BYOND A WORLD

四葉八朔

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第1章

55.エレナと孫六

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 ◇

「昨日はあれで本当によろしかったので?」

 朝食の場、不意にバルムンドが俺に向かってそう問いかけてくる。
 それだけでバルムンドが言わんとすることはわかった。アルフォンス男爵のあまりの狼藉に対してラウフローラが怒ったように見せ掛け、岩礁に向けて魔導砲を撃ったことだ。

「ああ、構わんさ」

 バルムンドからすれば、いくら脅しとはいえ少しばかりやり過ぎではないかと言いたかったのだろう。
 どのような理由があろうとも、相手国の領海内でいきなり兵器を使用すれば敵対行為と見做され兼ねないし、下手をすれば戦争にまで発展する可能性だってなくはない。
 せっかく一か月以上もの間色々と準備し、ようやくここまで漕ぎ着いたのだ。エルセリア王国との交渉が失敗しても、マガルムークやラーカンシア諸島連邦辺りに相手を変えればいいだけだが、これまでの準備が全部無駄になってしまうのもどうかとも思っていた。
 そうはいっても、ジークバード伯爵からの謝罪はあったし、どうみてもアルフォンス男爵の態度は無礼なもので、こちらが激怒してもおかしくない状況ではある。
 おそらくこちらが何もしなくても、新たな使者を迎え再交渉という形にはなっていたはずだ。
 だが、ここ最近マガルムークを旅してきたことで、俺はこの世界の住人に対する態度を少しばかり改める気になっていた。
 ある程度、強気に出たほうが交渉も上手く運ぶのではないかと。

 アルフォンス男爵の態度を見てもそうだし、ジェネットの町で兵士がいきなり亜人の男を斬り捨てたことにしてもそうだ。
 弱者には何をしても許されると思っているのが、この世界におけるごく一般的な倫理観だと思って間違いない。

 こちらが紳士的に対応しても、それがそのまま返ってくるとは限らない。むしろ俺たちのことを侮った結果、こちらの予想外の反応を示してくることだってある。
 言い方は悪いが、相手のことを理知的な存在だとは考えないほうがよさそうな感じだ。
 むろん中にはストレイル男爵やジークバード伯爵のように話がわかる人間も居るのだろうが、最悪アルフォンス男爵のような人間とも今後は付き合わなければならなくなることは考えられる。
 そうなると、あまり下出に出るのも得策ではないような気がしていたという感じだ。

「それにしてもだ。あちらさんはいったいどういうつもりだと思う? これだけ好条件の餌で釣っているというのに、まるで相手にする気がないようにしか見えなかったが」
「そうね。もしかしたらエルセリア王国にとって、それほど旨味がある話ではなかったのかも知れないわね」

 そんな俺の疑問にはバルムンドではなく、ラウフローラのほうが答えていた。
 ただ、そんなラウフローラのその口調はセレネ公国の使者としてのものではなく、いつものくだけた口調。
 現在この屋敷の敷地内にはエルセリア側の使用人が数名ほど居るはずだが、おそらくこの部屋の付近には誰も近付いていないということなのだろう。
 そこまで壁だって厚くなさそうだし、大声で話せば周囲に声が漏れてしまうかも知れない。
 なので、部屋の近くに人が居ないかどうか、ラウフローラやバルムンドがきちんと確認をしているはずだ。

「というと?」
「以前、この世界の社会制度は中世前期ぐらいの封建制度に近いんじゃないかという話をしたわよね」
「ああ。人類の成り立ちからして考えれれば、それほど不思議でもないからな。各地で小さな豪族が生まれ、強い者が勝ち残っていく過程でそのような制度になるのは摂理に適っている。といっても、今のところおおよそでもわかっているのはエルセリアとマガルムークだけだ。中には中央集権に成功し、絶対王政を敷いている国だってあるのかも知れんがな」
「そうね。ただ、いずれにせよ封建制度における王と領主との主従関係といえば、軍役を課す代わりに封土を与える形。荘園主である貴族は王から納税の義務を免除されているのが一般的なの。絶対王政に移行したあとも、貴族のその特権だけはなくならなかったぐらいよ。つまりはジークバード伯爵がいくら利益を得ようとも、その利益を国が吸い上げるシステムになっていない可能性が考えられるわね」

 その辺りの話はこの俺も一応理解しているつもりだ。
 封建制度における国王の収入は基本的に自領から得る分だけであり、臨時的になら領主である貴族に対しても課税することができたが、それには貴族を納得させられるだけの理由が必要になってくるという感じだったはず。
 中世ヨーロッパにおける封建制度がそうであったというだけでなく、日本という国における封建制度の場合にも、幕府は諸大名から年貢を徴収しておらず、天領からの年貢のみが収入だったという話。それゆえ、江戸時代に入ってからは参勤交代などの制度を用い、諸大名の財力を削って弱体化させようとしたくらいだ。

