あの史上最年少ギルド長は、そんなにもレアキャラなんだろうか。
私の素朴な疑問を見透かした様に「ええ」と、ジーノ青年は頷いた。
「お会いになったと言う事は、あの方の複雑な就任事情もお聞きになったと言う事ですね?」
あの方。
自分よりも年下のギルド長に対して、ジーノ青年は日頃から敬意を持って接しているのだと言う事が窺い知れる。
と言う事は、彼はギルド長として公平な判断を下していると断言するのと同時に、北方遊牧民達を色眼鏡で見る事や、前ギルド長の行く末を聞いて、怯えて籠る事もしていないのだ。
シレアンさんの上司として、ちゃんと一目置いていると言う事なんだろう。
「そう…ですね。ざっくり、ひと通り」
「正直なところ、あの方にも前ギルド長と同じくらいの危険はありますからね。ご自身でもその事は良く分かっていらして、必要以上に、職員や特定の業者と親しくなる様な事はずっと避けてこられた。しれっと受付の手伝いをしていたり、物件の案内をしたり、とにかく一箇所に留まって仕事をしている事が少ないと聞きます。会いたいと思う時に限って捕まらない事の方が多いんですよ」
自分の居場所をギルド長室に固定化させず、しょっちゅう部屋にいない変わり者と周囲には見せながら、相手に「狙いづらい」と思わせる様に自衛している訳だ。
「なるほど……それで、運」
何となく私は、テヘペロな姿のナザリオギルド長がうっかり想像出来てしまい。それを振り払う様に顔の前で片手を振った。
「…どうかされましたか?」
「ああ、いえ、何でも。何となく、あのギルド長ならさもありなん…と思ったと言うか。明日、シレアンさんを再度訪ねる約束はしているんですけれど、自分がいるとは限らない、と仰ってましたし」
その言い方に、妙に納得したらしいジーノ青年も、くすりと微笑った。
「明日もお会いになると言う事は、今日はあまり話をされていらっしゃらない?」
「お茶会の時間もありましたし、もともと明日の約束がとれれば…くらいだったんですよ。たまたま、ご紹介頂いたおかげで、その場でお会い出来たんですけど」
私は、ジーノ青年がまとめたこの書面とほぼ同じ内容を彼らに説明した事や、ナザリオギルド長が、それに見合う物件を明日までにある程度見繕ってくれると言った事なんかを簡単に説明した。
「ああ…だから、シレアンの為の書類なんですね?ギルド長自身は、不要だと仰いませんでしたか?」
「仰ってました。私の一度の拙い説明で、あっと言う間に全体像を把握なさったみたい――あ、そう言う意味ではフォサーティ卿もそうでしたね」
「……ジーノで良いと、先ほど申し上げませんでしたか?」
「いえいえ、天下の宰相家のご子息を捕まえて、そのような」
「所詮、謹慎させられる様な一族ですから、お気になさらず」
こんなところで自虐ネタをぶちこんでくるな、と言いたいところだけれど、まさか馬鹿正直にそんな事は言えなかった。
「百歩引いて、公の場では少なくともご勘弁を」
「随分と下がられるんですね。当の本人が許可しているものを」
「………」
そんな事を言えば、魔王サマがコワイんです――とも言えず。
「まあ…今は退きましょうか。話はまだ終わっていませんし」
知ってか知らずか、微かに口元をほころばせたジーノ青年は、不意に上着の内ポケットから、少し中央の膨れた封筒を取り出した。
「では明日、シレアンと物件の下見や、時間があれば業者にも会う――と、言う事なんですね?」
「え…ええ、まあ」
「そうですか。なら、ちょうどよかった」
そう言って、取り出した封筒を書面の上に置く。
「これがあれば、北方遊牧民族の内、少なくとも〝ユレルミ〟族からは認められている者だと、証立てる事が出来ます。どこか見える所にお付けになると良いですよ。下見や交渉先で門前払いになる確率が格段に減ります。今回の訪問期間がそう長くないと分かっていましたから、宰相家の邸宅に人を遣って、ここまで持って来させました」
「……付ける?」
ジーノ青年がそれ以上を言わないので、私も仕方なしに、ローテーブルに置かれた封筒の封を切った。
「「‼」」
