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第四章
第四章 ~『蛇の絵の呪い』~
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朝の冷たい空気が廊下を満たす中、雪華は宿舎を出ると、画房へ向かうために歩き出していた。
昇り始めた日の光が柱を照らし、その影が石畳の床に伸びている。静寂に雪華の足音が鳴り響く中、慌ただしい足取りが加わる。
耳に届くそのリズムには覚えがあり、雪華が歩みを止めると、やがて門を曲がって現れたのは承徳だった。
朝日に照らされた彼の表情は、いつもの穏やかさを失い、少し険しいものに見えた。
「承徳様、何か起きたのですか?」
その表情から只事ではない何かを感じ取り、雪華が訊ねると、承徳はゆっくりと頷く。
「実は少々、まずいことが起きていてね……雪華の絵が災いを起こしているとトラブルになっているんだ」
「そんなことが……」
邪蓮から呪いを呼び起こすと占われていたものの、雪華は心の奥底では信じていなかった。だが現にそれが問題になっていると知り、焦りが汗となって背中に流れる。
「私についてきて欲しい」
「分かりました」
雪華は迷うことなく頷くと、彼の背中を追う。二人が向かった先は、蛇の絵を飾ってある宿舎だ。玄関には女官たちが集まっており、ざわめきと低いささやき声が雪華の不安を増幅させる。
近づくと、集まった女官たちの視線が一斉に雪華へと向けられる。その瞳は冷たく、どこか疑念に満ちている。
重たい空気に包まれる中、それを破るように人混みを掻き分けて黒羽が姿を現す。いつもの鋭い目つきで雪華を睨みつけると、皮肉げに笑みを浮かべる。
「あなたのせいで不幸が起きたわ」
「私のせいですか?」
「ええ。その蛇の絵の呪いのせいで、皆が部屋を荒らされたの」
ある女官は室内に飾っていた花瓶を割られ、ある女官は衣服を引き裂かれていた。被害が複数の部屋に及んでおり、自作自演の可能性も低いと、黒羽は続ける。
「もう一度言うわ。この問題はあなたのせいよ」
「呪いだと信じるだけの根拠があるのですか?」
「蛇が通ったような跡が残っていたの」
「……それだけなら誰かが荒らした可能性もあるではありませんか?」
「それがありえないの。だって被害者の部屋には鍵がかかっていたもの」
「鍵ですか……」
「そう。私たちはみんな外出中だったの。その間、鍵は宿舎の管理人に預けていたわ」
頭の中に管理人が容疑者として浮かぶ。だがそれを察したかのように、承徳が首を振る。
「ここの管理人は長年勤めてきた人で、皆からも信頼されている。部屋を荒らすとは思えないな」
「そうですか……」
雪華は視線を落として、言葉を詰まらせる。周囲の空気が冷たく感じられる中、黒羽はその隙を逃さずに畳み掛ける。
「私達は管理人さんを信用しているわ。でも密室で事件が起きた。それも蛇の絵が飾られた直後によ。これはもう呪いよ。邪蓮さんの占いは正しかったのよ」
黒羽の言葉に同調するように、周囲の女官たちも小さく頷く。重苦しい雰囲気に包まれる中、雪華は一呼吸置いて、冷静に問いかける。
「やはり私は納得できません」
「これほど状況証拠が揃っているのに?」
「はい。なにせ現場を見ていませんから。それさえ確認できれば、私も信じることができます」
現場を調べれば、密室を生み出した謎を解けるかもしれない。雪華は心の内に本音を隠しながら提案するが、黒羽は首を横に振る。
「だめよ」
「どうしてですか?」
「私たちはこれから滅茶苦茶になった部屋を掃除しないといけないから忙しいもの。ねぇ?」
黒羽は背後にいた被害者の女官たちに目を向ける。その問いかけに、彼女たちは小さく頷いた。
雪華はそれでも諦めきれないと真っ向から立ち向かおうとするが、承徳が軽く肩を叩いて、そっと囁く。
「ここは一度引こう。無理に話を進めても状況を悪化させるだけだ」
「分かりました……」
場の空気から黒羽が首を縦に振ることはないだろう。雪華は静かに頷くと、玄関を後にする。
外に出ると、冷たい空気が二人を包み込み、それまでの重苦しい気持ちが少しだけ軽くなったように感じられた。
「余計な口出しをしてすまなかったね」
「いえ、承徳様がいなければ、感情的なやり取りになっていたでしょうから……むしろ、冷静な対応をしてくださって感謝しています」
「そう言ってもらえると助かるよ。それで、君はあの絵が本当に呪いを引き起こしたと思うかい?」
「私は信じていません。承徳様はどうですか?」
「呪いが部屋を荒らすはずがない。間違いなく、犯人は人間さ」
「人間の犯行なら容疑者を絞り込むのは簡単ですね」
「最有力候補は黒羽だろうね」
黒羽は雪華を敵視している。絵の呪いが原因だとなれば、それは雪華の評判を落とすことに繋がるため、十分な動機になる。
(裏にいるのが邪蓮様だとすると、紫蘭様との仲を引き離すための嫌がらせも目的の一つかもしれませんね)
