百日紅の咲く場所で、あの日私達は死んだ

ミカン♬

文字の大きさ
5 / 6

5 偽りの物語

しおりを挟む
 庭に降り出した小雨が、静かに地面を濡らしはじめた。

 薄暗くなってきた空の下。
 リュシアンが抵抗もできず馬車へ押し込まれる。

 扉が閉じられゆっくりと車輪が回り出す。
 その音は、すべての終わりを告げていた。

「父は随分と実家を援助してきました。きっと温かく迎え入れられるでしょう」

 淡々とした声。
 けれどラリッサの指先は白くなるほど握りしめられている。

 馬車が見えなくなった途端、彼女の膝から力が抜けた。
 雨に濡れた身体は、罪を抱えたぶんだけ、ひと回り小さくなったように見える。

 ウィローはそっと傘を差し出した。

「風邪をひくといけないわ。屋敷に戻って、一息つきましょう」

 ラリッサは、ゆっくり首を振る。

「まだ、やり残したことがあるんです」

「そう……」

 ──きっとアナイスに報告に行くのだろう。

 ウィローはそう思い、止めなかった。

 小雨に濡れながら、ラリッサは温室へ向かう。

 過去を断ち切るために。
 


 温室では、アナイスがいつものカウチソファに横たわっていた。
 薔薇の香りが甘く漂う、時間から切り離された空間。

 ラリッサの姿を見ると、彼女はゆっくりと起き上がる。

 妹は定位置の椅子に腰を下ろし、虚ろな目で語り出した。

「お姉様、復讐は果たしたわ。お父様もあの親子も、リュシアンも不幸にしてやったわ」

「そう……」

「お姉様だって嬉しいでしょう? 私はお姉様の代わりに仇を討ってやったのよ!」

 肩を震わせ、ラリッサは泣き崩れた。
 復讐は甘美なはずだったのに、ここにきて胸の痛みが、どうしようもなく彼女を苛む。

「かた……き?」

 アナイスは首を傾げた。
 何を言っているのだろう、この子は。

「どういう……こと?」

「何で、泣くの? 大丈夫?」

 そっと妹の肩に触れた瞬間──その手は、空を切った。

 すり抜けた。

 理解が追いつかないまま、自分の手を見る。
 その白い指先が、みるみる赤に染まっていく。

 ドレスも、足元も、血に侵されていく。

「これは……」

 温室が暗くなる。
 空間を裂くような閃光。
 強まる雨が、ガラス天井を叩き続ける。

「可哀そうなお姉様。リュシアンに裏切られ、悲嘆に暮れて貴方は自害した、ここで……」

 ラリッサの声は優しかった。
 優しすぎるほど。

 その告白とともに、アナイスの曇っていた記憶が剥がれていく。

「あ……私……死んだのね」

 

 ──あの日も、雨だった。

 ここで、ラリッサと激しく言い争った。

『お父様とは約束したのよ。私が当主になっても面倒を見ると』

『お姉様はどうして許せるの? 追い出せば良いじゃない!』

『許せない。だけど、侯爵家と領地を守ってきた。その恩には報いて、別宅で暮らして貰うわ』

 ラリッサの肩は怒りで震えていた。

 それでもアナイスは続けた。

『リュシアンとシルビーの事も、もういいの。ラリッサ、貴方の気持ちは痛いほどわかってる。でもこれ以上、彼等を憎むのは止めなさい。貴方は、きっと彼等よりも幸福になれるわ』

 その言葉が、妹を追い詰めたとは知らずに。


『お姉様がそんな考えなら。私が当主になる……』

 真剣な瞳には狂気が宿っていた。

『それは無理よ。優先順位は私にあるわ。ウイロー叔母様に手紙を出したの。そうしたらサイラス兄様との婚姻を勧めてくれたわ』

『従兄と婚姻ですって?』

『ええ、悩んだのだけど、お受けしようと思うの。お兄様は優秀だし……』

『そう……私が知らない間に、そんなことを……』

 そのとき、ラリッサの中で何かが壊れた。


 お茶が冷えたから、と言って妹は立ち上がった。

 新しく淹れ直した熱い茶を、
 震える手で姉に差し出した。

 一口。

 胸が焼けるように痛み、視界が歪み、姉は血を吐いた。

『お姉様は、失恋に耐え切れず自害した。これで、私が当主よ』

 あのときも妹は泣いていた。

(毒を盛られた)

(泣きたいのは私の方なのに……)