顔色を変えたのは、ミラン王太子とフォサーティ宰相だ。
その反応から言って、少なくともそれがユレルミ族を示す物だと言うのは、正しいんだろう。
「私はこの部屋から当面出られませんから、どうぞお使い下さい」
――封を切った内側から出て来たのは、細工のみごとなブローチだった。
昨日の謁見に関しては、王室のプライベート棟である西の正面棟で行われていて、公式行事は北の正面棟だと聞いていたけど、公務や官吏の政務などは、南の正面棟に、主に関連する部屋が集中しているとの事だった。
南の正面棟内でテオドル大公と別れた後、私の方はミラン王太子の執務室に案内された。
中に入ると正面の執務机には王太子がいて、その背後の窓際には、フォサーティ宰相が立っていた。
執務机の前には応接用と思われるソファが向かい合わせに置かれていて、その間にはローテーブルがある。
そのソファの片側に、ジーノ青年が腰を下ろしていて、私はどうやら、ローテーブルを挟んで向かい側に腰を下ろせと言う事らしかった。
最終的に、ベルセリウス将軍とウルリック副長、護衛騎士のトーカレヴァとノーイェルさんの四人に付き添って貰っていたので、私は申し訳ないと思いつつも、彼らには入口の扉付近で待機をして貰う事にした。
「陛下とテオドル大公殿下との話が終わって、フォサーティ家に対しての正式な処分が下されるまでは、私も養父もこの部屋に軟禁と言う形になってしまったものですから、申し訳ありません」
「……いえ」
居並ぶ面子に、それしか言いようがないと思っていると、ジーノ青年も分かっているとばかりに苦笑を浮かべて、ローテーブルにあった書類を、私の方へと押し進めた。
「そんな訳で、思いがけず私はこの部屋で手持ち無沙汰になってしまったものですから、口頭で伺っていた例の素案を、勝手にまとめてみました。お考えと異なる部分があれば仰って下さい。何しろ今なら時間が有り余っていますから、すぐに修正しますよ」
「え」
思いもよらなかった言葉に、私は書類に落としていた視線を勢いよく上げてしまった。
だけどジーノ青年は無言のまま、どうぞとでも言う様に、再度片手を広げて書類を指し示した。
「は…拝見します」
手に取って、複数枚にわたっている書類一枚一枚に目を通していく。
(で……できる、この人……)
民族衣装を着せた人形や、衣装生地を使ってのアクセサリー、アングイラの白焼き、エプレを使っての香り袋やお酢、アラタロと魚と野菜のミルフィーユ仕立てに、極めつけは魚醤の事までが、時にはイラストが入って纏め上げられていた。
当然、調味料や香り袋の為のガラス容器についてもちゃんと書き添えられている。
「……絵までお書きになれるんですね」
「元々、北部の人間は器用な者が多いですよ?」
さも、何でもない事のようにジーノ青年は微笑っているけど、どだい「不器用ブッキーちゃん」には出来ない事である。
もう、私は素直に「有難うございます」と頭を下げた。
「充分です。厚顔ついでにお願いがあるんですけど、ギルドのシレアンさん用に、もう一部写しを頂けませんか?ナザリオギルド長が、作成するならシレアンさんにも一部…と、仰っていたので」
構いませんよ、と言いかけたジーノ青年の言葉が、そこでふと止まった。
「……ギルド長にお会いになったのですか?」
「あ、たまたま私が行った時に、シレアンさんがギルド長に何か報告されていたみたいで、結果的に同席される事に」
覆面調査の話は、皆が知っているのかギルドに所属している者しか知らないのか聞いていなかったので、私は慌てて、どうとでも取れる言い方に変えておいた。
「どうやら、行動力どころか運までお持ちらしい」
「運…ですか?」
あの史上最年少ギルド長は、そんなにもレアキャラなんだろうか。
私の素朴な疑問を見透かした様に「ええ」と、ジーノ青年は頷いた。
「お会いになったと言う事は、あの方の複雑な就任事情もお聞きになったと言う事ですね?」
あの方。
自分よりも年下のギルド長に対して、ジーノ青年は日頃から敬意を持って接しているのだと言う事が窺い知れる。
