聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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第三部 宰相閣下の婚約者

764 公爵夫人の覚悟と矜持

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「義兄上。では、私はこのままユーホルト兄上には会わずに帰ることに……?」

 ユーホルト・ダリアン侯爵が、三国会談終了までは王宮内半缶詰めで仕事をさせられることになり、異母弟レンナルト卿は、その間の領主代理を務める。

 イル義父様の命と言うより、ほぼ王命で決まりかけている以上、ほのぼのと顔合わせの食事会をして帰る、などと言う選択肢は叔父・レンナルトの頭の中にも思い浮かばなかったものと思われた。

「そうだね……」

 そしてイル義父様も、それを完全には否定しなかった。

「後で私の執務室で、短期間領主代理となることだけ伝えて、そこから帰るといい。侯爵の方が、領地の仕事はどうするのかと、気にしてこちらの仕事に集中出来ないと言うのも困るしね。エリィも、後日話し合いたいとだけ、一緒に伝えておいたらどうかな」

「分かりました」
「分かりましたわ」

 ゆっくり、に含みが感じられたのは、気のせいかな。
 ……気のせいでいいよね。

「そろそろ宰相の側エドヴァルドと交代した方がいいのかも知れないな。向こうの『話し合い』も佳境だろう。そうそう、ボードリエ伯爵令嬢は、この後のことは陛下なり宰相なりから何か聞いているのかな」

「父を学園に送った馬車が引き返して来たところで、王宮内のどなたかが声をかけて下さると聞いておりますけれど」

 なるほど、王都の中を行って帰ってくる程度の時間であれば、私とシャルリーヌで軽くお茶が出来るだろうと……思って配慮したのは、陛下かエドヴァルドか。

 だとしたら、もうそろそろと言ったところなのかも知れない。

 シャルリーヌの返答に、イル義父様も「なるほど」と、納得したように頷いていた。

「エリィ、レイナちゃん。恐らくは私が陛下と話をしているあたりで、スヴェンテ老公やクヴィスト公爵代理が登城してくるだろう。そうなると、後日控えている会談の準備はダリアン侯爵やエモニエ侯爵の手を借りつつ、こちらはこちらで五公爵会議に入ることになる。夕食はともかくとして、夜は帰れないと思っておいて貰っていいかも知れない」

「……まあ」

 貴婦人の微笑みを見せるエリィ義母様からは、夫が仕事に忙殺されることへの恨みつらみは、少なくとも表面上は感じられない。

「夕食は、ご一緒出来ますのでしょう?」

 そこから見えるのは、あくまで健康への気遣いだった。

「もちろんだよ、愛しい人エリィ

 そしてイル義父様の返答は、妻への気遣いではなく、まぎれもない本気の返答だろうなと思った。
 ……この場の全員が。

「あの、イル義父様……私、まだほとんどダリアン侯爵閣下とは話をしていないのですが」

 先程軍神デュールの間で、ほんのちょっと挨拶を交わしただけ。

 今からイル義父様の執務室に付いて行った方がいいんだろうかと思ったのだけれど、イル義父様は片手を上げて首を軽く横に振った。

「ダリアン侯爵は、どのみちしばらく王宮に留まることになるんだ。エドヴァルド次第だろうが、別に機会はあるよ。恐らくは、カトル・アルノシュト伯爵令息の容態を直に見て貰うことになるだろうからね」

「!」

 これに反応したのは、私だけじゃなかった。

「義兄上、それならば私も……」

 確かに侯爵としての権限を持つのはユーホルト卿でも、当面領地にて舵を取るのはレンナルト卿になる。

 叔父の申し出はもっともであり、イル義父様も「ふむ」と、口元に手を当てた。

「ならば今、私と行って、すぐにまたここに戻って来よう。レイナちゃんも実際に関わっている側ではあるし、ボードリエ伯爵令嬢も協力をしてくれていると言う。エリィもダリアン侯爵家出身者として、知っておいた方がいいのかも知れない。だが、そこまで解釈の輪を拡げていいのかとなると、陛下や宰相を無視することは出来ないからね」

 どうやら叔父・レンナルトだけであれば、さっと行った後話を聞いたりせず、さっと戻って来て素知らぬ顔をしておくことも可能だろうと、イル義父様は考えたらしかった。

 もしかしたら、鉱毒による被害の話を聞いて、女性陣には直に見せたくないと思っているのかも知れないけれど、私の方にも、ここで同行を強弁出来るだけの論拠はなかった。

 むしろエドヴァルドを無視して物事を進めてはダメだと釘を刺されてしまえば、少なくとも私には何も言えないのだ。

「……仕方がありませんわね」

 そして夫と異母弟の表情をそれぞれ見やったエリィ義母様が、この場をまとめようとするかの様に、小さなため息を吐き出した。

「行ってらして下さいませ、二人とも。わたくしたちは、ここでもう少しだけお待ちしておりますわ」

「あ、ああ。すまないね。それとボードリエ伯爵令嬢、貴女ももし迎えが来れば、こちらのことは気にせず立ち去ってくれて構わないよ。これが最期の逢瀬と言うわけでもないだろうからね」

 代理とは言え現在聖女の肩書きを戴く以上は、この先も〝転移扉〟のメンテナンスの為に度々王宮を訪れる事になる。

 イル義父様の口調は場を和ませようとしているかのようで、内容なかみは事実と本音の塊でしかなかった。

「お気遣いありがとう存じますわ、フォルシアン公爵閣下。では頃合いを見て、その際にはお言葉に甘えさせて頂きますので」

 シャルリーヌの言葉に頷いたイル義父様は、その後エリィ義母様にだけ目配せを残すと、義弟レンナルトを連れて、一度この場を後にした。

 その時点で、レストラン〝アンブローシュ〟の従業員たちがこちらのお茶を入れ替えようと動き始めていたのだけれど、それらはエリィ義母様が片手を上げて遮っていた。

「大丈夫よ。本当に、すぐ戻って来るでしょうから」
「は……」

 コティペルト支配人がそれに素早く反応をしていて、エリィ義母様はその反応に満足をしたのか、チラと一瞥をしただけで、すぐさまこちらに向き直っていた。

「医局の勤務者達に、素人と言ってもいいイル異母弟レンナルトに一から病状を説明している時間なんてないはずですもの。ユセフの時でさえ、命に別状がないと分かれば皆、自分の研究に戻ってしまっていたのよ?」

 どうやら医局の皆さまは、管理部同様にマッドな人々が溢れているらしい。

 本当に「今の様子を見る」だけで戻ってくる、と言うか戻らざるを得ないだろうと言うのが、エリィ義母様の見解だった。

「その目で見て、二人で納得をして帰ってくれば、それで充分なのではないかしら」

「エリィ義母様……」

「もちろん、気にはなるのよ? だけど、公爵夫人の立場で出来ること、言えることには限界があるわ。もしかしたらレイナちゃんは、そこにユングベリ商会の商会長としての立場を加える事が出来るかも知れないけれど、それだって、それこそイデオン公を無視出来る話じゃない。どうやったって今は、夫が正しいのよ」

「…………」

「ただ、ね?」

 口を閉ざす私を覗き込む様にして、エリィ義母様は逆に朗らかに微笑わらった。

「聞けるタイミングが来たら、その時は容赦なく聞きましょう? それくらいは構わないと思うわよ?」




 軽く片目を閉じるエリィ義母様に、長年「公爵夫人」の肩書きを戴く者として、その年季の違いをまざまざと見せつけられた気がした。
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