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第二部 宰相閣下の謹慎事情

473 追憶と追悼の薔薇(後)

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「レイナ、まずは花を」
「あ、そうですよね。すみません。三輪ずつくらい切らせて頂いて、一つに縛れば良いですか?切りすぎですか?」

 それぞれの花とて無限に咲いている訳でもないし、まして此処でしか咲かない薔薇だ。

 遠慮がちに聞く私に「五輪ずつでも構わんよ。テオドルが持って行く花も、いつもそのくらいだし、今回は我々は付き添いに徹する」とフェドート元公爵が頷いたので、私は同じ色で5輪ずつ薔薇を束ねて、赤紫がさす薔薇をエドヴァルドへと渡した。

 私自身は、淡いピンクの花束を作る。

「せっかくですし、別々に持って行って、捧げる直前に一つに束ねる方が、亡くなられた後の世界で一緒になれますように……って、こちらからの祈りの気持ちをこめられると思いません?」

「亡くなった後の世界……?」

 エドヴァルドだけでなく、テオドル大公やフェドート元公爵も怪訝そうな表情を見せていると言う事は、こちらではどの国でもあまりない考え方なんだろうか。

「あ、そう言う考え方って、私の居た国だけなんでしょうか?まあ、語り始めるとちょっとやそっとでは終わらないので、ざっくり言うと、亡くなった人が例外なく向かう世界が、こことは別にあるんだと言う考え方です。その世界はいくつかあって、生前の行いによって、安らかだったり更なる苦難だったりが、ふりかかる――って感じでしょうか。なので私の国では、亡くなった方に対しては、安らかな世界に行けますように…って、祈ります。安らかに眠れ、とかって言いませんか?基本、そう言う意味がこめられているんですよ」

 天国と地獄、あるいは天界と冥界……等々、各国の神話の話は、奥が深すぎてとても語れない。
 宗教観や死生観の違いは、地球上でさえ山のようにあったのだから。

 だから「安らかに眠れ」で、良い筈なのだ。
 それはきっとどこの国でも、死者を尊重する言葉である筈。

「それは……とても良い考え方だな……」

 フェドート元公爵が、何かを噛みしめる様に何度も頷いている。

「では、案内しよう」

 元公爵は、そう言って身を翻した。

 その背中を横目に、エスコートの為に差し出されたエドヴァルドの手に、自分の手を重ねながらじっと見上げると、その手を問答無用で「恋人つなぎ」にして歩き出しながら、エドヴァルドが少しだけこちらに視線を向けた。

「そうだな……こちらでは、死ねば自然に還る。そう思われているのが一般的かも知れないな」

 そう言えば〝蘇芳戦記〟の設定上、この世界は基本的に宗教色の薄い世界ではあった。
 縋るほどの神は存在しない。全ては自己責任――の考えが根底にあって、修道院にしても刑務所色の強い場所だ。

「ある意味、その方が幸せな場合もありますよね……」

 最後の審判も十王庁も、似た考え方すら存在していないのかも知れない。

「レイナ?」

「私は……ちょっと怖いですよ。私には逆に、自然に還ると言う考え方の方こそがありませんから、別の世界に来てしまった私が死んだ時には『私』はどこへ行くんだろう……って」

 いや、そう言えば風になるとか何とか、言った歌はあったかも知れない。ただそもそも、日本で生きて、死んだ時と同じように、自分の魂は、死後裁判の場に行くと考えても良いのか――それとも、ただ「無」の世界が横たわるだけなのか。

 今から考えても仕方のない事なのかも知れないけど、気にならないと言うのも、嘘になってしまう。
 何しろそのくらい、自分の存在は、この世界にとってのイレギュラーだ。

「………」

 口ごもる私を見てどう思ったのか、言葉の代わりに、握られた手に力がぎゅっとこめられた。

「……どうして欲しい?」

「え?」

 思わず顔を上げると、エドヴァルドの顔が、さっきよりも近いところにある気がした。

「普通に考えれば、私が死ぬ方が先である筈だ。貴女がその、死んだ人間が向かうと言われている世界に行きたいのであれば、貴女が来るまでの間、自然に還る事なく、貴女を待とう。その間に、この世界からでも行く事が出来るのか、何としてでも調べておこう」

「エ……エドヴァルド様……?」

「私が待っていると思えば、怖くなくなったりはしないか?」

「……え…っと」

「貴女が待っていろと言うなら、いくらでも待つ。独りでどこかへ行かせる事はしない。それは今だろうと、死んだ後の事だろうと変わらない。私にとっての『貴女を選んだ』とは、そう言う事だレイナ」

