ヒロインかもはみだし番外編集

深月織

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成立直後◆天邪鬼な素直

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 男女交際なんて生まれてこのかた、経験がなく。
 初カレなどと可愛らしい響きとは裏腹の相手に捕まってしまったあたしは、はじめての一夜が過ぎてもいっぱいいっぱいだった。
「なに突っ立ってる。おいで」
「いやいやいや……」
 扉を前にしり込みするあたしを、玄関先にいた専務が手招きする。
「別に、取って食うつもりだけど部屋に入ってすぐにまな板に載せるわけでもないから」
「いやいやいや! なんか不穏なセリフが聞こえた気がしますよ!?」
「というか、それこそ今さらだろ」
 今さらっていうのはアレですね! 昨夜散々ああいうことをしたんだから今さらたじろぐなってことですね! うん、気持ちを伝えあって、受け入れたからにはあたしも覚悟ができたと思ったんだけど、あれはちょっとした発熱のせいだったのかも! 昨日は昨日、今日は今日!
「鈴鹿」
 焦れたのか強引に腕を取られる。
「ううう……お邪魔、しま~す……」
 売られてゆく仔牛の気分で、専務の部屋に足を踏み入れた。

 急転直下のまさかの展開で、昔同期今上司の専務ことなんじょーさんと、なんというかそーゆー関係になりまして、いわば我々出来たてホヤホヤの『こいびとどうし』なのですが。
 彼のペースのまま、憧れホテルのスイートルームをおっかなびっくり堪能して、ホテルの売りでもある庭園も散策しちゃって、美味しいご飯もいただいて、――そのまま自宅に連れ込まれるとは思わなかったよ。完全に拉致だよね、これ。
 ……あれー、もしかしてあたし今日も帰れないとか、そんなことあるかも? 金曜仕事帰りにホテルでお食事つき一泊、土曜日自宅連れ込みは計算済みか、そうなのか!
 長い付き合いだけど、専務の自宅にお邪魔するのは実は今日が初めてだ。
 仲間内での飲み会というとお店がほとんどだったし、女性ばかりでなら誰かの家で鍋パーティーなんてこともあったけど、男の人たちが集まっている話は聞いたことがない。たまり場になるから避けてたのかなー。
 玄関から続く廊下からいくつかのドアを通り過ぎて、奥にたどり着くと、だだっ広いリビングがあった。
「鈴鹿。固まってないでこっち」
 周囲一帯を遠望できる大きな窓がまず目に入って、入り口で再びフリーズ。怖気づいたあたしをキッチンにいる専務が呼ぶ。
 片手にケトル、カウンターにティーセットらしきものが見えるということから割り出される答えは、要するにお茶を淹れてくださっていると――
「専務! お茶なら私が淹れますがっ」
 シャキッと手を上げてそう申し出たあたしに返されたのは、「馬鹿」という呆れた声だった。
「会社でもあるまいし、やめろ」
 そうは申されましても、専務さまにお茶汲みなどさせられないというか、非常に落ち着かない秘書根性が、ですね……
「座れ」
「はっ」
 眼鏡の奥の鋭い瞳に命じられてすぐさま示されたソファに腰を下ろす。
 カウンターキッチンの向こうで専務が動いているのを横目に、きょろきょろとあちこちを眺めて、あたしは間抜けな声を漏らした。
「なんというか、こう、想像通りでもありちょっと意外でもあり……」
「どっちなんだ」
 呟きを拾った専務に、だってと手を上下させる。
「こう、やっぱり専務の自宅だしドラマとか雑誌で見るような家だと思ってたんですよ。そしたらその通りで窓の外はちょっとのどかで夜景ギラギラじゃないけど、めちゃくちゃ良い眺めだし!」
「なんだその偏見」
「家具はシックかつモダンな雰囲気で揃えられてて、いかにも専務が住んでそうな部屋なのに、ーーなぜに」
 部屋の隅に積まれているワイシャツや私服をビシリと指す。
「洗濯物が山になってるんですか」
 落ち着いた空間が台無しだよ!
「ああ、週末にまとめて洗っているんだ。そういやクリーニングも取りに行かないと……」
 なんという生活臭溢れるお言葉!
「専務が! クリーニングを自ら取りに行くの!?」
 想像できないんだけど! 専務とクリーニング屋のおばちゃんが「ここのシミが取れなくて」「クリーニング回数券買うかい」「来週からコート類二十パーセントオフだよ」とかやり取りしてるところ!
 あたしがよほど奇っ怪な驚きを見せたためか、専務が「あのな」と呆れたまなざしをよこす。
「店に直接行っているわけじゃないからな? マンションのコンシェルジュが手配してくれているからな?」
「こんしぇるじゅ」
 ホテルかここは。
