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11 毀誉の声
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長テーブルがいびつな縞模様を描いている。
少し前まではそこに簡素なイスが等間隔で並べられているだけだったが、いつの間にか半分以上の席が埋まっていた。
「緊張するわね……」
隣室からそっと窺った美子が呟いた。
これが言えるか言えないか、が彼女と奈緒の違いだ。
「私はそうでもないわ。見たところ200人もいないみたいだし」
奈緒は拗ねるように言いながら内心、控え室まで開放してくれたことに感謝していた。
ここなら資料の整理や段取りの確認ができるし、会場に近いことで本番さながらの空気も味わえる。
「それより……けっこうな量になったわね」
資料を手に取る。
A4サイズのコピー紙が17枚。
これを一部として出席者全員に配るから、厚みはかなりのものだ。
「そういうのは多い方がいいと思って。でも字は大きくして、写真も見やすくしましたよ」
申し訳なさそうに、しかし誇らしげにミサキが言った。
資料集めは3人で行なったが、人に見せるための加工はすべてミサキが引き受けた。
ノンブルから見出し、記事の内容に至るまで、パソコンを使って体裁を整えることに関しては美子や奈緒ではとうてい及ばない。
「とてもいいものが出来上がったわ。ありがとう」
奈緒に褒められ、ミサキは気を良くした。
これはたんなる情報の詰め合わせではない。
この問題に関心を持つ人も、興味のない人にも読ませる工夫がなされている。
文字の羅列に終始しないように適度にグラフやイラスト、写真などを差し込んでおく。
キーワードは大きく書き、説得力を増す数値は丸で囲む。
資料のうち前半は客観的なデータや事実の列挙だが、後半部は主として話し言葉により情に訴えかける構成になっている。
その出来の良さに、美子は娘の新たな才能を見た気がした。
「どれだけ聞いてくれるか、ね……」
奈緒はもう何度も何度も資料を読み返していた。
どこを強調するか、どこに時間を割くか。
プレゼンテーションの真似事は学生の頃にやって以来だが、その時の浅い経験がここで役に立っている。
「心残りはありませんか?」
ドアが開き、作業着姿の野瀬が大股で入って来た。
「ええ、おかげさまで」
奈緒が頭を下げた。
美子も慌ててそれに倣う。
「私は何もしてませんよ」
野瀬は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「思った以上に集まりましたね」
「野瀬さんには本当に感謝しています。こうして場を設けてもらって――」
「これがちいき課の仕事ですから。立場上、活動を肯定も否定もできませんが、引き続いてこの案件には携わるつもりです。なあ?」
野瀬はドアの向こうに声をかけた。
幸治が重い足をひきずるようにやって来た。
「お父さん?」
「話は聞いてる。ここで説明するんだろう?」
「ええ、そのほうがいい、って話になって」
美子はちらりと奈緒と野瀬を見やった。
「大丈夫なのか? ちゃんと伝えられるのか?」
「平気よ。これもあるから。レイアウトはミサキがやってくれたのよ」
幸治は傍のテーブルに置いてある資料を手に取って流し読みした。
たしかに説得力を持たせる作りになっている。
「そうか、うまくいくといいな」
幸治はミサキの頭を撫でた。
「僕たちは中立だ。悪いけど、何かあっても肩入れはできないんだ」
内心では応援しているが今日、幸治はちいき課としてここに来ている。
私情は捨て、あくまで役人と住民という関係を守らなければならない。
彼らの前で家族であることを強調すれば癒着や職権の濫用を批判されるだろう。
そうなっては理解を得られるどころか、苛烈な反発を食らうのは必至だ。
「それって他人のフリをしろ、ってこと?」
ミサキの問いに幸治は頷いた。
「余計な反感を買わないためね。分かってるわ」
聴衆にウソをつくようで気が引けたが、今日という日を台無しにすることを考えれば些細な演技だ、と美子は思うことにした。
「誘導や進行、資料の配付は私たちでやります。基本的に説明会が始まれば、こちらとしては何もできないと思ってください」
野瀬の突き放すような口調に一同は首肯した。
「間に休憩を入れますが、事前に聞いていたこのタイミングでいいですか?」
資料の中ほどを開き、奈緒に見せる。
「はい、ここがちょうどよい区切りになりますので」
編集の際、ミサキは休憩まで考慮していたようで、前半部と後半部の間をページで区切って二部構成を演出していた。
「そろそろですね。先に会場に行って資料を配っておきます。及川さんたちは時間になったら入ってきてください」
まだ何か言いたそうな幸治の肩を叩き、野瀬は彼を伴って控え室を出た。
「あ、私もちょっと出てくるわね。すぐに戻ってくるから」
奈緒が時計を見るや慌てて出て行こうとした。
「え? どこに行くの? もうすぐ始まるわよ」
美子が引き留める。
開始時間がそこまで迫っている。
何かトラブルがあったら大変だ。
「言わせないでよ」
奈緒はテーブルに置いてある空のペットボトルを指差した。
「喉が渇いて仕方がなかったの。分かるでしょ」
