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B3 とある常連客の観察日記1
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人間観察を趣味としている俺が近頃注目しているのは、行きつけの喫茶店長と、とある女性の動向。
いい年をして何とも焦れったい二人を観察するうちに、喫茶に通う目的が茶飲みなのか進展を見守る為なのかわからなくなってきた訳だが。
俺がここ、紅茶専門喫茶【織苑 orien】を見つけたのは、店がオープンする前のことだ。
大正末期か昭和初期あたりに建てられたと思われる、和と洋が混じりあった古家は、見るだけで興が湧いて楽しく、俺の散歩ルートの一つになっていた。
その古家に、ある日改装業者が出入りするようになり、まさかこの雰囲気を台無しにするつもりじゃあるまいな、と俺は密かに眉をひそめていた。
そうしてしばらくして、扉の辺りに【紅茶専門店・織苑 orien】と記された目立たない看板が掛けられているのを発見した。
こんな住宅街に物好きな、と思いつつ、一つ向こうの通りは駅に続く道だし、少し上がれば神社があるので、それなりに客は見込めるのかもしれない。
興味を引かれたそのままに、俺は店へ入ってみた。
扉を開けた瞬間に、馥郁とした紅茶の香りに包まれる。アンティーク調の店内と、静かに流れるピアノ曲。時が止まったような、穏やかな空間。
俺が建物の外観を見て、勝手に抱いていたものと寸分違わぬ光景が、そこにあった。
特に紅茶党という訳ではなかったが、店の雰囲気も、茶の味も気に入った、のんびりできる場所を逃すことはない。
俺は散歩の終わりに店に寄るようになる。
店の開店時からの常連客というと、店長の知り合いでもある篠宮の老夫人、隣家に住まわれる西藤夫人、あと二人ほど。それに俺。
そこに彼女が加わったのは、店がオープンして二ヶ月、夏が過ぎたあたりのこと。
少し忙しくしていて、しばらくぶりに訪れた【織苑】に、店長と話す見知らぬ女性がいた。
カウンターの奥の席に陣取り、向こう側の織原店長と笑顔でやり取りしている。最初は、ときどき現れる彼目当ての女かと思った。
それにしては気合いの入っていない、飾り気のないスタイルに首を傾げる。
ざっくりしたワンピースにカーディガンを羽織って、適当な長さの髪を適当にまとめ、化粧っけはあまりない。中肉中背、年齢は俺と同じくらいか。
「いらっしゃいませ。呉崎さん、お久しぶりですね」
気づいた店長が顔を上げた。釣られて彼女もこちらを向く。悪い癖だと思いつつ、品定めを行う。
中の中。もっと気を使えばそれなりに装える容姿なのに、本人にはそういった気はないらしい。
申し訳程度にしか化粧もしていない様子に、最初の店長目当てという印象を修正した。
容姿端麗な彼のすぐ側に自然体でいられるのは、よほど自分に自信があるか、あるいは全く意識していないかのどちらか。彼女の場合は後者らしい。
目が合って、お互いに軽く会釈。店長に向かって手を振った。
「ちょっと仕事で籠ってた。何かスッキリしそうなの、頂戴」
名前を覚えるほど茶に執着もなく、だが美味いものは飲みたいというワガママな客である俺に、店長はしっかり応えてくれる。笑みを含んだ「かしこまりました」という声を背に、いつも通り壁際の席へ移動した。
「あ、いい香り~。ダージリン? と、う~ん、何?」
「烏龍茶を少し。あと、ミントですね」
「……なんだか月餅とか和菓子に合いそうな感じ」
「そうですね。こし餡の饅頭とか食べたくなります」
「ああ! 渋く淹れちゃったダージリン、コンビニの大福とか買ってきて誤魔化してるよ、私」
「そういえば透子さん、オータムナルのダージリンお買い上げでしたね」
「うう……マスターが淹れたのか美味しかったから、買ったんだけどやっぱりダメだったー。私、ダージリンだけうまく淹れらんないの」
持ち込んだ本を開き、腰を落ち着かせた俺の耳に、カウンターのあちらとこちらで交わされる会話が入ってくる。
店長がトウコさんと呼ぶ彼女はどうやら生粋の紅茶党らしい。茶の話でよくまあそう会話が弾むな、と興味のない俺にはわからない世界の話が弾んでいた。
静かで柔らかい店長の声と、シャキシャキした彼女の声。
そうして気づく。彼女へ向けられた、彼の想いに。
――ほほう。本から目を離し、二人の方へ視線を向けると、普段の営業スマイルとは趣の違う、店長の笑顔が見られた。
まるで、彼がいつも茶に対して向けているような眼差しに、知らず唇が弧を描く。
どんなお客さんの秋波にもなびかなかった店長がね――
彼本人もまだ自覚はなく、そして彼女と言えば、まるきり目の前の男が男とは意識していない様子を見るにつけ、にやにやと人の悪い笑みが浮かび上がってくる。
店と、茶と、のんびりした時間、それに加えて他人の愉快な恋愛事情と。
野次馬めいた楽しみに、俺が更に【織苑】に通うようになるまでに、時間はかからなかった。
