公爵に婚約破棄された……じゃなくて、公爵が婚約破棄されたので、転生幼女の私が保護します!

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第二章

第二章 ~『ツナと鳳凰』~

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 日記を懐に収めると、リサは名残惜しそうに視線を室内に戻す。

(もしかしたら、他にも何か……)

 まだこの家には、手掛かりが残っているかもしれない。そう思い、リサは崩れた棚の隙間などを丁寧に調べていく。

 やがて、倒れた木製の戸棚の下、奥まった場所にひときわ硬い感触を見つける。手を差し入れ、慎重に引き出すと、そこにあったのは、時を越えてなお金属の輝きを残す缶詰だった。

(これは……ツナ缶ですね)

 ラベルは半ば剥がれていたが、『まぐろの油漬け』という文字が辛うじて読み取れる。ただすぐに課題に気づく。

(賞味期限は大丈夫なのでしょうか……)

 缶の底には日付らしき刻印がある。しかし今が地球の何年何月に相当するのかが分からないため、期限内かどうかの判別がつかない。

(開けてみるしかありませんね)

 リサは小さな金属のリングに指を引っかける。慎重に力を入れて引き上げると、「ぱきん」という小気味よい音とともに蓋がわずかに浮く。

 油の染みた空気が、缶の内側からふわりと立ち上っていく。

 さらに引っぱると、ぴしり、と金属が裂け、蓋が全開になる。中にはオイルをたっぷり含んだツナの身が詰まっており、特に異常は感じられない。

(大丈夫そうですね……それに食べればヒントが得られるかもしれません)

 この缶詰が機長の持ち込んだものだとすると、それがいつなのかを味の劣化具合で把握できるかもしれない。

 最悪、お腹を壊すのも覚悟の上で、慎重に指先ほどの量をすくう。そして、舌の上にそっと乗せた。

 じんわりと口の中に広がるのは、オイルのまろやかさと、魚肉本来の旨味だ。しっとりとした食感と塩気、そしてほんのわずかな魚の甘みで頬が緩んでしまう。

「美味しいですね……劣化もしていなさそうです」

 缶詰の保存技術が優れていた可能性もある。だが百年も前でないことだけは確かだろう。その一言がこぼれた瞬間、ふわりとリサの肩に柔らかな重みが加わる。

「にゃ~」

 ハクがいつの間にかリサの肩に乗り、ツナ缶をじぃっと見つめている。小さな鼻がひくひくと動き、前脚がそろそろと缶に近づいてくる。

「ダメですよ、これは……」
「にゃあ!」
「……お腹を壊しても知りませんよ?」
「にゃにゃ」

 リサは苦笑しながらも、ハクには勝てないと、ツナを差し出す。好みの味だったのか、唇を舐めて、目を細めた。

「いい匂いがするね」
「ツナを見つけたんです。一応、今のところお腹は無事ですし、ハンス様も食べますか?」
「食べたいけれど、お腹がいっぱいでね」

 ハンスはツナ缶を覗き込む。ジッと見つめると、感心したように頷く。

「君の故郷の保存技術は凄いね」
「缶詰なら数年単位で保存できるんですよ」
「信じられないような技術だ……」

 彼の目には、それがまるで魔法のように映っているのだろう。興味深いのか、瞳がキラキラと輝いている。

「折角の機会だ。リサの故郷について、話を聞かせてくれないかい?」
「構いませんが……幻想が砕かれるかもしれませんよ?」
「それでも君がどういう環境で暮らしていたのかを知っておきたいんだ」

 ハンスの問いかけに、リサは少しだけ視線を彷徨わせる。そして、ゆっくりと口を開いた。

「故郷にいた頃の私は……朝起きてから、寝る直前まで働いていました……」
「そんなに長く? 農民ですら、日が暮れたら休むものだが……」
「でも、それが当たり前だったんです。満員の乗り物に乗って、一日中、何かに追われて過ごす。そんな日々でした……」
「……そんな地獄のような故郷に、君は帰りたいのかい?」

 ハンスの問いは率直で、それだけに真摯だった。リサは少しだけ考えてから、静かに口を開く。

「実はその地獄の環境を抜け出せたんです」
「おおっ、それはめでたいね」

 ハンスが嬉しそうに声を上げるが、リサは苦笑しながら首を振る。

「でもやっと解放されたと思ったら、すぐに遭難して、気がついたらこの島にいましたから……」
「それは……なんというか、運が悪かったね」
「ですよね。笑っちゃいますよ」

