22 / 38
第三章
第三章 ~『マルコの辞職』~
放火騒ぎから数日後、ヴェルスタンは、顔を伏せて街の通りを足早に歩いていた。だがどれほど顔を隠しても、通行人が横切るたびに、ささやく声が届く。
「あれが例の執務官?」
「麦畑を燃やしたって……本当なのかしら?」
「王家から派遣された人間が、なんてことを……」
ヒソヒソという声が風のように耳にまとわりつく。中には、子どもに『見ちゃだめよ』と注意する母親までいた。
ヴェルスタンの眉間が深く寄り、歩くたびに靴音が重く響く。唇をきつく結び、苛立ちを噛み殺すように、その顎はわずかに震えていた。
(屋敷にさえ帰れば、この不愉快な囁きも終わる……)
王室近衛隊の執務官として派遣された彼には、シュトラール辺境領の中でもひときわ豪奢な屋敷が用意されていた。
石造りの二階建て、重厚な扉と手入れの行き届いた庭。王都の貴族邸にも劣らぬ造りに、初めて見た時は満足感すら覚えた。
その屋敷には忠実な部下たちが待っている。侮蔑の視線を向けてくる者もいない。彼にとってのオアシスだった。
だが通路を進んだ先、屋敷の門が視界に入った瞬間、ヴェルスタンの足がぴたりと止まる。
門の前には、人が溢れていた。しかもただ立っているのではない。明らかに何かを叫んでいた。
「騎士の皮を被った放火魔め!」
「麦畑を焼いた男に、この町の空気を吸う資格はない!」
「一刻も早く立ち去れ!」
屋敷の門前では、群衆が布の切れ端に罵詈雑言を書き連ねて掲げていた。
彼らは不満をぶちまけるように屋敷に石を投げつける。その内の一つがヴェルスタンの足元を転がる。
眉間の皺が一段と深く刻まれ、彼の目がギラリと光る。憤怒と屈辱が混ざり合ったような表情を浮かべ、ヴェルスタンはついに怒声を上げた。
「どけッ! 今すぐその道を空けろ!」
その声は鋭く、圧のこもった一喝だった。その声を聞いた最前列の群衆は、思わず一歩退く。
静まり返る中、ヴェルスタンは群衆を横目に門をくぐる。
屋敷の扉が閉まった瞬間、外の騒ぎはまるで異世界の出来事のように遠のいていく。だが、彼の苛立ちは収まらなかった。
(ふざけおって……この私を……)
拳を握りしめながら、廊下を踏み鳴らすようにして歩き、執務室の扉を乱暴に押し開ける。
室内には見慣れない若い青年がいた。彼は棚の上に置かれた書籍を整えていたが、ヴェルスタンの登場に驚いて、あわてて手を止める。
「お、お帰りなさいませ、ヴェルスタン様」
「マルコはどうした?」
「マルコ様なら……つい先ほど、辞表を置いて出て行かれました」
「なんだとっ!」
「止めたのですが……『もうついていけない』と……それだけ言い残して……」
部下の言葉が終わるのと同時に、執務室の空気が凍りつく。
ヴェルスタンの瞳が細められ、静かな怒気が部屋を満たしていく。
「そうか……そうか、そう来たか、マルコ……」
言葉とは裏腹に、ヴェルスタンの表情は笑ってなどいない。むしろ、その口元は引きつり、こめかみの血管がぴくりと脈打っている。
「目をかけてやったのだぞ……平民上がりだと他の連中に馬鹿にされていたのを拾ってやったのは、誰だと思っているのだ!」
怒声と共にヴェルスタンは、椅子を蹴り飛ばす。重厚な木製の椅子が床を滑り、壁に激突して倒れる。
青年が声も出せずに立ちすくむ中、ヴェルスタンは肩で息をしながらしばし沈黙する。
やがて、ふっと鼻で笑う。
「……まぁ、いい。部下は他にもいる。惜しくもない」
言葉と裏腹に、声には微かな悔しさが滲んでいる。
(だが……このままでは、手がない……打開策が必要だ……)
唇を噛みしめると、そのまま窓辺へと歩を進める。外の様子を見下ろすと、屋敷前の群衆の数が増え、投げ込まれる石も大きくなっていた。
「シュトラール辺境領は治安が良いと聞いていたが嘘ではないか……」
その一言を発した瞬間、彼の目がわずかに光を帯びる。まるで暗闇に光明が射し込んだように、ある考えが頭の中に浮かんだのだ。
(もし領地の治安がもっと悪化すれば……クラウスの統治能力が疑われ、民は不安に陥る。秩序の乱れは信用の崩壊だ。混乱が続けば、いずれ悪評が広がっていく……)
思いついた妙案に、自然とヴェルスタンの口元が歪む。
「やれる、やれるぞ!」
彼は机に戻ると、引き出しから一枚の地図を取り出し、シュトラール辺境領の要所をなぞっていく。
(治安悪化とくれば、盗賊の襲撃だ。夜陰に紛れた腕利きの近衛兵に旅人を襲わせる。それならば目撃者も出まい)
指先が地図の上で止まる。
(混乱が広がれば、人々はクラウスに失望し、次第に遠ざかっていく……そうなれば、将軍に不適格だと、軍からの追放も現実味を帯びてくる……)
浮かんだ策に自分はやはり天才だと、彼は喉を鳴らして笑う。
(覚えていろよ……クラウス、エリス。私は屈辱を絶対に忘れん。必ず貴様らを地獄に落としてやる!)
