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第十六話    変異体

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「一雨きそうな曇り空だな」

 四狼は右手一本で〈忠吉〉を納刀すると、顔を上げて空を仰いだ。

 空模様も確認できないほどの薄暗い樹海をようやく抜けたかと思うと、午前中の晴々とした晴天からは考えられないほど天気が崩れていた。

 青の絨毯を敷き詰めたようだった青空が、今では暗色の雲に覆いつくされている。

「どうだ、オリビア。呼吸は落ち着いたか?」

 曇り空から視線を外した四狼は、後方を振り返りながら問いかけた。

 四狼とオリビアの二人は、塹壕とも呼べる両端を岩壁に囲まれた山道の中にいた。

 そして四狼の後方六メートルほどの位置には、オリビアがぜいぜいと呼吸を荒げながら片膝をついて休んでいた。

 手にしていた長剣を地面に突き刺して杖代わりにしている。

「はあ、はあ……何で……貴様は……はあ、はあ……そんなに……体力があるんだ?」

 言葉を発するだけでも辛そうなオリビアの周囲には、十数人の盗賊たちの骸が転がっていた。

 盗賊たちは頭や肩、腕、足などを斬り飛ばされている凄惨な姿をしていたが、そんな盗賊たちに共通するものは何といっても胸元の傷だろう。

 全員が例外なく心臓を突き刺されている。

「それだけ口が聞けるなら大丈夫だな」

 周囲に転がっている盗賊たちのほとんどは四狼が仕留めたのだが、オリビアもしっかりと手伝っていた。

 樹海の中では死体が蘇るような現場を見たせいか気が動転していたが、そこは日頃から心身ともに鍛えている騎士団だ。

 恐怖はまだ感じているものの、盗賊たちと遭遇しても恐慌状態に陥らず戦うことができていた。

 やがてオリビアは呼吸が落ち着いたのかゆっくりと立ち上がった。

 そして杖代わりにしていた長剣を地面から抜いて鞘に納めると、ふらふらと四狼の元へ歩み寄っていく。

「今度こそ説明してもらう。一体こいつらは何なんだ?」

 またか、と四狼は鼻先を掻いた。

 樹海の中でもそうだったが、もう何度も説明しているのにオリビアは一向に聞き入れてくれない。

 四狼自身もそれは無理もないと思いながら、仕方がないといった様子でもう一度きっちり説明することにした。

「こいつらは〈亜生物〉に核を仕込まれた〈変異体〉だ。核は対象が生きていようが死んでいようが関係なく身体組織の奥に潜り込み、意識と身体をすべて掌握する。すると対象は核の正式な宿主となり、〈亜生物〉の忠実な駒となって活動を始める」

「では――」とオリビアが続いての質問を投げかけてくる前に、四狼は先手を打った。

 羽織っていた外套の中で何かモゾモゾと動きを見せると、四狼は取り出した金属製の太い棍棒のような物をオリビアに見せつけた。

「これはショットガンと呼ばれる中距離用の武器だ。フランキ・スパスやベネリをモデルにしているらしいが俺も詳しい正式名称は忘れた。特殊合金製でストック部分がガングリップ仕様になっていて、フォアグリップ先端部分にあるボタンでポンプ・アクションとオートマチックに切り替えられるのが特徴だ。口径は十二番ゲージで装弾数は八発。その弾にも種類があり、樹海の中でオリビアを助けたときに使用した弾はバックショットやバードショットなんかの散弾じゃなくてスラグショットと呼ばれる一粒弾だ」

 一呼吸で一気に言い切った四狼は、オリビアに「分かったか?」と言った。

「さっぱりわからん」

 オリビアは首を左右に振って簡素に答えた。

 当然だな。

 ベルト付のショットガンを背中に回した四狼は、オリビアに説明したところで理解するのは絶対に不可能だと確信していた。

 それは決してオリビアが無知だからではない。

 理解しろと言う方がおかしいのである。

「ともかく」

 四狼は眉間に目尻に皴を寄せているオリビアに人差し指を突きつけた。

「〈変異体〉は核に乗っ取られた時点でもう死んでいる。意志の強い者ならば多少は意識が残るかもしれないが、それはとても稀なことだ。だがどのみち人間としての生命は終わっていることには違いない。死んでもなお働かされるなんてどんな人間であろうと忍びないだろ? だから核が潜んでいる心臓を破壊してきちんと殺してやることが一番なのさ」

 何度目かの四狼の話を聞いて、今度のオリビアは口元を押さえて黙ってしまった。

 さすがのオリビアも四狼の話が嘘偽りではないと思い始めたのだろう。

 四狼から聞いた説明を必死に理解しようと努力しているオリビアを見て、四狼は小さく溜息をついた。

 四狼と金剛丸がこのバルセロナ公国に訪れた理由は、旅先でバルセロナ公国には珍しい遺跡があるという情報を摑んだからである。

 過去の人間が生活している場所を総じて遺跡というが、中にはまったく別の理由で遺跡と呼ばれる場所がある。

 過去の人間たちが生活していた当時の文明の跡が見られず、それどころかどんな高名で博識豊かな学者でも説明がつかない不可思議な物が発掘される場所。

 遺跡という呼称にはそんなもう一つの意味が含まれている。

 もちろん、四狼や金剛丸はただ物見遊山的な考えで遺跡を探している訳ではない。

 きちんとそれなりの理由が存在するのだが、まさかこんなややこしい事態になるとは夢にも思わなかった。

 四狼は地面に横たわっている〈変異体〉を一望した。

 〈変異体〉がここに存在するということは、その核を仕込んだ〈亜生物〉が近くにいるということを明確に示している。

 〈変異体〉は自分で物を考える思考はなく、〈変異体〉を自分から遠ざける〈亜生物〉は滅多にいないからだ。

 四狼の脳裏に様々な考えが浮かんでは消える。

 ――遺跡を占領している『ベヘモス』という名前の盗賊団。

 ――〈変異体〉と〈亜生物〉。

 ――白銀色の髪が印象的だったヴェールの女性が依頼して来た仕事。

 この三つの事柄から導き出される結論を四狼は延々と思考していたが、ただ一つだけどうしてもわからないことがあった。

(何故、あの女はあんなことを依頼してきたんだ?)

