The Lone Hero ~The Age of Iron and Blood~

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第一編 シルヴァン村の孤星

第10話(第一編 最終話):最初の誓い。– 旅立ちの決意–

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満天の星空の下で交わされた、カイルの悲壮なまでの誓い。それは、彼の魂の奥底からの叫びであり、自らの運命を受け入れ、世界の闇に立ち向かうことを決意した、最初の、そして最も純粋な誓約だった。

 その誓いの後も、エルミートの庵での修練の日々は続いた。しかし、カイルの剣を振るう姿には、以前にも増して、どこか張り詰めたような覚悟と、そして世界を救うという、少年が背負うにはあまりにも重すぎる使命感が、痛々しいほどに感じられるようになっていた。

 リアナは、そんなカイルの変化を誰よりも敏感に感じ取り、献身的に彼を支え続けた。

 エルミートは、カイルに、書斎の奥にある「禁断の扉」のことは一旦忘れ、まずは剣技と精神をさらに磨くことに集中するよう諭した。しかし、エルミート自身の表情には、日に日に深い憂いの色が濃くなっていった。

 彼の元には、王都ボルドーにいる聖教内部で良心の呵責に苦しむ穏健派の司祭から、密かに書状が届けられるようになっていた。そこには、アキテーヌ王国の権力闘争がさらに激化し、レジナルド公爵と、彼の意を汲む異端審問官ドミニクによる恐怖政治が、まさに始まろうとしていること、そして、辺境の村々では、原因不明の家畜の死や作物の壊滅といった不審な事件がますます多発し、民衆の不安が極度に高まっているという、深刻な情報が記されていた。

「…ヘルマーチャーの影は、思ったよりも早く、そして深く、この地に忍び寄っておるようじゃな…」

 エルミートは、書状を読み終えると、苦々しげに呟いた。その老いた瞳には、深い絶望と、そして残された時間の少なさを悟ったかのような、焦りの色が浮かんでいた。

 *

 エルミートの体調は、日に日に悪化していった。かつては鋭い眼光を放っていたその瞳も、今はどこか虚ろで、力なく、咳き込む回数も明らかに増えていた。彼は、自らの命が、もう長くないことを悟っていた。

 ある晩秋の冷たい雨が降る夜、エルミートは、カイルとリアナを自室に呼び寄せた。部屋の中は、薬草の匂いと、そして死の気配が微かに漂っているように感じられた。

「カイルよ、リアナよ…よく聞きなさい。わしにはもう、あまり時間が残されてはおらぬようじゃ…」

 エルミートは、弱々しい声で語り始めた。

 カイルとリアナは、息を呑んでエルミートの言葉に耳を傾けた。彼のその言葉は、あまりにも突然で、そしてあまりにも残酷な響きを持っていた。

「わしがこの世を去った後、お前たちはどうするつもりじゃ? この庵に、いつまでも隠れ潜んでいるわけにはいくまい。レジナルド公爵の目は、いずれ必ずこの場所にまで及ぶじゃろう。そして…」

 エルミートは、そこで一度激しく咳き込み、リアナが差し出した水をゆっくりと飲んだ。

「…あの『禁断の扉』じゃ。カイルよ、お前があの扉を開き、そこに記された真実を知る時、お前は大きな選択を迫られることになるじゃろう。それは、世界を救うための道かもしれぬし、あるいは…お前自身を、そしてお前の愛する者たちをも破滅させる道かもしれぬ。それでも、お前はその真実を知らねばならぬ。お前の背負う『獅子の傷痕』の本当の意味を理解するためにもな…そして、その知識は、いずれ来るべきヘルマーチャーとの戦いにおいて、お前たちの唯一の武器となるやもしれんのじゃ」

 エルミートの言葉は、カイルの心に重くのしかかった。禁断の扉の奥にある真実。それは、一体どのようなものなのだろうか。そして、自分は、その真実と向き合う覚悟ができているのだろうか。

 *

 エルミートの庵に来てから早二年の月日が経っていた。

 世界の危機的状況と、エルミートの日に日に衰弱していく姿を前に、カイルとリアナは、もはやこの庵に留まっていることはできないと、痛感していた。エルミートの知識と教えは、彼らにとってかけがえのないものだった。だが、その知識を活かすためには、まず世界の現状を、自らの目で見、肌で感じなければならない。そして、自分たちに何ができるのかを、見つけ出さなければならない。

「エルミート様」

 ある朝、カイルは、意を決してエルミートに切り出した。その声には、まだ迷いと不安が滲んでいたが、瞳の奥には、確かな決意の光が宿っていた。

「僕たちは…僕とリアナは、この庵を出て、王都ボルドーへ向かおうと思います」

 リアナもまた、カイルの隣で力強く頷いた。

「エルミート様が以前お話しくださった、王都にいらっしゃるというご旧友のセドリック様を頼り、そこで世界の現状を把握し、私たちに何ができるのかを探したいのです。そして、いつか必ず、エルミート様の元へ戻ってきます。もっと強く、もっと賢くなって…!」