 それらとまったく同じ制度がこの世界でも確立されているかどうかは不明だが、似たよう政治体系である以上そうであることは充分に考えられる。

「いや。そこまではわかるが、そうはいってもエルセリア王国全体への利益だってけっしてゼロではない。塩だって明らかに国全体で不足している状況なんだ。この話をぶち壊すメリットもないはずだろ?」
「エルセリア王国の王様とジークバード伯爵との関係が上手くいっていないとすればどうかしら? エルセリア王国の中にもうひとつ小国のようなものがある状況であり、両者の関係があまり上手くいっていないのだと仮定すれば、今回の成り行きも多少は理解できるように思うのだけれど」
「なるほど。ジークバード伯爵の力が思いのほか強く、これ以上強大になられても困るってことか……」
「あくまで可能性のひとつとしてだけどね。そうではなく、私たちがまったく知らない理由があるのかも知れないし」
「ほぼストレイル男爵ぐらいにしか接触できていない現状、何とも判断が付かない話だな。もう少しエルセリア王国内の内部情報があればいいんだが」
「世間話のついでに男爵から情報を引き出そうとはしていますが、なかなか口が堅いようで。この国の政治や国王について突っ込んで聞くのも疑われるだけかと思い、当たり障りのない話題に終始せざるを得ないということもあるのですが」
「バルムンドのほうは引き続きそれで構わない。となると、手が空いているのはエルパドールだが……」

 バルムンドには引き続きストレイル男爵やジークバード伯爵の相手をしてもらうつもりでいる。
 昨日の交渉でも、ふたりはセレネ公国に対して友好的だったぐらいだ。たとえエルセリア王国との交渉が上手くいかなくても、そのラインだけはそのまま残しておきたい。
 そのためバルムンドにはあまり疑わしい行動を取らせたくなかった。

「どうやって貴族たちと接触するかよね」
「使用人として屋敷内に潜り込ませるぐらいしか方法はないだろうな。ただ、エルパドールではちょっと厳しいか」
「そうね。何らかの伝手でもないかぎり、貴族の屋敷で雇ってもらうことは難しそうだからね」
「仕方ない。女性型の自動機械を使うか。見目麗しいメイドならチャンスはあるかも知れん。ジークバード伯爵と王都のほうにそれぞれ何体かやってくれ」
「わかったわ。ただし、そう易々と潜り込ませることは出来ないと思うわよ。偶然、貴族の目に留まって、向こうから話を持ち掛けられでもしないかぎりは」
「ルメロのケースと同じようにこちらの知り合いとして送るわけにもいかないんだ。上手いこと潜り込めれば儲けものぐらいの感覚でいるさ」

 ラウフローラが言うようになかなか厳しいこともわかっていた。
 仮に使用人として潜り込ませるのだとしても、有力者からの紹介でもない、身元の怪しい人物を貴族のような連中がそう簡単に雇ってくれるとは思えなかったからだ。
 逆にそんな簡単に雇ってくれるような貴族が居るとすれば、おそらくそれは下心からだろう。そんなスケベ貴族がどれだけエルセリア王国内に居るかにかかってきそうだが。

「まあそっちは任せる。それはそうと孫六のやつは?」
「さっきリリアーテと一緒に庭のほうへ歩いていったわよ。それまではこの食堂内に居たはずだけどね」
「何か問題を起こしていないだろうな?」
「至って大人しいものですな。たまに屋敷の外へ歩いていこうとしたりしますが、リリアーテ以外にも自動機械が常に見張っている状況なので問題ないかと」

 孫六のことはリリアーテにまかせっきりだったので、会うのも久しぶりだ。
 リリアーテからの報告では、以前よりも意思疎通ができるようになっており、想定以上の知能の高さをうかがわせているとのこと。
 今ではストレイル男爵から宛がわれたこの屋敷の敷地内を我が物顔で散歩しており、すっかりセレネ公国の一員になっているとの話だった。

「知らない土地に連れてきたからか? どうしても巣に帰りたいようならウーラアテネのほうに戻しても構わないぞ」
「多分、そうじゃないわ。どうやらあれは周囲の様子を警戒しているみたいなの。孫六としてはきっと私たちのことを守っているつもりなのよ」
「ふっ。あの孫六がね」
「喋れないので本当は何を考えているか確認できないけどね。ただ、少なくともそれほど巣に帰りたいと思っていない様子よ」
「仲間とはぐれてもそれほど気にしている様子がなかったからな。元々、帰巣本能が低いのかも知れないな。言い換えれば適応能力が高いとも言えるのだろうが」
「どうかしらね? どうも孫六には私たちのことを同族だと見做しているような雰囲気があるのよね。普通、明らかにサイズや形が違う種に対してはそう思わないはずなんだけれど」
「餌付けの効果なんじゃないか?」
「そうかもね。というか、自動機械から連絡があったわ。誰かこの屋敷に来たようよ」