 意識が闇に沈んでいく中で、そう思った。

 それからどれほどの時間が過ぎたのか、わからない。
 アナイスは真っ暗な空間を、ぼんやりと、ただ漂っていた。


 目を開けると、温室だった。

 
 すべてが、あの日のまま。

 時間だけが止まり、彼女だけが取り残されている。

 温室に縛りつけられた幽霊になって、アナイスはそこに在った。



 胸の奥から、押し殺していた感情が込み上げる。

「なぜ? 私は何も望んでいなかった。
 ただ復讐するために私を殺したの? 貴方のエゴの為に……私を」

 震える声は、雨音に溶けて消えていく。

 ラリッサは顔を歪めたまま、温室の中央に立っている。

「ここはお姉様が自害した不吉な場所……」

 その言葉は、何度も何度も自分に言い聞かせてきた呪文のようだった。


「嘘もつき続ければ、真実になるとでも、……思ったの?」

 叫びたいのに、声は届かない。

 生きている者には、死者の真実は聞こえない。

 ラリッサはいつしか、自分の罪に耐えきれなくなっていた。
 だから物語を作った。

 ──姉は裏切りに絶望して、自ら命を絶ったのだと。

 そう信じ込まなければ、自分が壊れてしまうから。


 けれど真実は、ここにある。

 復讐の為、ただ、自分が当主になりたかったという、醜い欲望。

 そのエゴが、姉の命を奪った。

 そして今も──

 温室という監獄の中、
 アナイスは一人、どこにも行けず、彷徨っている。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

侯爵家の婚約者に手を出す意味、わかってます?

碧井 汐桜香
恋愛
侯爵令嬢ジョセリアは地味な外見をしている少女だ。いつも婚約者のアランとその取り巻きの少女たちに罵倒されている。 しかし、今日はアランの取り巻きは一人しかおらず、いつも無視を決め込んでいたジョセリアが口を開いた。

断罪された薔薇の話

倉真朔
恋愛
悪名高きロザリンドの断罪後、奇妙な病気にかかってしまった第二王子のルカ。そんなこと知るよしもなく、皇太子カイルと彼の婚約者のマーガレットはルカに元気になってもらおうと奮闘する。  ルカの切ない想いを誰が受け止めてくれるだろうか。  とても切ない物語です。  この作品は、カクヨム、小説家になろうにも掲載中。   

彼女の婚約者の心の折れる音がパキパキと聞こえる

碧井 汐桜香
恋愛
婚約者との顔合わせで素直になれない男児は、一目惚れした少女を王子に掻っ攫わられるお話

義弟の愛が重い

松林ナオ
恋愛
公爵令嬢ソフィア・グラックルージュは王太子の婚約者である。 一人娘であるソフィアが王家に嫁ぐことから、公爵家にはセシルという分家の次男坊が養子として迎え入れられた。 王家との縁組をし、優秀な跡取りを分家から養子として迎え入れることによりグラックルージュ公爵家には繁栄が約束されたもの。 しかし、ソフィアは王太子を投げ飛ばし池に沈める事件を起こしたことにより婚約は破談となってしまう。 王家に喧嘩を売ったような立場となり、嫁ぎ先が無くなったソフィアに残された道は ①公爵家を出て平民になる(追放) ②領地を一部差し出し、許しを得る。 そして義弟と結婚し、公爵夫人となる この2つとなった。

嘘つき

金峯蓮華
恋愛
辺境伯令嬢のマリアリリーは先見の異能を持っている。幼い頃、見えたことをうっかり喋ってしまったばかりに、貴族学校で5年もの間「嘘つき」と言われイジメを受けることになった。そんなマリアリリーのざまぁなお話。 独自の世界観の緩いお話しです。

隣の芝生は青いのか 

夕鈴
恋愛
王子が妻を迎える日、ある貴婦人が花嫁を見て、絶望した。 「どうして、なんのために」 「子供は無知だから気付いていないなんて思い上がりですよ」 絶望する貴婦人に義息子が冷たく囁いた。 「自由な選択の権利を与えたいなら、公爵令嬢として迎えいれなければよかった。妹はずっと正当な待遇を望んでいた。自分の傍で育てたかった?復讐をしたかった?」 「なんで、どうして」 手に入らないものに憧れた貴婦人が仕掛けたパンドラの箱。 パンドラの箱として育てられた公爵令嬢の物語。

マリアの幸せな結婚

月樹《つき》
恋愛
花屋の一人娘マリアとパン屋の次男のサルバトーレは子供の頃から仲良しの幼馴染で、将来はマリアの家にサルバトーレが婿に入ると思われていた。 週末は花屋『マルゲリータ』でマリアの父の手伝いをしていたサルバトーレは、お見舞いの花を届けに行った先で、男爵家の娘アンジェラに出会う。 病気がちであまり外出のできないアンジェラは、頻繁に花の注文をし、サルバトーレを呼び寄せた。 そのうちアンジェラはサルバトーレとの結婚を夢見るようになって…。 この作品は他サイトにも投稿しております。

聖女エーステリアの死

倉真朔
恋愛
聖女エーステリアはなぜ最愛の人に断罪されたのか。切ない物語です。 この作品は、カクヨム、小説家になろうにも掲載中。

処理中です...