小さな命たち

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4 子どもたち

4-2

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谷井ヒロは良い子だった。
幼稚園児の頃からおとなしくて、親や大人の言うことには素直に従う、手のかからない子どもだった。
成績は優秀。
素行も良く、周囲との揉め事も起こさない。
よく気が利き、学校行事などでは率先して動く、頼れる存在だった。
やや自分の意見を抑えがちな面はあったが、それさえも協調性という言葉に置き換えて長所として見られていた。
小学6年生になり、最上級生という自覚がそうさせるのか、彼はますます模範的な生徒として評価されるようになった。
ヒロ自身もどう見られているかは意識しているようで、いわゆるワルとの付き合いは避けて、評判につながる行動を意図的にとりがちになっていた。
そうすると大人からは好印象を持たれるが、同級生からはどちらかというと敬遠されるようになる。
媚を売っている、気取っている、あざとい。
そんな声があちこちから聞こえ、彼には特別仲のよい友だちができなかった。
しかしそれは大した問題ではない。
友だちがいなくても、親や大人に信用されればそれでいいのだ。
友だちの数や付き合いが、プラスになることなんてない。
それよりも大人が味方についてくれるほうが、はるかに有益なのだ。
年齢にしては妙に冷めたところがある彼だったから、周りで子どもたちの遊ぶ声がしても気にも留めなかった。
彼は今日も、こうして公園にやってきてベンチに腰掛け、携帯ゲームに没頭している。
ヒロはテレビゲームが好きだった。
ひととおりのジャンルは遊んだが、特にお気に入りなのはパズルや推理モノなどの、頭を使うゲームだ。
一人で遊べるし、クリアしたときの達成感は他の比ではない。
おまけに自分は賢い、と思い込むこともできるから何よりのストレス発散になった。
どこかからサッカーボールが転がってきて、ヒロのくるぶしに当たった。
画面に落としていた視線を横にずらし、それからボールが転がってきた先をたどる。
低学年くらいの男の子が3人、ヒロを見て手を振っていた。
蹴ってくれ、という合図だと分かった彼は爪先で軽く突いて、子どもたちの元へ返した。
運動は得意ではなかったから、まともに蹴ってはどこに飛ぶか分からない。
それに早くゲームを再開したかったから、彼は最小限の手間で障害を取り除いたのだった。
(ここ、ボール遊び禁止なのに……)
そう思いはするが注意はしない。
どうせ聞きはしないし、その時はやめても少し時間が経てば、注意されたことも忘れて遊びだすに決まっている。
文字くらい読めないのか、と子どもたちの視線を誘導するようにヒロは看板の注意書きを見ようとした。
だが、そこには何もなかった。
たしかに壊れかけの看板があったハズなのに、と彼は思ったが、すぐにこの行動が無駄だと気付く。
彼らはもう遠く離れた場所でサッカーをしていて、ヒロのことなど全く見ていなかった。
「やあ、ヒロ君」
やっとゲームの続きを、というところで声をかけられ、ヒロは渋々といった様子で顔をあげた。
その表情がにわかに明るくなる。
「あ、管理人さん、こんにちは」
ゲーム機を置いて立ち上がり、丁寧にお辞儀をする。
「ごめんよ、邪魔するつもりじゃなかったんだ」
「いや、いいんです。それより……掃除ですか?」
ヒロは上目づかいに津田を見た。
「ああ、いつも早朝にするんだが、ここしばらく忙しくてね。だからこんな時間になってしまうんだよ」
ゴミ袋を持ち上げて津田が言う。
今日の公園は普段に比べれば綺麗なほうだが、それでも目立つゴミはそこかしこに落ちている。
「ほんとは僕たちがしなくちゃいけないのに……」
「勝手にやってるだけだから、気にすることはないよ。それよりおじさんのことを“管理人”と呼ぶのはやめてくれ」
津田は恥ずかしそうに笑ったが、
「みんなそう思ってますよ。だって僕、知ってます。おじさんがいつも掃除してくれるから公園が綺麗だし、このベンチだって新しくなったのだって、おじさんが市の人に言ってくれたからでしょ?」
ヒロは真面目な顔で言った。
「ま、まあ……」
津田はどう返せばいいか分からなくなった。
彼は谷井ヒロがお気に入りだった。
2年前、病気で亡くした初孫によく似ていたのだ。
先天的な病気で小学校に入学して間もなく息を引き取ったが、きっと大きくなっていればヒロのようになっていたにちがいない、と彼は思う。
純真無垢で、少し引っ込み思案。
人見知りするが、打ち解けた相手には惜しみなく笑顔で接してくれる、そんな孫だったのだ。
公園の清掃は津田のボランティア精神によるものなので、報酬や称賛を求める筋合いはないのだが、ヒロが理解してくれるだけで何よりの見返りだと、彼は感じた。
「あの、僕もお手伝いします」
ヒロの真摯な眼差しには、懇願するような輝きがあった。
「これはおじさんの仕事だからいいよ」
「ゲームなんていつでもできるし……おじさんひとりじゃ大変でしょ?」
戸塚大虎とえらいちがいだ、と津田は思った。
協力を申し出るにしても、強引に掃除道具をひったくった大虎に比し、ヒロはあくまで許可を得るのを待っている姿勢だ。
このあたり育ちの差か遺伝の問題か、なにかと大虎と比較する対象が生まれてしまい、その度に彼の中でヒロの株は上がっていく。
「それなら少し手を借りてもいいかな?」
予備の軍手と袋を渡す。
わざと小さめのゴミ袋を渡したのはヒロにあまり負担をかけたくなかったからだ。
「適当に回ってくれればいいよ。公園の外まで探す必要はないからね」
「分かりました」
聞き分けのいい子だ、と頭を撫でようとして津田は自分の手が汚れているのに気付き、慌てて手を引っ込めた。
2か所ある公園の入り口のうち、ヒロは南側周辺を歩いていた。
道路を挟んだ向こう側には団地が並び、そのせいで昼間にしては薄暗くなっている。
おまけに外周に沿って丈の長い草が生えているため、見通しもよくない。
少しくらいは良心を持っている者でも、ここならゴミを捨てやすい。
ヒロが屈みこんでみると葉で隠すようにしてガムの包み紙が落ちていた。
1枚や2枚ではないから、わざわざ捨てに来たのだと分かる。
葉で手を切らないに気を付けながら、彼はそれらをかき出して袋に詰めていった。
こんな具合であるから渡された袋はすぐにいっぱいになった。
風で飛ばされてきたものもあるだろうが、大半が悪意の元に集まってきた廃棄物だということは彼にも分かった。
津田のところに戻ろうとした彼は、不意に足を止めた。
不自然に折れた草の一帯がある。
ヒロは袋を傍に置き、両手でそこをかき分け、中にあったものを見た。
彼は軍手をはずして投げ捨て、慌てて津田の元に走った。