と言う事は、彼はギルド長として公平な判断を下していると断言するのと同時に、北方遊牧民達を色眼鏡で見る事や、前ギルド長の行く末を聞いて、怯えて籠る事もしていないのだ。
シレアンさんの上司として、ちゃんと一目置いていると言う事なんだろう。
「そう…ですね。ざっくり、ひと通り」
「正直なところ、あの方にも前ギルド長と同じくらいの危険はありますからね。ご自身でもその事は良く分かっていらして、必要以上に、職員や特定の業者と親しくなる様な事はずっと避けてこられた。しれっと受付の手伝いをしていたり、物件の案内をしたり、とにかく一箇所に留まって仕事をしている事が少ないと聞きます。会いたいと思う時に限って捕まらない事の方が多いんですよ」
自分の居場所をギルド長室に固定化させず、しょっちゅう部屋にいない変わり者と周囲には見せながら、相手に「狙いづらい」と思わせる様に自衛している訳だ。
「なるほど……それで、運」
何となく私は、テヘペロな姿のナザリオギルド長がうっかり想像出来てしまい。それを振り払う様に顔の前で片手を振った。
「…どうかされましたか?」
「ああ、いえ、何でも。何となく、あのギルド長ならさもありなん…と思ったと言うか。明日、シレアンさんを再度訪ねる約束はしているんですけれど、自分がいるとは限らない、と仰ってましたし」
その言い方に、妙に納得したらしいジーノ青年も、くすりと微笑った。
「明日もお会いになると言う事は、今日はあまり話をされていらっしゃらない?」
「お茶会の時間もありましたし、もともと明日の約束がとれれば…くらいだったんですよ。たまたま、ご紹介頂いたおかげで、その場でお会い出来たんですけど」
私は、ジーノ青年がまとめたこの書面とほぼ同じ内容を彼らに説明した事や、ナザリオギルド長が、それに見合う物件を明日までにある程度見繕ってくれると言った事なんかを簡単に説明した。
「ああ…だから、シレアンの為の書類なんですね?ギルド長自身は、不要だと仰いませんでしたか?」
「仰ってました。私の一度の拙い説明で、あっと言う間に全体像を把握なさったみたい――あ、そう言う意味ではフォサーティ卿もそうでしたね」
「……ジーノで良いと、先ほど申し上げませんでしたか?」
「いえいえ、天下の宰相家のご子息を捕まえて、そのような」
「所詮、謹慎させられる様な一族ですから、お気になさらず」
こんなところで自虐ネタをぶちこんでくるな、と言いたいところだけれど、まさか馬鹿正直にそんな事は言えなかった。
「百歩引いて、公の場では少なくともご勘弁を」
「随分と下がられるんですね。当の本人が許可しているものを」
「………」
そんな事を言えば、魔王サマがコワイんです――とも言えず。
「まあ…今は退きましょうか。話はまだ終わっていませんし」
知ってか知らずか、微かに口元をほころばせたジーノ青年は、不意に上着の内ポケットから、少し中央の膨れた封筒を取り出した。
「では明日、シレアンと物件の下見や、時間があれば業者にも会う――と、言う事なんですね?」
「え…ええ、まあ」
「そうですか。なら、ちょうどよかった」
そう言って、取り出した封筒を書面の上に置く。
「これがあれば、北方遊牧民族の内、少なくとも〝ユレルミ〟族からは認められている者だと、証立てる事が出来ます。どこか見える所にお付けになると良いですよ。下見や交渉先で門前払いになる確率が格段に減ります。今回の訪問期間がそう長くないと分かっていましたから、宰相家の邸宅に人を遣って、ここまで持って来させました」
「……付ける?」
ジーノ青年がそれ以上を言わないので、私も仕方なしに、ローテーブルに置かれた封筒の封を切った。
「「‼」」
顔色を変えたのは、ミラン王太子とフォサーティ宰相だ。
その反応から言って、少なくともそれがユレルミ族を示す物だと言うのは、正しいんだろう。
「私はこの部屋から当面出られませんから、どうぞお使い下さい」
――封を切った内側から出て来たのは、細工のみごとなブローチだった。
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