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5 偽りの物語
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庭に降り出した小雨が、静かに地面を濡らしはじめた。
薄暗くなってきた空の下。
リュシアンが抵抗もできず馬車へ押し込まれる。
扉が閉じられゆっくりと車輪が回り出す。
その音は、すべての終わりを告げていた。
「父は随分と実家を援助してきました。きっと温かく迎え入れられるでしょう」
淡々とした声。
けれどラリッサの指先は白くなるほど握りしめられている。
馬車が見えなくなった途端、彼女の膝から力が抜けた。
雨に濡れた身体は、罪を抱えたぶんだけ、ひと回り小さくなったように見える。
ウィローはそっと傘を差し出した。
「風邪をひくといけないわ。屋敷に戻って、一息つきましょう」
ラリッサは、ゆっくり首を振る。
「まだ、やり残したことがあるんです」
「そう……」
──きっとアナイスに報告に行くのだろう。
ウィローはそう思い、止めなかった。
小雨に濡れながら、ラリッサは温室へ向かう。
過去を断ち切るために。
温室では、アナイスがいつものカウチソファに横たわっていた。
薔薇の香りが甘く漂う、時間から切り離された空間。
ラリッサの姿を見ると、彼女はゆっくりと起き上がる。
妹は定位置の椅子に腰を下ろし、虚ろな目で語り出した。
「お姉様、復讐は果たしたわ。お父様もあの親子も、リュシアンも不幸にしてやったわ」
「そう……」
「お姉様だって嬉しいでしょう? 私はお姉様の代わりに仇を討ってやったのよ!」
肩を震わせ、ラリッサは泣き崩れた。
復讐は甘美なはずだったのに、ここにきて胸の痛みが、どうしようもなく彼女を苛む。
「かた……き?」
アナイスは首を傾げた。
何を言っているのだろう、この子は。
「どういう……こと?」
「何で、泣くの? 大丈夫?」
そっと妹の肩に触れた瞬間──その手は、空を切った。
すり抜けた。
理解が追いつかないまま、自分の手を見る。
その白い指先が、みるみる赤に染まっていく。
ドレスも、足元も、血に侵されていく。
「これは……」
温室が暗くなる。
空間を裂くような閃光。
強まる雨が、ガラス天井を叩き続ける。
「可哀そうなお姉様。リュシアンに裏切られ、悲嘆に暮れて貴方は自害した、ここで……」
ラリッサの声は優しかった。
優しすぎるほど。
その告白とともに、アナイスの曇っていた記憶が剥がれていく。
「あ……私……死んだのね」
──あの日も、雨だった。
ここで、ラリッサと激しく言い争った。
『お父様とは約束したのよ。私が当主になっても面倒を見ると』
『お姉様はどうして許せるの? 追い出せば良いじゃない!』
『許せない。だけど、侯爵家と領地を守ってきた。その恩には報いて、別宅で暮らして貰うわ』
ラリッサの肩は怒りで震えていた。
それでもアナイスは続けた。
『リュシアンとシルビーの事も、もういいの。ラリッサ、貴方の気持ちは痛いほどわかってる。でもこれ以上、彼等を憎むのは止めなさい。貴方は、きっと彼等よりも幸福になれるわ』
その言葉が、妹を追い詰めたとは知らずに。
『お姉様がそんな考えなら。私が当主になる……』
真剣な瞳には狂気が宿っていた。
『それは無理よ。優先順位は私にあるわ。ウイロー叔母様に手紙を出したの。そうしたらサイラス兄様との婚姻を勧めてくれたわ』
『従兄と婚姻ですって?』
『ええ、悩んだのだけど、お受けしようと思うの。お兄様は優秀だし……』
『そう……私が知らない間に、そんなことを……』
そのとき、ラリッサの中で何かが壊れた。
お茶が冷えたから、と言って妹は立ち上がった。
新しく淹れ直した熱い茶を、
震える手で姉に差し出した。
一口。
胸が焼けるように痛み、視界が歪み、姉は血を吐いた。
『お姉様は、失恋に耐え切れず自害した。これで、私が当主よ』
あのときも妹は泣いていた。
(毒を盛られた)
(泣きたいのは私の方なのに……)
意識が闇に沈んでいく中で、そう思った。
それからどれほどの時間が過ぎたのか、わからない。
アナイスは真っ暗な空間を、ぼんやりと、ただ漂っていた。
目を開けると、温室だった。
すべてが、あの日のまま。
時間だけが止まり、彼女だけが取り残されている。
温室に縛りつけられた幽霊になって、アナイスはそこに在った。
胸の奥から、押し殺していた感情が込み上げる。
「なぜ? 私は何も望んでいなかった。
ただ復讐するために私を殺したの? 貴方のエゴの為に……私を」
震える声は、雨音に溶けて消えていく。
ラリッサは顔を歪めたまま、温室の中央に立っている。
「ここはお姉様が自害した不吉な場所……」
その言葉は、何度も何度も自分に言い聞かせてきた呪文のようだった。
「嘘もつき続ければ、真実になるとでも、……思ったの?」
叫びたいのに、声は届かない。
生きている者には、死者の真実は聞こえない。
ラリッサはいつしか、自分の罪に耐えきれなくなっていた。
だから物語を作った。
──姉は裏切りに絶望して、自ら命を絶ったのだと。
そう信じ込まなければ、自分が壊れてしまうから。
けれど真実は、ここにある。
復讐の為、ただ、自分が当主になりたかったという、醜い欲望。
そのエゴが、姉の命を奪った。
