2 / 12
2 予感
しおりを挟む
──幼い頃、メルキオの不注意で怪我をした。
その時についた小さな傷が、今も額にうっすら残っている。
九歳だった彼は、涙を浮かべながら言った。
「大人になったら、リアと結婚して責任取るよ。本当にごめん」
「じゃあ、大人になっても同じ気持ちなら、結婚しましょう」
私はそう答えた。
──なぜなら、私は“前世の記憶”を持っていたから。
前の人生で、私は結婚に失敗している。
人の心は、時とともに簡単に変わってしまう。
それを痛いほど知っていた。
けれど、あの誠実なメルキオなら約束を果たしてくれる。
そう信じていた。
だから、彼がティオラと親しくしていても──嫉妬する必要なんて、ないはずだった。
……なのに。
胸の奥がざらついて、嫌な予感がどうしても拭えなかった。
◆◆◆
午後の授業は選攻ごとに分かれている。
メルキオとティオラは音楽教室へ向かっていた。
肩を寄せて歩く二人の背中は、まるで恋人同士みたいだった。
──ティオラは侯爵家との婚約が決まってから、他の男性と親しくしないよう言われていたはずなのに。
今の彼女は、そんな忠告などなかったかのようにメルキオの腕に手を掛けている。
今だけ、我慢すればいい。
いずれメルキオは私と結婚する。
だって、それは“約束”なのだから。
「リア、早く行こうよ」
親友のレインの声に、私ははっとして顔を上げた。
「ごめん、すぐ行くわ」
二人で美術工芸の教室へ向かう。
絵具の匂いと木を削る音、金属を叩く音が混ざる、私の大好きな空間だ。
席につくと、レインは彫刻刀を手に取り、私はスケッチブックを開く。
前の人生でも、私は可愛いものが好きだった。
離婚して傷ついた心を癒してくれたのは、小さな動物のグッズたちだった。
この世界には、そんな可愛いものがない。
だから私は描く。
リボンをつけた猫、帽子をかぶったウサギ──見ているだけで心が和む、私だけの小さな世界。
窓の外から風に乗ってピアノの音が流れてきた。
──メルキオの得意な曲、「初恋」。
……まさか、ティオラに向けて弾いてるの?
「ねぇ、今日は雑貨屋に寄る日でしょ?」
レインが微笑んで言う。
「うん、今日も絵がたくさん描けたし」
私の絵を、雑貨屋の店主は「可愛いわね」と言って買い取ってくれる。
レインは私の絵をもとに、ちっちゃな木彫りの人形を作っていて、それも買い取ってくれる。
この世界では“可愛い”はまだ芸術として認められない。
美術の先生にも最初は呆れられたけれど、今ではもう何も言われなくなった。
──私は、私の好きなものを描く。
たとえ誰に笑われても。
◆◆◆
授業が終わると、いつものようにメルキオが迎えに来た。
けれど今日は、その隣にティオラがいる。
「ねぇ、前みたいに一緒に帰ってもいいかしら? 一人だとちょっと不安なの」
甘い声で言うティオラに、メルキオはあっさりうなずいた。
「しばらくは僕たちと帰った方がいいと思うんだ。リアも、そう思うよね?」
──“僕たち”じゃなくて、ティオラは“あなた”と帰りたいのよ。
そう言いかけた言葉を、私は呑み込む。
「今日は買い物があるの。レインと帰るから、どうぞご自由に」
少し冷たく言い放つと、二人はわずかに顔をこわばらせた。
「……そう。じゃあ、ティオラを送っていくよ。また明日ね、リア」
「ええ、さようなら」
笑顔で見送る私を、ティオラは振り返りざまに「クスッ」と笑った。
「いいのリア?」
「ええ、彼の初恋は、なかなか吹っ切れないみたいだから」
「メルキオったら、昨日までと別人みたい」
「ティオラに頼られて浮かれてるのよ。あの子、利用してるだけなのに」
「ううん、あれは“鷹の目”よ。獲物を逃がす気なんて、これっぽっちもなさそう」
「……ティオラは上昇志向の塊だもの。メルキオじゃ、相手にならないわ」
婚約を解消されたティオラは、きっとガルシオ侯爵家よりも上を狙っている。
そして、彼女を溺愛するお祖父様が、その願いを叶えてしまうのだろう。
──そう思っていた。
けれど、私のその考えが間違っていたと気づくのは、そう遠くない日のことだった。
その時についた小さな傷が、今も額にうっすら残っている。
九歳だった彼は、涙を浮かべながら言った。
「大人になったら、リアと結婚して責任取るよ。本当にごめん」
「じゃあ、大人になっても同じ気持ちなら、結婚しましょう」
私はそう答えた。
──なぜなら、私は“前世の記憶”を持っていたから。
前の人生で、私は結婚に失敗している。
人の心は、時とともに簡単に変わってしまう。
それを痛いほど知っていた。
けれど、あの誠実なメルキオなら約束を果たしてくれる。
そう信じていた。
だから、彼がティオラと親しくしていても──嫉妬する必要なんて、ないはずだった。
……なのに。
胸の奥がざらついて、嫌な予感がどうしても拭えなかった。
◆◆◆
午後の授業は選攻ごとに分かれている。
メルキオとティオラは音楽教室へ向かっていた。
肩を寄せて歩く二人の背中は、まるで恋人同士みたいだった。
──ティオラは侯爵家との婚約が決まってから、他の男性と親しくしないよう言われていたはずなのに。
今の彼女は、そんな忠告などなかったかのようにメルキオの腕に手を掛けている。
今だけ、我慢すればいい。
いずれメルキオは私と結婚する。
だって、それは“約束”なのだから。
「リア、早く行こうよ」
親友のレインの声に、私ははっとして顔を上げた。
「ごめん、すぐ行くわ」
二人で美術工芸の教室へ向かう。
絵具の匂いと木を削る音、金属を叩く音が混ざる、私の大好きな空間だ。
席につくと、レインは彫刻刀を手に取り、私はスケッチブックを開く。
前の人生でも、私は可愛いものが好きだった。
離婚して傷ついた心を癒してくれたのは、小さな動物のグッズたちだった。
この世界には、そんな可愛いものがない。
だから私は描く。
リボンをつけた猫、帽子をかぶったウサギ──見ているだけで心が和む、私だけの小さな世界。
窓の外から風に乗ってピアノの音が流れてきた。
──メルキオの得意な曲、「初恋」。
……まさか、ティオラに向けて弾いてるの?