 素の表情で死んだ後の事を語るのもどうなのかと――思う間もなく、耳元にエドヴァルドの声が響いた。

「どうして欲しい。待っていた方が良いか?」
「……っ」

 何だかコノヒトの場合は本当に待てそうだし、異世界に死後の世界がなかったとしても、本当に力技で何とかしてしまいそうだ。

「あ…あの…」
「ああ」

 独りで逝かずに済むのなら。
 実際どうか分からなくとも、そう思って生きていけるだけでも随分と違う気はする。
 ましてエドヴァルドがいてくれると言うのなら……。

「そうだと……嬉しいです」

 自然に還るよりは、その方が嬉しい。
 ポツリと本心を洩らしてしまった私に、そうか、とエドヴァルドは口元を綻ばせた。

「あ、いやでも!私の方が先に死ぬ可能性だって――」
「――させない」
「!」

 エドヴァルドの否定は、こちらがびっくりするくらいに早かった。

「まあ、それならそれで、私を待っていてくれれば嬉しいが、そもそも貴女を私よりも先に死なせたりはしない。不可抗力など起こさせない。相手が個人だろうと国だろうと、貴女の事は誰にも手出しをさせない。その為の、宰相わたしの権力だ」

「⁉ いえいえいえ!職権乱用反対!普通にしていて下さい、ええ、普通に!」

 王命があろうと、他国からの打診があろうと、知ったことかと断言しているのも同じだ。
 さすがにそれはマズくはないかと、私はぶんぶんと両手を振ってみたけれど、エドヴァルドの声も表情もまるで変わらなかった。

「それが私の普通だが」

「‼」

 待って待って、なんてコト言ってるんですか⁉
 それじゃ他国の王宮氷漬けにゴーサイン出してる、どこぞのサイコパス陛下と変わりません!

 あ、もうバリエンダール王宮内の一室を凍らせてきたとか言った⁉
 わあっ――‼

 顔色を変える私に「いや、本当に、それが普通だ」と、エドヴァルドは冗談ではないと言う表情で言った。

「トーレン殿下がずっと私に言っていたんだ。自分がいる間は、王家から馬鹿な縁談が来ても守ってやれる。だからその後の事を考えて、力をつけろと。ただ拒否をしてすむほど、貴族社会は甘くないと。当時はどれだけ私に厳しくすれば気が済むのかと思っていたが、今は有り難いとすら思っている」

 接点がなくなった後で、その有難みが分かる人もいる。

 究極の社畜。自分にも他人にも厳しい、エドヴァルドの「師匠」。

 そんなイメージのあったトーレン先代宰相は、実は誰よりも、若くして公爵位を継いだエドヴァルドに目をかけていたのかも知れない。

「尊敬…していらしたんですか、先代宰相閣下の事」

「ところどころ、貴女の言う『サイコパス』なのか、いかにも王族だと思える苛烈な部分もあったと思うが、基本的には王宮内でも数少ない、尊敬できる方だったとは思う」

 確かに、先々代国王を殺害したを持つ宰相だ。
 フィルバートの血筋はそこから流れたのかと、言われてしまえば納得な部分もある。

「亡くなられる直前までも仕事をされていたし、私に『本来は王族がすべき仕事』『宰相がすべき仕事』『王の器次第で引き受ける事を考えた方が良い仕事』と引継ぎ事項を三つに分けておいて下さった。王族だった殿下と違って、私には公爵としての公務もあったからな。ある意味、王となったのがフィルバートであるからこそ、私は王族がすべき仕事を宰相室から返上出来たし、本来の『宰相がすべき仕事』だけに集中出来ているとも言える」

「……それでも、あの量なんですね」

「各領主からの税の報告に関して、貴女には本当に感謝している。例年、一度や二度は睡眠不足で足元をふらつかせている事もあったからな」

「いや、普通にだめじゃないですか、それ」

 思わずツッコミを入れてしまう私に、エドヴァルドは微かに笑っていた。

 テオドル大公やフェドート元公爵は、こちらが見失わない程度の前方を歩いていて、会話を拾わないよう、気を遣ってくれているようではあるけれど。

 だからこそエドヴァルドも、口にしているのだろう。

 木々の間を抜ける道は、少しずつ上向いている感覚があって、やがて視界の先が開けた時には、崖とは言わないまでも岩場と呼べる場所が、そこに広がっていた。

 そしてその先、あまり大きくはないにせよ、石碑と呼んで差し支えのなさそうな、長方形の小さな石がそこにあって、文字や幾何学図形がそこには彫り込まれていた。

 そこが、ジュゼッタ姫が身を投げた所であり、テオドル大公がバリエンダール訪問の都度、献花に訪れる場所と言う事なんだろう。

「墓碑の裏側に、下の湖畔へと下りる階段がある。終わったら下りて来てくれ。小さな休憩場所を作らせてあって、いつもテオドルともそこでお茶をしている。今日はまあ、我々はそのすぐ近くで釣りを再開させるつもりだが、イデオン公は来たところだろう。彼女と、ゆるりと茶を楽しまれるのも良かろうよ」

 そう言って、フェドート元公爵とテオドル大公は、確かに墓碑の裏側から下へと下りる様に、姿を消した。
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