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第一章 ~『実戦経験と冒険者組合』~

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 ランクDの領域に足を踏み入れてから九十年が経過した。体感時間は百年、実時間で百秒経過した世界で、アルクは上級魔法使い相当の実力を手に入れていた。

「ランクDの魔法なら完璧に使いこなせるようになった。魔力量も並みの魔法使いになら遅れを取らない。ここまでの力が得られたのはクリスのおかげだよ」
「いいえ、アルクくんの努力の成果です。頑張っていた姿をずっと見てきた私が言うのですから間違いありません♪」

 確かに努力したのはアルク自身だ。しかし頑張ればいつだってクリスが褒めてくれたからこそ、凡庸な村人も命がけの修業に身を置くことができたのだ。

「この百年の間にランクDは会得できた。次はランクCに挑戦だな」
「そのためにも一度実践を経験すべきですね」
「実践はさすがに早くないか?」
「百年も修業したのですから遅すぎるくらいですよ」
「それもそうか」
「それにランクC以降の魔導書は読み終えると、本の精霊との決闘が求められます。倒すことで初めて習得できるため、勝利を確実なモノとするためにも実践は必要です」

 実戦経験。それはアルクの人生において縁遠い言葉である。

 命を賭けるのが怖くて実践から逃げてきたわけではない。そもそも修業で命を何度も落としているのだから、いまさら恐れる理由もない。

 ただ漠然と苦手意識があるのだ。これは勇者パーティに所属していた頃に荷物持ちをしていたことも理由の一つだろう。

 勇者たちからは雑魚として扱われ、最弱のスライムやゴブリンさえ倒した経験がない。実戦での成功体験がないからこそ、苦手意識を覚えるのだ。

 だからこそ苦手を克服するためにも実践を経験するのは、名案だと受け入れていた。

 しかし同時に疑問も沸く。地下室にはアルクとクリスの二人しかいない。いったい誰と戦うというのか。

「まさかクリスが俺の相手をしてくれるのか?」
「いいえ、私は補助の魔法が得意な聖女ですから。得られる経験は役立ちません。それに私が相手だと遠慮してしまうと思うのです」
「それはそうだろうが……なら誰と戦うんだ?」
「ダンジョンに挑戦しようかと。あそこなら魔物がたくさんいますから」
「でもこの地下にダンジョンなんてあるか?」
「アルクくんは引きこもり期間が長くて忘れているようですが、外にはいつでも出られるのですよ」
「そういやそうだったな」

 地下室の外でマーサと出会ったことを思い出す。体感時間で九十年も前のことなので、遥か遠い過去のようにさえ感じられた。

「では結界を解除します。二人で冒険を開始しましょう♪」
「腕が鳴るな!!」

 クリスが結界を解除して、アルクは準備を整える。村人らしい麻の服の上から、安物のプレートメイルを装備する。腰にはクリスから貰った名刀が輝いていた。

「……鎧も買わなければなりませんね」
「もしかしてダサいか?」
「アルクくんが格好良いので、素敵だと思いますよ♪」
「ダサいんだな……」

 村人の安月給で買い揃えた防具である。みすぼらしいのも仕方がない。

「ダンジョン攻略で金を手に入れたら新調するさ」

 何はともあれ、まずは冒険である。

 アルクたちは地上への扉を開けて、階段を登る。協会には未だマーサの姿があった。長らくぶりの再会である。

「久々だな、マーサさん」
「え? 私たちが話していたのは数分前ですよ?」
「ははは、そうだったな。でも俺からすれば久しぶりなんだ」

 マーサは頭の上に疑問符を浮かべる。だがアルクの隣に立つクリスの姿を認めると、疑問を消し去り、驚嘆で目を見開く。

「クリス、久しぶりねっ!」
「ふふふ、いつ以来でしょうか」
「あなたはアルクさんのお家に行ったきりで、中々顔を見せないモノだから心配していたのよ……でもあなたが幸せそうでよかったわ」
「マーサ。心配をかけて申し訳ないです。それにお礼を言わせてください」
「お礼?」
「あなたのおかげでアルクくんは強くなることができました」
「話が見えないけど、あなたの役に立てたのね。ならとっても嬉しいわ」

 笑顔を浮かべるマーサ。そんな彼女に一礼したアルクたちは、見送られながら、協会を後にする。

「いい母親だな」
「はい。私の自慢なんです♪」

 クリスたちは協会から歩いて数分の場所に位置する繁華街へたどり着く。人で混み合う目抜き通りは活気づいていた。

「ダンジョンへは向かわないのか?」
「向かいますよ。でもその前に冒険者組合で登録をしないといけません」
「そういやそんな制度があったな」
「アルクくんはまだ登録していませんよね?」
「勇者パーティに所属していた頃は荷物持ちだったからな……」

 冒険者として登録されると最低賃金の支払い義務が生まれる。依頼達成時の報酬をアルクに渡すことを嫌った勇者が登録を邪魔したのだ。

「冒険者組合に登録しておけば、ダンジョン攻略で報酬を得られるだけでなく、非常時のサポートを受けることもできます。ダンジョンでは何が起きるか分かりませんから。万全の準備を整えないといけません」

