ヒロインかもはみだし番外編集

深月織

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自覚前◆ 距離

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「木内さん、ああいうのは感心しないわ」
 給湯室からお茶を入れて席に戻ると、唐突に注意を受けてしまった。発言者である長船主任を見て、あたしは首を傾げる。
「さっき廊下で企画課のチーフと話していたでしょう。少しの立ち話が悪いとは言わないけれど、口調には気をつけなさい」
「……何かおかしかったですか」
「気安い仲なのかもしれないけれど。学生のようで、仕事の場にはふさわしくないと私は感じました」
 途中でみどりちゃんに会って、話していたのは間違いなかったし、特に会話を気にしていなかった。主任がこう言うってことは、いつものように砕けた言葉づかいになっていたのだろう。自分では気をつけているつもりなんだけど、仲間と話していると、どうしても油断しちゃうというか。とにかく自覚したならそれを改善するだけ――とはいえ、長年の意識を切り替えるのはなかなか難しい。
 やっちゃったかー、と心の中で肩をすくめて、あたしは一つ頷いて主任に頭を下げた。
「気をつけます。また何かお気づきでしたら、指導お願いします」
 秘書課に配属されてまだ一週間。物知らずのあたしが不注意にやらかすこともあるだろうと、主任の注意を当然として、殊勝な気持ちでそう言ったんだけど――返ってきたのは眉をひそめた彼女の仏頂面だった。
 うーん、嫌われてるなー。そんなにおかしい返答だっただろうか。
 あたしなんかしたっけ、と思うのはこういうときだ。
 たぶん、今のような状況で、他の人が同じことを言ったら主任はサラリと流すと思うの。「これから気をつければいいわ」って。
 でも、あたしが相手だと常に逆に取られるというか、普通に話していることでも悪い感じに取られてしまうというか。
 秘書室に異動するまで、長船主任とは接点がなかっただけに、最初から睨まれる原因がわからなくて疑問を覚える。秘書室のまとめ役がこの態度だから、他の先輩方もそれに習って微妙に冷たいのです……
 言葉の裏に、できない子扱いが含まれてるような気がするんだ。
 主任はあたし好みの綺麗なお姉さんだから、嫌われてるなと思うと傷つくんだよー。
 今まで受付しかやってこなかったから、今しばらく不慣れなのは大目に見ていただきたいなー、と思うのは甘えかな。新しい人間関係むつかしい。
 これまで、あたしは恵まれていたと思う。
 周り全て大卒の中、たったひとり高卒で、しかも見かけがミニマム童顔というスペックのあたしは、よくも悪くも周りから浮いていたし、悪く転べば阻害されて、仕事ができなくなっていたかもしれない。
 幸いにも同期入社の兄さん姉さんに弄り可愛がられて、成長することができましたが。
 今思えば社会人として赤面ものの幼さも、逆に自分たちより年下だからということで許されていた気がする。
 ようするに、同期仲間はもれなくあたしに甘い。
  ある意味、同期もおらず、目の届かないこの秘書室に配属されたのは、甘え根性をたたき直せという意志が働いてるのかも。
 って言って全部あたしの被害妄想だったら痛いなあ。
 なんにしても、こうして注意してもらえるだけでもありがたい。
 関心なく放っておかれて失敗することを思えば、冷ややかなまなざしなんてへっちゃらさ! ……あたしのこういうノリが無意識に言動の端々に滲み出ていて、気に入らないんだったらどうしよう。
 子どもっぽい舌っ足らずな声質と合わせて、うるさいと思う人もいるみたいだしー。でもこれは生まれ持ったものでしょうがないしー。
 マニアには受けるんだけどね! ……これが駄目なのか。駄目なんですか主任っ。
 脳内一人会話をしつつも、仕事も進める。本日あたしに回されてきたのはひたすら文書を清書(打ち込み)する作業です。
 得意分野です! 打ち込みのスピードはちょっと胸を張れるくらいですよ!
 集中し出すと周りの全てをシャットアウトしてしまうのが欠点と言えば欠点。
 このように。
「――っ、木内さん!」
「はっ、ハイ!」
 至近距離で呼ばれてビクッと飛び上がる。
 我に返ったあたしの視界に、腕を組んでしかめっ面をしている主任と、呆れたようにこちらを見ている秘書室のみなさまが映る。
 ……やっちまった……。
 主任の冷ややかなまなざしがいつか快感になりそうです……とか言ってる場合じゃない。
 イライラと組んだ腕を指先で叩きながら、主任はあたしを見下ろした。
「何回呼べば気がつくのかしら。その書類、いつまでにできるか聞きたかったんだけど」
「すみません、もう終わります! あの、ただ、ちょっと気になることが――」
 アタフタと一旦データを保存して、主任に引っかかった場所を示していると。
「何が気になったんですか」
 秘書室の扉から、冷静な中にどこかひとをおもしろがる声音を持つ、我らがボスが現れた。
 槙村秘書室長の涼しい顔が、社長の外出に付き合っていたせいか、お疲れのように見える。
「室長……」
「おかえりなさい、室長!」
 苦手としている人ナンバーツーの登場に、シャキッと背筋が伸びた。
 近くにいた部下に紙袋を渡して、室長がこちらへやって来る。「で?」と促す視線に小さくなりながら、清書していた文書のある部分を指し示す。
「ここなのですが。この会社が委託しているレンタル品、たしか製造をやめていて、普通に受注だとこの数確保できないと思います」
 特に手配したという記録もないので、確認しておいた方が良いかなと。想定済だったらとんだ早とちりだろうけど。
「佐和田課長のところの企画文書ですね。確認を取ります――ああ、木内さん、データを複製して南条専務まで説明に上がってください」
「ぅえっ」
「お願いしますね」
 思わずしゃっくりのような声を上げたあたしに、室長の有無を言わさない笑顔が向けられる。目が笑ってないです恐いです!
 脇からの突き刺すような視線は主任のもの。目が合うと、プイッと背けられる。何でですかあたしが何をしたというのですかあああ!
 もしかして『専務』? あたしを睨むのは『専務』が原因ですか? 才女と名高い秘書主任もあの男狙いなのですか、ちょっとガッカリ。
 他の誰かになんてお願いもできず、今現在苦手とするひとナンバーワンのところまで、トボトボ重い足取りで向かうのだった……。

