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第一編 シルヴァン村の孤星
第6話:賢者の申し出
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エルミートが語った「獅子の王家」の悲劇と、カイルの背にある「印」が持つかもしれない恐るべき意味。それは、シルヴァン村の村長マティアスや、集まった村の主な大人たちにとって、あまりにも衝撃的で、にわかには信じがたい内容だった。しかし、エルミートのその静かで厳粛な語り口と、何よりも、先日の徴税官たちの暴虐という生々しい現実が、彼の言葉に否定しがたい重みを与えていた。
「…賢者エルミート様…」
村長の家の薄暗い広間に集まった村人の一人が、震える声で口を開いた。彼の顔は、恐怖と混乱で青ざめている。
「もしや…もしや、あのカイルが…本当に、あの失われた王家の血を引く者だとでも、仰せられるのですか…? それが…それが真実だとしたら、我々は…我々シルヴァン村は、とんでもない厄介事を抱え込んでしまったことになりますぞ…!」
別の男が、荒々しく言葉を継いだ。
「そうだとも! もし、レジナルド公爵閣下が、そのことをお知りになったら…! この村がどうなるか、考えただけでも恐ろしい! あのギルバート男爵のような連中が、今度は軍隊を率いてやって来るやもしれんのだ!」
広間は、にわかに騒然となった。村人たちの間には、カイルの存在に対する漠然とした不安が、エルミートの言葉によって、一気に具体的な恐怖へと変わろうとしていた。カイルは、その重苦しい空気の中で、ただ俯き、自分の足元を見つめるしかなかった。リアナが、心配そうに彼の腕にそっと手を添える。その温もりだけが、今のカイルにとって唯一の救いだった。
「皆の衆、落ち着かれよ」
エルミートは、騒ぎ始めた村人たちを、静かだが威厳のある声で制した。彼のその声には、不思議な力があり、村人たちは次第に静けさを取り戻していった。
「カイルの出自の真偽については、今のわしにも断言はできぬ。じゃが」
エルミートは、カイルの方へと視線を向け、その瞳を真っ直ぐに見つめた。
「この子が、特別な運命を背負っておることは確かじゃ。そして、その運命は、このアキテーヌ、いや、このユーロディア大陸全体の未来と、深く関わってくるやもしれん」
彼は、再びアキテーヌ王国の腐敗、レジナルド公爵の底知れぬ野心、そして傀儡であるギヨーム王の無力さについて語った。その言葉は、辺境の村人たちにとっては想像もつかないような、権力と陰謀が渦巻く世界の現実を、容赦なく突きつけるものだった。
そして、エルミートは、再びあの不吉な名前に言及した。
「おとぎ話と侮るなかれ、と申したはずじゃ。古の災厄…ヘルマーチャーの伝説をな。人心が荒廃し、社会が腐敗しきった時、闇は常に人の心の隙間から忍び寄り、形を成すものじゃ。そして、今のユーロディアは、その闇が満ち満ちておる…」
彼の声は、まるで世界の終末を予言するかのように、重く響いた。
「レジナルド公爵のような者の圧政は、民の心から希望を奪い、憎しみと絶望を育む。それは、ヘルマーチャーのような存在にとって、これ以上ないほど心地よい温床となるのじゃ。お前たちの村で起こったことも、あるいはその始まりやもしれぬ。そして、カイルのような…」
エルミートは、そこで一度言葉を切り、カイルの純粋な瞳を見つめた。
「…カイルのような清らかな魂と、内に秘めた強い正義感を持つ者こそが、その迫りくる闇に立ち向かうための、希望となるやもしれんのだ」
その言葉は、広間に集まった村人たちにとって、あまりにも壮大で、そして重すぎるものだった。彼らは、ただ日々の暮らしを守ることに必死な、名もなき民に過ぎない。世界の闇だの、最後の希望だのと言われても、到底現実のこととは思えなかった。
しかし、カイルとリアナの心には、エルミートの言葉が、深く、そして消えない刻印のように刻み込まれていた。
広間に重苦しい沈黙が落ちる。エルミートの言葉は、村人たちにとってあまりにも衝撃的で、その意味を完全に理解するには時間が必要だった。しかし、リアナの翠の瞳には、恐怖よりもむしろ、強い決意の光が宿っていた。彼女は、エルミートの前に進み出ると、深々と頭を下げた。
