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第五章
第五章 ~『密室と蛇』~
しおりを挟む医官による診察が終わり、静けさが医房を包み込んでいた。
紫蘭は寝台の上に横たわり、まだ意識を取り戻していない。顔色は青白く、時折その胸が小さく上下することで、わずかな生気を感じさせるだけだった。
雪華は傍に座り、そっと紫蘭の手を握りしめる。冷たくなった指先に触れると、心の中に焦りが込み上げてきた。
(紫蘭様は助かるのでしょうか?)
医官に症状を問いかけたいが、応急処置をした後に姿を消していた。紫蘭が倒れていた傍には怪しげな針が落ちていたため、事故ではなく事件として扱われている。そのため被害者の状態を聞かれているのだろう。
(できることなら私が犯人を……)
捕まえたいと心の中で願っていると、控えめな足音が近づいてきた。扉を開けて入室してきたのは承徳だった。
「雪華、無事だったかい?」
「承徳様がどうしてここに?」
「事件に巻き込まれたと聞いてね。駆けつけたんだ」
承徳はほっと息を撫で下ろす。雪華の身を案じてくれていたのだ。
「ありがとうございます。私は大丈夫です。ただ……紫蘭様が……」
意識が戻らない状態が続いており、心は晴れない。承徳はその様子を眺めながら、静かに事実だけを呟く。
「医官によると、症状から刺されたのは早朝とのことだ。それと針には蛇の毒が塗られていたらしい」
「蛇……ですか……」
蛇と聞いて真っ先に浮かんだのは邪蓮の顔だ。彼女は占いのために蛇を飼っていたし、紫蘭を恨んでいたため動機もある。
ただ蛇だけで邪蓮を容疑者扱いはできない。むしろ客観的には雪華の方が疑わしい状況だ。
なにしろ雪華は第一発見者であり、同じ職場の同僚だ。仕事上でトラブルがあったと邪推されれば、動機ありと見做されてもおかしくはない。
「私は疑われているのでしょうね……」
その呟きを聞いた承徳は悲しげな顔で首を縦に振る。
「残念ながらね。ただ今回の事件の捜査は私が引き受けることになったから。理不尽な結果にはならないと約束するよ」
静慧には無理を言ったけどね、と承徳は続ける。雪華に冤罪を着せないために頑張ってくれたのだと知り、心が感謝で満たされていく。
「このご恩は必ず返しますね」
「私たちは友人だ。困った時はお互い様だろ」
「承徳様……ありがとうございます」
雪華は深く頭を下げる。承徳は微笑みながら受け入れると、視線を紫蘭へと移した。
「それに感謝するにはまだ早いよ。なにせ真犯人をこれから探さないといけないからね」
いくら承徳が庇ってくれても、無実を証明しなければ、後宮で暮らしていくことは難しくなる。
雪華は静かに頷くと、これまでの状況を振り返るように口を開いた。
「紫蘭様の部屋には鍵が掛かっていました……他の侵入口もなかったはずです」
「ああ。静慧が調べたけど、密室で間違いないよ。鍵も室内で発見されているしね」
つまり侵入するためには傘立ての中に予備の鍵があると知っている必要がある。だがそれは簡単ではない。雪華のようにシロがいれば別だが、どこにあるか分からないものを発見するのは容易ではなく、そもそも予備の鍵の存在も管理人に教えてもらわなければ分からないからだ。
(だからこそ私が疑われているのですね……)
雪華が鍵を発見したのが偶然ではなく、最初から知っていたとするなら密室の謎を考える必要がなくなる。
もし承徳が捜査を引き受けていなければ、早々に雪華が真犯人として投獄されていたかもしれない。
(だからこそ私は期待に応えなければなりませんね)
謎を解くため、雪華は頭を捻る。だが解決の糸口さえ見つからない。
「他に手掛かりがあれば……」
真相に辿り着けるかもしれない。その心の声を聞いたかのように、承徳が笑みを浮かべる。