 顔をヴェールで隠していた身分の高そうな女性は、四狼に二つの仕事を依頼してきた。

 一つ目はシュミナール遺跡に赴き、盗賊団から王女を救出すること。

 そして二つ目は……。

「おい、帰ってきたぞ」

 オリビアのその言葉で四狼の思考は中断された。

 四狼は目を細めると、樹海方面に続く道の向こうから歩調をまったく乱さずに歩いてくる金剛丸を発見した。

 普通の人間のような背丈と見えた金剛丸も、こちらに近づいてくるにつれ徐々に巨大になってくる。

「どうだった? パーカスは見つかったか?」

 四狼の問いかけに金剛丸は何も答えない。

 目線も四狼のほうを一切見ず、ただ正面を見据えて遠くのほうを凝視している。

「おい、無口にもほどがあるぞ! 一言でもいいから何か返事をしないか!」

 何も言わない金剛丸の態度に苛立ったオリビアは、唇を尖らせて金剛丸に怒声を浴びせた。

 しかし金剛丸は無言を貫く。

 その他人を無視する態度にさらに苛立ったオリビアは、無理やりにでも返事をさせようと強硬手段に打って出た。

 素手で殴りつけようとしたのだ。

 狙いは大きな胴体。

 渾身の一撃を繰り出そうと大きく手を振りかぶらせる。

「ちょっと待った」

 オリビアが今まさに拳を叩き込もうとした瞬間、四狼はすかさずオリビアの腕を摑んで行動を制止させた。

「止めるな、四狼。口で言ってもわからない奴は身体で分からせるしかない」

 冗談じゃない、そんなことをしたらオリビアの手が大変なことになる。

 四狼は怒り狂うオリビアを何とか宥め、これから金剛丸と話をするために少し離れてもらった。

 オリビアから金剛丸に視線を移した四狼は、顔を見上げて再び問いかける。

「もう一度訊くぞ、金剛丸。パーカスは見つかったか?」

『否定。索敵モードヲ使用シタ結果、半径百メートル圏内ニ対象ノ生命反応ナシ。足跡カラノ計測ニヨリ南東ノ方角ヘ移動ガ確認。追跡シマスカ?』

 四狼の頭の中に金剛丸の声が直接伝わってくる。

 感情は一切篭っておらず、淡々と捜索情報を主人に報告する無機質な声が。

 金剛丸の報告を受けて四狼は逡巡した。

 だが、すぐに返事をする。

「……いや、今まで通り俺の後についてこい。戦闘モードは引き続き〈変異体〉と遭遇した場合に限り二十%限定開放を許可する」

『了解。命令ヲ実行シマス』

「よし」

 四狼が金剛丸に指示を与えると、オリビアが「話は終ったか?」と声をかけてきた。

「ああ、やはり見つからなかったようだ。どうやらもう近くにはいないな」

「そうか。まあ、あんな現場を目撃したんだ。気持ちはわからんでもないが、それでも案内役がさっさと逃げては話にならないだろう」

 オリビアは舌打ちして右拳を左掌に打ちつけた。

 四狼は頭を掻いて小さく唸る。

 道案内役であったパーカスが消えたことがわかったのは、樹海の中で〈変異体〉を全滅させた直後のことであった。

 しばらく周辺を探したが結局は見つからず、四狼は金剛丸一人だけをその場に残してオリビアと二人だけで樹海を抜けることを提案した。

 その際にオリビアは色々と文句を言っていたが、四狼は聞く耳を持たないという態度でオリビアを連れて樹海を抜けた。

 パーカスの捜索は金剛丸一人いれば事が足り、遺跡までの経路を記した地図をオリビアが見ているのならばひとまず安心だと悟ったからだ。

「しかし逃げたものは仕方がない。こうなったらオリビアの記憶が頼り――」

 と言葉を続けようとしたとき、四狼はおもむろに空を見上げた。

 曇天の空からぽつぽつと雨が降り落ちてきた。

 肌を優しく叩く程度の小雨だったが、曇り模様からすると一時間もしないうちに本降りになるだろう。

「通り雨かもしれないが、どこかに雨宿りできる場所を探したほうがよさそうだな」

 四狼がオリビアに問いかける。

 しかし肝心のオリビアはただ髪の毛を押さえて空を仰いでいた。

 ちゃんと聞いているのだろうか。

「どうした? 頭でも痛いのか?」

 心配して歩み寄った四狼は、呆然と空を見上げているオリビアの肩を揺すった。

「……え? い、いや、そういうわけじゃないんだが、この空模様だとすぐに大降りになりそうだ。早くどこか雨宿りできそうな場所を探さないか?」

 はっと我に返ったオリビアは、真剣な表情でそう言葉を返してきた。

 四狼は溜息を漏らす。

 やはり聞いていなかったらしい。

「まあいい、とにかく先を急ごう。こんな地形だ。行きの途中で雨宿りできる場所ぐらい見つかるだろう」

 四狼がそう言うと、オリビアはこくりと頷き同意した。

 それから三人は、遺跡までの経路を知っているオリビアを先頭に移動を開始した。

 小降りだった雨が大雨に変わったのは、それからしばらくしてからのことだった。
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