そして今も──
温室という監獄の中、
アナイスは一人、どこにも行けず、彷徨っている。
薄暗くなってきた空の下。
リュシアンが抵抗もできず馬車へ押し込まれる。
扉が閉じられゆっくりと車輪が回り出す。
その音は、すべての終わりを告げていた。
「父は随分と実家を援助してきました。きっと温かく迎え入れられるでしょう」
淡々とした声。
けれどラリッサの指先は白くなるほど握りしめられている。
馬車が見えなくなった途端、彼女の膝から力が抜けた。
雨に濡れた身体は、罪を抱えたぶんだけ、ひと回り小さくなったように見える。
ウィローはそっと傘を差し出した。
「風邪をひくといけないわ。屋敷に戻って、一息つきましょう」
ラリッサは、ゆっくり首を振る。
「まだ、やり残したことがあるんです」
「そう……」
──きっとアナイスに報告に行くのだろう。
ウィローはそう思い、止めなかった。
小雨に濡れながら、ラリッサは温室へ向かう。
過去を断ち切るために。
温室では、アナイスがいつものカウチソファに横たわっていた。
薔薇の香りが甘く漂う、時間から切り離された空間。
ラリッサの姿を見ると、彼女はゆっくりと起き上がる。
妹は定位置の椅子に腰を下ろし、虚ろな目で語り出した。
「お姉様、復讐は果たしたわ。お父様もあの親子も、リュシアンも不幸にしてやったわ」
「そう……」
「お姉様だって嬉しいでしょう? 私はお姉様の代わりに仇を討ってやったのよ!」
肩を震わせ、ラリッサは泣き崩れた。
復讐は甘美なはずだったのに、ここにきて胸の痛みが、どうしようもなく彼女を苛む。
「かた……き?」
アナイスは首を傾げた。
何を言っているのだろう、この子は。
「どういう……こと?」
「何で、泣くの? 大丈夫?」
そっと妹の肩に触れた瞬間──その手は、空を切った。
すり抜けた。
理解が追いつかないまま、自分の手を見る。
その白い指先が、みるみる赤に染まっていく。
ドレスも、足元も、血に侵されていく。
「これは……」
温室が暗くなる。
空間を裂くような閃光。
強まる雨が、ガラス天井を叩き続ける。
「可哀そうなお姉様。リュシアンに裏切られ、悲嘆に暮れて貴方は自害した、ここで……」
ラリッサの声は優しかった。
優しすぎるほど。
その告白とともに、アナイスの曇っていた記憶が剥がれていく。
「あ……私……死んだのね」
──あの日も、雨だった。
ここで、ラリッサと激しく言い争った。
『お父様とは約束したのよ。私が当主になっても面倒を見ると』
『お姉様はどうして許せるの? 追い出せば良いじゃない!』
『許せない。だけど、侯爵家と領地を守ってきた。その恩には報いて、別宅で暮らして貰うわ』
ラリッサの肩は怒りで震えていた。
それでもアナイスは続けた。
『リュシアンとシルビーの事も、もういいの。ラリッサ、貴方の気持ちは痛いほどわかってる。でもこれ以上、彼等を憎むのは止めなさい。貴方は、きっと彼等よりも幸福になれるわ』
その言葉が、妹を追い詰めたとは知らずに。
『お姉様がそんな考えなら。私が当主になる……』
真剣な瞳には狂気が宿っていた。
『それは無理よ。優先順位は私にあるわ。ウイロー叔母様に手紙を出したの。そうしたらサイラス兄様との婚姻を勧めてくれたわ』
『従兄と婚姻ですって?』
『ええ、悩んだのだけど、お受けしようと思うの。お兄様は優秀だし……』
『そう……私が知らない間に、そんなことを……』
そのとき、ラリッサの中で何かが壊れた。
お茶が冷えたから、と言って妹は立ち上がった。
新しく淹れ直した熱い茶を、
震える手で姉に差し出した。
一口。
胸が焼けるように痛み、視界が歪み、姉は血を吐いた。
『お姉様は、失恋に耐え切れず自害した。これで、私が当主よ』
あのときも妹は泣いていた。
(毒を盛られた)
(泣きたいのは私の方なのに……)
意識が闇に沈んでいく中で、そう思った。
それからどれほどの時間が過ぎたのか、わからない。
アナイスは真っ暗な空間を、ぼんやりと、ただ漂っていた。
目を開けると、温室だった。
すべてが、あの日のまま。
時間だけが止まり、彼女だけが取り残されている。
温室に縛りつけられた幽霊になって、アナイスはそこに在った。
胸の奥から、押し殺していた感情が込み上げる。
「なぜ? 私は何も望んでいなかった。
ただ復讐するために私を殺したの? 貴方のエゴの為に……私を」
震える声は、雨音に溶けて消えていく。
ラリッサは顔を歪めたまま、温室の中央に立っている。
「ここはお姉様が自害した不吉な場所……」
その言葉は、何度も何度も自分に言い聞かせてきた呪文のようだった。
「嘘もつき続ければ、真実になるとでも、……思ったの?」
叫びたいのに、声は届かない。
生きている者には、死者の真実は聞こえない。
ラリッサはいつしか、自分の罪に耐えきれなくなっていた。
だから物語を作った。
──姉は裏切りに絶望して、自ら命を絶ったのだと。
そう信じ込まなければ、自分が壊れてしまうから。
けれど真実は、ここにある。
復讐の為、ただ、自分が当主になりたかったという、醜い欲望。
そのエゴが、姉の命を奪った。
そして今も──
温室という監獄の中、
アナイスは一人、どこにも行けず、彷徨っている。
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