「エルミート様!」
その声は、揺るぎない響きを持っていた。
「先程のお言葉、確かに拝聴いたしました。そして、エルミート様が、カイルと私を弟子としてお導きくださるというお申し出、心より感謝申し上げます」
リアナは、顔を上げ、エルミートを真っ直ぐに見つめた。
「私は、カイルと共にエルミート様のもとで学び、力をつけ、必ずやこの世界を覆う悲しみを打ち払うお手伝いをしたいと、強く願っております! カイルのその『印』が、本当に特別なものならば、なおのこと、彼を一人にしてはおけません! 私は…私は、どんな困難があろうとも、カイルのそばで、彼を支え、共に戦う覚悟でございます!」
その言葉は、カイルへの深い愛情と、自らもまた過酷な運命に立ち向かおうとする、リアナの強い意志の表れだった。彼女は、エルミートの申し出をただ受動的に受け入れるのではなく、自らの意思でその道を選び取るのだという決意を明確に示したのだ。
カイルは、リアナのその言葉に、胸の奥が熱くなるのを感じた。彼は、リアナの隣に並び立つと、震える声ではあったが、エルミートを真っ直ぐに見つめて言った。
「…僕も…僕も、エルミート様の元で学びたいです。もし、僕に何かできることがあるのなら…この村の人たちや、リアナを守るために、強くなりたいんです…! エルミート様、どうか僕たちをお導きください!」
エルミートは、リアナの揺るぎない決意と、カイルの純粋な願いを、深い慈愛の眼差しで見つめていた。
(見事な覚悟じゃな、二人とも…。この子たちならば、あるいは本当に…)
彼は、マティアス村長へと向き直った。
「村長殿。この子たちの覚悟は、お聞き届けいただけたであろう。改めて申し上げる。わしは、このカイルとリアナを弟子として引き取り、わしの庵で育てたい。彼らの力は、もし正しく導かれねば、大きな災いを招くやもしれん。カイルの背にある『印』が何を意味するにせよ、それは彼を常人とは異なる道へと導く。しかし、わしが責任を持って、彼らの力を、そして心を導こう。そして、いずれこの村を、いや、このアキテーヌを守る力となるやもしれぬ。そのためには、外界から隔絶された場所で、腰を据えて教えを授ける必要がある。このシルヴァン村にいては、いずれレジナルド公爵の密偵か、あるいは聖教の異端審問官たちに見つかり、彼らの運命は、ただ弄ばれるだけで終わってしまうじゃろう」
エルミートの言葉は、村長と村の主な大人たちに、重い決断を迫るものだった。
*
その夜、村長の家では、夜を徹して村の主な大人たちによる話し合いが続けられた。カイルとリアナは、別の部屋で、固唾を飲んでその結果を待っていた。カイルの心臓は、不安と、そしてほんの少しの期待で、張り裂けそうだった。
「カイルのあの『印』が、本当に王家のものだとしたら…我々は、とんでもない危険を冒すことになるのではないか?」
「しかし、エルミート様は、あの子が希望になるやもしれぬと仰せだ。あの賢者様の言葉を、無下にはできまい」
「だが、もしレジナルド公爵に知られたら…我々は皆殺しにされるやもしれんのだぞ!」
「エルミート様の庇護を失うことも、我々にとっては大きな痛手だ。あの方がいればこそ、先日の徴税官たちも追い払えたのだから…」
様々な意見が飛び交い、怒号が響き、そしてすすり泣きが漏れた。彼らは、カイルの「印」がもたらすかもしれない災厄への恐怖、エルミートという賢者の知識と庇護を失うことへの不安、そして何よりも、これ以上の不幸を避けたいという切実な願いの間で、激しく揺れ動いていた。この小さな村が背負うには、あまりにも重すぎる選択だった。
長い、長い夜が明けた。
やつれた顔のマティアス村長が、エルミートの前に進み出た。彼の目には、苦悩の跡が深く刻まれている。
村長は、エルミートの前に深々と頭を下げた。
「…賢者エルミート様…我々は、もはや神にも見捨てられたも同然の、哀れな民でございます。ですが…」
村長は、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、深い悲しみと、確かな決意の色が宿っていた。
「もし、あの子たちが…カイルが、本当にこの村に、そして我々にさらなる災いを呼び込まぬというのなら…そして、いつかこの圧政から我らを救う一助となるという、賢者様のそのお言葉を、万に一つでも信じるならば…」
