小さな命たち

JEDI_tkms1984

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7 迷走

7-4

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「まったく、なんでこんなことになったのかしら……」
夫に不機嫌だと思われたくない美子は、夕食のメニューを昨夜と同等にした。
幸治は食にこだわらないが、和食の場合は味噌汁があると喜ぶので、欠かしたことがなかった。
「僕も驚いたよ。まさか餌やりしてたのが美子だったとはね。あの辺りじゃ有名になってるみたいだぞ」
「それなら及川さんね。一緒にいた女の人。あの人は何年も前から活動をしていたらしいから」
帰宅すれば一転、先ほどまで無口も同然だった2人は途端に饒舌になる。
「ミサキは知ってたのか?」
「う、うん……ちょっと前にね。お父さん、動物嫌いだから黙っていたほうがいいかなと思って」
「そうか」
幸治が別段怒っている様子もなかったので、ミサキは胸を撫で下ろした。
両親の動物に対する接し方は正反対だったから、間に立たされる格好となった彼女は苦労していた。
「だから猫を飼いたい、と言っていたのか」
「あの時は、ね。少しでもああいう子を減らしたかったから」
「そう思う気持ちも分かるよ」
彼女のこういう優しさに惚れて、幸治はプロポーズしたのだ。
その優しさは愛娘にもしっかり受け継がれている。
「そんなにクレームが入ってくるの?」
「野瀬も言ってたけど数件だ。ほとんどは怒ってるっていうより、困ってる感じだな。そこまで気に病むことはないと思うが……」
「けっこう怒ってる人もいる、って言ってたわよね」
「ああ、ヒステリックな人がいる。尋常じゃない雰囲気だったな」
これが他人同士の諍いなら、ちいき課のひとりとして取り組めばいいが、家族が絡んでいるとなるとそうはいかない。
特に双方にそれなりの言い分があるだけに難しい。
「なあ、美子。たとえば場所を変えるとか、時間をずらすとかできないか?」
「どうして?」
「どうして、って……実際に迷惑してる人がいるなら、こっちもそれなりに対応してるって姿勢を見せたほうがいいんじゃないか。それなら相手が難癖をつけてきても反論できるし」
「それはそうだけど……」
簡単にはできない、と美子は言った。
「及川さんとも話をしなきゃならないし、あの子たちだって時間と場所を決めてるから集まってくるのよ。移動するにしてもあの辺りは交通量も多いし、かえって危ないわ」
「いや、むしろ危ないのは――」
美子のほうだ、と言いかけてやめた。
これも一種の近隣トラブルのようなもので、さらにこじれる可能性が高い。
どちらも紳士的に対応できればいいが、暴力事件に発展するおそれもある。
ミサキは夫婦間の言い合いに参加しない代わりに、スマホで調べものをしていた。
いま見ているのは交流サイトで、ユーザーの質問に別のユーザーたちが回答するサービスがある。
地域猫という言葉は知っていたので、それをキーワードに検索する。
似たような状況の人がいないか、また解決策はないか探すためだ。
かなりの件数がヒットした。
最新の記事で昨日、最古だと10年以上前にまで遡る。
「こんなにあるんだ……」
全てに目を通すのは無理なので、最近の投稿を中心に読み進める。

〈 いつも同じ場所に野良猫がやってきます。人懐こくて触っても逃げません。今は餌をあげているだけですが、これからどうしたらいいでしょうか 〉

という質問に対しては、馴れているなら質問者が自宅で飼えばいい、という意見が多数を占めていた。
その中でも目を引くのは、今のうちに病院に連れて行き不妊手術を受けさせるべき、という忠言だった。
手術さえしておけば、数は増えないというのが理由だ。
その他、餌付けをするべきではないというものもある。
厳しいようだが、ただの餌やりは無責任だ、という見解だ。
(これはうちの状況には当てはまらないかな)
あまり参考にならないと思い、次の記事を表示させる。

〈 有志数名で猫の面倒を見ています。私たちとしては不幸な猫を減らしたいだけなのですが、反対する人から嫌がらせを受けたりします。活動をやめるのは簡単ですが、そうすると猫がかわいそうで。同じような経験をした人はいますか? 反対派の意見も聞きたいです。ちなみに手術はしています 〉

今の美子たちに近い質問が出てきた。
内容が内容だけに回答数も多い。
これは役に立つかも知れない。
ミサキは画面をゆっくりスクロールさせて、回答をひとつひとつ読み込んだ。

『大変ですね。何をしても文句を言う人はいるので放っておきましょう。そういう人たちはお金も手も出さないのに、口ばかり出しますから』
『手術して、餌やりもしているということでしょうか。いわゆる地域猫活動はそれだけではありません。里親を探したりはしていますか? 数を減らすなら自身が飼う、希望者に引き取ってもらう、そういうアクションも必要ですよ』
『ハッキリ言って迷惑。餌はやる、でも家では飼わない。勝手すぎないか? 糞尿の後始末とかはこっちがやるんだけど? 無責任すぎる!』
『これはコミュニケーションの問題でしょう。知らない人からすれば、餌付けして後は放ったらかし……それじゃトラブルにもなりますよ。どっちにも言い分があるんですから、まずは話し合うことが必要だと思います』
『TNRについては誤解や偏見を持たれることが多いのが実情です。おそらく嫌がらせをするのは根っからの猫嫌いか、餌やり=野良猫が増える、と刷り込まれている人ではないかと。質問者さんはきちんと活動をされているようですから一度、主旨を説明してはどうでしょう』