駆け寄ってきたヒロが青い顔をしていたので、津田は何事かと思った。
「どうしたんだい、ヒロ君? 何かあったのかい」
ヘビでも出たのか、と津田は考えたが、
「猫が殺されてるんです!」
とヒロが叫んだので、彼は咄嗟に辺りを見回した。
子どもたちは遊びに夢中で今の話は聞こえていなかったらしい。
「猫が?」
人でなくて良かった、と津田は思った。
「分かった、見てみよう」
ヒロに連れられて彼は草むらを覗き込んだ。
薄茶色の猫があった。
体を横たえ、一見すると眠っているように見える。
だが、明らかにおかしな点があった。
背を丸めて横になっているハズが、頭が真後ろを向いていたのだ。
(これは……)
首の骨を折ったのかと津田は思ったが、そうではなかった。
暗がりで見えにくくなっているが、よく見ると首と胴体が完全に切断されていて、それらがそう見えるように置き直されていたのだ。
「よく、ヒロくん……よく見つけたね……」
「掃除してたら、なんか気になったから見てみたら……」
死骸を見たからか、彼の声は震えている。
「とりあえず警察に連絡しよう」
「え、市じゃないんですか?」
「あれは人の手で殺されてるんだ。警察のほうがいい。それよりきみは何も見なかったことにするんだ。見つけたのはおじさん――いいね?」
意味はよく分からなかったが、ヒロは取り敢えず頷いた。
「よし、じゃあきみはもう帰るんだ。道具もそのままでいいから」
津田はこの件に彼を関わらせたくなかった。
孫同然に見ているヒロを面倒に巻き込みたくなかったのだ。