 話の途中でラウフローラが俺にそう忠告する。
 すぐにバルムンドも気付いたらしく、俺に向かって頷くとその場に立ち上がり、周囲の生体反応を調べている様子だった。

「ふむ。この反応はおそらくエレナ嬢ですな。それと従士のマーカスも居るようですね」
「あいつらか。こんな朝っぱらからいったい何の用なんだ?」
「さあ。ですが一度リンガーフッドのほうに戻る以前にも、食事をするためにしょっちゅうこの屋敷を訪れておりましたからな。特に用事という用事でもないのでしょう」
「昨日、あんなことがあったばかりだぞ。まさか呑気に朝飯を食いに来たとでもいうのか? 昨日の一件があったからこそ、謝罪に来たと言われたほうがまだ納得がいくが」
「多分、そこまで深くは考えていないかと。よく言えば、天真爛漫で純粋なお人柄ですので」
「ふーん。まあ貴族のお嬢様らしいっちゃあ、らしいが」
「どうされます? 追い返しますか?」
「いや、いい。ジークバード伯爵とは今後も仲良くやっていきたいんでな。というか、護衛であるこの俺が対応したほうがよさそうだな」

 そう言って席を立つ。
 ここで待っていてもそのうち取り次ぎのための使用人がやってくるはずだが、ちょうど孫六の様子が気になっていたところだ。
 俺はそのまま部屋を出ると、煌びやかな装飾品が飾られた中廊下を通り、正面の入口から屋敷の外へと出て行く。

 と、外に出た俺の目に最初に映ったのは、綺麗な亜麻色の髪をした少女に抱き着かれた孫六が、その抱擁から必死に逃げ出そうとしている姿だった。


「みょおおおおおおお!!! みょっ、みょおおおおっ!」
「止めてやれ。嫌がってるだろ」

 じたばたと暴れる孫六の姿を見て、思わず俺はそんな言葉をエレナに投げ掛けていた。
 そのすぐそばにリリアーテが居ることも気付いていたが、表向き言語学者に過ぎないリリアーテが、貴族の令嬢に対して文句を言うわけにもいかなかったのだろう。黙って困ったような表情を浮かべているだけだった。
 当の孫六はといえば、近付いてきた俺の姿にすぐに気付いた様子で、鳴き声を上げてこちらに助けを求めていたが。

「嫌がってなんかいないわよ。ねっ、孫六」
「どう見ても嫌がってるだろうが。あんたにはそれが嬉しがってるようにでも見えているのか?」
「あんたって何よ。ずいぶんと失礼な人ね。私にはちゃんとエレナ・ジークバードという名前があるんですけど? あ! 孫六、待って!」

 と、隙を見た孫六が何とかエレナの抱擁から抜け出すと、俺のほうへと走って逃げてくる。
 そのまま俺の後ろに隠れて足へとしがみつき、エレナに向かって唸り声を上げ始める孫六。

「あんたの名前なんか知らんよ」
「昨日の交渉の場で会っているじゃない。それに名前だってきちんと名乗ったはずよ!」
「そうだったか?」
「ええ、そうよ。何ならもう一度自己紹介を致しましょうか?」
「いや、いい。そう言われて思い出したんでな。たしかジークバード伯爵のご息女のエレナ嬢だったよな」 
「そうよ、覚えてるじゃない。というか、あなたのほうこそ交渉の場では名乗っていなかったわよね。フローラ様の後ろに控えていたから、セレネ公国のお方だってことだけはわかっているけど」
「エレナお嬢様。もうお止めになられたほうが」
「うるさいわよ、マーカス。今この人に貴婦女に対する礼儀というものを教えているところなんだから」
「ですが……」
「そりゃあ単なる護衛なんでな。俺の名前なんかどうでもいいだろ。それで本日はいったいどのようなご用件でお越しになられたのでしょうか? これでいいかい? エレナお嬢様」
「くっ、何か馬鹿にしてない? いいから、あなたのほうもきちんと名乗りなさいよ」

 そう言ってこの俺に詰め寄ると、エレナは顔を真っ赤にしながら大きく胸を張り、下から挑発的に俺のことを見上げてくる。

「レッドだよ。俺の名前はレッド・グリーンウッドだ」
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