小さな命たち

JEDI_tkms1984

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片手に収まる程度のカメラを眺めながら、津田は今さらになって自身の軽率さを情けなく思った。
ひとつはカメラを2台購入してしまったこと。
購入代金は予算を超えていないが、そもそも1台を設置するという話で出させた金額だ。
それを性能を落としたうえに2台となれば、約束が違うと責められてもしかたがない。
肝心の防犯能力に問題はなく、解像度や録画時間も通用するレベルだ。
それに一応の言い訳ができるように、本来のカメラはやや大型で目立つタイプにし、独断で追加購入した分は小さくて取り外しが簡単なものにしてある。
そもそもの目的は事件が起こった時に犯人を捕まえるためというより、事件そのものを起こさせないことにある。
したがってカメラは、いつでも監視しているぞ、と周囲に知らしめる抑止力としての意味合いが強い。
となればカメラ本体はむしろ分かりやすく設置する必要があり、その条件に最も適したものを買ってきた、と言い張ることができる。
これで説得力を持たせ、予備としてもう1台購入した、と付け加えれば納得するだろう。
あれこれ考えながら団地の1階にある集会所に向かう。
その奥にはもっともらしく町内会執務室なるものが設えられているが、年寄り連中の談合にしか利用されていない。
そんな部屋に無駄な備品を置くくらいなら、その金を防犯に回せばいいのに、と津田は思う。
「会長さん、います?」
集会所なんて月に一度の会合くらいでしか使わないのに、ご丁寧に受付係が常駐している。
当然、普段の来訪者など滅多になく、座ってお茶を飲んでテレビを観ているだけの仕事だが、しっかりと会費から人件費が支払われるので希望者が殺到する人気の職だった。
「ああ、会長さんならちょっと用事で外出しててね。帰る前にこっちに寄ると言ってたから、ここで待ってたら?」
受付係の老婆がテレビから目を離さずに言う。
往年の芸人が使い過ぎて擦り切れそうなネタを披露しているのが、窓越しに見えた。
「そうします」
これで金が出るのか、と内心イラつきながら津田はパイプ椅子を取り出して腰をおろした。
脇に置いた鞄には件のカメラが入っている。
室内を見回すと、前回の会合の様子が思い出される。
出席者の大半は高齢者で、いわゆる若者と呼ばれる世代は5人もいなかった。
そんな中で民主主義的に議事が進行するから、賛否は圧倒的多数派の高齢者に委ねられ、可決した内容を実行するのは若者、という覆し難い流れができている。
もっと若い力が必要だと津田は思っているが、会合が始まる時間が早く、働き盛りの世代が出席するのは難しい。
執行役員もそれを分かって開始時間を設定している節があった。
というのもいつかの会合で、欠席したり、清掃活動に参加しなかったり、祭りの手伝いをしなかったりと、非協力的な者に罰金を科すのはどうかという声があがったのだ。
さらにはそういった世帯にはゴミ捨て場を使わせない、会報誌や広報紙を配らない等の制裁を加えるべきだ、との意見も出て議論が紛糾したのだ。
若年世帯も会費はきちんと納めているし、さすがにそれは越権行為や人権侵害にあたるだろうという冷静な意見が出たことで否決されたが、賛成派はかなりの数にのぼっていた。
その時の残念そうな役員の顔を、津田はハッキリと憶えている。
可決に至らなかったことよりも、罰金という収入源を獲得できなかったことを悔しがっているのが手に取るように分かった。
大方それをアテにして飲食や旅行を豪勢にしようと企んでいたのだろう。
決算報告書の交際費や雑費の科目だけ妙に高額なことからも明らかだった。
「やあ、津田さん。すまないね、お待たせして」
ジョギングでもしてきたのか、という格好で会長が入ってきた。
「いえ、来たばかりですから」
20分は経っているが、テレビにご執心の受付はそれには気付くまい。
「それでカメラの件かい? いいのは見つかったかね」