心の中で誰にも聞かれることのない復讐の誓いを立てる。その瞳は狂気に満ちていたのだった。
あなたにおすすめの小説
追放された悪役令嬢、規格外魔力でもふもふ聖獣を手懐け隣国の王子に溺愛される
黒崎隼人
ファンタジー
「ようやく、この息苦しい生活から解放される!」
無実の罪で婚約破棄され、国外追放を言い渡された公爵令嬢エレオノーラ。しかし彼女は、悲しむどころか心の中で歓喜の声をあげていた。完璧な淑女の仮面の下に隠していたのは、国一番と謳われた祖母譲りの規格外な魔力。追放先の「魔の森」で力を解放した彼女の周りには、伝説の聖獣グリフォンをはじめ、可愛いもふもふ達が次々と集まってきて……!?
自由気ままなスローライフを満喫する元悪役令嬢と、彼女のありのままの姿に惹かれた「氷の王子」。二人の出会いが、やがて二つの国の運命を大きく動かすことになる。
窮屈な世界から解き放たれた少女が、本当の自分と最高の幸せを見つける、溺愛と逆転の異世界ファンタジー、ここに開幕!
偽聖女の汚名を着せられ婚約破棄された元聖女ですが、『結界魔法』がことのほか便利なので魔獣の森でもふもふスローライフ始めます!
南田 此仁@書籍発売中
恋愛
「システィーナ、今この場をもっておまえとの婚約を破棄する!」
パーティー会場で高らかに上がった声は、数瞬前まで婚約者だった王太子のもの。
王太子は続けて言う。
システィーナの妹こそが本物の聖女であり、システィーナは聖女を騙った罪人であると。
突然婚約者と聖女の肩書きを失ったシスティーナは、国外追放を言い渡されて故郷をも失うこととなった。
馬車も従者もなく、ただ一人自分を信じてついてきてくれた護衛騎士のダーナンとともに馬に乗って城を出る。
目指すは西の隣国。
八日間の旅を経て、国境の門を出た。しかし国外に出てもなお、見届け人たちは後をついてくる。
魔獣の森を迂回しようと進路を変えた瞬間。ついに彼らは剣を手に、こちらへと向かってきた。
「まずいな、このままじゃ追いつかれる……!」
多勢に無勢。
窮地のシスティーナは叫ぶ。
「魔獣の森に入って! 私の考えが正しければ、たぶん大丈夫だから!」
■この三連休で完結します。14000文字程度の短編です。
追放された聖女ですが、辺境で幸せにお務めをしています 〜追放の主犯の姉は、聖女の務めに耐えられず破滅しました〜
ゆうき
恋愛
幼い頃から聖女として酷使され、家族にも愛されなかったベル。
双子の姉に婚約者を奪われ、ついには「聖女の務めを放棄し、姉に押し付けた」という濡れ衣を着せられ、危険な辺境へ追放されてしまう。
――こんな地獄から解放されるなら、どこへでも行く。
しかし、辿り着いた地でベルを待っていたのは、温かい歓迎と、人々の優しさだった。
中でも辺境伯で騎士団長のリオネルは、厳つい姿とは裏腹に穏やかで優しく、ベルを大切にしてくれた。
一方、王都では姉が聖女の務めに追い詰められ、次第に破綻していく。
さらに、リオネルの隠された秘密と、辺境を覆う瘴気の謎が、ベルの運命を大きく揺るがす――。
☆全四十六話。予約投稿済みです。タイトルを変えました。前タイトル『婚約破棄に追放? 謹んでお受けいたしますので、もう放っておいてください』☆
偽聖女と蔑まれた私、冷酷と噂の氷の公爵様に「見つけ出した、私の運命」と囚われました 〜荒れ果てた領地を力で満たしたら、とろけるほど溺愛されて
放浪人
恋愛
「君は偽物の聖女だ」——その一言で、私、リリアーナの人生は転落した。 持っていたのは「植物を少しだけ元気にする」という地味な力。華やかな治癒魔法を使う本物の聖女イザベラ様の登場で、私は偽物として王都から追放されることになった。
行き場もなく絶望する私の前に現れたのは、「氷の公爵」と人々から恐れられるアレクシス様。 冷たく美しい彼は、なぜか私を自身の領地へ連れて行くと言う。
たどり着いたのは、呪われていると噂されるほど荒れ果てた土地。 でも、私は諦めなかった。私にできる、たった一つの力で、この地を緑で満たしてみせる。