「なら現場に行ってみようか」
「私は容疑者ですよ。構わないのですか?」
「いいさ。私が許す。それに証拠を隠滅するなら、時間はたっぷりあったんだ。今更、部屋に入れたとしても何も変わらないさ」
雪華は一瞬迷ったが、承徳の真剣な眼差しに背中を押される。
「……ありがとうございます。それでは、行かせていただきます」
「そうと決まれば善は急げだね」
承徳に先導される形で、二人は医房を後にして、紫蘭の部屋へと向かう。扉の前まで辿り着くと、雪華は一瞬立ち止まってから、小さく息を整える。
意気込みながら扉を開けると、採光用の窓から差し込んだ日差しが出迎えてくれる。雪華は周囲を巡らせて、謎を解くための手掛かりがないかを探る。
(昨日、訪れた時と大きな変化はありませんね)
改めて分析してみるが、事件のヒントに繋がりそうなものはない。強いて変化を挙げるとすれば、それは壁に飾られた一枚の水墨画だろう。そこには花を摘んだ少女が嬉しそうに笑う姿が描かれていた。
「この娘……邪蓮様に似ていますね」
「私も同じ感想を抱いたよ。何でも二人は幼馴染だそうだからね」
「承徳様も知っていたのですね……」
「事件に関わる情報は静慧から聞いているからね……特に事件現場に金を催促するような手紙が山のように積まれていたんだ。関係性は調べるさ」
承徳の言葉に雪華は首を傾げる。金の無心をしていたのは故郷の村の村長だ。邪蓮とは無関係のはずである。
なのに承徳は邪蓮との関係性を調べた。そこから一つの結論を導き出す。
「もしかして金の無心をしている村長さんは、邪蓮様の御親戚ですか?」
「親戚どころか、両親だよ」
「なるほど……それは大きなヒントになりますね」
暗闇だった真相が、一筋の光によって照らされ始める。その光はまだぼんやりとしていたが、確実に目的地へと続いていた。
(あともう少しですべてが明らかになるはずです……)
雪華は部屋を見渡して、次なる手掛かりを探し始める。
そんな時だ。開いていた扉の隙間から子狼のシロが室内に飛び込んできた。
飼い主の雪華が心配で様子を見に来てくれたのだろう。そう思ったが、シロは鼻を鳴らして足を止めた。
ジッと何もない空間を眺めながら、警戒するように小さく吠える。その声は雪華に『室内から蛇の匂いがする』と伝えてくれた。
(毒の匂いでしょうか……でもそれよりはむしろ……)
真相へのヒントを得た雪華は床を注意深く観察する。そして蛇の鱗が落ちていることに気づいた。
「この部屋に蛇がいたようですね」
雪華の視線の先に承徳も気づく。だが同時に疑問を表情に浮かべた。
「どうして、この部屋に蛇が……」
「もしかしたら針はフェイクかもしれません」
「どういうことだい?」
「紫蘭様は針に刺されたのではなく、蛇に噛まれたのかもしれません」
「詳しく説明してもらえるかな」
「まず、この部屋ですが厳密には密室ではありません。採光用の窓が開いていましたから」
「でも天井付近にあるから人は通れないよ……なるほど、訓練させた蛇に針を咥えさせて侵入させたんだね」
「はい。部屋に侵入した蛇は、針を落としてから紫蘭様を襲い、そのまま窓から去りました。これだけで密室が成立します」
「なるほど、針を落とすことによって人の仕業だと見せかけることもできる。見事なトリックだ」
密室の謎を解く筋書きは成立した。ただそのためには重要な前提条件があった。
「これを実行するには、よほど訓練された蛇が必要だね」
「それができる人物に心当たりがあります」
「邪蓮だね……手掛かりを得るためにも話を聞いてみようか」
「はい!」
雪華はその提案に力強く頷く。紫蘭を襲った真犯人を突き止めるため、二人は部屋を後にするのだった。
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