そんな風に思考を巡らせていると、ふと、一人の女官が近づいてくる。その態度はどこか遠慮がちで、周囲を警戒するように目を配っている。そんな彼女に雪華は見覚えがあった。
「あなたは先程の宿舎にいた……」
「部屋を荒らされた被害者の一人です」
女官の声は小さく、まるで誰にも聞かれたくないかのように小さい。雪華は彼女をジッと見つめ、落ち着いた声で問いかける。
「どうかされましたか?」
「あの場では言えなかったのですが、私の部屋を調べてくれませんか?」
その申し出に雪華の胸が高鳴る。
「とてもありがたい申し出です。でもなぜ?」
「私、霊的なものが苦手で……呪いだと信じたくないんです。人間の仕業なら、それをはっきりとさせたいんです」
彼女も心の底では人間がやったと疑っていたのだろう。その申し出に雪華は大きく頷く。
「ありがとうございます。必ず、手がかりを見つけてみせます」
「では、私についてきてください」
宿舎に戻る雪華たち。玄関の蛇の絵の前からは人が消えていた。呪いを信じ、不気味に感じた者たちが部屋に帰ったからだろう。
女官に案内されるまま、廊下を進んで、突き当りの部屋に辿り着く。扉を開け、室内に足を踏み入れると、荒らされた惨状に息をのむ。
衣服や布団が床に無造作に投げ出され、机の上にあったはずの文具や書類も散乱していた。
さらに奇妙なことに荒らされた床には、蛇行するような跡が残されていた。その跡はまるで蛇が這い回ったかのようにくっきりと浮かび上がり、雪華の目を引いた。
「これが蛇と関連付けられた理由ですね……」
「その跡があったから、皆、呪いを信じたんです」
「でも、これは蛇が通った跡ではありませんよ。もし本物の蛇が通ったなら、鱗が落ちていたり、爬虫類の匂いが感じられたりするはずですから……」
「なるほど」
「そして決定的なのは倒れている本棚です。蛇にこの大きな家具を動かすことはできません」
雪華の足元には高さのある木製の棚が倒れている。その周囲には本が無造作に散らばっており、これを蛇が行えるはずもなかった。
「この蛇行したような跡は、部屋を荒らした犯人が細長いものを引きずるようにして細工したものです。決して呪いによるものではありません」
人間の仕業だと断言する。だがそれで周囲を納得させるには、もう一つ解決しなければならない問題があった。
(あとは鍵の謎さえ解ければ……)
黒羽によると、鍵は管理人に預けられていた。その管理人が犯人でないとするなら、密室を作り出したトリックがあるはずなのだ。
思案する雪華。そしてある一つの可能性に思い当たる。それについて女官に確認すると、彼女は首を縦に振った。
「やはり、そうでしたか……」
「謎が解けたようだね」
「はい、密室のトリックも証明できます」
雪華は達成感で口元に笑みを浮かべる。引導を渡す時が来たと、拳を強く握りしめるのだった。
昇り始めた日の光が柱を照らし、その影が石畳の床に伸びている。静寂に雪華の足音が鳴り響く中、慌ただしい足取りが加わる。
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「承徳様、何か起きたのですか?」
その表情から只事ではない何かを感じ取り、雪華が訊ねると、承徳はゆっくりと頷く。
「実は少々、まずいことが起きていてね……雪華の絵が災いを起こしているとトラブルになっているんだ」
「そんなことが……」
邪蓮から呪いを呼び起こすと占われていたものの、雪華は心の奥底では信じていなかった。だが現にそれが問題になっていると知り、焦りが汗となって背中に流れる。
「私についてきて欲しい」
「分かりました」
雪華は迷うことなく頷くと、彼の背中を追う。二人が向かった先は、蛇の絵を飾ってある宿舎だ。玄関には女官たちが集まっており、ざわめきと低いささやき声が雪華の不安を増幅させる。
近づくと、集まった女官たちの視線が一斉に雪華へと向けられる。その瞳は冷たく、どこか疑念に満ちている。
重たい空気に包まれる中、それを破るように人混みを掻き分けて黒羽が姿を現す。いつもの鋭い目つきで雪華を睨みつけると、皮肉げに笑みを浮かべる。
「あなたのせいで不幸が起きたわ」
「私のせいですか?」
「ええ。その蛇の絵の呪いのせいで、皆が部屋を荒らされたの」
ある女官は室内に飾っていた花瓶を割られ、ある女官は衣服を引き裂かれていた。被害が複数の部屋に及んでおり、自作自演の可能性も低いと、黒羽は続ける。
「もう一度言うわ。この問題はあなたのせいよ」
「呪いだと信じるだけの根拠があるのですか?」
「蛇が通ったような跡が残っていたの」
「……それだけなら誰かが荒らした可能性もあるではありませんか?」
「それがありえないの。だって被害者の部屋には鍵がかかっていたもの」
「鍵ですか……」
「そう。私たちはみんな外出中だったの。その間、鍵は宿舎の管理人に預けていたわ」
頭の中に管理人が容疑者として浮かぶ。だがそれを察したかのように、承徳が首を振る。
「ここの管理人は長年勤めてきた人で、皆からも信頼されている。部屋を荒らすとは思えないな」