 ダンジョン探索は多くの魔物と罠が待ち構えており、死の危険とも隣りあわせだ。だからこそ冒険者組合は、専属の回復魔法使いによる治療や行方不明者への捜索隊派遣などをサポートとして実施している。

 事務手数料として報酬の一部を支払う必要があるものの、それ以上のサービスを提供してくれるのが冒険者組合という組織だった。

「さぁさぁ、こっちが冒険者組合ですよ。さっそく行きましょう♪」
「ああ」

 クリスはアルクの手をそっと握り、先導するように石畳の道を進む。暖かい手の感触が広がっていく。

「今日は人が多いですね」
「だな。それになんだか、すれ違う人たちに見られている気がする」
「きっとアルクくんが格好良いからですよ♪」
「それは絶対にない」

 なぜあんな冴えない奴が美人と一緒なんだと、視線には嫉妬が含まれているような気がした。しかし不釣り合いであることに対し、以前ほど嫌な気持ちにはならなくなっていた。

 現在のアルクは最弱の村人は卒業し、いまではランクDの魔法でさえ扱える。聖女の隣が相応しいとは言えないが、背中を追いかけるくらいなら許される立ち位置にまで辿り着いたのだ。

「ここが冒険者組合ですよ」

 クリスに連れられて辿り着いたのは、大きな門構えの建物だった。酒場と一体になっているため、通りにまで活気の声が聞こえてくる。

「さっそく入りましょうか」

 クリスと共に扉を開けると、中では荒くれ者の冒険者たちが丸机に座り、酒と雑談を楽しんでいた。

 冒険者たちの好奇の視線を浴びながら、奥にある冒険者組合の受付へとたどり着く。受付嬢はアルクに視線を向けた後、クリスの存在に気づいて、背筋をピンと張る。

「せ、聖女様! どうしてこのような場所に!」
「もちろん冒険者登録するためですよ」
「聖女様が冒険者ですか!?」
「何かおかしいでしょうか?」
「い、いえ、おかしいはずがありませんとも! 我々冒険者組合は聖女様を歓迎致します!」

 魔王を封印した最強の一角であるクリスが冒険者組合に加入するのだ。舞い込んできた出世のチャンスに、受付嬢はヘラヘラと笑みを浮かべる。

 だが対照的にクリスはムッとしていた。

「訂正してください……」
「て、訂正ですか?」
「歓迎するのは私だけなのですか? 隣にアルクくんもいるのですよ」

 受付嬢は隣に立つアルクに視線を向ける。どうやら彼のことを知っているのか、小さく鼻で笑う。彼を見据える視線には侮蔑の色が混じっていた。

「あなたは確か……村人のアルクさんですよね?」
「そうだが、どうして俺のことを?」
「勇者様よりお聞きしました。なんでも荷物持ちさえ満足にこなせない無能だとか。正直、あなたのような弱者を冒険者組合に入会させたくありません」

 冒険者組合の収益は依頼料の仲介手数料だ。だからこそ高難度で報酬の高い依頼を達成してくれる冒険者を歓迎する。

 逆に能力の低い冒険者はサポート費用の方が高く付き、赤字を生み出す要因にさえなりうる。故に受付嬢はアルクの入会に反対していた。

「アルクくんを馬鹿にするのは止めてください」
「聖女様……ですが……」
「もし侮辱を続けるのなら、冒険者組合の本部に正式に抗議文を送らせていただきます。それでもよろしいですか?」
「そ、それは……」

 魔王を封印した聖女の抗議文だ。その影響は計り知れない。脅しにも似た要求に、受付嬢はゴクリと息を飲む。

 二人の間に緊迫した空気が流れる。その空気を壊すように、一人の大男が受付台をバンと叩く。

「話は聞かせてもらったぜ」
「グリーズさん!」

 グリーズと呼ばれた大男の登場に受付嬢は助かったと安堵の息を漏らす。

「聖女様、あんたは権威もあるし、力もある。だからってイジメはよくねぇ」
「私はイジメなんてしていません」
「なら聞くが、無能な村人を無理矢理入会させるように脅迫することがイジメでないならなんなんだ?」
「ふふふ、議論がずれていますよ。そもそも前提が間違っているのです」
「前提が違う?」
「アルクくんは無能ではありません。この場にいる冒険者の誰よりも彼は強い!」

 その一言は冒険者たちの間に緊張を走らせた。クリスの発言は暗に村人よりも弱いと中傷したに等しいからだ。

 しかしざわめきはグリーズが手を挙げたことですぐに収まる。冒険者たちは彼が何をしようとしているのか察したのだ。

「随分と大口を叩くな。なら証明してもらおうか」
「いいでしょう。ですがどうやって?」
「偶然にも俺はこの場にいる冒険者の中でも最強に近い実力だ。もし俺を倒せたら入会を認めてやる。その条件でどうだ?」
「アルクくんの凄さを知らしめる良き機会です。その喧嘩、買いましょう」

 自分を抜きにして進んでいく話に辟易とするものの、修業の成果をようやく試せるとアルクは胸を躍らせるのだった。
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