通報してから10分。
最寄りの交番から飛んできた末藤一は、
「また、ここか……」
と思わず呟いてしまった。
警官として務めて数年。
地域の治安を守る仕事に充実感はあったが、最近は住民同士の小競り合いに駆り出されることが多かった。
特にこの公園の利用状況については、頻繁に苦情が入ってくる。
禁止されているボール遊びをしている子がいる。
打ち上げ花火をやっている。
深夜にならず者が集会しているなど。
その度に注意や指導をしに行くのだが焼け石に水で、いっこうに改善しないのが現状だ。
いっそこんな公園なくなってしまえ、と彼は思うのだが、もちろんそんなことは口が裂けても言えない。
「通報されたのはあなたですか?」
入口に立っている津田に末藤が言った。
「はい、そうです。問題の猫は反対側に」
案内され茂みを覗き込んだ末藤は、それをじっと見つめた。
「発見されたのはあなたですね。その時の状況をできるだけ詳しく教えてください」
津田はヒロの存在を伏せて説明した。
清掃は彼ひとりで行い、たまたま見つけた、という具合である。
大したウソではなかったため、口調にも内容にも不自然な点はなかった。
「なるほど、分かりました。清掃をしていたということですが、あなたは公園の管理会の方ですか?」
「いえ、自発的にやっているだけです。何年も前に仕事を辞めて暇になったので、勝手に」
末藤は無線で連絡を取りながら、津田の発言を細かにメモした。
「心当たりはありますか?」
「はい……?」
射竦めるような視線に、津田は間抜けな声で訊き返した。
「心当たりです。不審者を目撃したとか」
「特には――ないですね。だいたいは早朝に清掃していますが、そういう人は見かけませんでしたよ」
「早朝、ですか。なぜ今日はこの時間帯に?」
津田は彼の視線の意味を理解した。
この男は自分を疑っているのだ、と。
自分から通報する犯人なんているワケがないだろう、と言いたいのを彼はぐっと堪えた。
「ここ数日、ちょっと忙しくしていて」
「そうですか」
という相槌も、津田には疑念を持っているがゆえのあしらい方に感じられた。
「ああ、そういえば。ちょっと気になることがあるんです」
一方的に質問されてばかりも癪なので、津田も情報提供することにした。
「実はこの公園で野良猫に餌付けしている人がいるんですよ。もう5年くらいになりますかね。あっちの植え込みのほうで」
「知っていますよ」
「え――?」
あっさりと言われ、津田は言葉に詰まった。
「知ってるのに注意しないんですか? 野良猫に餌をばら撒いたりして」
末藤はメモをとる手を止め、津田を見た。
「注意といっても禁止行為ではないですし、騒音などとちがってそれ自体が近隣の迷惑になっているワケではないですから」
「そうかもしれませんけど、餌やりで猫が居着いたからこんなことになったのかもしれませんよ。だいたい餌なんかやったら野良猫が増えるっていうのに」
彼は及川奈緒の行動に否定的だった。
活動の趣旨や内容を理解していないから、彼の目には無責任な給餌としか見えない。
餌目当てに集まってきた猫たちが乱交して繁殖している、というのが津田の言い分であった。
「それは地域猫活動でしょう。見たところ餌場は片付いてますから、そのあたりはきちんと管理していると思いますよ。明らかな迷惑行為なら警察も間に入ることもありますけど、市も推進している活動ですし、通報がなければこちらも介入できません」
「じゃあ通報すれば取り締まってくれるんですか?」
「………………」
末藤の津田を見る目が明らかに変わった。
善良な住民が理不尽に耐えかねて窮状を訴えているようには見えなかった。
それまで穏健だった彼が語勢を強めたのも、末藤には気がかりだった。
この老人は何かを隠している。
直感はそう告げるが、根拠は何もない。
とはいえ疑い出すと、何もかもが怪しくなってくるものだ。
「とにかく……人為的なものであることは間違いないでしょうから、こちらも巡回の頻度を増やすなどして対応します。あなたもどんな些細なことでもかまいませんから、何か気付いた点があればすぐに連絡してください」
末藤は無線で応援を呼んだ。
まもなく駆けつけた警官が写真を撮り、市の衛生局が死骸を回収した。
その様子を遊ぶふりをしながら、ひとりの少女が見ていた。
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