 うん。専務さまのお住まいになられていらっしゃる場所でありますれば、それはそれなりなんだろうなーという想像通りのセレブな物件です。
「お掃除とか食事は? ハウスキーピングとか頼んでいたり?」
「掃除は大まかに自分でしてる。手が回らないときは、来生の者に頼んでいるが」
「食事も作るぞ」なんて得意げに言う姿に、何でもできる男ってムカつくわぁと言いたい気持ちを抑えて、手ずから入れてくださったお茶をいただく。またこれがおいしいとか、この男何とかしてくれ。
 大人しく座ったものの、興味を抑えられずに周辺を見回していると、専務がこちらに向かって一枚のカードを滑らせた。
「合鍵、渡しておく。好きなときに来ていいぞ」
 気軽に言いながらカードキーをよこさないでください。
「無理ですし! 落としたら怖いからそんなもの渡さないで!」
「すーず」
 激しく首を振って拒否すると、表面上は機嫌のいい笑みを浮かべた専務があたしの名前を甘ったるく呼びつけた。逆に怖いんだってば!
 隣に腰かけた彼に、距離を詰められる。
「お前と俺の関係は、なんだ?」
 役員上司といち平社員……とかお約束を言ったら、デコピンじゃすまないな。
 気恥ずかしくてつい茶化してしまいそうになる己を叱咤し、そっぽを向きつつ彼の望んでいる名称を告げてみる。
「……こ、こいびとどうし……?」
 しかしまっすぐ顔を見て答えられない気持ちを察していただきたい。
 ハテナがついてしまうのも察していただきたい。
 まだ、本当には、自分が彼の隣にいることを許されたのだと実感できていないのだ。
「恋人でも間違いないが。――婚約者、だろ」
 手を取られて、緑の石が輝く指先にくちづけられる。
 こういう気障な行為が似合うのはどういうことですかホントに。逃げ出したくなるから色男押しで迫ってくるのは、やーめーてーくーだーさーいー!
 掴んだあたしの指先に自分の指を絡めて引っ張り、ニヤニヤとゆるんだ顔で専務が耳元にささやいてくる。
「慣れろ」
 ずっと同期兼上司部下としてすごし、自分は彼の恋愛圏外にいると思っていたんだから、一日くらいでこの恋人待遇に慣れるわけがないと思うの!
「うん、だから慣れろ」
 抱きしめようとする腕を押し返し、押し返しきれず揉み合ってしばらく。
 一体あたし何やってるんだと我に返ったときには、ぐったりした身体を専務の膝に抱きかかえられていた。
 こっちが疲労困憊なのに専務は笑み崩れている。
 だからなんでそう嬉しそうなの! なんじょーさんそういうキャラだっけ!? 
「堂々とお前を構っても誰からも文句の言えない関係になったからな」
「いままでだってじゅうぶん構ってましたよね!」
「仲間に対する『構う』と、恋人に対してのものは違うだろ」
 あのですね、お言葉を返すようですが専務どの。だからこそ文句はそこら中から出ると思うんですよ? 主にアナタ狙いのお姉さんお嬢さんたちからね!
 ああ……月曜日、出勤したくない……。
 専務とあたしは皆様が邪推されているようなそんな関係じゃないですよ~、単なる子分ですよ~、と言い張っていただけに、弁明のできなくなってしまったこの状況に、あたしは冷や汗を流すしかない。
 自分の人気のほどをわかってないのかもう麻痺しているのか、専務はあたしと付き合うことを隠すつもりはないらしい。ジタバタしたお話し合いの末なんとか、あえて言うものじゃないよねというところまで話を持って行ったけど、油断はできない。
 南条史鷹のこ……恋人……っ、婚約者、が、あたしだと知れ渡ったら、外部からもクレームが来るんじゃないですかね。うわあ、めんどくさい。
 釣り合わないのは重々承知しておりますけれども。
 単なる仲間としての立場だったら流せていたことも、こうなるとけっこうつらい。イヤミに我慢できるかな。
 問題はね、揉め事は避けたいけれど、売られた喧嘩をどこまで買わずにいられるか、なの。目の前でバーゲンセールされちゃったら、うっかり手に取ってしまいそうなんだよね。
 さすがに『専務さまの婚約者』が社員と戦(バト)ったらまずい。たとえ本人が気にしなくったって専務の評価を下げたくなんてないんだよ。自重が大事です、自重が、ええ。
 と、私が珍しく頭を悩ませているっていうのに。
 むーむー唸っていた唇をついばまれて、頬を撫でられる。不意打ちのキスに動転して口をパクパクさせても、注がれる眼差しはひたすら甘い。
 ……昨日から、もう、ナチュラルにこういうことばっかするのでこっちの心臓が持たないの……! ちゅっちゅし過ぎだとも思いますよ……!
「考え過ぎるとハゲるぞ」
「専務に言われたくないですし!」
「どういう意味だ……。それより、」
 ――『専務』じゃないだろ。
 昨夜散々言い聞かせたのに、とでも言いたげに、名前で呼ぶことを促される。