 湿った床板の軋む音が、ふたりの間の沈黙を埋めるように響く。しばらくして、リサはふと目線を上げ、ぽつりと続ける。

「会社を辞めたときに慰謝料が出たんです。しばらく遊んで暮らせるだけの金額でした」
「少し報われたんだね……」
「そのお金を使って、私は南の島に行くつもりでした。空も海も綺麗で、風が気持ちよくて、何も考えずにのんびり過ごせる場所……ハワイっていう夢みたいな島があるんです……」

 言いながら、リサの表情に淡い笑みが浮かんでいく。ハンスは頷きながら、彼女の話に耳を傾ける。

「朝はゆっくりと目を覚まし、美味しい朝ごはんを食べて、昼はビーチで本を読んだり泳いだり。夜はドレスを着て、ちょっと高級なレストランでディナー。そういう毎日を、一週間くらい……いいえ、できれば一ヶ月くらい、ずっと楽しんで……それで全部忘れるんです。仕事も、ストレスも、苦しかったことも」

 古びた窓から差し込む淡い光が、彼女の顔をほんのりと照らす。その表情はまだ見ぬ未来への希望に満ちていた。

「故郷に戻れるといいね」
「絶対に帰って、最高のバカンスを過ごしてみせます!」

 その声は陽の光のように明るい。前向きなリサの言葉に、ハンスの口元に笑みが浮かんだ。

「見るべき箇所は調べたし、そろそろ砂浜に帰ろうか?」
「ですね」

 互いに短く頷き合うと、二人は立ち上がる。

 入口の扉を開けて外に出ると、涼しげな風が頬を撫でた。

 だが、次の瞬間。リサの足元のハクが、ぴたりと動きを止める。

「ハク様?」

 リサが呼びかけたときには、もうハクは低く身を伏せていた。

 耳と尾を立て、空を見上げるように鼻をひくつかせている。喉の奥で低く唸る声が漏れている。

 只事ではないと感じたリサたちは、即座に反応する。ハクを連れて、建物の影に身を滑り込ませると、気配を殺して空を見上げる。

 やがて、空を覆うような影が現れた。

 優雅に旋回する巨大な鳥は、赤と金に輝く羽を広げ、太陽の光を反射させている。燃えるような輪郭を描く羽を動かすたびに、空気が波打つ。

 ただ空を飛んでいるだけなのに、地上にいる者たちを支配しているような畏怖があった。

「あの魔物はいったい……」
「伝承で聞いたことがある。おそらくだけど、あれは鳳凰だ」

 炎から生まれ、死と再生を司る神獣。幻想の産物だったはずの怪物が、今、目の前の空に実在している。

 リサの背筋を、冷たい汗が流れる。ハクの母親と同等、いや、それ以上かもしれない畏怖を感じ、一つの結論を下す。

(きっとあれが四獣の内の一体ですね。私が日本に帰るために必要な鍵となる存在……)

 高く舞い上がった鳳凰が、太陽と重なるように羽を広げる。その身体が、陽炎のように揺れると、音もなく姿を消した。

 熱気を帯びた空気が、まだ周囲に漂っている。風の流れは止まり、島全体が一瞬、呼吸を止めたかのような静寂が満ちた。

「どこかへ行ったようだね……」

 ハンスの小さな呟きに真っ先に反応したのはハクだ。小さな体を緊張で強張らせながら、じっと耳を澄ませている。

「もしかしてハク様は、鳳凰がどちらへ消えたのか分かるのですか?」

 リサの問いかけに、ハクは鼻をひくつかせたあと、静かに顔をひねって東の方角を向く。

 匂いなどの見えない痕跡を感じ取っているのか、その動きに迷いはない。

 リサはそっと頷き、ハンスを見据える。

「砂浜に戻る前に鳳凰の住処を把握しておきます」

 四獣が日本帰還の鍵になるのなら、いずれ確実に向き合うことになる。位置を掴んでおきたいと伝えると、ハンスは理解を示すように静かに頷く。

「なら僕も付き合うよ」
「よろしいのですか?」
「強力な魔物の居場所は、僕にとっても重要だからね」

 四獣の位置を知りたいのは、リサが日本に帰るためだ。それを分かったうえで、あえて言葉を選んでくれたのだと知り、その配慮が胸に沁みる。

「ありがとうございます、ハンス様」

 言葉にして礼を告げると、彼は小さく笑う。気を引き締めたリサたちは、東を見据えて歩き始めるのだった。

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