ひたむきに頑張るうち、氷のように冷たかったはずのアレクシス様が、少しずつ私にだけ優しさを見せてくれるように。 「リリアーナ、君は私のものだ」 ——彼の瞳に宿る熱い独占欲に気づいた時、私たちの運命は大きく動き出す。
【完結】無能な聖女はいらないと婚約破棄され、追放されたので自由に生きようと思います
くろいゆき
恋愛
辺境伯令嬢レイチェルは学園の卒業パーティーでイラリオ王子から、婚約破棄を告げられ、国外追放を言い渡されてしまう。
レイチェルは一言も言い返さないまま、パーティー会場から姿を消した。
邪魔者がいなくなったと我が世の春を謳歌するイラリオと新たな婚約者ヒメナ。
しかし、レイチェルが国からいなくなり、不可解な事態が起き始めるのだった。
章を分けるとかえって、ややこしいとの御指摘を受け、章分けを基に戻しました。
どうやら、作者がメダパニ状態だったようです。
表紙イラストはイラストAC様から、お借りしています。
婚約破棄された「無能」聖女、拾った子犬が伝説の神獣だったので、辺境で極上もふもふライフを満喫します。~捨てた国が滅びそう?知りません~
ソラ
ファンタジー
「エリアナ、貴様との婚約を破棄し、この国から追放する!」
聖女としての魔力を使い果たし、無能と蔑まれた公爵令嬢エリアナ。
妹に婚約者を奪われ、身一つで北の最果て、凍てつく「死の森」へと捨てられる。
寒さに震え死を覚悟した彼女が出会ったのは、雪に埋もれていた一匹の小さなしっぽ。
「……ひとりぼっちなの? 大丈夫、私が温めてあげるわ」
最後の手向けに、残されたわずかな浄化の力を注いだエリアナ。
だが、その子犬の正体は――数千年の眠りから目覚めた、世界を滅ぼす伝説の神獣『フェンリル』だった!
ヒロインの淹れるお茶に癒やされ、ヒロインのブラッシングにうっとり。
最強の神獣は、彼女を守るためだけに辺境を「極上の聖域」へと作り替えていく。
一方、本物の聖女(結界維持役)を失った王国では、災厄が次々と降り注ぎ、崩壊の危機を迎えていた。
今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくる王子たち。
けれど、エリアナの膝の上には、甘えん坊の神獣様(執着心MAX)が陣取っていて――。
「聖女の仕事? いえ、今は神獣様とのお昼寝の方が忙しいので」
無自覚チートな聖女と、彼女にだけはデレデレな神獣様による、逆転溺愛スローライフが幕を開ける!
偽りの断罪で追放された悪役令嬢ですが、実は「豊穣の聖女」でした。辺境を開拓していたら、氷の辺境伯様からの溺愛が止まりません!
黒崎隼人
ファンタジー
「お前のような女が聖女であるはずがない!」
婚約者の王子に、身に覚えのない罪で断罪され、婚約破棄を言い渡された公爵令嬢セレスティナ。
罰として与えられたのは、冷酷非情と噂される「氷の辺境伯」への降嫁だった。
それは事実上の追放。実家にも見放され、全てを失った――はずだった。
しかし、窮屈な王宮から解放された彼女は、前世で培った知識を武器に、雪と氷に閉ざされた大地で新たな一歩を踏み出す。
「どんな場所でも、私は生きていける」
打ち捨てられた温室で土に触れた時、彼女の中に眠る「豊穣の聖女」の力が目覚め始める。
これは、不遇の令嬢が自らの力で運命を切り開き、不器用な辺境伯の凍てついた心を溶かし、やがて世界一の愛を手に入れるまでの、奇跡と感動の逆転ラブストーリー。
国を捨てた王子と偽りの聖女への、最高のざまぁをあなたに。
辺境は独自路線で進みます! ~見下され搾取され続けるのは御免なので~
紫月 由良
恋愛
辺境に領地を持つマリエ・オリオール伯爵令嬢は、貴族学院の食堂で婚約者であるジョルジュ・ミラボーから婚約破棄をつきつけられた。二人の仲は険悪で修復不可能だったこともあり、マリエは快諾すると学院を早退して婚約者の家に向かい、その日のうちに婚約が破棄された。辺境=田舎者という風潮によって居心地が悪くなっていたため、これを機に学院を退学して領地に引き籠ることにした。
魔法契約によりオリオール伯爵家やフォートレル辺境伯家は国から離反できないが、関わり合いを最低限にして独自路線を歩むことに――。
※小説家になろう、カクヨムにも投稿しています