村長の声は、震えていた。
「賢者様に、あの子たちの未来を、お託し申し上げます…」
その言葉は、カイルとリアナの耳に、まるで遠い世界の響きのように聞こえた。
しかし、村長の言葉は、そこで終わりではなかった。
「ただし…」村長は、苦渋に満ちた表情で続けた。
「賢者様、これだけは、お聞き届けいただきたい。もし、あの子の力が…カイルの背負う運命が、賢者様のお力をもってしても、手に余り、制御できぬとご判断された時は…その時は、どうか、我々が知らない場所へ、決してこのシルヴァン村には近づかぬ遠い場所へと、あの子を連れて行っていただきたいのです…それが、我々シルヴァン村の民の、唯一の、そして最後の願いでございます…」
それは、村を守りたいという責任感、そしてカイルの持つ未知の力への、拭いきれない恐怖が入り混じった、悲痛な願いだった。
エルミートは、その言葉の重みを、静かに受け止めた。
「…承知した。このエルミート、必ずや、その約束は守ろう」
*
カイルとリアナが、エルミートと共にシルヴァン村を旅立つことが、こうして決定した。
出発は、数日後と定められた。カイルにとっては生まれ育った村であり、リアナにとっても大切な故郷だった。別れを惜しむ時間は、あまりにも短かった。
しかし、運命の歯車は、彼らの感傷を待ってはくれなかった。
旅立ちを控えた前日の夜。
村の周辺で、見慣れない男たちがうろついているという噂が、カイルたちの耳にも届いた。彼らは、旅人を装ってはいたが、その鋭い目つきや、隠しきれない屈強な体つきは、明らかに普通の旅人ではなかった。
「…レジナルド公爵の密偵か…あるいは、聖教の犬かもしれんな」
エルミートは、窓の外の闇を見つめながら、苦々しげに呟いた。彼の長年の経験が、危険の匂いを敏感に嗅ぎ取っていた。おそらく、先日の徴税官の報告から、エルミートの情報がレジナルド公爵の耳に入ったのだろう。
「奴らは、まだ確証を得ておらんはずじゃ。じゃが、この村に長居は無用。我らの旅立ちは、思ったよりも早まるやもしれんぞ…」
エルミートの言葉に、カイルとリアナは息を呑んだ。
その夜、月も隠れた漆黒の闇の中、三人は、村人たちに別れを告げ、シルヴァン村を後にした。カイルは、闇に沈む故郷の村を振り返り、胸の奥に込み上げる名状しがたい感情を、ただじっと噛み締めていた。
「…賢者エルミート様…」
村長の家の薄暗い広間に集まった村人の一人が、震える声で口を開いた。彼の顔は、恐怖と混乱で青ざめている。
「もしや…もしや、あのカイルが…本当に、あの失われた王家の血を引く者だとでも、仰せられるのですか…? それが…それが真実だとしたら、我々は…我々シルヴァン村は、とんでもない厄介事を抱え込んでしまったことになりますぞ…!」
別の男が、荒々しく言葉を継いだ。
「そうだとも! もし、レジナルド公爵閣下が、そのことをお知りになったら…! この村がどうなるか、考えただけでも恐ろしい! あのギルバート男爵のような連中が、今度は軍隊を率いてやって来るやもしれんのだ!」
広間は、にわかに騒然となった。村人たちの間には、カイルの存在に対する漠然とした不安が、エルミートの言葉によって、一気に具体的な恐怖へと変わろうとしていた。カイルは、その重苦しい空気の中で、ただ俯き、自分の足元を見つめるしかなかった。リアナが、心配そうに彼の腕にそっと手を添える。その温もりだけが、今のカイルにとって唯一の救いだった。
「皆の衆、落ち着かれよ」
エルミートは、騒ぎ始めた村人たちを、静かだが威厳のある声で制した。彼のその声には、不思議な力があり、村人たちは次第に静けさを取り戻していった。
「カイルの出自の真偽については、今のわしにも断言はできぬ。じゃが」
エルミートは、カイルの方へと視線を向け、その瞳を真っ直ぐに見つめた。
「この子が、特別な運命を背負っておることは確かじゃ。そして、その運命は、このアキテーヌ、いや、このユーロディア大陸全体の未来と、深く関わってくるやもしれん」
彼は、再びアキテーヌ王国の腐敗、レジナルド公爵の底知れぬ野心、そして傀儡であるギヨーム王の無力さについて語った。その言葉は、辺境の村人たちにとっては想像もつかないような、権力と陰謀が渦巻く世界の現実を、容赦なく突きつけるものだった。
