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6 百日紅の咲く場所 /完結
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「ああ、貴方はとっくに狂っていたんだわ」
その言葉は責めるためではなく、遅すぎた理解だった。
あのとき、妹の焦りや嫉妬に、ほんの少しでも気づいていれば。
もっと向き合っていれば。
この悲劇は止められたのかもしれない。
アナイスの胸には、まだ微かに残っている。
裏切られても消えきらない、姉としての愛情が。
けれど──
「だから、この温室は取り壊すそうよ」
ラリッサの声は、まるで天気の話をするように軽い。
「温室を壊す?」
──残された居場所を。
ここはアナイスが縛られている唯一の場所だ。
壊されれば、彼女は本当にどこにもいられなくなる。
「やめて……」
届かないとわかっていても、声が漏れる。
ラリッサはゆっくりと周囲を見渡した。
「ねえ、いるんでしょう? 見えなくても分かる。双子だもの。
ここを壊せば、お姉様は、地縛の監獄から解き放たれるわ」
それは優しさではない。
罪悪感から逃げるための言い訳だった。
彼女は足元の白いバラを掴み、力任せに握りつぶす。
まるで、自分の手で壊した、姉の未来のように。
アナイスの視界が赤く染まる。
「貴方だけは……決して許さない……」
ラリッサには聞こえない。
“姉は失恋で自害した”という物語を信じている。
──自分は悲劇の姉を悼み、仇を討った妹なのだ。
「私はこれから誰よりも幸福になるわ。さようならお姉様……」
謝罪はない。
後悔もない。
ただ、自分の未来だけを見つめて扉へ向かう。
アナイスは叫ぶ。
「貴方は、悪魔だわ! ラリッサ、地獄に落ちろおおおおおおおおおお!!!」
その瞬間だった。
世界から色が抜け落ちる。
視界が白い光で塗りつぶされた。
耳を裂くような轟音。
温室の頂点にある鉄の塔へ、巨大な雷が落ちた。
まっすぐに。容赦なく。
電流が金属の骨組みを走り、鉄が焼ける匂いが広がる。
ガラスの天井が悲鳴のような音を立てて歪む。
「あ……」
見上げたラリッサの瞳に映ったのは、
熱に耐えきれずひび割れる天井だった。
次の瞬間。
衝撃が内側から爆ぜる。
ガラスが砕け散る。
それは無数の透明な刃となった。
逃げる時間は、なかった。
大きな破片が槍のように落ち、ラリッサの肩を深く切り裂く。
鈍い音を立てて床に突き刺さる。
続いて細かな破片が雨のように降り注ぎ、
頬も、腕も、容赦なく傷つけていく。
残ったのは、激しい雨音。
そして、床に広がる赤い血と、
それを見下ろすアナイスの、凍りついた視線だけだった。
息絶えたラリッサの体から、魂がふわりと切り離される。
浮かび上がったその魂に、地面から黒い手が伸びる。
冷たい指先が迷いなくそれをつかみ取った。
次の瞬間、叫び声が響く。
それは地の底へと落ちていくラリッサの声。
自分が終わることを理解した、むき出しの恐怖だった。
――これは復讐なのだろうか。
アナイスは目を閉じる。
次は自分が落ちる番なのだと、そう思った。
彼女は罰を受け入れる準備をしていた。
愛したことも、憎んだことも、全部まとめて。
けれど。
彼女の体は、罰ではなく、光に包まれた。
輪郭がほどけ、美しい光の粒へと変わっていく。
それは裁きではなく、解放のようにも見えた。
──そしてゆっくりと消えていった。
まるで、最初からそこに何もなかったみたいに。
ウィローとサイラスが温室に駆け付けたとき、
そこにあったのは、ラリッサの無残な姿だけだった。
何が起きたのか。
誰が悪かったのか。
問いは宙に浮いたまま、答えを失っていた。
*
冷たい雨が馬車の屋根を打つ。
街のはずれへと向かうその中で、両親が言い争う声が響いていた。
シルビーは黙ってそれを見ている。
侯爵令嬢になるはずだった。
きらびやかな未来だけを信じていた。
けれど今、目の前にあるのは崩れかけた現実。
隣に座るリュシアンは寡黙だった。