「そうですか……」
雪華は視線を落として、言葉を詰まらせる。周囲の空気が冷たく感じられる中、黒羽はその隙を逃さずに畳み掛ける。
「私達は管理人さんを信用しているわ。でも密室で事件が起きた。それも蛇の絵が飾られた直後によ。これはもう呪いよ。邪蓮さんの占いは正しかったのよ」
黒羽の言葉に同調するように、周囲の女官たちも小さく頷く。重苦しい雰囲気に包まれる中、雪華は一呼吸置いて、冷静に問いかける。
「やはり私は納得できません」
「これほど状況証拠が揃っているのに?」
「はい。なにせ現場を見ていませんから。それさえ確認できれば、私も信じることができます」
現場を調べれば、密室を生み出した謎を解けるかもしれない。雪華は心の内に本音を隠しながら提案するが、黒羽は首を横に振る。
「だめよ」
「どうしてですか?」
「私たちはこれから滅茶苦茶になった部屋を掃除しないといけないから忙しいもの。ねぇ?」
黒羽は背後にいた被害者の女官たちに目を向ける。その問いかけに、彼女たちは小さく頷いた。
雪華はそれでも諦めきれないと真っ向から立ち向かおうとするが、承徳が軽く肩を叩いて、そっと囁く。
「ここは一度引こう。無理に話を進めても状況を悪化させるだけだ」
「分かりました……」
場の空気から黒羽が首を縦に振ることはないだろう。雪華は静かに頷くと、玄関を後にする。
外に出ると、冷たい空気が二人を包み込み、それまでの重苦しい気持ちが少しだけ軽くなったように感じられた。
「余計な口出しをしてすまなかったね」
「いえ、承徳様がいなければ、感情的なやり取りになっていたでしょうから……むしろ、冷静な対応をしてくださって感謝しています」
「そう言ってもらえると助かるよ。それで、君はあの絵が本当に呪いを引き起こしたと思うかい?」
「私は信じていません。承徳様はどうですか?」
「呪いが部屋を荒らすはずがない。間違いなく、犯人は人間さ」
「人間の犯行なら容疑者を絞り込むのは簡単ですね」
「最有力候補は黒羽だろうね」
黒羽は雪華を敵視している。絵の呪いが原因だとなれば、それは雪華の評判を落とすことに繋がるため、十分な動機になる。
(裏にいるのが邪蓮様だとすると、紫蘭様との仲を引き離すための嫌がらせも目的の一つかもしれませんね)
そんな風に思考を巡らせていると、ふと、一人の女官が近づいてくる。その態度はどこか遠慮がちで、周囲を警戒するように目を配っている。そんな彼女に雪華は見覚えがあった。
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「部屋を荒らされた被害者の一人です」
女官の声は小さく、まるで誰にも聞かれたくないかのように小さい。雪華は彼女をジッと見つめ、落ち着いた声で問いかける。
「どうかされましたか?」
「あの場では言えなかったのですが、私の部屋を調べてくれませんか?」
その申し出に雪華の胸が高鳴る。
「とてもありがたい申し出です。でもなぜ?」
「私、霊的なものが苦手で……呪いだと信じたくないんです。人間の仕業なら、それをはっきりとさせたいんです」
彼女も心の底では人間がやったと疑っていたのだろう。その申し出に雪華は大きく頷く。
「ありがとうございます。必ず、手がかりを見つけてみせます」
「では、私についてきてください」
宿舎に戻る雪華たち。玄関の蛇の絵の前からは人が消えていた。呪いを信じ、不気味に感じた者たちが部屋に帰ったからだろう。
女官に案内されるまま、廊下を進んで、突き当りの部屋に辿り着く。扉を開け、室内に足を踏み入れると、荒らされた惨状に息をのむ。
衣服や布団が床に無造作に投げ出され、机の上にあったはずの文具や書類も散乱していた。
さらに奇妙なことに荒らされた床には、蛇行するような跡が残されていた。その跡はまるで蛇が這い回ったかのようにくっきりと浮かび上がり、雪華の目を引いた。
「これが蛇と関連付けられた理由ですね……」
「その跡があったから、皆、呪いを信じたんです」
「でも、これは蛇が通った跡ではありませんよ。もし本物の蛇が通ったなら、鱗が落ちていたり、爬虫類の匂いが感じられたりするはずですから……」
「なるほど」
「そして決定的なのは倒れている本棚です。蛇にこの大きな家具を動かすことはできません」
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人間の仕業だと断言する。だがそれで周囲を納得させるには、もう一つ解決しなければならない問題があった。
(あとは鍵の謎さえ解ければ……)
黒羽によると、鍵は管理人に預けられていた。その管理人が犯人でないとするなら、密室を作り出したトリックがあるはずなのだ。
思案する雪華。そしてある一つの可能性に思い当たる。それについて女官に確認すると、彼女は首を縦に振った。
「やはり、そうでしたか……」
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