そして、エルミートは、再びあの不吉な名前に言及した。
「おとぎ話と侮るなかれ、と申したはずじゃ。古の災厄…ヘルマーチャーの伝説をな。人心が荒廃し、社会が腐敗しきった時、闇は常に人の心の隙間から忍び寄り、形を成すものじゃ。そして、今のユーロディアは、その闇が満ち満ちておる…」
彼の声は、まるで世界の終末を予言するかのように、重く響いた。
「レジナルド公爵のような者の圧政は、民の心から希望を奪い、憎しみと絶望を育む。それは、ヘルマーチャーのような存在にとって、これ以上ないほど心地よい温床となるのじゃ。お前たちの村で起こったことも、あるいはその始まりやもしれぬ。そして、カイルのような…」
エルミートは、そこで一度言葉を切り、カイルの純粋な瞳を見つめた。
「…カイルのような清らかな魂と、内に秘めた強い正義感を持つ者こそが、その迫りくる闇に立ち向かうための、希望となるやもしれんのだ」
その言葉は、広間に集まった村人たちにとって、あまりにも壮大で、そして重すぎるものだった。彼らは、ただ日々の暮らしを守ることに必死な、名もなき民に過ぎない。世界の闇だの、最後の希望だのと言われても、到底現実のこととは思えなかった。
しかし、カイルとリアナの心には、エルミートの言葉が、深く、そして消えない刻印のように刻み込まれていた。
広間に重苦しい沈黙が落ちる。エルミートの言葉は、村人たちにとってあまりにも衝撃的で、その意味を完全に理解するには時間が必要だった。しかし、リアナの翠の瞳には、恐怖よりもむしろ、強い決意の光が宿っていた。彼女は、エルミートの前に進み出ると、深々と頭を下げた。
「エルミート様!」
その声は、揺るぎない響きを持っていた。
「先程のお言葉、確かに拝聴いたしました。そして、エルミート様が、カイルと私を弟子としてお導きくださるというお申し出、心より感謝申し上げます」
リアナは、顔を上げ、エルミートを真っ直ぐに見つめた。
「私は、カイルと共にエルミート様のもとで学び、力をつけ、必ずやこの世界を覆う悲しみを打ち払うお手伝いをしたいと、強く願っております! カイルのその『印』が、本当に特別なものならば、なおのこと、彼を一人にしてはおけません! 私は…私は、どんな困難があろうとも、カイルのそばで、彼を支え、共に戦う覚悟でございます!」
その言葉は、カイルへの深い愛情と、自らもまた過酷な運命に立ち向かおうとする、リアナの強い意志の表れだった。彼女は、エルミートの申し出をただ受動的に受け入れるのではなく、自らの意思でその道を選び取るのだという決意を明確に示したのだ。
カイルは、リアナのその言葉に、胸の奥が熱くなるのを感じた。彼は、リアナの隣に並び立つと、震える声ではあったが、エルミートを真っ直ぐに見つめて言った。
「…僕も…僕も、エルミート様の元で学びたいです。もし、僕に何かできることがあるのなら…この村の人たちや、リアナを守るために、強くなりたいんです…! エルミート様、どうか僕たちをお導きください!」
エルミートは、リアナの揺るぎない決意と、カイルの純粋な願いを、深い慈愛の眼差しで見つめていた。
(見事な覚悟じゃな、二人とも…。この子たちならば、あるいは本当に…)
彼は、マティアス村長へと向き直った。
「村長殿。この子たちの覚悟は、お聞き届けいただけたであろう。改めて申し上げる。わしは、このカイルとリアナを弟子として引き取り、わしの庵で育てたい。彼らの力は、もし正しく導かれねば、大きな災いを招くやもしれん。カイルの背にある『印』が何を意味するにせよ、それは彼を常人とは異なる道へと導く。しかし、わしが責任を持って、彼らの力を、そして心を導こう。そして、いずれこの村を、いや、このアキテーヌを守る力となるやもしれぬ。そのためには、外界から隔絶された場所で、腰を据えて教えを授ける必要がある。このシルヴァン村にいては、いずれレジナルド公爵の密偵か、あるいは聖教の異端審問官たちに見つかり、彼らの運命は、ただ弄ばれるだけで終わってしまうじゃろう」
エルミートの言葉は、村長と村の主な大人たちに、重い決断を迫るものだった。
*