思い悩む横顔。
かつてはその誠実さが魅力だったのに、今はただ重い。
ラリッサたちから向けられた嫉妬の視線。
あの優越感は、確かに甘かった。
でも――。
今のシルビーは、もう彼に魅力を感じない。
「ねえ、もう一度伯爵家に戻って、お願いしてみない?」
甘えるような声。
けれど、その奥には焦りがあった。
「無理だよ。親子の縁は切られた。僕はただの平民だ。でもきっと君を幸せにする」
彼は真っ直ぐだった。
愚かなくらいに。
「平民になってどうやって私を幸せにするの? 戻れるよう、ご両親に頼んでよ!」
言葉は鋭くなる。
雨よりも冷たい。
「この先、僕と苦労を共にできないなら、ここで下ろしてくれ」
リュシアンはシルビーを見つめた。
最後の問いだった。
愛が残っているかどうかを確かめる、たった一度の。
シルビーはその目を逸らした。
それが答えだった。
宣告したのはヘンリーだった。
「下りてくれ。君まで実家には連れていけない」
馬車が止まり、扉が開く。
雨の中へ、リュシアンは放り出された。
愛を裏切られた痛みは、なぜか感じられない。
心が麻痺したように。
彼の脳裏に浮かんだのは、アナイスの顔。
まっすぐで、愚かで、そして優しかった彼女。
これが罰なのだと思った。
彼女を死に追い込んだ、その報い。
「ごめんよ、アナイス。許して」
雨が彼の頬を伝う。
涙なのか、わからないまま。
雷鳴は遠ざかっていく。
行く当てもなく、リュシアンは歩きだした。
生きているのに、何も持たない、
──亡霊のように。
*
悲劇の双子。
──誰もその真実を知らない。
本当の始まりも、
本当の終わりも。
やがて、すべてを見ていた温室は取り壊され、更地になった。
秘密も、叫びも、愛も、嫉妬も、
土の下に埋められた。
そこに植えられたのは、一本の百日紅の木。
夏になれば、濃く鮮やかな花を咲かせる。
それは「追悼」か。
それとも「再生」か。
誰も答えを知らない。
ただ、百日紅の花だけが、
何度でも咲き続ける。
──おわり。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
その言葉は責めるためではなく、遅すぎた理解だった。
あのとき、妹の焦りや嫉妬に、ほんの少しでも気づいていれば。
もっと向き合っていれば。
この悲劇は止められたのかもしれない。
アナイスの胸には、まだ微かに残っている。
裏切られても消えきらない、姉としての愛情が。
けれど──
「だから、この温室は取り壊すそうよ」
ラリッサの声は、まるで天気の話をするように軽い。
「温室を壊す?」
──残された居場所を。
ここはアナイスが縛られている唯一の場所だ。
壊されれば、彼女は本当にどこにもいられなくなる。
「やめて……」
届かないとわかっていても、声が漏れる。
ラリッサはゆっくりと周囲を見渡した。
「ねえ、いるんでしょう? 見えなくても分かる。双子だもの。
ここを壊せば、お姉様は、地縛の監獄から解き放たれるわ」
それは優しさではない。
罪悪感から逃げるための言い訳だった。
彼女は足元の白いバラを掴み、力任せに握りつぶす。
まるで、自分の手で壊した、姉の未来のように。
アナイスの視界が赤く染まる。
「貴方だけは……決して許さない……」
ラリッサには聞こえない。
“姉は失恋で自害した”という物語を信じている。
──自分は悲劇の姉を悼み、仇を討った妹なのだ。
「私はこれから誰よりも幸福になるわ。さようならお姉様……」
謝罪はない。
後悔もない。
ただ、自分の未来だけを見つめて扉へ向かう。
アナイスは叫ぶ。
「貴方は、悪魔だわ! ラリッサ、地獄に落ちろおおおおおおおおおお!!!」
その瞬間だった。
世界から色が抜け落ちる。
視界が白い光で塗りつぶされた。
耳を裂くような轟音。
温室の頂点にある鉄の塔へ、巨大な雷が落ちた。
まっすぐに。容赦なく。
電流が金属の骨組みを走り、鉄が焼ける匂いが広がる。
ガラスの天井が悲鳴のような音を立てて歪む。
「あ……」
見上げたラリッサの瞳に映ったのは、
熱に耐えきれずひび割れる天井だった。