 エルミートは、二人のその決意を、静かに、そしてどこか安堵したような表情で受け止めた。彼の目には、涙がうっすらと浮かんでいるように見えた。

「…そうか。お前たちも、ようやく己の進むべき道を見つけ出したようじゃな。それでよい…それでよいのじゃ…」

 エルミートは、震える手で、カイルとリアナの手をそれぞれ握りしめた。その手は、驚くほど冷たく、そして弱々しかった。

「…決して、絶望に屈してはならぬ。この世界は、確かに闇に覆われつつある。じゃが、どんな深い闇の中にも、必ず小さな光は残っておるものじゃ。その光を、見失うでないぞ」

 エルミートの声は、途切れ途切れだったが、その言葉の一つ一つには、彼の魂が込められているかのようだった。

「そして、どんな時も、お互いを信じ、支え合うのだ。リアナ、カイルを頼む。その優しさと強さで、彼の心の支えとなってやってくれ。カイル、リアナを、そしてお前のその優しき心を、何よりも大切にするのじゃ…それが、わしの、最後の願いじゃ…」

 エルミートは、そう言うと、枕元に置いてあった二つの小さな品物を、カイルとリアナに手渡した。

 カイルには、古びた樫の木の杖。それは、かつてエルミートが若い頃、諸国を旅した際に使っていたものだという。特別な力があるわけではないが、握っているだけで心が落ち着き、精神を安定させる護符としての役割を持つと、エルミートは言った。

 リアナには、エルミートの家の紋章――アルドゥイン家、三日月と古木の意匠――が細かく刻まれた、小さな銀のロケット。その中には、エルミートが特別に調合した、強力な解毒作用を持つという希少な薬草の粉末が、少量だけ入っていた。

「これは、わしからの、贈り物じゃ。お前たちの旅路の、ささやかな守りとなればよいが…」

 カイルとリアナは、涙を堪えながら、エルミートからの最後の贈り物を、大切に受け取った。

 *

 カイルとリアナが、エルミートの庵を旅立つ準備を終え、師に最後の別れを告げようとした、まさにその時だった。

 庵の周囲の森が、にわかに騒がしくなった。鳥たちが一斉に飛び立ち、獣たちが何かに怯えたように逃げ惑う気配。そして、複数の松明の光と、武装した男たちの怒声が、徐々に庵へと近づいてくるのが感じられた。

「…やはり、間に合わなかったか…。」

 エルミートは、苦々しげに顔を歪めた。それは、レジナルド公爵が、ついにエルミートの庵の位置を特定し、追っ手を差し向けたことを示唆していた。おそらく、聖教の異端審問官ドミニクの手の者も混じっているだろう。

「カイル! リアナ! もう時間がない!」

 エルミートは、ベッドから弱々しい体を無理やり起こすと、壁の一角を指差した。そこには、地下へと続く秘密の通路の入り口があった。

「わしのことは、構うな! お前たちは、庵の裏手にある、森の奥深くへと続く裏口の扉から、一刻も早く逃げるのじゃ! わしが、この老いぼれた最後の命を盾として、ここで奴らを引きつけ、お前たちのための時間を稼ぐ!」

 エルミートのその言葉は、悲痛なまでの力強さに満ちていた。

「エルミート様…! 一緒に…!」カイルは、涙ながらに叫んだ。

「馬鹿を申せ!」エルミートは、一喝した。

「わしは、ここを動けぬ。そして、奴らの目的は、おそらくわしと…そして、お前じゃ、カイル! わしが、ここで時間を稼ぐ。その間に、お前たちはできるだけ遠くへ逃げるのじゃ!」

 リアナもまた、泣きじゃくりながら、エルミートに懇願した。

「嫌です、エルミート様! 私たちを置いていかないでください!」

「リアナ、カイルを頼んだぞ…!」

 エルミートは、リアナの肩を掴み、力強く言った。

「お前だけが、カイルの心の支えとなれるのじゃ…必ず、二人で生き延びるのじゃ…!」

 男たちの荒々しい声が、もう間近に迫っていた。

 エルミートは、最後の力を振り絞るように、カイルとリアナの背中を強く押し、秘密の通路へと導いた。

「行けっ!!」

 その悲痛な叫びを背に、カイルとリアナは、涙で霞む目で互いの顔を見合わせると、暗く冷たい通路の中へと駆け込んだ。

 彼らの背後で、エルミートの庵が、追っ手たちの手によって炎上し、黒煙を上げる光景が、一瞬だけ、通路の隙間から見えた。

 師とのあまりにも突然で、そしてあまりにも悲しい別れ。

 カイルとリアナは、ただお互いの手を固く握りしめ、暗闇の中をひたすらに走り続けた。彼らの心の中には、エルミートへの感謝と、そして彼を守れなかったことへの深い悔恨、そしてこれから始まるであろう過酷な運命への、言いようのない恐怖と絶望が渦巻いていた。

 彼らが向かう先は、アキテーヌ王都ボルドー。

 そこでは、レジナルド公爵による恐怖政治が、二人に血塗られた牙を剥こうとしていた。

 二人の前途には、想像を絶する困難と、そしてさらなる悲劇が、容赦なく待ち受けている。

 カイル・リヴァーウッドの、長く、そしてあまりにも悲しい英雄譚は、今、まさにその最初の一歩を踏み出したのだ。

 (第一編終)

 (第二編 第一章 アキテーヌの紅蓮 – 獅子身中の虫と血染めの王笏 へ続く)
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