拗ねたような口ぶりで目的地に向かう奈緒に、美子は苦笑した。
少し前まではそこに簡素なイスが等間隔で並べられているだけだったが、いつの間にか半分以上の席が埋まっていた。
「緊張するわね……」
隣室からそっと窺った美子が呟いた。
これが言えるか言えないか、が彼女と奈緒の違いだ。
「私はそうでもないわ。見たところ200人もいないみたいだし」
奈緒は拗ねるように言いながら内心、控え室まで開放してくれたことに感謝していた。
ここなら資料の整理や段取りの確認ができるし、会場に近いことで本番さながらの空気も味わえる。
「それより……けっこうな量になったわね」
資料を手に取る。
A4サイズのコピー紙が17枚。
これを一部として出席者全員に配るから、厚みはかなりのものだ。
「そういうのは多い方がいいと思って。でも字は大きくして、写真も見やすくしましたよ」
申し訳なさそうに、しかし誇らしげにミサキが言った。
資料集めは3人で行なったが、人に見せるための加工はすべてミサキが引き受けた。
ノンブルから見出し、記事の内容に至るまで、パソコンを使って体裁を整えることに関しては美子や奈緒ではとうてい及ばない。
「とてもいいものが出来上がったわ。ありがとう」
奈緒に褒められ、ミサキは気を良くした。
これはたんなる情報の詰め合わせではない。
この問題に関心を持つ人も、興味のない人にも読ませる工夫がなされている。
文字の羅列に終始しないように適度にグラフやイラスト、写真などを差し込んでおく。
キーワードは大きく書き、説得力を増す数値は丸で囲む。
資料のうち前半は客観的なデータや事実の列挙だが、後半部は主として話し言葉により情に訴えかける構成になっている。
その出来の良さに、美子は娘の新たな才能を見た気がした。
「どれだけ聞いてくれるか、ね……」
奈緒はもう何度も何度も資料を読み返していた。
どこを強調するか、どこに時間を割くか。
プレゼンテーションの真似事は学生の頃にやって以来だが、その時の浅い経験がここで役に立っている。
「心残りはありませんか?」
ドアが開き、作業着姿の野瀬が大股で入って来た。
「ええ、おかげさまで」
奈緒が頭を下げた。
美子も慌ててそれに倣う。
「私は何もしてませんよ」
野瀬は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「思った以上に集まりましたね」
「野瀬さんには本当に感謝しています。こうして場を設けてもらって――」
「これがちいき課の仕事ですから。立場上、活動を肯定も否定もできませんが、引き続いてこの案件には携わるつもりです。なあ?」
野瀬はドアの向こうに声をかけた。
幸治が重い足をひきずるようにやって来た。
「お父さん?」
「話は聞いてる。ここで説明するんだろう?」
「ええ、そのほうがいい、って話になって」
美子はちらりと奈緒と野瀬を見やった。
「大丈夫なのか? ちゃんと伝えられるのか?」
「平気よ。これもあるから。レイアウトはミサキがやってくれたのよ」
幸治は傍のテーブルに置いてある資料を手に取って流し読みした。
たしかに説得力を持たせる作りになっている。
「そうか、うまくいくといいな」
幸治はミサキの頭を撫でた。
「僕たちは中立だ。悪いけど、何かあっても肩入れはできないんだ」
内心では応援しているが今日、幸治はちいき課としてここに来ている。
私情は捨て、あくまで役人と住民という関係を守らなければならない。
彼らの前で家族であることを強調すれば癒着や職権の濫用を批判されるだろう。
そうなっては理解を得られるどころか、苛烈な反発を食らうのは必至だ。
「それって他人のフリをしろ、ってこと?」
ミサキの問いに幸治は頷いた。
「余計な反感を買わないためね。分かってるわ」
聴衆にウソをつくようで気が引けたが、今日という日を台無しにすることを考えれば些細な演技だ、と美子は思うことにした。
「誘導や進行、資料の配付は私たちでやります。基本的に説明会が始まれば、こちらとしては何もできないと思ってください」
野瀬の突き放すような口調に一同は首肯した。
「間に休憩を入れますが、事前に聞いていたこのタイミングでいいですか?」
資料の中ほどを開き、奈緒に見せる。
「はい、ここがちょうどよい区切りになりますので」
編集の際、ミサキは休憩まで考慮していたようで、前半部と後半部の間をページで区切って二部構成を演出していた。
「そろそろですね。先に会場に行って資料を配っておきます。及川さんたちは時間になったら入ってきてください」
まだ何か言いたそうな幸治の肩を叩き、野瀬は彼を伴って控え室を出た。
「あ、私もちょっと出てくるわね。すぐに戻ってくるから」
奈緒が時計を見るや慌てて出て行こうとした。
「え? どこに行くの? もうすぐ始まるわよ」
美子が引き留める。
開始時間がそこまで迫っている。
何かトラブルがあったら大変だ。
「言わせないでよ」
奈緒はテーブルに置いてある空のペットボトルを指差した。
「喉が渇いて仕方がなかったの。分かるでしょ」
拗ねたような口ぶりで目的地に向かう奈緒に、美子は苦笑した。
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