その夜、村長の家では、夜を徹して村の主な大人たちによる話し合いが続けられた。カイルとリアナは、別の部屋で、固唾を飲んでその結果を待っていた。カイルの心臓は、不安と、そしてほんの少しの期待で、張り裂けそうだった。
「カイルのあの『印』が、本当に王家のものだとしたら…我々は、とんでもない危険を冒すことになるのではないか?」
「しかし、エルミート様は、あの子が希望になるやもしれぬと仰せだ。あの賢者様の言葉を、無下にはできまい」
「だが、もしレジナルド公爵に知られたら…我々は皆殺しにされるやもしれんのだぞ!」
「エルミート様の庇護を失うことも、我々にとっては大きな痛手だ。あの方がいればこそ、先日の徴税官たちも追い払えたのだから…」
様々な意見が飛び交い、怒号が響き、そしてすすり泣きが漏れた。彼らは、カイルの「印」がもたらすかもしれない災厄への恐怖、エルミートという賢者の知識と庇護を失うことへの不安、そして何よりも、これ以上の不幸を避けたいという切実な願いの間で、激しく揺れ動いていた。この小さな村が背負うには、あまりにも重すぎる選択だった。
長い、長い夜が明けた。
やつれた顔のマティアス村長が、エルミートの前に進み出た。彼の目には、苦悩の跡が深く刻まれている。
村長は、エルミートの前に深々と頭を下げた。
「…賢者エルミート様…我々は、もはや神にも見捨てられたも同然の、哀れな民でございます。ですが…」
村長は、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、深い悲しみと、確かな決意の色が宿っていた。
「もし、あの子たちが…カイルが、本当にこの村に、そして我々にさらなる災いを呼び込まぬというのなら…そして、いつかこの圧政から我らを救う一助となるという、賢者様のそのお言葉を、万に一つでも信じるならば…」
村長の声は、震えていた。
「賢者様に、あの子たちの未来を、お託し申し上げます…」
その言葉は、カイルとリアナの耳に、まるで遠い世界の響きのように聞こえた。
しかし、村長の言葉は、そこで終わりではなかった。
「ただし…」村長は、苦渋に満ちた表情で続けた。
「賢者様、これだけは、お聞き届けいただきたい。もし、あの子の力が…カイルの背負う運命が、賢者様のお力をもってしても、手に余り、制御できぬとご判断された時は…その時は、どうか、我々が知らない場所へ、決してこのシルヴァン村には近づかぬ遠い場所へと、あの子を連れて行っていただきたいのです…それが、我々シルヴァン村の民の、唯一の、そして最後の願いでございます…」
それは、村を守りたいという責任感、そしてカイルの持つ未知の力への、拭いきれない恐怖が入り混じった、悲痛な願いだった。
エルミートは、その言葉の重みを、静かに受け止めた。
「…承知した。このエルミート、必ずや、その約束は守ろう」
*
カイルとリアナが、エルミートと共にシルヴァン村を旅立つことが、こうして決定した。
出発は、数日後と定められた。カイルにとっては生まれ育った村であり、リアナにとっても大切な故郷だった。別れを惜しむ時間は、あまりにも短かった。
しかし、運命の歯車は、彼らの感傷を待ってはくれなかった。
旅立ちを控えた前日の夜。
村の周辺で、見慣れない男たちがうろついているという噂が、カイルたちの耳にも届いた。彼らは、旅人を装ってはいたが、その鋭い目つきや、隠しきれない屈強な体つきは、明らかに普通の旅人ではなかった。
「…レジナルド公爵の密偵か…あるいは、聖教の犬かもしれんな」
エルミートは、窓の外の闇を見つめながら、苦々しげに呟いた。彼の長年の経験が、危険の匂いを敏感に嗅ぎ取っていた。おそらく、先日の徴税官の報告から、エルミートの情報がレジナルド公爵の耳に入ったのだろう。
「奴らは、まだ確証を得ておらんはずじゃ。じゃが、この村に長居は無用。我らの旅立ちは、思ったよりも早まるやもしれんぞ…」
エルミートの言葉に、カイルとリアナは息を呑んだ。
その夜、月も隠れた漆黒の闇の中、三人は、村人たちに別れを告げ、シルヴァン村を後にした。カイルは、闇に沈む故郷の村を振り返り、胸の奥に込み上げる名状しがたい感情を、ただじっと噛み締めていた。
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