(TNRって何だろ?)
サイトはそのままに、別のページを立ち上げて意味を検索する。
解説によると罠、不妊手術、元に戻す、それぞれの英単語の頭文字をつなげたもので、野良猫を捕獲し、不妊手術を施し、元の場所に返すことをいうらしい。
(これってお母さんや及川さんがやってることだよね。こういう言い方があるんだ)
他にもいくつかある回答を読むが、やはり対話をすべきとの見解が目立つ。
中には地域猫活動は平穏な生活を脅かす侵略者だという論調もあったが、これも無理解とコミュニケーション不足が原因のようである。
(やっぱり話し合いかあ……)
質問や回答を読み進めていくうち、ミサキはそれしかないと思い始めた。
実際、活動の前提として周囲の理解と協力が不可欠という回答者も多い。
この意見は賛成派、反対派の両方から寄せられている。
説明がなければ、勝手にやっていると受け取られても仕方はないだろう。
活動家が事前の説明は必要ないというスタンスなら、嫌がらせをする側にも同じ理屈が成り立つ。
これでは双方に益がない。
「ねえ、お父さ――」
スマホから顔を上げようとしたミサキは、もうひとつ気になる質問文を見つけ、再び目を落とした。

〈 野良猫の駆除について。近所のババアが餌付けしてるせいで、野良猫が自宅の駐車場によく入ってきます。やりたい放題でうんちやおしっこ、車に傷をつけたりとキリがありません。駆除したいんですけど、どうしたらいいですか。できるだけ簡単で足がつかない方法でお願いします 〉

おそらく目に留まった理由は、“駆除”という文字のせいだろう。
ここまでの共存や解決策を探る流れとは一転して、それをぶち壊すような暴力的な単語。
さらに多くの回答が寄せられているため、ミサキは恐怖心と、いくらかの好奇心からページを送った。

『そいつが撒いてるのと同じ餌を手に入れて、殺鼠剤を混ぜてやればいい。バレても餌が同じだから、そいつのせいにできる。バカ猫が勝手に食べたんだから質問者に責任なし!』
『駆除、って殺すということですよね? 足がつかない方法とか言ってるし。やめたほうがいいですよ。愛護法で訴えられます。っていうか迷惑だから殺すとか発想が怖すぎます』
『殺鼠剤おススメ。あとは玉ねぎとか。チョコレートとかも中毒起こして死ぬらしいよ。安上がりでいいよね』
『始末したいなら定食しかないだろ。不凍液定食。餌に混ぜたらバカみたいに食いついてくれる。二、三日もしたらいなくなるぞ。もちろんこの世からな』
『通報しました』
『罠でも仕掛ければ?』
『自宅の駐車場ってことなら、毒餌がやりやすいだろうね。見つかった時に、ネズミを駆除するための餌を知らない猫が食べてしまった、で通るから。即効性の毒だと駐車場に死骸が残るからそこは注意』

「なに、これ……?」
ミサキは思わず声に出していた。
そこにあるのは文字だけだ。
質問があり、回答がある。
ただそれだけの画面には、寒気のするような言葉が並んでいた。
質問者を批難する書き込みもあったが、具体的な駆除の仕方を指南する投稿が圧倒的に多かった。
それもよく読めば淡々と殺し方を述べるだけのものや、猫のもがき苦しむ様を楽しむかのような狂気的なものもある。
頭がおかしい人たちがいる。
それが彼女の率直な感想だった。
嫌いなものを追い払うどころか、根絶やしにしてしまえという書き込みを何ページ目かで見つけてしまったミサキは反射的に画面を消した。
「お母さん! なんとかしないと!」
蒼い顔をした娘を見て、美子は何事かと思った。
ある意味、自分よりもはるかに楽天的なミサキが悲愴感を漂わせるのは珍しいことだった。
「殺されるかもしれない!」
猫を虐待死させたのもこの手合いに違いない、と彼女は考えた。
残忍な手口は、回答している連中と何ら変わらない。
殺すことに躊躇のなさそうな、危険きわまりない存在だと。
「こ、殺されるって、私が?」
美子は笑った。
いくらなんでも飛躍しすぎている。
「そうじゃなくて猫がだよ。あの近くにヤバイ奴がいるかもしれない。里親募集してみようよ。飼いたいって人がいるかもしれないよ」
先ほどの回答の中にあった、里親探しも活動の一部という意見を思い出し、ミサキは光明を見出した気持ちで言った。
これなら美子たちが面倒を見ている猫の個体数は減るし、猫を欲しがっている人の希望も叶う。
これが最善の方法だ、と彼女は革命的な解決法を編み出した気分になった。
「そうね、それも考えなくちゃいけないわね……」
幸治とのおだやかな口論に疲れていた美子は、曖昧に頷いた。
独断でできることではない。
そもそも面倒を見ていたのは奈緒だから、彼女の方針を聞かなければならない。
知識や経験はもちろん、貢献度合いという意味でも美子は彼女に及ばないため、受け身がちになっていた。
そうした母の遠慮を知らないミサキは、これで全てが好転すると思い込んでいた。
少なくともデメリットなどあるハズがない。
誰にとっても利益になる方法なのだと、そう信じて疑わない。


呉谷ミサキは純粋だった。
里親に名乗り出る人は誰もがみな、動物が好きなのだと。
何も知らない彼女はそう思っていた。
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