会長の声は甲高い。
頭のてっぺんから出ているような声は陽気だが、時に聞く者をイライラさせる。
おまけに接待交際を繰り返して、せり出した腹がベルトの上に乗っているのも見栄えが悪い。
「悪くないと思いますよ」
染め損ねた白髪を見つけてしまい、噴き出しそうになった津田は慌てて鞄の中を探ってごまかした。
「これと……これですね」
2台のカメラと領収書を見せる。
会長の顔色が変わる前に彼は経緯を説明した。
待っている間にまとめていたので言葉はすらすらと出た。
「なるほどなるほど。予備があったほうがたしかに広い範囲をカバーできるね」
「すみません、勝手な判断で」
「いや、かまわんよ。予算内に収まっていればね」
機嫌よく笑って会長は大きい方のカメラを受け取った。
「それじゃ、これは決議どおり入口に設置しよう。予備の分は津田さんにまかせるよ。念のため、どこに付けたか後で教えてくれよ」
「分かりました。では、これで……」
話がすんなりと通ったので津田は安堵した。
この会長も今期から会計になった男も守銭奴で有名だったから、説得に時間がかかると思っていた。
長居して余計なところを突かれないよう、早々に集会所を出る。
時刻は正午を少し過ぎたあたり。
陽は高く周囲は明るいが、実はこの時間帯が一番、人の姿が少ない。
住人のほとんどは家にいるか、どこかに出かけているかのどちらかなので、敷地内を歩いている人はまず見かけない。
鞄を抱えて公園に向かう。
予備カメラの設置場所は買う前から決めてある。
平日の昼間であることが幸いし、公園には誰もいない。
午後3時を過ぎると学校終わりの子どもたちがやってくるので、それまでに作業を終えなければならない。
解説書を片手に入り口近くの木にカメラを取り付ける。
できるだけ高い位置で、全体を見渡せ、しかも見つかりにくい場所となると、ここしかない。
踏み台を用意していたのも、ここと決めていたからで、彼が乗るとちょうど一番高い枝に手が届くようになっている。
「これでいいか……」
両手を上げっぱなしでの作業はこの年齢にはつらい。
無事に設置を終えた津田は大息した。
念のためにいろいろな角度から木を眺めてみる。
茂った葉が上手い具合に目隠しになり、カメラがあると分かっていて意識的に近づきでもしない限り、見つけるのは難しいだろう。
レンズ部分も陽の当たらない角度に調整してあるので、光が反射してカメラの位置を特定されることもない。
普段から公園を見回っているからこその着眼点だ。
(できればもう起こってほしくないが……)
彼がこのカメラを取り付けた一番の理由は、猫殺しを見つけるためだ。
以前にも虐待死された死骸を棄てられたことがあったが、悪質ないたずら程度にしか認識していなかった。
それがまた起こり、しかもそれを見つけたのが孫同然に可愛がっている谷井ヒロだったこともあって、いよいよ看過できなくなったのだ。
治安維持や正義感というより、ヒロに同じ目に遭ってほしくないという意思のほうが強い。
目的はもうひとつある。
地域猫活動の監視だ。
及川奈緒がかなり前から給餌をしているのは知っていたが、最近になってそこに美子が加わり、ますます勢いづいているように彼は感じている。
餌やりは禁止されていないため黙認せざるを得ない。
だが猫が集まっていることは周囲に知られており、それが残酷な犯人を招いている、というのが持論だ。
つまり活動さえなくなれば猫もいなくなり、犯人も近寄らなくなり、結果的に治安も良くなる。
ならば奈緒を口説けばいいのだが、そうするだけの権限も根拠も持ち合わせていない。
そこでカメラを使って監視し、落ち度を探すという手法になる。
本来、防犯目的の設置なのでとやかく言われる筋合いはなく、実際に公益性もある。
津田としては後ろめたさも当然ない。
映りを確認した彼は大仕事をやり終えたような顔で公園を後にした。
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