(2011/08/15 メルマガSS。 本編始まる前くらいのエピソードです)
いい年をして何とも焦れったい二人を観察するうちに、喫茶に通う目的が茶飲みなのか進展を見守る為なのかわからなくなってきた訳だが。
俺がここ、紅茶専門喫茶【織苑 orien】を見つけたのは、店がオープンする前のことだ。
大正末期か昭和初期あたりに建てられたと思われる、和と洋が混じりあった古家は、見るだけで興が湧いて楽しく、俺の散歩ルートの一つになっていた。
その古家に、ある日改装業者が出入りするようになり、まさかこの雰囲気を台無しにするつもりじゃあるまいな、と俺は密かに眉をひそめていた。
そうしてしばらくして、扉の辺りに【紅茶専門店・織苑 orien】と記された目立たない看板が掛けられているのを発見した。
こんな住宅街に物好きな、と思いつつ、一つ向こうの通りは駅に続く道だし、少し上がれば神社があるので、それなりに客は見込めるのかもしれない。
興味を引かれたそのままに、俺は店へ入ってみた。
扉を開けた瞬間に、馥郁とした紅茶の香りに包まれる。アンティーク調の店内と、静かに流れるピアノ曲。時が止まったような、穏やかな空間。
俺が建物の外観を見て、勝手に抱いていたものと寸分違わぬ光景が、そこにあった。
特に紅茶党という訳ではなかったが、店の雰囲気も、茶の味も気に入った、のんびりできる場所を逃すことはない。
俺は散歩の終わりに店に寄るようになる。
店の開店時からの常連客というと、店長の知り合いでもある篠宮の老夫人、隣家に住まわれる西藤夫人、あと二人ほど。それに俺。
そこに彼女が加わったのは、店がオープンして二ヶ月、夏が過ぎたあたりのこと。
少し忙しくしていて、しばらくぶりに訪れた【織苑】に、店長と話す見知らぬ女性がいた。
カウンターの奥の席に陣取り、向こう側の織原店長と笑顔でやり取りしている。最初は、ときどき現れる彼目当ての女かと思った。
それにしては気合いの入っていない、飾り気のないスタイルに首を傾げる。
ざっくりしたワンピースにカーディガンを羽織って、適当な長さの髪を適当にまとめ、化粧っけはあまりない。中肉中背、年齢は俺と同じくらいか。
「いらっしゃいませ。呉崎さん、お久しぶりですね」
気づいた店長が顔を上げた。釣られて彼女もこちらを向く。悪い癖だと思いつつ、品定めを行う。
中の中。もっと気を使えばそれなりに装える容姿なのに、本人にはそういった気はないらしい。
申し訳程度にしか化粧もしていない様子に、最初の店長目当てという印象を修正した。
容姿端麗な彼のすぐ側に自然体でいられるのは、よほど自分に自信があるか、あるいは全く意識していないかのどちらか。彼女の場合は後者らしい。
目が合って、お互いに軽く会釈。店長に向かって手を振った。
「ちょっと仕事で籠ってた。何かスッキリしそうなの、頂戴」
名前を覚えるほど茶に執着もなく、だが美味いものは飲みたいというワガママな客である俺に、店長はしっかり応えてくれる。笑みを含んだ「かしこまりました」という声を背に、いつも通り壁際の席へ移動した。
「あ、いい香り~。ダージリン? と、う~ん、何?」
「烏龍茶を少し。あと、ミントですね」
「……なんだか月餅とか和菓子に合いそうな感じ」
「そうですね。こし餡の饅頭とか食べたくなります」
「ああ! 渋く淹れちゃったダージリン、コンビニの大福とか買ってきて誤魔化してるよ、私」
「そういえば透子さん、オータムナルのダージリンお買い上げでしたね」
「うう……マスターが淹れたのか美味しかったから、買ったんだけどやっぱりダメだったー。私、ダージリンだけうまく淹れらんないの」
持ち込んだ本を開き、腰を落ち着かせた俺の耳に、カウンターのあちらとこちらで交わされる会話が入ってくる。
店長がトウコさんと呼ぶ彼女はどうやら生粋の紅茶党らしい。茶の話でよくまあそう会話が弾むな、と興味のない俺にはわからない世界の話が弾んでいた。
静かで柔らかい店長の声と、シャキシャキした彼女の声。
そうして気づく。彼女へ向けられた、彼の想いに。
――ほほう。本から目を離し、二人の方へ視線を向けると、普段の営業スマイルとは趣の違う、店長の笑顔が見られた。
まるで、彼がいつも茶に対して向けているような眼差しに、知らず唇が弧を描く。
どんなお客さんの秋波にもなびかなかった店長がね――
彼本人もまだ自覚はなく、そして彼女と言えば、まるきり目の前の男が男とは意識していない様子を見るにつけ、にやにやと人の悪い笑みが浮かび上がってくる。
店と、茶と、のんびりした時間、それに加えて他人の愉快な恋愛事情と。
野次馬めいた楽しみに、俺が更に【織苑】に通うようになるまでに、時間はかからなかった。
(2011/08/15 メルマガSS。 本編始まる前くらいのエピソードです)
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