 専務は簡単に「木内」から「鈴鹿」に変えたけれど、あたしはですね、そう簡単に切り替えられないのですよ。
 七年間、子分としての距離をずっと保ってきたのに、告白から一晩経てばゼロ距離の恋人扱いとか、初心者には恥ずかしくていたたまれないの!
 きっとあたしの顔はおかしいくらい真っ赤になっているんだろう。専務が喉の奥で笑って、もう一度言う。
「慣れろ」
「慣れませんてば!」
「お前、昔は自分から抱きついてきたりしていたじゃないか」
「くっ、そんな分別がないときのことを言われましても……」
 恐れ知らずだったね、七年前のあたし!
「最初は鈴鹿のほうから懐に飛び込んできたんだぞ? お前が離れてから、ここが寂しくて仕方がなかった」
 手を取り胸に当てて、そんなことを言う。
 ――あたしだって。
 あたしだって、見つけた背中に向かって名前を呼んで、飛びつけないのが切なかった。
 他人行儀にふるまうことに、どれだけ苦心したか。
 あのときなんにも言わなかったくせに、こっちが『他人』に慣れた今、そんなことを言うんだから。
「……なんじょーさんはずるい」
 往生際の悪いあたしのぼやきは、開き直った彼に一蹴される。
「それで欲しいものが手に入るならいくらでもずるくなるさ」
 落ちてくるくちづけに、今度は逆らわなかった。
 ふわふわと抱きしめられ、キスする合間に専務がつぶやく。
「やっと連れ込めた」
「いまなんか言った! けいかくはんざい!」
「今さら」
 してやったりと笑った彼に抱きこまれて、またあたしはジタバタする。
 ベッドに移動してまでふざけるなって思います? 思うよ! でも、これがあたしと彼の常なのだ。
 専務は単にあたしをからかうのが楽しいんだろうけど、こっちは、ドキドキしすぎてふざけなきゃやってらんないの。
 自分の気持ちをごまかしていた時間が長かったせいか、あたしはすっかり意地っぱりになってしまった。
 出会ったころ何も考えずに大好き、と言えていたのに、いまはその言葉を口にすることがとても難しい。
 なのに、身体は素直で。
 触れられて、痛感する。
 このひとに触れられると、うれしいんだ。
 専務の指先が、唇が、肌を辿るたびにあたしは輪郭を震わせる。
 甘い痺れに支配されて、言いなりになってしまいそうな、なってしまいたいと思う心と戦って、「駄目」なんて言ってしまう。
 そのたびにおかしそうに彼が笑う。
 ――こんなになってるのに、まだ言うか、って。
 ドロドロと溶けて、内側深くを探る彼の指を濡らし、準備ができていることを知らせているのに、今さらなのに、って。
 きっと、甘やかされて浸りきるのは、簡単。
 無駄な意地なんてはってないで、彼の促すままゆだねてしまえば楽だろう。
 でも、それはあたしの望むところではない。
 出逢ったときから、「恋じゃない」と自分で自分を騙していた時も、あたしは彼に手を引かれるんじゃなく、隣を歩きたかったんだ。
 この面倒な大人の男と対等でいたいなんて、無謀かもしれないけれど。
「……お前、今関係ないこと考えてないか」
「関係なくないし……っ、打倒なんじょーさん、だし……!」
 執拗に与えられる愛撫に息を弾ませ、言い返す。
「墓穴掘ってるってわかってないな」
 墓穴とはなんだ、と問う間もなく、ぐっと脚を広げられる。
「え、ん、んん……!」
 言葉とともに強く身の内を侵す熱に、息を詰めた。
 昨夜受け入れたはずの感覚は、やっぱりぜんぜん慣れなくて。
 大丈夫、と何度もあやす専務の声に、反論したいような頷きたいような、どっちつかずの気分になる。
「恥ずかしい」「苦しい」が過ぎれば、頭が変になりそうな快楽があるとわかっているけど――まだ、肌を合わせることに戸惑い、覚悟も身体も不慣れなあたしは、こうなるとただ彼に翻弄されるまま背中にしがみつくしかない。
「……おいで、すず」
 普段どこにその甘ったるい態度仕舞っているの、と物言いたい。耳元で名前を呼ぶ声に含まれた熱に溺れてしまう。
 全部欲しいと求められて、その通り、あげたい気持ちはあるのに、うまく渡せないことがもどかしい。
 これも、そのうち慣れる?
 抱かれているとこんなに一生懸命で必死なのに、冷めれば本当のことだったのかあやふやで。
 触れる彼の指も唇も、まだ夢の中の出来事のように実感がない。
 好きだ、愛してる、なんて言われ慣れない言葉も、素直に受け止めて、同じだけ――それ以上に返したいの。
 あたしがちゃんとあなたを同じように、愛し返せるようになるまで、ゆっくり待っていて――
 

(※2014年12月どこでも読書エタニティフェアに書き下ろしたものを修正加筆)
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