 専務取締役室、という文字を見ただけで、近寄りたくねえ! と思ってしまう仰々しい扉の前で、あたしはノックするために上げた手を上げ下げしてしまう。
 気まずいんだよ、この部屋の主になった彼と会うのは。
 幼さを免罪符に、彼のことを「なんじょーさん」と親しく呼びかけていたのは、一年前までのこと。
 それまで後継者としての立場をのらりくらりと躱していたなんじょーさんが、専務という地位に立ったとき、あたしは彼から距離を置くことを選んだのだ。
 寂しかったけど、大人になるってこういうことだなって、納得して、来生商事の一社員としてこれからは裏で支えようと思った。
 一度間を置くとその距離が当然になって、それからは以前のようにすれ違っても簡単に声をかけられなくなった。
 挨拶だけで去って行くようになったあたしを、彼がどう思っていたのかはわからない。最初は「どうしたんだ、悪いものでも食ったのか、お前」なんて顔をしていたけれど、時間が経つとそれもなくなった。
 だから彼も、あたしとの間に空いた距離を、受け入れたんだと思う。いつまでも小娘に構っていられる立場にないもんね。
 ――なのに。
 どういうわけか、秘書室所属になってしまったあたしがいて、すれ違うことも稀になっていた彼と、顔を合わせる機会が増えてしまったのですよ……
 チラリとこちらを見て逸らされる瞳がどんだけ居心地悪いか、知れっていうのだ。
 憂鬱なため息を一つ落として、あたしは扉を叩いた。
「失礼します、秘書室木内です! 入ります」
 もう、どうして専務は秘書を置いてないのだ。ワンクッションあれば、あたしも尻込みしなくていいのに。
(お仕事お仕事!)そう唱えて、機敏な動作で中へ入る。
 普通なら専任秘書が控えているはずの、手前の応接スペースから奥を覗くと、専務席に着いていた彼が頷いて、さらなる入室を促す。電話中のようだった。
「ああ、来た。うん、説明を聞いてからまた連絡します」
 ほんの少しだけ、普段の専務よりも気を許した声音に、電話の相手は槙村室長だと見当がつく。ううう! 何を言われたのかなあっ。
 電話を切った専務がこちらを向き直って、手招きした。チョコチョコ近づくと、先に送っていたデータを開いて、問題の箇所に目を通している。
「だいたいのことは槙村さんから聞いた。今確認待ちだが、お前の情報はどこから?」
「ええと、以前同じような企画を請け負ったときに、ここの社員さんとお話ししたことがあって、聞いていたんですよ。良い商品なんだけど、コストが合わなくて生産中止だって。その後、取り扱いリストからも消されていたのを確認したので、情報が更新されていなければ、間違いないと思います」
 言いながら、自分の記憶が古かったらどうしようと今さら心配になってくる。
 専務はあたしの心配を知ってか知らずか、説明を聞き終わったあとは無言。
 データベースを呼び出して、何やら調べているようだったので、余計な口出しかもしれないとは思いつつも、ここへ来る前にプリントアウトしておいたリストを彼に差し出す。
「余計かとは思いましたが。似たような商品を用意できる会社をリストアップしておきました。よろしければお使いください」
 わずかに専務の眉が上がる。リストを受け取らず、あたしの手にあるまま目を通したかと思うと、おもむろに受話器を取り上げた。
 え、ええー。あの、受け取って解放していただきたいのですがー。
 どこかに電話をかけている様子を途方に暮れながら見ていると、続いた言葉に仰天する。
「――佐和田課長? 南条だが、ああ、聞いている。やっぱりそうか。今から秘書室の木内を向かわせるので、この件が片付くまでの間、扱き使って構わない。いろいろ持ってるから」
 ちょっと待てい! 何を勝手に賃出契約を結んでいるのだ! まずあたしに言うべきじゃないのかッ!
 と叫びたいのを我慢して、ぷるぷる震えていると、目を上げた専務がニヤリと笑う。
 ……っこの俺様専務様め!
「木内の懸念通り、商品確保は無理だったと。どうせお前のことだから、そのリストの社の中に伝手もあるんだろ。佐和田課長と協力してきりきり働け」
「御意にございますッ!」
 やけくそで答えて、扱き使われに向かうべく踵を返す。
 背中を向けたところで呼び止められた。
「秘書室には、慣れたか?」
「それなりに。まだわからないことも多いけど、修業だと思ってがんばってます」
 何か別のことを言いかけていた気配に、首を捻りながら答える。
 専務は苦笑して、視線を外した。
「そうか。――何かあったら言えよ」
「甘やかしも贔屓も、のーさんきゅーですよ! 子どもじゃありませんってば!」
 専務もか、専務までもか!
 入社六年目にして完璧なる自立を決意したあたしは、「わかっているよ」と複雑げに呟かれた彼の声を知らないまま、憤然と部屋を後にしたのだった。
 
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