次の瞬間。
衝撃が内側から爆ぜる。
ガラスが砕け散る。
それは無数の透明な刃となった。
逃げる時間は、なかった。
大きな破片が槍のように落ち、ラリッサの肩を深く切り裂く。
鈍い音を立てて床に突き刺さる。
続いて細かな破片が雨のように降り注ぎ、
頬も、腕も、容赦なく傷つけていく。
残ったのは、激しい雨音。
そして、床に広がる赤い血と、
それを見下ろすアナイスの、凍りついた視線だけだった。
息絶えたラリッサの体から、魂がふわりと切り離される。
浮かび上がったその魂に、地面から黒い手が伸びる。
冷たい指先が迷いなくそれをつかみ取った。
次の瞬間、叫び声が響く。
それは地の底へと落ちていくラリッサの声。
自分が終わることを理解した、むき出しの恐怖だった。
――これは復讐なのだろうか。
アナイスは目を閉じる。
次は自分が落ちる番なのだと、そう思った。
彼女は罰を受け入れる準備をしていた。
愛したことも、憎んだことも、全部まとめて。
けれど。
彼女の体は、罰ではなく、光に包まれた。
輪郭がほどけ、美しい光の粒へと変わっていく。
それは裁きではなく、解放のようにも見えた。
──そしてゆっくりと消えていった。
まるで、最初からそこに何もなかったみたいに。
ウィローとサイラスが温室に駆け付けたとき、
そこにあったのは、ラリッサの無残な姿だけだった。
何が起きたのか。
誰が悪かったのか。
問いは宙に浮いたまま、答えを失っていた。
*
冷たい雨が馬車の屋根を打つ。
街のはずれへと向かうその中で、両親が言い争う声が響いていた。
シルビーは黙ってそれを見ている。
侯爵令嬢になるはずだった。
きらびやかな未来だけを信じていた。
けれど今、目の前にあるのは崩れかけた現実。
隣に座るリュシアンは寡黙だった。
思い悩む横顔。
かつてはその誠実さが魅力だったのに、今はただ重い。
ラリッサたちから向けられた嫉妬の視線。
あの優越感は、確かに甘かった。
でも――。
今のシルビーは、もう彼に魅力を感じない。
「ねえ、もう一度伯爵家に戻って、お願いしてみない?」
甘えるような声。
けれど、その奥には焦りがあった。
「無理だよ。親子の縁は切られた。僕はただの平民だ。でもきっと君を幸せにする」
彼は真っ直ぐだった。
愚かなくらいに。
「平民になってどうやって私を幸せにするの? 戻れるよう、ご両親に頼んでよ!」
言葉は鋭くなる。
雨よりも冷たい。
「この先、僕と苦労を共にできないなら、ここで下ろしてくれ」
リュシアンはシルビーを見つめた。
最後の問いだった。
愛が残っているかどうかを確かめる、たった一度の。
シルビーはその目を逸らした。
それが答えだった。
宣告したのはヘンリーだった。
「下りてくれ。君まで実家には連れていけない」
馬車が止まり、扉が開く。
雨の中へ、リュシアンは放り出された。
愛を裏切られた痛みは、なぜか感じられない。
心が麻痺したように。
彼の脳裏に浮かんだのは、アナイスの顔。
まっすぐで、愚かで、そして優しかった彼女。
これが罰なのだと思った。
彼女を死に追い込んだ、その報い。
「ごめんよ、アナイス。許して」
雨が彼の頬を伝う。
涙なのか、わからないまま。
雷鳴は遠ざかっていく。
行く当てもなく、リュシアンは歩きだした。
生きているのに、何も持たない、
──亡霊のように。
*
悲劇の双子。
──誰もその真実を知らない。
本当の始まりも、
本当の終わりも。
やがて、すべてを見ていた温室は取り壊され、更地になった。
秘密も、叫びも、愛も、嫉妬も、
土の下に埋められた。
そこに植えられたのは、一本の百日紅の木。
夏になれば、濃く鮮やかな花を咲かせる。
それは「追悼」か。
それとも「再生」か。
誰も答えを知らない。
ただ、百日紅の花だけが、
何度でも咲き続ける。
──おわり。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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