「ねぇ、今日は雑貨屋に寄る日でしょ?」
レインが微笑んで言う。
「うん、今日も絵がたくさん描けたし」
私の絵を、雑貨屋の店主は「可愛いわね」と言って買い取ってくれる。
レインは私の絵をもとに、ちっちゃな木彫りの人形を作っていて、それも買い取ってくれる。
この世界では“可愛い”はまだ芸術として認められない。
美術の先生にも最初は呆れられたけれど、今ではもう何も言われなくなった。
──私は、私の好きなものを描く。
たとえ誰に笑われても。
◆◆◆
授業が終わると、いつものようにメルキオが迎えに来た。
けれど今日は、その隣にティオラがいる。
「ねぇ、前みたいに一緒に帰ってもいいかしら? 一人だとちょっと不安なの」
甘い声で言うティオラに、メルキオはあっさりうなずいた。
「しばらくは僕たちと帰った方がいいと思うんだ。リアも、そう思うよね?」
──“僕たち”じゃなくて、ティオラは“あなた”と帰りたいのよ。
そう言いかけた言葉を、私は呑み込む。
「今日は買い物があるの。レインと帰るから、どうぞご自由に」
少し冷たく言い放つと、二人はわずかに顔をこわばらせた。
「……そう。じゃあ、ティオラを送っていくよ。また明日ね、リア」
「ええ、さようなら」
笑顔で見送る私を、ティオラは振り返りざまに「クスッ」と笑った。
「いいのリア?」
「ええ、彼の初恋は、なかなか吹っ切れないみたいだから」
「メルキオったら、昨日までと別人みたい」
「ティオラに頼られて浮かれてるのよ。あの子、利用してるだけなのに」
「ううん、あれは“鷹の目”よ。獲物を逃がす気なんて、これっぽっちもなさそう」
「……ティオラは上昇志向の塊だもの。メルキオじゃ、相手にならないわ」
婚約を解消されたティオラは、きっとガルシオ侯爵家よりも上を狙っている。
そして、彼女を溺愛するお祖父様が、その願いを叶えてしまうのだろう。
──そう思っていた。
けれど、私のその考えが間違っていたと気づくのは、そう遠くない日のことだった。
1,151
あなたにおすすめの小説
愛する義兄に憎まれています
ミカン♬
恋愛
自分と婚約予定の義兄が子爵令嬢の恋人を両親に紹介すると聞いたフィーナは、悲しくて辛くて、やがて心は闇に染まっていった。
義兄はフィーナと結婚して侯爵家を継ぐはずだった、なのにフィーナも両親も裏切って真実の愛を貫くと言う。
許せない!そんなフィーナがとった行動は愛する義兄に憎まれるものだった。
2023/12/27 ミモザと義兄の閑話を投稿しました。
ふわっと設定でサクっと終わります。
他サイトにも投稿。
そこまで幼馴染が好きというなら、どうぞ幼馴染だけ愛してください
睡蓮
恋愛
リューグ伯爵はソフィーとの婚約関係を結んでいながら、仕事だと言って屋敷をあけ、その度に自身の幼馴染であるマイアとの関係を深めていた。その関係は次第に熱いものとなっていき、ついにリューグ伯爵はソフィーに婚約破棄を告げてしまう。しかしその言葉こそ、伯爵が奈落の底に転落していく最初の第一歩となるのであった。
君を幸せにする、そんな言葉を信じた私が馬鹿だった
白羽天使
恋愛
学園生活も残りわずかとなったある日、アリスは婚約者のフロイドに中庭へと呼び出される。そこで彼が告げたのは、「君に愛はないんだ」という残酷な一言だった。幼いころから将来を約束されていた二人。家同士の結びつきの中で育まれたその関係は、アリスにとって大切な生きる希望だった。フロイドもまた、「君を幸せにする」と繰り返し口にしてくれていたはずだったのに――。
私と幼馴染と十年間の婚約者
川村 あかり
恋愛
公爵令嬢ロゼリアは、王子アルベルトとの婚約を結んでいるが、彼の心は無自覚に幼馴染のミナに奪われていた。ミナの魔法【魅了】が無意識に周りの男性を狂わせ、アルベルトもその例外ではない。
それぞれが生まれつき得意な魔法があり、ロゼリアは見たものや聞いたものを完璧に記録できる【記録・再生】の魔法を持ち、二人の関係に耐えきれず胃の痛みに悩む日々。そんな中、彼女の唯一の理解者の冷静沈着なキースや毒舌のマリーが心の支えとなる。
アルベルトの側近であるガストンは、魔法【増幅】で騒動を盛り上げる一方、ミナの友人リリィは【幻影】の魔法を使ってロゼリアを貶めようと画策する。
婚約者と幼馴染の行動に振り回されるロゼリア。魔法が絡んだ恋愛模様の中で、彼女は本当の愛を見つけられるのか?
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる